透明な疑惑
光を放つハーディーンの魔力が収縮していくにつれ、辺りに森の薄暗さが戻ってきた。手を取り合い涙を流し続ける二人の近くで、老婆がその弱々しく小さな身体をじっと丸めている。親友の無事と二人との再会を素直に喜んでいたカナエだったが、今は息を潜めるようにして動かない老婆を静かに見ていた。
「よかった!二人とも、無事で!」
「マリー。」
「ナサエル、ごめんね。」
「え?何のこと?」
「別に。コッチのことよ。」
「そ。」
マリオーズが両手を後ろで組み首を横に振って笑う。その笑顔にほんの少し切なさを感じたが、ナサエルはその本意がわからない。よくあることである。ナサエルとマリオーズは認め合っていながら、お互いの世界をよく知らないのだ。価値観、生き方、全てが異なる人間であり、よく衝突こそすれど、お互いの考え方を面白く思っている。ただ、干渉はしない。この新しい本を開くような距離感を常に二人は大事にしているのであった。
「あ……あ、あ……!」
そんな日常の風景に、老婆の呻き声が聞こえてくると、蹲って動かない小さな塊を皆が見た。カナエが老婆に近付き、一歩の距離を残して膝をつく。そして老婆の顔を覗き込むように頭を下げ、首を傾けて手を差し出した。老婆は爛れた樹皮のようなフードを頭から深く被っており、おどろおどろしく垂れ下げている。傷み乱れる髪がその奥にある顔まで隠してしまっていた。
「この人何なの?」
「さあ……でも、ボクはこの人のお陰でここに来られたんだ。」
「カナエ、大丈夫なのか?」
「……。」
カナエは差し出した手を下ろすことなく黙って覗き込み続けた。暫く恐ろしいような沈黙に辺りは包まれていたが、老婆がやっと、その枯れた指をフードから出して震わせながら伸ばしてきた。その痩せ細った腕は差し出されている手を通り過ぎ、やがて老婆が全身を引きずるように動き始めてカナエの横を這って行く。手を下ろして一息細く吐くと、カナエはゆっくり立ち上がって老婆に顔を向けた。
「あ……あ、」
「おばあさん。」
「あ……」
老婆の身を受け止めたのは、始終を静観していたセイリアだった。マリオーズとナサエル、ハーディーンが奥で目を丸めていて、カナエが僅かにその双方色の違う目を細めている。なんとか辿り着いた老婆の手を、セイリアは両手で包み込むようにそっと握った。そして穏やかに、一糸の歪みもない微笑みを浮かべた。
「おばあさん、お辛いでしょう。」
「ああ……やっと、やっと、」
「ええ。クラヴィスの導きに感謝してください。」
「そうか……あ、あの子が……。」
草が倒れる微かな音が続き、マリオーズの側にカナエがやってきた。三人に、セイリアと老婆の声は聞こえていない。マリオーズはカナエの腰を遠慮なく肘でつつき、見上げて老婆を指差した。一言すら発しては崩れてしまいそうなそんな整然とした空気を感じ、黙って困惑するマリオーズの顔につい笑みがこぼれる。微笑したままカナエは首を傾けて返事をすると、その場に腰を落ち着けた。
「僕の知っている話をしてもいいかな。」
カナエはそう言い、三人の不思議そうな瞳を受けた後、静かに語り始めた。
神に創られしこの世界。 あらゆる生命の営みによって、世界は永遠を許されていた。しかしこの世界を形づくるもの全てはいつか、淀み、綻び、果てるのである。
神は浄化をおこなう。大地を豊かにするため、光を絶やさぬよう、流れを失わぬよう、潤いを施す。
神が降り立つのはたった四つの柱。生命はその柱を守り、聖なる祈りをこめて、より清い浄化へ導く。そうしてこの世界の永遠は、繰り返されるのだ。
語り終えた時、セイリアが言った。
「あなたは知っているのですね。」
各々感想をもっていたであろう三人は驚き、セイリアとカナエを順に見た。マルキス王国民である三人は聞いたことのない“物語”だったが、旅人であるセイリアが知っていても不思議ではない。だが、カナエが今それを話した意味について三人は考えていた。突拍子もなく口を開くカナエではない、これは今この状況に必要な話なのであろう。カナエの話す神とは、浄化とは何か、問いたいことがたくさんある。あまりにも世間離れした話だが、勘のいい三人は、目の前でそれが現実となる予感がしていた。
「はい。ではやはり、ここが柱であなたは、」
「そうです。そして、あなたたちは聖女。」
「えっ!ボクたち?!」
「聖女?」
「……。」
「カナエの話にはなかったよね?」
「……聖女は、」
マリオーズに耳打ちされたカナエが重く口を開きかけたが、歩み寄ってくるセイリアに皆の視線が逸れた。ナサエルが肩を小さくした。ハーディーンの喉が鳴る。しかしセイリアは相変わらず疑いようのない穏やかな微笑みを浮かべている。
「聖なる祈りの為、穢れのない身と純真な心をもつ者のことです。」
「え。」
「あなたたちが、この柱を守らなくてはならない。」
「……お姉さん、あのさ。」
「なに?ナサエル君。」
「ちょっと待ってよ……ボクたち、そんなの聞いたことないんだ。」
「聖女は、自覚があるとは限らない。」
表情を一切崩さず淡々と語りを進めようとするセイリアは、ナサエルたちを困惑させた。そのセイリアの纏う異質な空気に圧倒されるだけでなく、壮大で未知なるものに触れさせられる恐ろしさに心身が拒絶する。ナサエルは強張る身体を振りほどき、声を押し出した。その勇気で震えた声に透き通った少女の声はまた淡々と答えるのだが、ある手が制す。束ねられた繊細で細い緑の髪を揺らし、カナエが指を揃えた手をセイリアに振って見せたのだ。その凛とした仕草にセイリアは唇を閉ざした。
「僕が話そう。ごめん、みんな、僕が悪かった。」
「カナエ……。」
「マリー、大丈夫。心配していることは何もないよ。僕たちは普通の人間で、何か特別な力をもっているわけではない。 」
「……。」
「世界の浄化には、柱が。柱を支えるには、それを作る精霊と守る人間が必要なんだ。人間ならば誰でもいいということはないけれど、誰でもなり得る。それが聖女。」
「それで私たちがソレだって?急にそんなこと言われても……。」
「……そうだな。そう思う。」
「具体的に、何がどうなってる?カナエ、僕たちは普通でいてはいけないのか?」
「いいや、そんなことはない。僕もきいたことがあるだけだ。よくわからないけど、選ばれたのには必ず理由がある。ただこの身の清純を守り、世界のためを想って祈ればいい。」
「だいぶ大層な話だねぇ……ボクは、そんなにキレイな人間じゃないんだけど。世界の浄化?何なの、興味ない。大体その“選ばれた理由”って何?誰が選んだのさ。」
嫌味の含まれた笑い声をあげ、ナサエルが注目を浴びる。困惑ではなく疑惑に濁った青い瞳を、セイリアに向けていた。カナエは棘のあるその言動の意味をわかっている。ナサエルはこの中の誰よりも穢れていて、世界の何もかもを放棄しているのだ。そのことを思い出し、自分の発言に後悔した。ナサエルの疑問もごもっともだ、それにしたってあれはあまりにも配慮がないと。カナエは口を閉ざし、そんな彼も聖女だと言った、桃色の髪の少女の言葉を待つことにした。彼女を疑うナサエルの瞳に託す。
「私は、」
躊躇いのない声。得体の知れない少女の言葉は透き通った声で紡がれ、身体の隅々に浸透し、そして素直に心に届く。だが透明な言葉に見え隠れする、少女の正体。疑惑に濁った心に吸い込まれていく。
20140515




