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IDLY HERO〜ルマティーグ編〜  作者: 松野 実
第四話
31/47

森の人、イアン

 二つの魂の行方を見届けようと、キースは真っ直ぐ見ていた。周囲には氷の粒が水煙のように立ち込める巨大な氷柱。ナサエルがもっていた魔力を全て注いで作ったそれは、禍々しくも、どこか儚げに木漏れ日に照らされている。その上に、キースがよく知る人影があった。

「ま、間に合った……!」

「ティル!」

「キース!きいてくれ!話があるんだ!」

 長身、長い金髪、金の瞳、ティルだ。そしてその細い腕の中には、森の人の身体がある。噎せ返るような咳をする森の人を見て、ナサエルの氷柱は、森の人の身体を貫かなかったのだと確信できた。キースは足元で眠る、ナサエルに目を落とす。この少年は、幸か不幸か、罪を背負いそびれたのだ。

「全部ぶち壊しやがって。」

「だから!話があるんだ、大事な!」

「聞いてやるから、落ち着け。」

「その前に!君、大丈夫か?」

 ティルは間一髪のことにガタガタと震える腕の中、救えた命に目を落とし、そこにいる少年に話しかける。我に返った森の人はそこから飛び出し、氷柱の下の、氷の上に着地した。着地の際、僅かながら溶け出している氷に素足を滑らせ、手と膝をついた状態でティルを見上げてくる。キースとナサエルもだが、森の人も、この状況は予測できなかったのであろう。わずかながら空気に緩みがあった。

「初めまして、ティルさん。助かりました。」

「どういたしまして。“この人”からお前のことはよく聞いてるよ、イアン。」

「そのようですね……なんて、馬鹿なことを。」

「イアン?」

「この子の名前だよ。そしてキース、この子は、精霊じゃないんだ。」

「っ、やめろ!」

 森の人、イアンの制止も聞かず、その痩せ型の身体から魔力に似た何かが抜けていくのが見える。そしてそれがティルの周りに集まっていく。抜け切る瞬間、膝をついたままのイアンは、氷の上に座り込んで崩れた。即座に顔を上げた時、イアンの深い森の色をしていた瞳が、空より深い青に変化していた。そしてその目は、鋭くティルの方を睨みつけている。

「この子はイアン。森の精霊の力を借りていただけなんだ。今、返してもらった。」

「何故だ!答えろ、何故僕を裏切る。」

「……。」

「いいや、これは裏切りだ。あと少し、少しで、この大陸は救われるのに。」

「……。」

「もう目前だった。お前さえ裏切らなければ、全て片付いたことだ。」

「……。そういうこと。でもイアン、お前の言うこともわかるよ。だから別の何かを考えよう。 」

「あなたは黙っていてください!」

「わ!ビックリした……俺ずっと黙ってたじゃん。まあいいや、しばらく“二人”っきりでどうぞ。」

 ティルが氷柱から尻で滑り降り、そのままの勢いで滑り転がった。たったこの距離をなんとかしてキースの元に辿り着くと、悪態をつきながらナサエルの身体に触れる始める。一人この状況に置いていかれているキースが苛立ちを氷柱にぶつけ続けるイアンの背中を見ている時、ティルはナサエルの身体に手をかざして、傷ついている箇所を探っていた。外傷はほとんどなく、疲弊しきった身体に満遍なく魔力を注いでいく。

「あいつ、何と話してるんだ?」

「え?」

「森の人だ。」

「え?は?」

「……精霊か。」

「ああ、うん。この大陸の森の精霊。えーっと、確か……ナミダノキミとかナイテルキミとか、そんな名前。とにかく泣いてんの、ずっと。」

 本来、精霊とは高位のものであればある程、人間はその姿や声を見聞きすることができない。その精霊に許された者のみ、やっと出会うことが出来る特別な存在である。その例として、ルマティーグ横断鉄道は緋焔狼の君が人々の前に姿を表すことを許しているお陰で、あのように精霊を売りにすることができ、観光名所のようにして人を集められていた。

 ティルは幼い頃から精霊が見える少し変わった体質があり、それが他と大きく異なっているということをあまり理解していなかった。ティルが他所を見て黙っている時は、大体、全身全霊ボーッとしている時か、精霊と交信している時である。長い付き合いがあり、そういう場面に度々出くわしていたキースは、今回も同じように溜息を吐き捨てた。

「どおりで。」

「ダメだ。キース、コイツ何かした?これは光魔術の領域じゃない。」

「死ぬつもりでいたからな。」

「は?!どーりで、そんなはずだよ、死んでるみたいなんだ、心が。」

 回復の魔力を存分に注がれた筈のナサエルの身体は、ピクリとも動かない。身体は生きることを放棄し、心が死を望んでいる。押し付けがましく注がれるティルの魔力を、拒絶してくるのだ。ティルはどうしてもナサエルを目覚めさせなければならなかった。森の力の犠牲を、これ以上増やしてはいけない。

「コイツ嫌いなんだよな……上手くできるかな。」

 ティルの背中から発されていた魔力が黒く染められていく。その黒い魔力がナサエルの身体を包み込み、楕円形に落ち着くと、ティルは目を閉じた。魔力に思念を込め、ナサエルの精神に語りかけるこれは、立派な闇魔術であった。ティルの人間離れした特異体質は、精霊のことともう一つ、この光と闇の相容れない筈の二つの力をもっていることがある。何故こうなったのかティルはわからない。

「なっかなか……捕まら……うっ。」

 ナサエルの精神の中で、ナサエルの心が捕まらないでいる。死を覚悟した少年の体から心が引き離されてしまっており、闇の魔力も弾かれてしまいそうだ。ティルはそれでも、念入りに魔力を広げて探していく。このままでは体も危ない。

「オイ!ナサエル!出て来い!」

「だぁれ?」

「ん?あ?ナサエルか?」

「お兄さん、だぁれ?」

「なんでちょっと小さくなってんの、お前。」

 ちょこまかと動き回る小さな影が見え、暗闇から覗かせた幼い顔。好奇心でいっぱいの真ん丸の青い瞳にティルが映っていた。精神世界でやっと見つけたナサエルは、幼い姿になっている。ナサエルはじろじろとティルの頭から靴の先まで見た後、溜息をついて唇を尖らせた。そしてティルを突き飛ばすように両手を伸ばして突撃してきた。

「あなたじゃない。」

「イッテェ!なんだこの!」

「あなたじゃないって言ってるんだ。出て行け!」

 青い瞳に影が落ち、雄々しい唸り声をあげてナサエルが叫んだ。その時、バチンと音がして、ティルの魔力が途切れた。ナサエルの身体から完全に追い出されてしまったらしい、魔力を発していたティルの掌が少し裂け、血が滲んだ。それ以降、何度注ごうとしても、ティルの魔力を受け入れられることはなかった。

「どうした?」

「無理だった。ゴージョー……。」

「どうだろう。」

「わ!」

「!」

 ぬっとティルの背中から姿を現したのは、初老の女性の姿をした、嘆きの君だった。枯れ始めた指は細く、目元や口元には何本か皺ができており、そこに絶えず流れる涙が伝う。キースはその時始めて嘆きの君の姿を見て、声を聞くことができた。驚きに紫の瞳孔が開いている。

「君にも聞こえるようにしたよ、キース君。初めまして。私は森の精霊。嘆きの君と呼ばれている。」

「ああ、助かる。あいつはどうした。」

「イアンのことかい?」

「そうだ。」

「彼は今、穏やかではない。」

 キースは座り尽くしている森の人、イアンを見た。その背中からは何を考えているのかほとんど伝わってこないが、このままでは済まない、異様な量の魔力を放っていた。森の力を精霊に返し、力を失ったかのように思えたが、どうやらイアン自身の魔力も強大であるようだ。

「今から私にこの子を託してもらえないだろうか?」

「ナサエルのこと?」

「そうだよ、ティル。」

「……何をするつもりだ。」

「この子の……悲しみを、これ以上深めないように、連れて行きたい場所がある。」

「いいよ。な?キース。」

「……。」

「キース、こいつはハーディーンを助けてくれたんだ。ナサエルも悪いようにはしないと思う。あとちなみにだけど、コイツらの友だちみたいな二人組もかくまってくれてるんだ。何故かウチのお荷物女もいたけど。俺、見たもん。」

「そうか。わかった。」

「ありがとう、キース君。そしてこの上に厚かましくお願いなんだが……」

「あいつのことか。」

「ああ、イアンを、よろしく頼む。今は話どころではない。この子も、一刻の猶予を争う。」

 三人の会話の後ろで、パキパキと音が鳴っていた。地面を這う氷が割れてきている。その下の植物たちが蠢いていて、今にも氷を突き破ろうとしているのだ。森の力は、確かに嘆きの君に返った。しかし、イアンの魔力に応えようとする森の精霊がいる。それは嘆きの君の力程ではないが、キースやティルの足元を脅かすには十分だった。

「人間たちに傷つけられ、悲しみに囚われた森の子たちが、イアンに力を貸し始めている。」

「俺たち、どうすればいいの?」

「とりあえず、この子が助かるまで、凌いでくれ。」

「あいつを、イアンを、止めたらいいんだな?」

「キース君は話が早くて助かる。ああ、力尽くでも、あの子を止めてほしい。」

 そう言って嘆きの君はナサエルの身体に手をかざしてたくさんの木の枝で包み込むと、一緒に地面に飲み込まれるようにして沈んでいった。キースとティルはそれを最後まで見送らず、体勢を整えてイアンの背中に対峙する。ティルには、大小姿が異なる森の精霊たちが、叫びながらイアンの周囲に集まっていくのが見えていた。悲しみに囚われた精霊たちの力が、イアンに吸い込まれていく。

「来るぞ。」

「うん。」

 イアンがゆっくり立ち上がると、呼応するかのように氷が一斉に砕けた。ティルが目に腕を当てて飛び散る氷をの破片を防ぐ。キースは数箇所頬を傷つけられながらも、鋭さのある紫の瞳を歪めずイアンを見ていた。その手には、レタリオがしっかり握られている。磨かれた白磁の刃に、イアンの振り返る姿が映った。現れたその目には、深い森の色が燃えるように揺れていた。

20140213

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