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IDLY HERO〜ルマティーグ編〜  作者: 松野 実
第四話
29/47

死と生

 木々の合間から降り注がれる光、それはまるで梯子のように大樹に寄りかかりながら、斜めに真っ直ぐ草花の絨毯をさす。寒さに凍えきっていた身体が緩んでも仕方なさそうであるが、キースとナサエルは研ぎ澄まされた集中力を決して手放さなかった。この景色の中にある、何か大きなもの。二人はそれを前にして、黙って立ち止まる。

「こんな奥に隠れてるなんて、よっぽどいいご身分なんだねぇ。」

 ナサエルが憎々しく眉間に皺を寄せて口を歪めながら言った。泣き出しそうな、それでいて怒り狂っているような皺だらけの表情は、混沌としたナサエルの心をよく表している。刺々しい言葉に、誰も答えなかった。その代わりに大樹の影が膨らみ、そこから緑の頭をした少年がゆっくりと姿を現した。素肌に布を巻いただけのような服装、裸足。特徴的なその格好、木陰の中にいても輝きを放つ深緑の丸い瞳は、その少年が同じ年頃であるナサエルやハーディーンとは違う何かであると主張するようだ。

「ようやく出てくるつもりになった?」

「機が熟しただけ。全ては僕の計画通り。」

「マリーやカナエ、ハーディーンを返して。ティルさんと、セイリアさんも。」

「それはできません。」

「どうして?」

「……。」

「ボクが答えようか。みんな、死んでるからでしょ。」

「……。」

「ハーディーン……ボクの希望を、森の人、お前が殺した。ボクはお前を許さない。」

 ナサエルの青い瞳が鋭く研がれ、森の人を刺す。森の人は堂々とそれを受けとめて、影からこちらへゆっくりと歩いてきた。息も凍りそうな凍てつくナサエルの魔力が、周囲に広がっている。開けたこの空間を埋め尽くしそうな程に。ナサエルはもう何もかもどうでもよかった。ただ、どうしようもないこの感情に身を任せているだけだ。


 マルキス王国では知れ渡っている名前がある。コルーン、リロード、イーズ。この三つの家名は、その家の男児が、あまりにも優秀な魔術士であった為に広まった。

 リロードの名を知らしめたのは、ナサエルの父である。父は、魔術士としては無名の、とはいえ、このマルキス王国では有数の資産家の娘と結婚する。優秀な魔術士の名を欲した、ナサエルの母の思惑通りであった。そして、ナサエルの姉が誕生した。姉は幼い頃から魔術士として優秀で、富と名声を手に入れた母をますます喜ばせていく。両親は姉を尽く溺愛し、リロードの名を栄えさせる道具として、大切に大切に育てた。その後ナサエルは誕生したが、姉の引き立て役として様々ことを強いられていく。

「ごめんね、ナサエル。」

「なんで?」

「私のせいで……本当は、光魔術が良かったのでしょう?」

「んー、そりゃあ、姉さんの光魔術はかっこいいけど、ボク、闇魔術も気に入っているよ。」

「ナサエルが闇魔術を身につけたからって、私の力が大きくなるわけではないのに。」

「いーのっ!パパとママの言う通りにしておけば、ママが優しいんだぁ。それに、ボク、姉さんを尊敬してるから、力になれたら嬉しいよ。」

「私を?」

「うん。だってぇ、ボクには無理だもの。毎晩堅苦しいパーティーとか、エライ人と話すとか。確かに窮屈なこともあるよ。でも、姉さんが頑張ってくれてるから、ボクはこうして自由に遊べるんだって思ってる。」

「ナサエル。」

「だから、ね!大好きなリオナ姉さん、そんな顔しないで。」

 リロード家だけではない、このように子どもを家名を広める道具のように扱うことは、マルキス王国では普通のことである。ナサエルは子どもながらに自分の状況を客観視していた。その中でどうしたら自分が楽しくなるか、そう考えて生活している。そのような殺伐とした世界にいて、唯一姉であるリオナだけは、美しい心をもっていた。優しい大好きな姉と、考え掴む自由。それだけで、ナサエルは満足していた。

「ナサエル、魔法印の試験、受けるの?」

「まだ考え中。でも正直、興味はないかな。だけどママ次第でしょ。九歳になるまでにはどうにかなるよ。」

「九歳……私が八歳で魔法印を授かったからね。」

「あ!また悲しい顔をする!」

「でもナサエル、あなたはもう私より……」

「ダメ!」

「……。」

「それは言わないで。ボクにとっても、お家にとっても、そして、この世界にとっても、一番は姉さんなんだよ。」

「ナサエル、ごめんね。」

「ボクは一番なんて、どうでもいいんだ。そんなところで窮屈に生きるなんて、……ごめん。姉さんが笑ってくれたら、ボクはそれだけでいい。本当だよ。」

「わかったわ。もう、この話はおしまいにしましょう。」

「うん。おやすみ、リオナ姉さん。」

「おやすみなさい、可愛いナサエル。」

 ナサエルの中の魔力は日に日に強まっていた。若さが目覚めたのではなく、優秀なリロードの血は確かに、ナサエルにも引き継がれていたのだ。だが、それがなんだと言うのか。ナサエルは魔術士が競い合う世界に、狭く閉じ込められたくはなかった。あくまで姉の引き立て役として、上手く世界と距離をとりながら、自由に生きて行きたい。実に仲の良い姉弟ではあるが、そういう意味ではお互いの存在を利用し合っている。ナサエルにとってリオナは、自由の犠牲者であるのだ。しかし、そんな関係にも翳りが見え始める。

「姉さんの具合はどうなの。」

「ナサエル様……ご心配でしょうに。」

「ねぇっ、答えになっていないよ。」

「お変わりありません。」

「……そう。良くなってはいないということ。」

「私ども、原因解明に全力を尽くしておりますので、どうかお祈りください。」

 こうしてリオナが謎の病に伏せることは度々あった。それが最近短い間隔で起きるようになる。流行病である可能性もあるということで、ナサエルと両親は、リオナの部屋へ入ることができずにいた。毎日のように昨日とは違う優秀な光魔術士がやって来て、その度にナサエルは必ず同じ質問をする。すると全員口を揃えて、祈れと言う。マルキス王国の人々が祈る時は、何か自分ではどうしようもできないことがある時だ。

「つまり、治せないということ。」

 ナサエルは気が気でなかった。リオナは昔から虚弱体質であるが、それでも普通に大人になるのだと思っていた。今回は母が、どん底まで落ち込み、食事をまともにせず寝込んでいる。父は、母に隠れて“もしもの場合”の準備をし出した。今までリオナに向けられていた期待の目が、ナサエルに当てられ始めたのだ。ナサエルは耐えられなかった。この圧力よりも、リオナのいない世界を、考えたくないのに。

「ナサエル、こちらへ来なさい。」

「はい、父様。」

「ドン、この子がナサエルだよ。」

「初めまして、ナサエル君。私はドン=コルーンだ。」

「ナサエルです。」

「ナサエル、きちんと名乗りなさい。」

「……ナサエル、ナサエル=リロードです。」

「お姉さんに似て、賢そうな子だ。」

 コルーン、ナサエルはすぐピンときた。父と同様、優秀な魔術士で、家名を知らしめた一人である。そしてコルーンは魔法省の重鎮だ、少しでも魔法に携わるマルキス王国の者なら知らない者はいない。ナサエルをこの男に紹介した父の思いは、ただ一つ。

「お姉さんのことは、辛いだろう。私の息子がルマティーグにいれば、何か力になれるかもしれないのだが。」

「この方は、あのイーズの遺児をお引き取りになったのだよ。

彼はとても優秀な闇魔術士なんだ。今は旅に出ているらしい。」

「そうなんですか。もし帰ってきたら、姉様を助けてくださる?」

「もちろんだよ、ナサエル君。」

 コルーンは、太い首を傾げて目元と口元に深い皺を作り、にっこりと微笑んだ。ナサエルはそれを、冷えた頭で受け取った。微笑み返そうかと思ったが、顔の筋肉が引きつってしまい、うまく動かせないのだ。何か、父が喜ぶような返事をしなくてはならない。口を開くと、涙と一緒にこの言葉が出た。

「早く帰って来ないかなぁ。」

 コルーンと父が、可哀想な少年を慰めた。たくさんの優しい言葉と大人たちの満足感の為、ナサエルの涙は流れ続ける。ナサエルは案外冷静である、この状況に嫌悪感を抱きながらも、我ながら上手くやったと思ったのだった。

「リオナ君と話がしたい。彼女は優秀な魔術士“だった”、この功績は感謝に値する。」

「リオナも喜ぶ。ドン、君さえよければリオナを訪問してやってくれ。」

 父は来客室で待っていると言い、使用人に案内をさせるようにすると、その場を後にした。ナサエルは、自分は近付けないリオナの部屋に、得体の知れない者たちが入室を許されていることを改めて不満に感じた。慣れないことをしてもやもやとする心が、それとも、何かを予感させてザワザワする心が、ナサエルの体を動かす。

 リオナの部屋は一階中庭に面した場所にある。ナサエルは中庭の植え込みに身を隠し、リオナの部屋の窓の近くで息を潜めた。カーテンが揺れていた。窓が開いていて、優しく風が吹き込んでいるのがわかる。そして、中の会話も、中庭までよく届いた。

「……ですよ、ドン=コルーン。」

「生意気な女め。だが、もうこれで終わりだ。」

 その会話を聞いて、ナサエルの体は強張る。先程までの胡散臭い優しさはそこにはなく、コルーンの野太い声が笑った。そして、あんなに穏やかなリオナの声が、恐ろしく冷たいのだ。ナサエルの心臓が煩く鳴っていた。気付かれてしまいそうな程の音を、両手で必死に押さえつけながら、ナサエルは会話に耳を傾けることに専念する。

「何がそんなに貴方を支配するのですか?何をそんなに恐れている?」

「うるさい!この!泥棒狐め!お前はさっさと死んで、生を受けたこと、地獄で後悔するがいい!」

「泥棒?それは貴方のことでは?ドン=コルーン。」

「うるさい!まだ言うか!」

「ルイを、ルイスを、解放しなさい。イーズの血に、返すのです。」

「黙れと言うのが!」

 そこまでコルーン氏が怒鳴ると、リオナの咳き込む声が遮った。激しく苦しく、リオナが息を荒げているのがナサエルにも伝わり、思わず立ち上がりそうになるのを堪える。するとその後ろで、またコルーンの声が笑い出す。相応しくない不愉快なそれは、ナサエルの心臓を一瞬で冷やした。

「苦しいか?苦しいだろう?少しずつ、少しずつ、お前を蝕むように、私が毒を……!」

「知っています。」

「なに……?」

「知っていて、毎日それを口にしていました。」

「……。」

「私の命はここで果てる。残念ながら、使命は果たせない。ですが、」

「リオナ……!」

「ルイス、彼を目覚めさせること。それは、この命をもってして、できる。」

「貴様!」

「リロードの血が憎い?イーズの血が、妬ましい?……いいえ。貴方は、悲しみに、支配された……」

「おおお……!!」

「私には……救えない、」

「黙れ黙れ!」

「貴方も、ルイスも……ナサエル、ごめんね。」

 ナサエルは呼び戻されたようにハッと我に返った。そして、身を潜めたまま建物の中へ戻り、リオナの部屋のドアを叩いた。敷地内の全ての人に聞こえそうな程、激しく叩いてリオナの名前を呼んだ。何事かと人が集まりだし、そしてドアが開いてコルーンが出てくる。その幅の広いコルーンの脇から、リオナが青白い顔をしてぐったりしているのが見えた。ナサエルは駆け寄り、リオナの手を取る。リオナは弱々しく微笑し、弱く握り返してきた。

「姉さん、姉さん!」

「ナサエル……可愛い、ナサエル。」

「嫌だっ!一人にしないで!」

「大丈夫、ちゃんと、側にいるから。」

「リオナ姉さん……」

「あなたは、一人じゃないの、ナサエル……だから、生きて。ね、お願いよ。」

 いよいよ、リオナの体を教会へ運ぶ時がやってきた。祈るだけのそこでは、リオナは死を待つばかりである。母が泣きじゃくるその横で、段取り良く父が人々を指揮する。騒動に“巻き込まれた”コルーンは、丁重な謝罪を受け、乗ってきた馬車で帰って行った。ナサエルはコルーンの罪を咎めることが出来ず、ただただ可哀想な少年を演じた。そうでもしないと、ナサエルの心は、リオナを失った悲しみに満ちてどうしようもないのだ。


 リオナの葬儀を終え、正常ではなくなった母が言った。これは、悪夢であると。

「ナサエルちゃん、あなただけだったの。初めから、こんな悲しみは悪い夢だったんだわ。」

 父はそんな母に同調する他なく、リロード家からリオナの一切が消えた。ナサエルは至急魔法印の試験を受けさせられ、あたかもずっと昔から魔法印をもっていたかのように扱われるようになる。元々姉を超える実力をもっていたナサエルは、すぐ母を喜ばせることができた。ナサエルはそんな母を見て、酷く落胆した。可哀想な母、しかし、この程度でリオナを失った悲しみが癒えるのだということを。それでも、ほんの少しナサエルが意にそぐわないだけで、誰の手も付けられないほど母は暴れてしまう。ナサエルは一人、悲しみを抱えながら、リロード家を支え続けた。疲弊する日々の中、ふと、いずれはあのコルーンに自分も殺されるのだろうかと思い出す。リロードの血を憎むという、あの男のことを。

「ああ、早く来ないかなぁ。」

 疲れきったナサエルにとって、それは願望になり得てしまった。姉を奪われて、何の執着もなくなったこの家の為に、どうして身を粉にする必要があるのだろう。そう考えていくと、決まってリオナの言葉を思い出した。

(生きて。……酷だよ、姉さん。)

 ナサエルは心の中で問いかける。誰にでもない、誰でもいい、この声はどうせ、誰かに届くことなどない。この上の悲しみがあるなら、知りたい。慰めもいらない、哀れみも虚しいだけなのだ。折れかけた心を、支えてほしい。

「誰か。」

「えっ。」

「誰?助けて。ここから出して。なんでもするから。」

 自分のものではないその幼い声は、自分と同じ心を叫んでいた。辺りを見渡してみるが、誰もいない。大体この屋敷のこんな夜遅くに、子どもなんて自分しかいないはずである。いよいよ自分もおかしくなったのだとナサエルは自嘲して鼻で笑った。

(誰?誰がそこにいるの?)

「ハーディーン=イーズ。」

(イーズ?闇魔術士で、コルーンの?)

「ちがう。ハーディーン。」

(ハーディーン?)

「そう。君は?」

(ナサエル。)

 空想の声に返事をすると、心が安らぐような気がする。ナサエルは母の気持ちが少しだけ理解できた。この声が本物で、ハーディーンという少年が本当に存在したら、どんなにいいだろう。母もそうして、空想を本物だと信じて安らぎを得ているのだ。ナサエルはこの空想に心を預けることにした。そうしなくても自分はまともではないし、それでまた家の為に動けるようになれば、生きている時間も長くなる。

「ナサエル、ナサエル。」

(なぁに。)

「よかった。」

(何が?)

「君は、本当に、そこにいる。」

(ふふ、そうだね、ハーディーン。)

「君は、どこにいるの。」

(ボクはねぇ、小さい要塞に閉じ込められているの。)

「へぇ、僕と同じだ。」

(そうなの?)

「僕は孤児院にいる。オークの。僕にとっては要塞だよ。」

(孤児院?)

「うん。父さんと母さんは、死んでしまったから。」

(オーク?)

「うん。」

(本当に?ハーディーンは、そこにいるの?)

「本当だよ。ここから出られたら、君に会いに行くのに。」

(じゃあ、ボクが抜け出して、会いに行く!)

「本当?」

(本当!)

「本当かな、でも、本当なら、嬉しい。」

 すぐにナサエルは父の元へ向かい、初めて自分の気持ちを申し出て、オークに向かう為の手配をしてもらった。あまりにもあっさり受け入れられたので、もう一つ、大きなお願いをしてみた。父は驚いたが、ナサエルを不憫に思っていたので即座に了承する。一番時間がかかりそうなのは、母の説得であったが、

「同じ年頃の兄弟が欲しいそうだ。ナサエル、寂しいのだろう。」

「良いのではないですか?あの子の、リロード家の引き立て役も必要ですわ。」

 それも問題なく終わった。孤児院に行き、ナサエルの気に入った子がいれば、リロード家で引き取る。思っていたよりもずっと良く、物事が進んでいった。息を吹き返すような感覚を覚える。

(いやいや、まだ気が早い。)

「何が?」

(ううん、こっちの話だよ、ハーディーン。)

「そっか。」

(でも、もし、本当になったらさ、)

「うん。」

(……いいなって思う。

そして、ハーディーン、君のこと、大切にするね。)


「いい?ハーディーン。イーズの名前は、今日限りで隠してしまうんだよ。」

 リロード家にハーディーンが迎え入れられた。ナサエルの言いつけ通りに名家の出であることを明かさず、それでいて大人しく品のあるハーディーンは、リロード家にすぐ馴染んだ。そして既に光魔術を身に付けていたことに、母が大層喜んだ。反発反応でナサエルの闇魔術が強くなると言うが、反発反応に対する間違った解釈である。

「母様はね、魔法のことにとっても疎いんだ。これから振り回されるかもしれないけど、ごめんね。」

「いい。僕はナサエルに、リロード家に、とても感謝しているんだ。」

 健気なハーディーンは、母としても引き立て役にうってつけであろう。無知な母は気がかりであるが、ナサエルが心配していることは他にもあった。イーズの血をリロードの名で隠しても、コルーンはリロードを狙ってくるのだ。ハーディーンを、もっと奥に隠す必要がある。ナサエルは、引き立て役という立場を利用して、自分の影にハーディーンを閉じ込めることにした。狭い狭い世界に追いやられる、そんなことに自ら従う義弟を、ナサエルは愛しく思っていたある日。

「そろそろ、ハーディーンにも魔法印の試験を受けさせないとね。」

「母様、ハーディーンには必要ないよ。」

「何を言っているの。魔法印くらい持てなければ、ナサエルちゃんの引き立て役に相応しくないわ。それに孤児院の出だもの……学校へ行って、学ぶことも必要ね。」

 ナサエルの意に反したことが起きた。魔法印をもってしまっては、魔法省にいるコルーンに、ハーディーンの存在が知られてしまう。学校へ行くなんて以ての外だ、極力人の目にハーディーンを晒したくないというのに。ナサエルは苛立ったが、母の狂気を刺激することが一番面倒であった。その中でまた、上手くハーディーンを隠せばいいと考えることにした。ハーディーンを守る為なら、自分の身を差し出しても構わない。自分はどうせ殺されるのだ。そして、それまでにハーディーンの逃げ道も作っておかなければと。

 こうしてナサエルは、泥沼に沈んでいった。身を引き裂かれるような思いをしても、身体の隅々まで汚されても、心の中にはハーディーンがいる。大嫌いな家でも、帰るとハーディーンが笑顔で迎えてくれる。何も知らない無垢なハーディーンの心が、唯一の安らぎであり、ナサエルが生きる為の希望であった。

20140206

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