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IDLY HERO〜ルマティーグ編〜  作者: 松野 実
第三話
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育まれる場所

 木々が絡まり合い続けること数百年、それは一本の大樹になった。驚くほど大きく太いこの大樹を、ルマティーグの精霊たちは今でも母のように慕っている。昔は全ての生きものがこの大樹には敬意をもっていた。精霊、亜人、人間、動物、そして魔物。ルマティーグの地を、この地に住まう全ての生きものを、大樹は平等に慈しみ、守っていたからだ。しかしそれは世界の均衡が脅かされるまでのことだった。

 突然現れた人間という貧弱な存在を、魔物は面白く思っていなかった。やがて自らが引き起こした魔界大戦争にて精霊に敗れた魔物は、生きものの頂点から引きずり下ろされる。均衡を失った世界に混沌の時代が訪れた。そんな中、奮起する小さな人間たちに精霊は励まされ、よく助けた。人間は短期間で爆発的に増えていき、それと同じくして力をつけていく。やがて、人間は精霊の力を必要としなくなり、距離が生まれ始めた。ルマティーグでも、人間独自の文化や社会に、精霊が関わることがなくなっていった。時代に取り残された大樹は、それでも自身の役目を忘れることなく、その地に立ち続けている。

「は!?」

「ハーディーン!」

「ま、マリー……!それに……カナエも!無事だったのか!」

「それは僕らのセリフだ、ハーディーン、心配した。」

「ここは……っ痛!」

 温かい空気が流れ、日が惜しみなく注がれる森の風景。目の前には親友のマリオーズとカナエがいる。二人は攫われてから何の動きも見せず、ハーディーンは最悪の事態を想像していた。だが傷一つなく、精神状態も良好そうだ。反対に自分が満身創痍らしく、身体のあちこちが痛かった。起き上がろうとして激しい腹痛に襲われたハーディーンの肩を、カナエがゆっくり押し返して首を横に振る。

「安静に。」

「興奮するのもわかるけどね。ごめん、何もできなくて。」

「僕は、どうして?」

「どうしてそんなに傷だらけなのかってことなら、わからない。どうしてここにいるのかってことなら、わかるわ。」

「マリー、教えてよ。」

「金髪で背の高い、キレーなお兄さんがあんたをここへ連れて来たのよ。」

「彼は君については何も言わなかった。」

「ただ私たちにハーディーンをよろしくって。」

「金髪……?」

「ハーディーンも知らない人なのか?」

「いや……金の目をした男の人だった?」

「そう!そうそう!髪もサラサラで!

ハーディーンがボロボロだったから、見惚れてる時間なんてなかったんだけど。」

 ハーディーンの頭に、苦手な男の飄々とした顔が思い浮かぶ。苛立ちに似た戸惑いから背筋が震えて頬が引きつったが、お陰で心が冷静になった。しかし、こうなってしまった経緯は思い出せない。ティルが魔物を倒し、一緒にナサエルの元へ戻ろうとする、それ以降の記憶がないのだ。ふと、ナサエルのことを想った。やかましいほど流れ込んできていたナサエルの声が、今は少しも聞こえない。

「ナサエルは?」

「わからないわよ。」

「やはり、心も繋がらないか。」

「やはりって?」

「ここでは魔法が使えないの。」

「精霊も呼べない。」

「えっ。」

 試しに痛む腹部に両手をかざし、回復の魔力を送ってみたが、魔力がわかない。二人の言うように、本当に一切の力が使えないらしい。この二人が無事で、どうして行動を起こさなかったかがわかった。魔法が封じられてしまっては、自分たちはただの人間なのだ。ハーディーンは眉間に皺を寄せ、細くため息をついた。目を閉じると、顔を歪めて泣くナサエルの顔がどうしようもなく浮かぶ。

「あと、私たち、散歩していてもう一人見つけたの。」

「え?」

「あの人。」

「ずーっと宙に浮かんで、眠っているのよ。」

「ハァ?」

 カナエが指で示した方向に首を回し、できる限り左を見た。そこには何もない宙に浮かんでいる、見覚えのある桃色の髪があった。辛い姿勢を戻し、天を仰ぐように前を向く。久しく見ていないような気がする青空が広がっていて、ハーディーンは気が遠くなった。また目を閉じると、今度は耳の奥からか細い泣き声が聞こえる。

「あの人誰かな。見たことない髪色だもの、どこの人かも検討がつかないわ。」

「僕は知っているよ。」

「そうなの?」

「ああ。セイリアさん。君たちを助けるため、“魔物”を倒すため、ナサエルが雇った冒険者の仲間だ。」

「あの人冒険者なの?!」

「そんな風には見えないな。」

「あの人自身は、旅を始めて間もない感じだった。」

「へぇえ……!」

「何故、君たちはここへ来たのだろう?」

「わからない。思い出せない。」

「“魔物”に負けたからかな?」

「そうかもしれない。」

 少年少女の三人は、実に淡々と情報を持ち寄って整理していく。見た目とはかけ離れた落ち着き、理性的な思考回路。それらは、彼らに子ども時代がないことを物語っている。ルマティーグ人は家系を重んじる傾向が強い。幼い頃から家名を継ぐものとして扱われる子どもがとても多いのだ。名だたる貴族においては、その家系に産まれた子は、子どもとはいえ家名を世に広める役割を背負わされる。ここにいるハーディーン、マリオーズ、カナエもそうだった。子どもらしさというものを一つずつ確実になくしながら育っていく。

「僕たちがここへ連れられて来た時、例の“魔物”が言っていたんだ。」

「えーっと、『狂気で穢れてしまわないように、君たちはここにいて』だっけ?」

「ああ。」

「狂気?穢れ?」

「そしてこうも言った。『罪の子たちを滅さなければ』と。」

「怖かったわ!ここへ連れられて来なかったあんたたちは、殺されてしまうのではないかって!」

「僕がそう言ったんだ。だけどマリーは、二人は絶対自分たちを迎えに来るんだって怒ってた。」

「どっちもハズレだったけどね。ハーディーンはここへ来たけれど、ナサエルはいないみたいだし。」

「ここは、一体どこなんだろう。」

 ハーディーンがつぶやいたのを最後に、三人は黙って動かなくなった。マリオーズの魔法使いの帽子とカナエの長い髪が、風で優しく揺らされているだけだ。どんなに考えても、知れば知るほど力が及ばない。結局無力な自分が持て余されるだけで、ハーディーンはこうして横たわっていることしかできないのだ。それは歯痒く、ハーディーンにとってこの上ない屈辱だった。

「穢れ、ってなんだと思う?」

「罪、と“魔物”は言ったわよね。」

「ハーディーン、心当たりはないのか?」

「ない。ナサエルもだ。真面目に国務をこなしているし、信仰だって怠っていない。ああ、ちょっと……全体的に……素行が悪いけど。」

「真面目に、か。」

「やはりそれがいけないのか?精霊を怒らせたのは、クレインの森の破壊が原因だ。」

「でももうそれは止めたじゃない。」

「そうだけど……。」

「大体ソレがダメなら、私もここにいないわよ。クレインの開発には携わらなかったけれど、ルコーの森では仕事をしたもの。」

 マリオーズはハーディーンの年下だが、二人は同じ時刻に魔法印を授かった。それをきっかけに仲を深めるようになったのであった。カナエはとある理由があって魔法印をもたないが、マリオーズとひょんなことで知り合い、それ以来意気投合。更にマリオーズを介して四人が出会い、今のように切磋琢磨し合う仲となった。

 秘密の多いカナエだが、魔法印を持てない理由は明かされている。それは宗教。ルマティーグ大陸はその全土をマルキス王家が統治しており、マルキス王国と呼ばれている。そのマルキス家の王座につく者が代々受け継いでいる“威光の君”という精霊。マルキス王国の多くの人々は、その威光の君を信仰する。しかし極々少数の宗教も存在した。そのうちの一つ、“反威光の君”は信仰するものをもたない。それがカナエの家系であった。反威光の君教の人々はひっそりと活動をしているが、その名の通り威光の君を全否定している為、白い目で見られている。しかし今回穢れなき者としてここへ連れられてきたのがカナエであり、穢れとは信仰のことではなさそうであった。

「そうだな。マリーも度々国務に駆り出されている。」

「でもナサエルはマリーの何倍も仕事をしている。」

「……。」

「……。」

 マリオーズは眉間に皺を寄せ、唇をキュッと噛んで歪めた。その隣でカナエが唇に片手を置いて視線を伏せてしまう。二人とも喉まで出かかった言葉がありそうな表情をしているようにハーディーンは感じた。それを覆い隠すようハーディーンは声を強張り上げた。

「だけど、穢れているだなんて言われる筋合いはないよ。ナサエルは……僕たちは、何にも支配されないと誓った。身も心も、何にも染まっていない!」

「ハーディーン、」

「僕の代わりにナサエルは国務に出る。そしてナサエル自身の仕事もこなす。アイツは勘違いでナサエルを殺そうとしているんだ!」

「ハーディーン……あんたね、」

「まだ国務が穢れと決まったわけではない。ハーディーン、落ち着くんだ。」

「ナサエルが、泣いているんだ……僕はこうして何もしないでいる。」

「私もよ。でもハーディーン、今あんたにできるのは身体を労わること。ちょっと疲れているのよ、寝なさい。」

「……ああ、酷く、眠い。」

「ハーディーン、おやすみ。」

「……、……。」

 心を乱すハーディーンが、静かに入眠できるように二人は黙っていた。苦く悲しい表情をしたマリオーズが、辛そうに無理な笑みを浮かべてハーディーンの肩をさする。ハーディーンの寝息が規則的に聞こえるようになると、マリオーズは膝に両手を置いて俯いた。カナエはずっと下を向き、何か考え込んでいる様子だ。勘の鋭いマリオーズは、彼が自分と同じことを考えているだろうと思った。だが、なかなかそれを口に出すことができない。

「魔法省は、」

 珍しく、カナエから口を開いた。こういう時は大抵、沈黙に痺れを切らしたマリオーズから話し始める。マリオーズは目を開いてカナエを見た。カナエは悩ましげに眉尻を下げて下を向いたままだった。魔法省、このマルキス王国で絶大な権力をもつ省だ。魔法省は魔法使いや魔術士の育成、魔法印の授与とそれを持つ者の保護、派遣など、魔法に関わる全てを管轄している。他にも、人民の生活を保護する民省や、王国内での商業を保護、推進する商省などがあるが、魔法が広く浸透しているルマティーグでは魔法省の力を借りざるを得ない。マルキス王国は全てが魔法の上に成り立っていた。

「ナサエルを深く支配している。」

「……そうね。」

「穢れ、と言えばそうだ。僕たちは、ナサエルのことを知り過ぎて、こんな大きなことを失念していた。」

「かわいそうなナサエル!忌々しいわ……私、こんな、……。許せないの!あの日からずっと!」

 魔法省に出かけたあの日、マリオーズは行ってしまった。穢れと罪の育まれる場所に。膝を隠す衣服に爪を立て、マリオーズは奥歯を噛んだ。狂気に満ちたその光景は今も彼女の中を震わせた。

20131223

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