絶望と犠牲
火を消して間も無く、三人は歩き出した。目標は“森の塔”。森の人が住んでいるところだとナサエルは言う。正確な位置はわからないが、この森の奥にあるのだと。あまり休息はとれなかった。 火を焚けば目立ってしまうし、焚かなければ寒くて凍えてしまう。明らかに足取りが悪くなっているセイリアは、引きつった顔で息を乱していた。ナサエルもあまり良さそうではなかった。体力の面は勿論、精神の面が。キースが触れようとしないし、セイリアも口にするのをやめた。取り乱したナサエルを思い出すとどうしても背筋が震えてしまい、キースのコートの端を掴みキツく自身を抱く。
「お姉さん、寒い?」
「え、あ、ううん、大丈夫!」
「ごめんね、ボクが魔法を使えたらよかった。お姉さんの魔法は?」
「魔法……。私の魔法は、自分には使えないの。」
「えっ。」
「火の魔法も使えないし……力になれなくて、ごめんなさい。」
「……。」
「そ、そんなこと、あるんだ。」
「ごめんね。」
「いや、いいよ。じゃ、本当に困った時はボクが助けるね。」
セイリアが深々と頭を下げる。見慣れない仕草だが、謝罪の意であろうとナサエルは感じて手を振った。闇の魔術で物理的な回復は不可能なものの精神的な回復はできる。しかし所謂自己暗示の魔法であり、身体への負担が大きく戦闘には向いていなかった。一番良いのは、体力がある内に塔に辿り着くこと。
「それにしても、景色が変わらねぇな。」
「……ええ。」
「合ってるのか?」
「……わかりません。」
「あ?」
「森の精霊に試されているようだ。捕まってしまったかもしれません。」
光のない世界は凍えるほど冷え切っていた。この暗闇に目が慣れるどころか、徐々に仲間の輪郭が見えなくなっている。不安で仕方ないセイリアは、目線の下にあるナサエルの頭から目を離さない。精一杯目を凝らして着いて歩く。
「こっち。」
突然、背後から声がした。セイリアは振り返って立ち止まり、目を細めてキースを見る。よくわからないが、怪訝そうな顔をされたと思う。それもそうだ、あれはキースの声ではなかった。左右の感覚までおかしくなってきているようだ。
「こっちですよ。」
また、後ろから声がする。キースでなければやはりナサエルだった、セイリアは歩を進める為に片足を上げながら振り返った。
「待って、ナサエル君。」
目線の下の、葡萄色の頭を探そうとする目を疑った。そこには光に溢れ目が眩むような世界が広がっていたのだ。木々の間から日の光が差し込んでいて、風が優しく流れるとカーテンのように揺れているのだけがわかる。セイリアは手の甲で影を作って目を凝らす。その慣れない目に飛び込んできた白黒の世界に、一人の少年の影が見えた。
「ナサエル君、もしかして、ここ?」
「ああ、塔を探しているのですね。」
「?そうだよね?ナサエル君?」
「いいえ。」
少年の影が動く。すると、世界に色が着いた。開かれた広場に聳え立つ一本の大樹。大人が十人両腕を広げても、囲み切れそうにない立派な大樹だった。そしてその前には、一人の少年。ナサエルと同じような背丈だが、それ以外に共通点はない。大きな瞳と肩甲骨まで伸びた長髪は深い緑色、服のように身体に布を巻いていて、裸足。浮世離れしたような格好の少年だ。
「ごめんなさい、人を間違えました。」
「こちらこそ、突然申し訳ない。」
セイリアが頭を下げて謝ると、少年は左膝を着いて胸に手を当て、頭を下げた。少年に立ってもらおうと慌てて駆け寄るが、片手を突き出されて制されてしまった。二人の微妙な距離に風だけが流れる。豊かな森の薫りと差し込む日の暖かさが漂う中、一人は黙ったまま膝をつき、一人は両手両足を持て余して立ち尽くしている。いたたまれなくなったセイリアは、唇をむずむずさせて両手をこねた。それを見て少年が小さく笑い、ようやく立ち上がった。
「僕はイアン。君の名前は言わなくてもわかる。」
「えっと、」
「君に会えるなんて。こんな時に、ね。驚いた。」
「ええっと、」
「でも大丈夫。君は僕が守るから。」
「うーん……」
「とても疲れているね。そして、ほんの少し警戒していて、とてもとても困惑している。まず身体を休めて、それから順に話していきましょう。」
イアンと名乗る少年に手を取られると、セイリアの全身の力が抜けた。身体がふわりと浮いて、目の前が真っ白になる。さざ波のような森の風に心地良く浮かびながら、イアンの引く手に身を任せた。ナサエルの自分を呼ぶ声が聞こえたのだが、それはぼんやりとした夢の世界の出来事だと思った。ナサエルとハーディーンが本を読んでいて、キースが武器を触り、ティルがお喋りをしている。目が覚めたら、そんな気さえした。
「セイリアさん!」
(泣かないで、ナサエル君。)
「そんな!」
(ハディ君が心配するよ。)
ナサエルは地団駄を踏んで、森の大地を蹴り上げた。瞳には涙の膜が張っている。これ以上の振動が伝わると、零れそうな程溢れ出ていた。瞼を掻き毟りたくなる程苛立ち、抑えきれなくなっていた魔力が刺々しく漏れ出ている。
「やられた。」
「何故、何故セイリアさんが!?」
「俺が森の人なら、同じようにするだろう。」
「?!」
「ナサエル、お前を一人にする為に。」
「そ、そんな理由で、」
「恐らく。」
「ティルさんとセイリアさんを攫い、ハーディーンを殺したっていうのか!?」
「……。」
「森も閉ざされてしまった、どうすればいいんだ……。」
「まだ道はある。」
「はっ、何故?」
「ティルがいるからだ。あいつは普段はただの馬鹿だが、対精霊には強い。内部であいつが動けば」
「ティルさん、ね。ボクたちの、いや、ボクの仲間が、とっくに内部で動いていてもおかしくないんですよ。あの二人はボクより強いですから。でも、何もない。理由は簡単だ。」
ナサエルは絶望を吐き出す前に一つ深呼吸した。取り入れた空気は、昔によく来た頃と変わらない森の薫りがした。だが今は、噛み砕かなければ、飲み込めない程重くなってしまっている。肺を十分に満たせなかった少しの空気を吐き出し、口を開いた。
「ボクの仲間は死んだ。ハーディーンと同じように、殺されて。ティルさんも、きっと。」
「……。」
神聖なクレインの森の奥深く。
近付こうにも近付けず、間違っても辿り着けない、許された者のみが迎え入れられる場所があった。森の聖域。空にあるのか、地中にあるのか、そんなことさえ誰にもわからない。森の精霊たちだけが知っている。
「君に、会えるなんて。」
その聖域に誰かが誘われた。小さな花の精霊たちが、その者の周りを踊っている。色素の薄い金髪、金の瞳、とある国の白魔術士の制服を纏った長く薄い身体、ティルだった。身体が脈を思い出して打ち始める。たった今目覚めたように、意識がはっきりした。
「……誰?」
「失礼。私は森の精霊。人々は私のことを“嘆きの君”と呼ぶ。」
「お前か……ごめん。」
「何故、謝る?」
「人間が、お前を壊そうとした。」
「ああ……。」
「そして、ハーディーンが、壊そうとした。ナサエルも、壊そうとしてる。」
「ああ、あの子。」
「本当に、ごめん。」
「おかしい。私は君に、謝ってほしくてここへ呼んだ訳ではない。」
「だって、お前、ずっと泣いてるじゃん。なんか……悪いよ。」
嘆きの君が長い睫毛を伏せる度、白い頬を涙が伝っていた。蔦のように長い長い白緑色の髪を揺らし、首を横に振ったその時も。そして細い顎に集まった涙の雫と一緒に、白い花弁が一つ静かに落ちた。白くて細い指を、ティルへ向けて伸ばす。木漏れ日のように柔らかな袖が広がって、繊細そうに揺れた。嘆きの君は人型の、それも女性の姿をした精霊だ。聡明そうな森色の瞳は涙に濡れ、不自然に輝いている。
「私は、嘆きの君だから。」
「は?」
「冗談だ。……そうだな。私は泣いている理由を忘れてしまった。気にしないでほしい。」
「と言われても。嫌だったんじゃないの?森が、壊されることが。」
「いいや。森の破壊なんて、今に始まった事じゃない。」
「そうなの?」
「ふむ。君は、私が嘆く理由を暴きたいとみた。」
「そりゃあ、ね。気持ち悪いじゃん、理由のない涙なんか。どうすれば止まるのかわからないってことだし。」
「優しい子だね。」
「そうでもないよ。」
「ふふ、意外だ。」
差し向けられた嘆きの君の指を、ティルは指先でつつく。嘆きの君は少し瞳を細めたが、微笑には程遠い笑顔だった。ティルの胸が締め付けられて軋んだ。つつかれた指を腕と一緒に下ろし、胸に手を当てた嘆きの君が、やや俯いて唇を動かす。目の前にいたティルに気付かれないほどの小声で何か呟いた。そして顔を上げると、足元に目線を落として言う。
「見ていてごらん、犠牲の子がやってくるよ。」
「犠牲の子?」
「私の、涙の理由を教えてあげよう。ええっと、君は。」
「ティル。」
「ティルか。良い名前だ、大事にしなさい。」
「俺も気に入ってる。」
ゆとりのある雰囲気が終わりを告げる。嘆きの君が指し示した足元に、大きな木の枝の塊が生えた。木の枝の塊は花弁を開くように順番に解かれ、中から人間が出てきた。その人間は子どもで、金髪。腹部に大きな穴が空いていて、大量の血で衣服が染められている。この開かれない瞳が青いことを知っているティルは、口を押さえて一歩下がり、顔を青白くさせて驚愕した。
20131118




