光魔術士の戦い
「これはけっこう良くできたな。」
キースの愛剣である、魔法剣レタリオ。の、偽物。光魔術を利用して魔力で創られた精巧な複製だ。それを隅々まで見つめて満足そうに笑むティルは、そのついでにハーディーンを一瞥した後ため息を吐く。ハーディーンの眉間に皺が寄ったが、ティルはお構いなく一人遊びを続けた。レタリオを一振りすると、小さく風の切る音がした。それはティルの腕が風を切る音だ。緩やかに、ティルの手から魔力の物体化した感触が消えていく。
「でも、俺にはこれまで。」
レタリオがたちまち形を崩し、欠片も残さず煙のように溶けた。ティルは空になったその手を頬にかざした。そこに滲んでいる血は本物で、切り傷も本物だ。掌に魔力を集めると、傷口が目を瞬くのようにふさがった。
「君はなぜ、光魔術士になったの。」
「……答えてほしいですか?」
「別に。」
「そうでしょうね。」
腰を落とし、体重を太腿でしっかり支え、肩に担ぐようにして剣を構える。両手で握られる柄からギュッと絞られる音がすると、ただ広いだけの周囲が荒く乱れた。反発反応の維持からハーディーンの意識が離れ、切っ先に集中している。ティルも、腕を上げ手を突き出して魔力を集中させた。二人は暫くの沈黙の中で、お互いの出方を伺う。その時、大袈裟に光がざわめいた。絶妙な均衡によって保たれていた空間に、少しずつ綻びが見え始めている。ハーディーンの頬に薄っすらと汗が浮かんだ。
「ナサエルが、動いた。」
「あーあ……キースはきっと、コッチのことなんかお構いなしなんだろなぁ。」
「同情……いえ、同感です。」
「君の相方もタイガイだよね。」
「ええ。……ですが。」
気まぐれに増減する闇の魔力に合わせ、光の魔力を増減させる。驚くべきこの空間の均衡を作り出しているのは、ティルの目の前で剣を構える、少年ただ一人だった。ハーディーンは瞼を閉じて深呼吸をすると、一気に瞼を押し上げ、動いた。ティルの魔力が駆け出したハーディーンの頭を追いかける。振りかざされる剣を後退して避けながら、魔力を一気に水に変化させ、ハーディーンの頭を覆った。
「!」
ティルの魔力に押さえつけられ、呼吸ができなくなる。もがくことなくハーディーンは同量の魔力で水を押し返した。ハーディーンの魔力が絡みつき、ティルの魔力が形を崩す。水の塊が弾け、身動きがとれるようになったハーディーンが剣を突き出した。鋒が半身を下げたティルの腹部を掠り、衣服が破れる。
「なかなか、やるね。」
ティルの額が汗ばむ。呼吸を乱して肩を上下させるのは、目の前の金髪の少年よりずっと背の高いティルだ。高等な魔力変化に長ける少年と、その少年が支配する空間に圧倒される。これまでこの環境でどこまでできるかを慎重に探ってきたつもりだ。思っていたよりも自由に魔力を使えるものの、その魔力を維持するのにかなりの集中力を要することがわかっている。それは自由奔放なティルの、一番苦手な戦い方だ。
「油断は、禁物。」
突き出されたままの剣が光る。刃の形状が変化していることに気づいたが、半身下がった体勢からの体重移動に戸惑って出遅れてしまった。鎌のように湾曲した刃が、ティルの腹部に食い込んでいく。
「っ、た……!」
血が溢れる。傷口を押さえながら後退して距離をとり、濃い魔力を当てた。傷口はそこまで深くはなく、すぐ塞がったのだが、不敵に微笑む少年を見て、ティルは背筋が凍った。
「ナサエルがようやく動き、僕もやっとたくさんの魔力を使える。」
「……。」
「どうしました?僕に勝たなければならないのでしょう?」
「……君とは一生わかり合えそうにないない!」
「結構!」
高ぶった二人の魔力がぶつかり合う。決して交わることのないその二つは、絡まりながらその範囲を広げていく。どちらも一寸も劣らない量だった。時折伸びた腕に噛み付き合うように、チリチリと音を立てて弾けている。ハーディーンの剣が元の形に戻り、 再び鋒がティルに向いて構えられた。
「僕の、僕たちのことは、あなたたちなんかに一生わからない。」
光魔術で創り出された剣が白く輝く。強い太陽光のように濃い光だ。ハーディーンの眉間の皺が深まるにつれて、光も一層増した。照りつけられる肌から焦がれる音が聞こえてきそうな程強い光に、ティルは立ち向かう。肩が震えた。どうしても胸が昂り、拳を握る力が強くなる。ティルには譲れないものがあった。
『光魔術は武器ではない。』
『それ、何回もきいた!ひゃっかいくらい!』
『それではあと千回は言おう。』
『なんで!?』
『武器でもなければ、力でもない。光魔術は』
『人を助ける魔法!……でしょ。』
『そうだ。』
「……そう。だから俺は、この光に負けてはいけない。」
「何をブツブツ言っているんですか?」
鋭く輝く刃が、容赦無く振るわれた。その軌道に魔力が乗る。斬撃が高密度の魔力により形になってティルに向かってきた。それでも、今度は後退しなかった。自分の身体の前に魔力を集めて分厚い壁を作る。何の変化もしていない、ティルの魔力そのものだ。
『ティル、人を助けなさい。』
「わかってる。」
『助けるにはまず、』
「受け入れること!だろ!オーベルリン!」
ティルの魔力に斬撃が飛び込んできた。魔力と魔力が衝突し、その勢いを相殺させた反動で二人は後ろに吹き飛ばされた。ハーディーンは素早く体勢を整えてティルを正面に構えようと探す。消えかけた光の剣を、再び構築しながら。しかし激しく乱れる背景の中に、ティルの姿はどこにもなかった。
「!?」
慌てて背中、左右に意識を張り巡らせる。耳を澄ませても、息遣い一つきこえてこない。隙を作らないよう、慎重に辺りを伺い続けた。頬に汗が浮かぶ。ジワリジワリと、音がきこえるように玉を作って、やがて線になって頬を伝った。
「まさか……!」
聴覚には静かなこの空間も、視覚にとっては騒がしい。なんとか保たれているものの、絶妙な均衡はすっかり崩れている。激しく増減するナサエルの闇の魔力に、ハーディーンの調整が追いつかない為だ。どこかに歪みがあって、もしかしたらティルはそこにのみ込まれてしまったのかもしれない。ハーディーンにとって、ここは未知なことも多い。
「ここにいるけどね。」
「!!」
頭上から声がした。見上げようと思ったその時、ハーディーンの視界が回る。風に足を取られ、身体が回転した。ハーディーンは自分の身体が予測不能な体勢のまま投げ飛ばされた。もちろん、着地に気を遣う余裕はない。左頬から左半身にかけて強打してしまった。
「君の魔力を利用させてもらった。」
「ぐっ……、なに、を……!」
ティルの姿が残像のように揺れている。歪む顔には、哀愁さえ漂いそうな表情を映す。哀れむような、瞳だ。その周りにはティルのものでない魔力が渦巻いている。ハーディーンの魔力だ。魔力は風に変化をして、ティルの意思のままに動かされていた。掌に風が集まり、ティルが拳を握る。そっと閉じられた掌には、複雑な感情が閉じ込められて消えた。
「なぜ、一体……?!」
「……。」
「あなたは……」
「……君の魔力は、悲しい。」
「質問に答えてくださいよ!他人の魔力を操ることなんて、そんな……!」
弱々しく腕をつき、ハーディーンは上体を起こした。ざわめく心のまま、強い口調で問いかける。見透かすような瞳のティルが、自分を見下すような姿になってハーディーンの瞳に映された。痛む身体が焦燥で満たされて行く。この瞳を、ハーディーンは知っていた。懐かしい面影がティルの姿と重なっていく。
20130828