光の魔術士
「比較的、自由だな。」
「そうね。」
「……。」
「……」
爽やかな風が吹く。ここは緑豊かな大陸ルマティーグの中でも最大であるクレインの森。ルマティーグの精霊たちが集まる、神聖な場所だった。その深く広い森のずっと奥に、森の精霊たちに許された者だけが辿り着ける場所があると言われている。
「……ヒマ!!」
杏色の長い髪を揺らしながら少女が叫んで緑の芝に身体を投げ出す。大の字で倒れた少女の隣には緑の長い髪を一つに束ねた子どもが腰掛けていた。少女よりも少し年上であろう、あどけなさの残る中性的な顔つきの中に、凛として大人びた雰囲気を漂わせている。一番目を引くのは、左右で色の違う瞳だ。右目が赤で、左目は青色だった。
「同感。マリー、少し出かけないか?」
「どこに?どうせどこにも行けないわよ。」
「どこでもない。でも、どこかへ行ってしまっても、またここに戻って来られるから。」
「そうね。いいわ。何もしないよりずっと。
わたし、カナエについていく。」
「了解。」
マリオーズ=カミーナ。マリーと呼ばれている少女は溜息交じりに体を起こして、着ているワンピースと同じ鉄紺色の帽子を深く被った。青く澄んだ大きな瞳に影がかかる。限りなく黒に近い深い青みがかかった色、先の折れ曲がった三角錐に鍔広の形。これは魔術が発達するルマティーグで一番古い歴史をもつ、魔法使いの帽子だ。帽子の先には、虹色に光る小さな石がぶら下がっていた。ワンピースの裾や首元にも、同じような石に糸を通して縫い付けてある。暗く地味な格好を嫌うマリオーズの、ちょっとした反抗だった。
そしてマリオーズの友人、カナエ。カナエは静かに立ち上がって髪の束を靡かせた。風に向かい、遠くを真っ直ぐ見据えてじっと佇む。カナエの肩辺りにマリオーズの帽子が上がってくると、二人は徐に風に向かって行った。カナエの半歩遅れでついていくマリオーズは、虹色の石を揺らす。柔らかい陽の光を反射させて石がコロコロと輝き、鉄紺色の中でよく映えた。
「もうっ!どこへ行っても同じ景色!
ナサエル!ハーディーン!早くーっ!」
夜空に浮かぶ星さながらの石が、マリオーズの地団駄に合わせて激しく揺れた。カナエの涼しげな表情の隣で。
「二人は……大丈夫だろうか。僕は心配だ。」
「次はあなたが自己紹介する番です。」
やや端の尖った青い瞳に癖の少ない金髪、平均的な背丈と体つき。これといって目立った特徴のない、どこにでもいそうな少年が、皺一つない襟とタイで首元を締めている。その格好と妙に落ち着いた表情や声から、ハーディーンはただの少年でない雰囲気を醸し出していた。そんなことを考えていると、傑出生である証、魔法印が刻まれた左手を下げてハーディーンが無感情に言った。ティルはなにぶん唐突にこの場へ投げ出されたので、まだよく状況がわかっていない。それなのにその落ち着いた雰囲気についのまれて、ティルは口を開いてしまった。
「俺?」
「そうです。他に誰かいますか?ここに。」
「いないね。」
「そうでしょう、ティルさん。」
「そうそう、俺はティル。知ってんじゃん。……あれ。だけど君に名前言ってあったっけ。」
「あなたは、鈍感なんですね。」
僅かにハーディーンの表情が動いた。呆れているような、哀れんでいるような、困惑しているような、わかりにくい下がり眉だ。余りにもお互いに異質な二人は黙った。ティルもハーディーンも、なかなか自分の調子が掴めないでいる。
「ずっと、見ていたんです。」
「は?」
「あなたの魔力は目立ちますからね、ティルさん。」
ナサエルとハーディーンは乗車した際にティルの魔力に気づいた。そしてその魔力が絶えず流れ出ていることと列車内という限られた空間であったことで、ティルを探し出すのはあまりにも容易かった。
「すごい……これだけの魔力。」
「ああ。質もだが、量も。」
「うん。これは使えるね。」
彼らが執拗にティルを監視したのは、彼らが向上心のある熱心な魔術士だからではなく、ティルの魔力を、力を、欲したが故だ。
「もっとも、キースさんは僕たちに気づいていたようですが。」
「え。」
「さあ、おしゃべりはここまでにして始めましょう。僕は言葉で語るのも、語られるのも苦手なんです。」
「始めるって……言われてもさ。」
ここはハーディーンの魔力で作られた、異空間。魔力は少なからず、全ての人間が持っていると言われる。そして人それぞれ異なる為、他人の魔力で空間を埋め尽くされると、閉塞感から息苦しさを感じるのだ。この空間に体が馴れてきたティルは、いつの間にか普通に呼吸をしながらハーディーンを見ていた。彼は自分と同じ光魔術士だ、魔力の変化を見ればわかる。光の魔力で覆われているのならば、全く不利ということでもなさそうだ。しかし、迂闊に動くことができないでいた。
「反発反応……。」
反発反応とは、光魔術と闇魔術の関係から生じる事象だ。二つは反発し合う属性で、一方が増幅すると、もう一方も増幅する性質がある。この事象から、どんな高尚な魔術士でも、光と闇の両方の力を会得することは不可能であった。体の中でそれぞれの力を帯びた魔力が競い合うように増幅していき、やがて体では収めきれなくなる。無限に広がっていく二つの魔力にのまれて、体が消滅してしまうと言われている。ティルがのみこまれた、このだだっ広い明るいだけの空間は、反発反応を利用してできた空間だ。ハーディーンの光の魔力とナサエルの闇の魔力が増幅し合い、次元に収まりきらなくなって生み出された。それも、驚くほど絶妙な均衡を保っている。もし自分が魔法を使えば、その均衡が失われてしまうかもしれない。そうなるとすれば、それ以上は未知の領域であった。恐らく、ナサエルの闇の空間にキースはいるのだろう。そう考えると珍しく、ティルは慎重になっていた。
「光と闇、二つの力を手に入れようとした傲慢な魔術士は、こんな空間を永遠にさまよっているのかもしれませんね。でも、ここは大丈夫ですよ。」
「よく言い切れるね。」
「はい。ナサエルの微妙な魔力の変化に合わせられるのは僕だけだ。バランスが失われたことは、今まで一度もありません。」
「ふぅん、あっそ。キースは?あっちは大丈夫なの?」
「大丈夫です。」
「結構な自信だね。でも、子どものいうことは大体アテにならないんだってさ。」
「あなたが言われたんですか?それ。」
「……。」
「え、まさか、図星?」
「ウルサイ。」
「同情します。さて、本当におしゃべりが過ぎました。早くしないとナサエルがキースさんを倒して魔法を解いてしまう。」
ハーディーンが華奢そうな両腕を広げて、魔力を目の前に集めた。あっという間に凝縮された魔力は、目の眩むような強い光を発する。空間中の魔力もハーディーンに応えるように光り出した。ティルは身構えたが、怯んだ。やはり、この空間でハーディーンは有利であった。線路上で見た時とは比較にならない程の速度と高精度で形成されていくのは、
「!!まさか!」
無造作な茶髪に眉根を寄せてできた眉間の皺。筋肉質な腕と不釣り合いの小柄な体型。腹部の出た伸縮性のある赤いシャツとぴったりと脚を覆う白いパンツ姿。そして何より、股下程の長さの大剣に紫の瞳。全てティルのよく知る形と色だ。
「さあ、よろしく頼みます。キースさん。」
ティルに大剣の切っ先を向けたのは、ハーディーンの魔力によって作られた、キース・ティサイアだった。
20130731
20170119改稿