かくれんぼ
・ホラー要素あり。苦手な人は注意してください。
「おかしいなあ、手紙だとこの辺なのに……」
辺りを見回してみるが、それらしき家はない。握りしめてぐちゃぐちゃになってしまった手紙を片手に、僕はため息をついた。仰ぎ見た晴天が恨めしい。
学校の級友で卒業してからも交流が続いている友人から、引っ越したという手紙が届いたのは一週間ほど前のことだった。たまたまその近くに予定があったので、驚かせてやろうと手紙も送らずに訪ねて来てみたのだが、道が入り組んでいてどうにもたどり着けそうにない。
「せっかくここまで来たのになあ……」
もう一度ため息をついて、それでも諦めきれずに歩き出す。一本向こうの通りまで出たところで、僕は思わず足を止めた。通りの真ん中に女の子が立っていたからだ。
「ごめん、ちょっといいかな」
しめた、この子に聞いてみよう。そう思って、僕は女の子に近付いた。10歳くらいの女の子で、ハニーブラウンの巻き毛を背中まで垂らしている。頭に赤いリボンをつけているところがかわいらしい。女の子は木の実色のクリクリした瞳をこっちに向けると、嬉しそうに笑った。
「かくれんぼしよう」
女の子はそう言うと、僕から逃げるように走り出す。突然のことにポカンとほうけてしまったけれど、すぐに我にかえって女の子を追った。
「待って!」
「みつけて、みつけて」
女の子はコロコロ笑いながら走っている。日頃の運動不足がたたってか、ちっとも追いつくことができない。
「あれ……」
角を曲がったところで、女の子を見失ってしまった。困ってその場に立ちつくしていると、「かくれんぼ、みつけて、みつけて」 という声がする。急いで声のした方を見ると、女の子はいつの間にある屋敷の敷地に入り込んでいて、楽しそうにくるくる回っていた。
「みつけて、みつけて」
思わず追いかけようとして、門の堅牢な鉄扉に阻まれる。その間に女の子は屋敷の中にスルリと入っていってしまった。鉄扉を押してみるが、しっかりと閂が掛かっていて開かない。
「そこでなにをしている!」
開けようと閂に手を伸ばした瞬間、背後から鋭い声が聞こえた。驚いて振り返ると、白髪混じりの髪を無造作に伸ばし無精髭を生やした壮年の男が、険しい表情で僕をにらみつけている。大きな紙袋を抱えていて、一目で買い物帰りだとわかった。屋敷の主なのだろう。そこまで考えてしまったと思った。今の僕は傍から見て不審者以外の何者でもない。
「違うんです、僕はただ……」
「言っておくが私は人形を作らないぞ」
「え?」
思いも寄らない発言に、言葉が途切れてしまう。それをどのように解釈したのか、男は声を荒げていく。
「どんなに頼まれようが金を積まれようが、私はもう人形を作らない! 帰れ! 帰ってくれ!」
男にぐいぐい背中を押される。紙袋は地面に落ち、その中から飛び出たオレンジが僕の前にころころ転がってきた。危ないと思ってなんとか踏ん張った僕を、男は容赦なく押し続ける。グシャッと後ろから嫌な音がした。男が紙袋を踏みつけた音だろう。
「ちょ、ちょっと待ってください。僕はただ女の子を追いかけてきただけなんです」
「女の子……? それでどうして私の屋敷に入ろうとするんだ。わかった、人形を盗みにきたのだろう。しかし残念だったな、人形はすべて焼けてしまったのだ! 一体残らずすべて! すべてだ!」
「落ち着いてください本当なんです! ハニーブラウンの髪の、頭に赤いリボンをつけた女の子がこの屋敷の中に入っていって、だから……」
背中を押す力がいきなり緩まった。後ろに体重を掛けていた僕は、バランスを崩して尻餅をついてしまう。グショッと嫌な感触がした。恐る恐る立ち上がってズボンの後ろに手をやると、ベッタリと赤い何かが付着していた。おそらくトマトだったものだろう。ポケットからハンカチを取り出してぬぐえるだけぬぐう。ため息がこぼれた。
そこまでしてから、男がその場からいなくなっていることに気がついた。鉄扉も屋敷の扉も開きっぱなしになっている。どうしようか散々悩んだ挙句、唯一無事だったオレンジを手に取り、僕は屋敷の中へと入っていった。
「メアリー、メアリー! どこにいるんだ、出てきてくれ! メアリー、メアリー!」
屋敷中に男の声が響いている。その悲痛な叫び声に気圧されて、僕は玄関ホールより先に進むことができなかった。かといって今更戻ることもできず、じっとその場に立ち尽す。
どれくらい経ったのだろうか。男の声は段々弱くなっていき、ついには途切れてしまった。痛いほどの静寂の中をそっと屋敷の奥に入っていくと、ぐったりと椅子に座り込んでいる男を見つけた。
「あの……見つからなかったん、ですか」
言ってから、我ながら無遠慮な発言をしたものだと思った。男の様子からして、メアリーという女の子が見つかったとは到底思えないのに。しかし、僕は女の子が屋敷の中に入っていった姿を確かに見たというのに、どうしてこれだけ必死に探したにも関わらず見つからないのだろうか。
「見つかるわけないんだ」
僕の失言に怒ることなく、男は静かにつぶやいた。青白い頬からは生気が感じられない。彼が激していた時には気づけなかったが、憐れなくらいやせ細った男だった。
「メアリーは、もう死んでいるんだから」
「え……?」
じゃあ、僕が見た女の子は? ゾクリと背筋が粟立つ。しかし、見てはいけないものを見てしまったかもしれないという恐怖よりも、目の前でうなだれている男への憐憫の情が勝った。
「詳しい話を聞かせてもらえませんか?」
それは、悲しみをえぐる行為だろう。けれども、誰かに聞いてほしかったのかもしれない。男はわずかにうなずくと、すっかりかすれてしまった声でゆっくり話し始めてくれた。
男は売れない人形師だったそうだ。仕事は少なく、その日の食い扶持を稼ぐだけで精一杯の貧しい生活を強いられていた。それでも男は幸せだったそうだ。なぜならば男には美しく聡明な妻があり、二人の間には愛らしい一人娘がいたからだ。
けれども、その幸せな日々は妻の病により唐突に終わりを告げた。日に日にやせ衰えていく妻に、男は薬を買ってやることも医者に診せてやることもできなかった。妻を蝕む死の病に、男の精神も蝕まれていき、妻の死をきっかけに、男の心は狂いだした。
「私は取り憑かれたように人形を作りだした。何かに没頭していないと狂ってしまいそうだった。妻を亡くした悲しみや絶望をすべて人形作りに注ぎ込んだ」
気がつけば、男は国一番の人形師と呼ばれるようになっていた。男の人形は人々にまるで生きているようだと絶賛されたそうだ。とりわけ愛しい人を亡くした人たちは競って男の元を訪ねてきた。死んだ人とそっくりの人形を側に置くことで、その人たちは心に開いてしまった穴を埋めようとしたのだ。「人形が死んでしまった人の代わりになるわけがないのに」 男は苦々しそうに吐き出す。
「貴方は……自分の妻に似せた人形を作ったのですか」
それまで饒舌に話していたのに、男は口を閉じてしまった。骨張った手に視線を落とし、開いては閉じてを繰り返す。僕はじっとその手を見つめた。この手が生者と見紛う人形を作り出していたとは到底思えない。それとも、彼は自分の命をも人形に注ぎ込んでしまったのだろうか。
枯れ枝のような指が胸ポケットに伸び、キセルが取り出される。ため息を吐くように煙を吐き出すと、男は再び口を開いた。
「妻が死んでから、私は娘とどう接すればいいのかわからなくなった。娘は妻の死を理解できていなかった。『ママはどこ?』 と無邪気に聞かれるのが辛かった。私はあの子に妻に似せた人形を渡すことで、生きている娘からも逃げたのだ。それが、始まりだった」
『ママは病気のせいで、喋ることができなくなってしまったんだ』
男の下手な嘘を、娘は疑うことなく受け入れた。娘は人形を本物の母のように扱った。そんな娘を気味悪がり、誰も彼女に近づかなくなった。取り返しのつかないことをしてしまったと気がついてからも、彼は嘘をつき続けるしかなかった。罪を塗り重ねていくしかなかった。
「『友達だよ』 と言って、私はあの子にたくさんの人形を与えた。もちろん人形が友達代わりになるはずがない。せいぜいそれで遊ぶので精一杯だ。それなのにあの子は、喋りもしない動きもしない人形を、本物の人間のように扱った。お喋りしたり、一緒に遊んだり……。もちろん本当にそんなことができるはずはない。すべてあの子の空想だ。けれどもあの子にとっては、そんな狂った世界が現実だったんだ。そして、そうして……」
突然、男の身体がガタガタと震えだした。男が頭を抱えた拍子に、キセルが絨毯の上に落ちる。毛氈の焦げる嫌な臭いが漂ってきて、僕は慌ててそれを踏み消した。
「うあ、うああ、うああああああっ!」
男の耳をつんざくような悲鳴が部屋に響く。椅子から立ち上がろうとしたが慌てすぎたせいか、男は椅子ごと横転してしまった。それでも身体を引きずって、なんとか焦げた絨毯から離れようとする。
「どうしたんですか!?」
僕が男の背中に手をかけると、ものすごい力で振り払われた。言葉になっていない悲鳴をあげながら男は泣き叫ぶ。
「許してくれ! 許してくれ! 見つけられなかった私を許してくれ!」
「見つけられなかった……?」
「許してくれ! 許してくれぇ……」
男は部屋の隅にまで行くと、背中を丸めて膝を抱いて力なく泣き続けた。「見つけられなかった、見つけられなかった」 とうわ言のように繰り返し、どんなに呼びかけてもまるで聞こえていないかのようだった。落ち着くまで待つしかないと思い、僕は男のいる部屋から出た。
「なんだ、これ……」
することもないので屋敷の中をブラブラ歩いていた僕は、突如目の前に広がった思いも寄らぬ光景にゴクリと唾を飲み込んだ。屋敷の最奥にあたる一角が、無惨にも焼け落ちていたのだ。幸い被害はここのみで済んでいるようだが、それにしたってひどい。壁の一部しか残っていない部屋や、崩れ落ちてきた屋根に押しつぶされてしまっている部屋もある。手前の方がまだ被害は少なく部屋の形を残していたので、僕は足下に転がる瓦礫に気をつけながら、そっと中をのぞき込んだ。
「ひっ……」
喉からひきつった悲鳴がこぼれる。ザアッと全身から血の気が引いた。よろめくように一歩後ろに下がり、その拍子にさっき避けた瓦礫に足を取られて尻餅をついてしまう。
「痛っ」
尻に敷いてしまったそれを掴んで尻の下から引き抜き、その正体を目にした僕は今度こそ大声で叫んだ。
「うわああああああああああああああああっ!!」
あまりのショックにそれを放り投げてしまう。ほとんど炭化していたそれは、床に叩きつけられるとボロッと崩れた。人の手の形をしていた、それは。
「あー! マリーナの手が!」
何かが僕の横を通り過ぎ、もはや原型をとどめていないそれの前にしゃがみ込む。ハニーブラウンの髪に赤いリボン。いま起こっていることについていけず、僕はなんの前振りもなく突然現れたその女の子を凝視した。女の子は僕の方を振り向くと、悲しそうに眉を寄せて「ひどい、ひどいわ。暴れん坊のマイクも、いじめっ子のケイトだってこんなひどいことしやしないわ」 と泣きだした。
大粒の涙をこぼしている姿には胸が痛むが、その存在にじわじわと恐怖心が沸き上がってくる。
「メアリー……?」
かすれた声でそうつぶやくと、女の子はパッと顔をあげ、「お兄ちゃん、わたしのこと知ってるの?」と嬉しそうに笑った。
「どうして……」
こんなことに。目の前の女の子はすっかり機嫌をなおして愛らしく微笑んでいる。女の子の頬に手を伸ばしかけて、ぎゅっと拳を握った。熟れたリンゴのような頬には、もう血は通っていない。どんなに生きているように見えても生きていない。彼女はもう人形と同じなのだ。
「ねえ、かくれんぼしよ」
何も言えないでいる僕を、メアリーは上目遣いでのぞき込んだ。薄茶色の瞳はガラス玉のように透き通っていて、なにも映してはいない。怖さよりも悲しさが上回って、グッと目頭が熱くなる。
「……どうして、かくれんぼがしたいの?」
僕の質問に、メアリーは目を輝かせた。興奮しすぎて言葉が出ないのか、「あのね、あのね、」 と何度も繰り返す。
「まだわたし、みつけてもらってないの。ずっとかくれんぼしてるのに、みつけてもらってないの」
「メアリーは、ずっとかくれんぼをしてたの?」
「そうよ。マリーナたちとかくれんぼしてたの。熱くて苦しくてとってもつらかったけど、メアリーはちゃあんと隠れてたのよ」
「えらかったね」と言うと、メアリーははしゃいで僕の周りをくるくる回る。男の言っていた通りだ。この子は無邪気すぎる。僕のへたくそな褒め言葉で、こんなに簡単に喜んでしまうなんて。
「でもね、誰も『みーつけた』 って言ってくれないの。だからね、かくれんぼしよ? わたしをみつけてよ」
そう言うと、メアリーは瓦礫の山の上を駆けて行き、手前から三番目の部屋の前でふっと姿を消した。「もういいよ」 と聞こえた気がした。
「屋敷が燃えているのに気がついたとき、私は真っ先に娘を探したよ。燃え盛る炎の中、娘がいるかもしれない部屋のドアを開けて、私は愕然としたんだ」
メアリーの消えた場所に立ってそうつぶやいてから、男は部屋の中に入っていった。僕もそれに続く。天井の一部に穴が開いていてそこから光が射しこみ、部屋の中の様子がよくわかった。おびただしい数の焼死体……のように見える焼け焦げた人形たち。その尋常ではない数に、たとえそれが人形だとわかっていても吐き気がこみあげてくる。それほどまでに、男の作った人形は人間にそっくりすぎた。
「私は、見つけられなかったんだ。どこに私の娘がいるのか。何度もあの子の名前を呼んだよ。けれど、あの子は応えてはくれなかった。この部屋も、この手前の部屋も奥の部屋も全部開けた。でもわからなかった。見つけられなかった。あの子がどこにいるのか……隠れているのかを」
男は腰を屈めると、ひとつひとつ丁寧に人形をどかし始めた。真っ黒に焼け焦げて見ただけでは見わけがつかないものは、手で触って感触で確かめた。
「私は自分の命ほしさに娘を見つける前に逃げてしまった。そうして、どこに娘がいたのか知ることが怖くて、見つけられなかったという事実から逃げたくて、火が消し止められてから誰一人ここに近づけなかった。もちろん、私自身をもだ」
やがて、男の手がピタリと止まった。入り口からずっと見守っていた僕は、すぐさま男に駆け寄ろうとする。しかし、大きく踏み出した足はその場に縫いつけられたように止まった。
「お父さんだ! お父さんだ! お父さんだ!」
男の周りを、メアリーが嬉しそうに跳びはねていた。しかし男はそんなメアリーに気づく様子もなく、ただ小さく体を震わせている。
「……言ってあげてくださいよ」
男は一度大きく身体を揺らした後、人形に埋もれるように隠れていた小さな身体をそっとその手に抱きしめた。
「……見つけた……!」
メアリーは男の背中に抱きつくと、顔をクシャクシャにして泣きだす。男は娘の遺体にしがみついて、声を震わせて泣いていた。ようやく終わった、ながいながいかくれんぼ。
しばらくそうやって泣いた後、メアリーは男の頬にキスを落として名残惜しそうにそっと離れる。そして僕の方を見ると、涙でぐしゃぐしゃになった顔ではにかんで笑った。
「ありがとうお兄ちゃん。わたしね、ほんとうはね、お父さんにみつけてほしかったの」
お父さんのこと、恨んではいないの?
口には出さなかったのに、メアリーは首を大きく横に振る。
「お父さん、だいすきよ」
最期にそう言って、メアリーはすうっと消えてしまった。
「ありがとうございます。これで無事に辿りつけそうです」
男に書いてもらった地図を片手に、門まで見送りにきてくれた彼に礼を言う。男はしきりに感謝の言葉を口にし、もしよかったら泊まっていってほしいと誘ってくれたが謹んで遠慮した。ならばせめてなにかお礼の品をと言う男に、もう片方の手に持っていたオレンジを見せる。
「これで十分です」
「そうですか……。なら、また機会があったらぜひお立ち寄りください」
そう言ってはにかんで見せた男の顔は、メアリーにそっくりだった。
「それじゃあ」
僕が角を曲がるまで、男は手を振り続けてくれた。地図を見ながら歩いているとメアリーにあった通りに出たけれど、もちろんそこには彼女の姿はなかった。一度通りの真ん中で立ち止まり、空を仰ぎ見る。
このオレンジを手土産にあいつに今日の話を聞かせてやろう。
いつの間に空は夕焼け色に染まっていた。