9話 本当の『エーラ』~風が遊ぶように
南の街に着いたら早速『綺羅の琥珀』として殴り込みをかけるのかと思えば、出向くのは明日らしい。
なら私はせめてと、お風呂が使える宿がいいとバジェに駄々をこねた。服の負い目があってか、バジェは特に文句も言わず宿を決めてくれた。
「はー……あったかいお湯、サイコー!」
……ただ、『お風呂あり』と大々的に宣伝しておきながら、『お風呂の使用料は宿代と別』というのは納得いかなかった。宿の看板にあわせて大きく書いておくべきでは?バジェはその件で宿屋の番頭と唾を吐きつける勢いで大舌戦を繰り広げた。バジェについては珍しく、風呂代無料とはいかなかったけど、宿に泊まっている間中、一回の風呂代で入り放題の御免状を取り付けて来た。バジェすごい。
……え、でも――という事は、一回一回本当はあの宿代とそう変わらない代金を払わないといけなかったって事?ぼったくりでは?国の役人は、こういうところに目を光らせておかないと、いけないのでは!?
まあともかく、私は体がふやけるほどお風呂に入ってきた。明日も出発前に入るつもりだ。
なんなら寝る前にもう一回入ってもいいかもね。なにせバジェが勝ち取ってきた権利だし。
お風呂は貸し切りみたいなものだった。別に、『穢れの銀』の私がお風呂に浸かっているせいではない。馬鹿みたいに高いお風呂代のせいだろう。お風呂をあてに泊まった客の怨嗟が溶け込んでいたかもしれない。
「ありがと―バジェー!」
「ああ?ったりまえだ、存分に感謝――」
ほこほこで部屋に帰ってきた私を、バジェが宿の机から顔をあげた。難しい顔をしていたのが、少し目を見開いている。
……さては、湯上がりたまご肌な美少女エーラちゃんに見惚れたとか?……バジェじゃないから、そんな図々しい事、自分の口では言わないけど。
「……驚いた。何だよ、エーラ。いつにも増して、見惚れるじゃねえか」
「――!」
……い、言われるとは思わなかった。えっとえっと。こんな時どうすればいいんだろう。風呂場の隅で洗ってきた服で、顔を隠す事しかできない。
――ぎこちなくも、洗った服を窓の近くに干していると、バジェはまた机に向かっているようだった。ずいぶん熱心に書き物をしている。初めて見る姿かもしれない。いくつか書き損じが丸めて床に放り投げられている。
「ねえ、バジェ。何してるの?」
「紹介状だよ、紹介状。お前がどれだけ『綺羅の琥珀』の素養があるか、とかを書いてるんだよ。そして、それを見出した俺のすばらしさを!」
「見出したも何も、私の自己申告なんだけど」
「うるせえよ。黙ってろ。もう俺はこの文章を二度も三度も書き直したくねえ」
まあ、『綺羅の琥珀』を探しているのは国だ。お役所仕事、というものはこういうものなんだろう。
ただ、こういう難しい――はずの文章が書けるから、商人ってすごいなと思う。
普通、町の人が役人向けに何か申し出たりするときは、町の代書屋さんとか、誰かしら読み書きできる人に頼まないといけないから。商人は足元を見てくるし、本業が忙しいはずだから、頼まないけど。まあ、文字が読めて計算ができないと、商人なんてできないものなんだろうな。
……だからバジェに商人が務まっていないのでは?とも思うけど。
……ただ――床に落とされている書き損じを見る。字は汚いけど、きっと難しい事を書いているんだとは思う。
私は、飛び飛びで知っている単語を拾うぐらいしかできない。
しばらく、知っている単語を見つける遊びをしていたところ、バジェから声がかかった。そろそろ飽き始めたところだったのでちょうどよかった。
「おいエーラ。お前、ここに名前を書け」
「うん、わかった」
「いや、待て。お前、自分の名前、書けるよな?」
「失礼な!名前ぐらいは書けるよ!?」
いくら何でも、人を馬鹿にし過ぎだと思う。
しかし、バジェの顔は明らかに疑ってかかっていた。書き損じの紙を私の手元から一枚とると、その端をペンでトントンと叩いた。
「一回ここに、書いてみろ」
「そこまで信用ないの!?」
「書けるなら書け!」
ほんっと腹の立つ。
……普通に生きていれば、自分の名前とか家族の名前ぐらいしか書く事はない。だからこそ、誰だってそのぐらいは書けるのだ。書けて当然だ。
私だって、一人旅をしていた時は、宿帳に名前を書かされたことが何度かある。
……ただ、最近は宿に泊まる時でもバジェにお任せしているので、自分で名前を書くのは久々だ。少し緊張する。
「……無理なら無理って、早めに言ってくれ。対策を練る」
「書けるってば!」
緊張しつつ、ペンを動かす。うわ。インクがたくさん落ちた。か、紙が引っかかる……!
――それでもどうにか書き終えた。
正直、バジェに一回練習で書かせてもらって、よかったかもしれない。
『エーラ』というより、『えーら』みたいな歪な感じになったけど。丁寧に書いた――つもりだから、引っ掻いて書いたようなバジェの字よりは、『読みやすいですね』って役人さんに褒めてもらえるかも。
「ほら、書けたでしょ?」
私が自信満々にバジェを見る。しかし、バジェの顔は蒼白だった。え。なんで?あってるよね?ちゃんと『エーラ』って……
「お前……お前、『エーラ』って、こう書くのか?」
「え?なんで?」
「お前の『エーラ』は、この綴りか、って聞いてんだよ!」
その声に、驚く。何枚も書かれた用紙に、頻出している文字の並びがある。『エーラ』に似た綴りが。
「もしかして……書き直しになったり……する?」
バジェが頭を抱えている。そんなに気を落とさせるつもりはなかった。
「だって、仕方ないでしょ。宿の人がこう書いていたから――」
その言葉に、バジェがぴょこんと顔をあげた。
「……は?どういう事だ?」
「だから、宿とか、名前が必要な時に。名前を言ったら、宿の人はたいていこう書いて――」
その言葉に、バジェはぐっとこぶしを握り締めた。『よっしゃ!』などと声をあげている。
「つまりあれだな?お前は他の人間が『エーラ』と聞いて書いた字を見て、『エーラ』の綴りがこっちだと思ってきたわけだな?」
「へ?なに?どういう……」
「お前の『エーラ』はこっち。この綴り。これが正しい」
バジェが癖のある筆致で書き綴る。紹介文に何度も出ている文字の並びだった。
「……書き直すのが面倒だからって、私の名前を勝手に変えないでほしいんだけど」
人の名前を何だと思っているのか。
「違ぇよ。お前の名前の綴りはこっちで正しいんだよ。そりゃあ、『エーラ』って聞きゃあ、たいていの人間はこう書くだろうよ」
ちゃちゃっと、私が書いたのと同じ『エーラ』をバジェが書く。
「けど、お前のエーラは、多分こっちだ。『穢れの銀』――北方異民族なら、この綴りで書くはずだ」
「北方異民族って……もう何百年も前に亡くなった国と人でしょう?」
私は――私の、多分いたはずのお父さんやお母さん、それにおじいちゃんやおばあちゃんがずらっと何人か。それらは全員きっと、この国で生まれて、この国で育って、この国で死んでいる。きっと私も同じように。今は亡き北方異民族がどうこうと言われたって、まったくピンとこない。この銀の瞳と髪のせいで、切り離す事はできないけれど。
「元々国なんて持ってねえよ。ただそこにいただけだ。ともかく、お前はこの字を書く」
トントンと、先ほどバジェが書いた『エーラ』をペン先で刺した。
「……文字数、多くなるんだけど」
「そのぐらいで文句言うな。お前の名前だろうが」
そう言われても、ピンとこない。絶対、バジェの失敗に巻き込まれているだけだと思う。
「ちなみに、さらに正しく書くなら、こうだな」
さらさら――そう書き上げられた文字。文字というより絵に近い。風の絵みたいな。けれどそれよりなにより――
「この絵、見覚えがある……」
「絵?文字だ文字。どうすりゃ絵に見えんだよ」
そうは言いつつバジェが書き直す。こっちの方が、より絵っぽい。それに、ますます見覚えがある。
「見た事ある。知ってる」
どこで見たんだろう。おばちゃん達といた時だろうか。もうずいぶん前の話になる。
「知ってるってんなら、決まりだな。この字を、この国の言葉で書くと、この綴りになる。お前の『エーラ』は、このエーラだ」
たんっ、とバジェが文字の多い、何度も紹介文に書いていた『エーラ』をペン先で再度差した。
そうか……これが私の『エーラ』なんだ。
これが本当の『エーラ』なんだ。そして、こっちの可愛い絵。これが、ホントのホントの『エーラ』……!
「ねえバジェ、この紙、貰っていい?」
「ああ?書き損じなんか、好きなようにしろよ。めんどくせえ」
そう言ってバジェが、ぐでっと椅子に背を預けた。
私は、インクが乾くのを待って、いくつも書かれた本当の『エーラ』の紙を、大切に折って、部屋の端に置いていた、ポーチにそれをしまい込んだ。
「あー疲れた。エーラ、今日はもう寝ようぜー」
「そうだね。それでね。明日は私、朝風呂に入るつもり!」
「そりゃいいな。俺もそうするかな」
そうしなよ、そう言ってバジェの肩を揉む。たくさん書き物したんだもんね?疲れたよね。……でも、すぐには寝ないで。夜通し話をしたい。
だって、私が『綺羅の琥珀』に選ばれたら――『綺羅の琥珀』は『砂の塔』に住む事になる。そうしたらきっと、バジェとはもう会えない。
……けど、そのかわりにバジェは私のために死ぬ事はなくなるはずだ。もう会えなくなるんだから。私のために、死ぬ必要なんてない。私を愛する事なんて、ないから。
――『愛する私のために死ぬ』男になんてなりえない。
だからせめて、いっぱいバジェに話しておきたい。バジェの事も……少しはいいところを覚えておきたい。
たとえば、本当の『エーラ』を教えてくれたみたいに。
「話ぃ?まあいいぜ?けど、ほどほどにな。明日は早いからなー。なにせ明日は――」
と、ここでがばりとバジェが起き上がった。
「ほどほどにな、じゃねえよ!お前の名前、書けってんだよ!忘れるところだった!」
「ああ!」
「ああじゃねえよ!ここだぞ、ここ!」
バジェが私の手を引いて、宿に備え付けの椅子に座らせる。
「いいか、ここだ。見本は上の方に俺が何度もお前の良さを嘘八百書きなぐっている紹介文に書いてあるから」
「嘘八百って何!?嘘なんて書かなくてもいいところはいっぱい――」
「うっせえ黙れ!いいから、よーく見て、そのまま書き写せ。書き損じたら、お前に全部書き直させる!」
……もうこりごりだよー。
何がこりごりかわからないけれど、そんな事を言って終わりになってほしい気分だ。だけど、バジェがそうさせてくれない。
命をすり減らすような緊張感で、一文字一文字書き綴った。書き慣れてないからなおの事緊張したけど、どうにか無事に書き終えた。長い時間だった。夜が明けるのではないかとすら思った。
「よしよし……まあ、読めるな」
こんなに一生懸命書いたのに、酷い言い草だ。
「……ちなみにその下には何が書いてあるの?そこも、『エーラは賢くて可愛い』って事が書いてあるの?」
「図々しい奴だな、お前。……これは俺の名前だ」
「名前!?そんなに!?」
私は『エーラ』とそれだけだったのに、バジェの名前とされるところは、三行ぐらい書いてあった。駄目押しの美辞麗句――嘘八百とはどういう事だろうか。ともかくそれだと思っていたのに。
「何の罰で、そんな名前にされたの!?」
「おっ前……俺は、女でも子どもでも、必要となれば平等にぶん殴るぞ?」
必要となる時はないし、その時が来たところで、バジェが私に力で勝てるわけがない。力自慢ではないけれど、バジェ程度に負けるようでは、女剣士なんてやっていけない。
「……でも、じゃあ、バジェは『バジェ』じゃないの?」
「バジェでいいんだよ、バジェで。本名なんてこういう公的な文書でしか使わねえよ。こんな嫌がらせみたいな名前、意味も何も、今さらありゃしないんだから。まあ、将来、大商人株を買って大商人となった暁には、大商人株に長々と、もう次の奴が名前を書く場所もないぐらいに、俺の名前をしっかりたっぷり書いてやるけどな―!?」
ふはははは。バジェが笑っている。
……まあ、夢を持つのはいい事だと思うよ。叶うといいね。バジェに見えないように両手を軽く握って、『がんばろーねっ!』のポーズをとった。その夜は『俺が大商人になったら』というバジェの夢物語を延々聞く羽目になった。でも――まあ、これはこれで、楽しい夜だと思った。……その後も、最後の夜にはふさわしいと思ったし。
大目的も定まり、準備も万全。次回は『綺羅の琥珀』の受付所に向かいます!
※ 完結まで執筆済! エタりよう無し!あなたを一人、孤独にはしません!
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