21話 月の女神~銀の企み
大丈夫。
バジェは助かる。バジェを助ける……!
黒でも白でも黄色でも。何でもいいから羽をはやしたバジェ、飛んで屋上に戻って来て――!
「のう娘御よ。幸せな未来とやらは『視え』たかや」
空に浮かぶ『綺羅の琥珀』さんは、首を大きく傾げて、屋上から『下』を見ている。ここからだと、月よりも輝かしい。広がり揺蕩う髪は、月を彩る雲のようで、こんな時でなければ、きっと優美だと見惚れていただろう。でも、今はそんな時ではない。
な、何でもいい。羽じゃなくていい。羽じゃなくてもいいから……
「娘御や。声は『視え』たかや?」
お願い。お願い、おねがい……
「娘御。妾、娘御と『会話』するのは今宵が初めてだがな?……娘御に『話しかける』のは、初めてではないのだぞ?」
おねが……
『綺羅の琥珀』さんは、すました顔で、軽く息を吸い込んだ。そして、口を開く。
『猛る魔獣――』
『裂ける人々――』
『見よ、お前を愛する男の死を。この男は、お前のために死ぬのだ――!』
……私は、祈る手を、止めていた。
「……の?妾なかなか美声であろ?……ああ、お前には『視せて』やっていたから、声は聞こえぬか」
「いつから……?」
「さて、お前はいつからだと思う?」
「いつからですか!」
「ほんの数年よ」
『勇者様』が亡くなって――その後から?……そんなわけない。今日のように、繰り返し夢を見せる嫌がらせならともかく、この夢は、私が小さい時に見たものだ。
その時は当然バジェだなんて知る由もないけれど。男の人は、ぼんやりであっても間違いなくバジェだった。あんなヒョロヒョロガリガリで、目玉がギョロついていて――
そのバジェを、私が幼い時から――
『綺羅の琥珀』さんがバジェと出会う前から、私に見せられるわけがない!
「……『見るべきものを視る』力。望む未来を視た時に、合っておらぬ辻褄は合わせられる」
『綺羅の琥珀』さんは空から私を見下ろした。
「のう、娘御や。……『いったいどれほど遡って、辻褄は合わせられる』のかのう?妾に、教えてたも?」
『綺羅の琥珀』の口元は吊り上がり、三日月のように裂けて見えた。
「あ……あああああ!」
「どうしたどうした、娘御よ。下らぬ人の世で、かように美しい銀髪銀眼を持ちながら、人目から隠れて生きねばならなんだ幼子に、妾は生きる希望を与えてやっただけではないか」
くすくすくすと、『綺羅の琥珀』は笑う。笑いながら、屋上にへたりこむ私の周りを、童が遊ぶ紙飾りのようにくるくる舞っている。
「あまりに男前すぎては嘘臭かろ?実に良い人選だったろう!?どこにでもいそうで、いない!出逢った時はどうよ?驚いたか?感動したか?運命でも、感じたか!?」
あはははは、あはははは!くるくる回りながら笑うから、まわり中から声がする。眩暈がしてきそうだ。
「日々の暮らしにちょっとした驚きを、悲しみを。バランスよう仕上げておいたぞ!はちみつパンはどうであった?妾、食べとらんでのう。甘くておいしいそうだのう!?いいのう、いいのう!」
「やめて!」
『綺羅の琥珀』が、まわりをどんどん高速で回るのが煩わしい。へたり込んだまま、両手を振り回すと、しゅるんと元の屋上の空に舞い戻った。
「……全部、全部そうなの?」
「おうとも。全部。ぜぇーんぶよ。お前に妾のような力は、まったく、なあーっし!よ!」
ない……無いの?
私に、『綺羅の琥珀』の力は。『見るべきものを視る』力は。何にも、ないの?
じゃあ、バジェは?
私を信じて、そこに飛び降りてしまった、バジェは――?
「特別な力に目覚めて、楽しかったかえ?虐げられる娘御が、ただ人にはない力を持つ。夢のようであったろう。優越感にひたれたであろう。妾から、祖を共にする娘御への『プレゼント』よ!」
んふふふふ!『綺羅の琥珀』が笑う。醜悪なのに、美しい。プレゼントだなんて、全然思っていない。ただただ、私を傷つけるためのもの。そんなに時間をかけて?……『見るべきものを視る』力の辻褄合わせが働いたから、『綺羅の琥珀』にはほんの数年の事?……だとしても。
たっぷり笑い終えた『綺羅の琥珀』はまた屋上から『下』を見た。
「のう娘御」
「……」
「娘御や。拗ねるな。可愛いお顔が台無しよ。……妾は高い高い『砂の塔』に長く暮らしておったから、とりわけ高さをなんとも思わんのじゃがの?お前達にはこの程度の段差が、よほど高く見えるらしい。……この程度で人は死ねんよ」
「――!」
顔を上げる。しかし、直後に、突き落とされた。
「死ねん。すぐには――のう?」
また、月夜に三日月が浮かぶ。
「苦しんで、苦しんで死ぬのよ。……さいぜんから、口がカフカフ動いておるのよ。鉢から飛び出た魚が、あのように苦しんでおったのを思い出す。あの魚は可哀想と思ったが、これは面白いのう」
私は四つん這いのようにして屋上の端に向かう。腰が抜けたようになって、力が入らない。
「妾への詫びの言葉かの。娘御への、愛のメッセージかの?……もっと大きく言わんと、聞こえんぞー?無駄な大声は、どうしたー?……んー?なになに?」
わざとらしく、身を乗り出すような姿勢を取っている。もう少し、もう少しで――
涙がにじむ。泣いている場合じゃない。バジェ、バジェ……!
「ああ残念!負けてしもうた!『エーラ』!『エーラ』であったぞ!あやつの『最期の言葉』は、『エーラ』であった!いやあ、負けた負けた!」
「バジェ!」
這いよって、身を乗り出す。直下――本来ならば、もう夜闇で何も確認できないところだけど、『綺羅の琥珀』の輝く光で、地面まではっきり見えた。
「バジェ、ゴメン―!……ん?」
何も、ない。
血の後すら、何も。
「健気よのう。……妾の一人芝居にすっかり騙されおって。あやつが飛び降りたのは、もっと右よ」
――右!?……瓦礫!?……瓦礫?瓦礫でできた稜線に従い、視線を動かす。魔獣がぶつかって削れたあの建物の瓦礫だ。二階に届くあたりの位置にまで崩れ落ちた瓦礫の山の上に、バジェが……いた!
口元が痛みで歪んでいるのが見える。……生きている!
「……まったくもって。腹立たしい男よの」
『綺羅の琥珀』が、口元を歪ませている。
「まあのう。それならそれでもよい。妾は心が広いからの。そして、油断ならぬ聡い女である。娘御、若く愚かなお前とは、違う」
「な……っ――!?」
「これほどの銀髪銀眼、妾の婆様達の代ですらなかったぞ?どのようにしてこの『銀』を残してきた?ぜひとも、この『先』に続いてほしかったのだが。妾も娘御も。それぞれ血脈の、『末』になってしもうたの?」
私の足腰に力が入ってなくて、屋上の縁にしがみついているから、『トン』ではなく『ズズズ……』と、『綺羅の琥珀』は、壁下を見下ろしていた私を突き落とした。
「あ……ああああ!ぐっ……なんで、私を……」
「おお……しがみついて留まるか。これは流石に、妾も驚いた」
本音っぽい一言だが、全然してやったり感がない。必死だ。せめて足にちゃんと力が入れば!
「どちらでもよかったのだ。娘御でも、バジェでも。どちらか一方が死ねばいい。遺す方も遺された方も、どちらにせよ苦しむ。……悪いのはバジェよ。バジェが死んでお前が遺れば、遺された者同士、労わりあって生きていけると妾は思うたのだ。愛する者を喪った者同士。……この気持ちは誰にもわからぬ。わかってもらえぬ」
本気で言っているのだろうか。気持ちはわかりあえるだろう。でも、バジェを殺した張本人と私が労わりあうなんて、私はそこまでお人よしではない!
「癪ではあるが――惜しくはあるが。お前を殺せば、バジェはきっと苦しむであろう」
それはそれは昏い笑みだった。
「バジェを遺すなら、これからは、あやつが死ぬまで、関わるものを殺してやる。すぐには殺さん。名を知り、言葉を交わし、酒を酌み交わし。それが女であれば、肌も交わそう。そうして、楽しゅうて楽しゅうて、あるいは、愛おしゅうて愛おしゅうて。たまらんようになった時に殺してやるのよ。……子を成した時に殺してやる方が、残酷かの?」
『綺羅の琥珀』が復讐計画を語っている。全部絵空事だ。
叶えさせてやるもんか。絵空事で終わらせてやるんだ。私は、必死に屋上の縁にしがみ続ける。
「お……落ちよ。娘御も、苦しかろうよ。さっさと落ちるのだ。打ち所が良ければ、苦しまずに死ねる」
『綺羅の琥珀』が私を押す手が震えている。
当然だ。人を殺すんだから。
魔物退治とはわけが違う。女剣士の私で、あんなに怖くて、できなかったのに。塔で暮らしていた『お姫様』に、できるわけない。
「……できもしない事を、しないで」
ぐっと睨む。しがみつき続けねばならないから力も籠っているし、迫力はすごいんじゃないだろうか。
「わ……妾はできるのだ。我が手で成すのだ!……バジェは汚らしいから触れとうもないが、娘御はおなごだから、妾も触れられる。妾が成すのだ」
達成感を得たい、というわけではないと、そう言うわけではなさそうだった。
「……『殺したようなものだ』で、妾は逃げぬ!『気づいた時には亡くなっていた』なんて、そんな間抜けな目にはもう遭わぬ!妾は、愛しいものも憎いものも!妾の手で!妾の方法で!殺すのだ!」
……『勇者様』が亡くなった時の事だろうか。愛する人を亡くして、色々なものを失って。その傷を癒す癒し方を、この人は――間違えたのだろうか。それは悲しい。
だったら、間違いは正さねばならない。
これは癒しにはならない。死んでは、あげられない。だってこの人の手は、震えている。命が喪われる事を、恐れている。
「私をもバジェも、殺す気なんか、ないくせに」
声を発すると、力が抜ける。
けど、『綺羅の琥珀』の細腕で押し負ける事はない。問題は、私の体重が、この屋上の縁に、いつまでバランスを持ち続けていられるかだ。しがみつき続けたところで、いずれは落ちる。足がまともに動いて、引っ掛けられれば。……弱い力でもじりじり押し落とそうとしてくる『綺羅の琥珀』が、たいした事ない割に、地味に邪魔。
「妾は殺す気である。お、お前は、今に落ちるのだ。バジェとは違うぞ。地面に真っ逆さまだ。すぐに死ねるかは、運次第であるが。死が約束されているのに痛みに耐えねばならんとなれば、殺してくれと叫び出すやもしれんの?」
「そうしたら、貴女が、助けてくれる」
「何故妾が」
「私に綺羅の琥珀の力が無いのなら!バジェを助けられたのは、どうして!?」
「――!」
元々、前後の流れに違和感があった。私が自分で『視て』いたと思っていた『見るべきものを視る』力がすべて『綺羅の琥珀』からのものであるのならば――不要な未来はいくつもあって、そこには大きな気まぐれがあったとしても。気まぐれですますには、『それ』はあまりに種類が違い過ぎた。
「椅子に縛られていたバジェを――死ぬかどうかはともかく、指は鬱血していて、本当にあぶなかった。バジェの指が駄目になっていたら、少しは気分が晴れたかもしれないのに。貴女は、私が助け出せる場所に、バジェがいる未来を『視て』くれた」
力同士の勝負に、打ち負けるも打ち勝つもなかった。であるならば、そういう事だ。
……違う?
「……ああそうよ。あの汚らしい男の指など、全て落ちてしまえばよかった。妾はかつて、王にあの指十本を所望した事がある。……王が下知した命令は、妾がもういないというのに、残っていたのだな」
「なのに、助けてくれた。命だけでなく、指すらも。私もバジェも、殺す気なんてなかった」
「ちがう!違う!妾はお前を助けていない!ましてやバジェなど、助ける気はなかった!妾は、妾はあの時――」
ぽたりと、月の雫のような涙が落ちた。
「妾はあの時ただ――『あの時の妾』を救いたかったのだ」
続きます。
※ 完結まで執筆済! エタりよう無し!あなたを一人、孤独にはしません!
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