12話 囚われの男~女役人からの詰問に抗う
……地響きが聞こえる。んなわけねえか。
そう思いながら、男は目を見開いた。濁った瞳が世界を映す。
とはいえ、世界は薄暗い闇だった。地下室か何かか。ただの公共施設だから、牢屋は無いだろう。とはいえ鍵ぐらいはかけてあるか。
そもそも身動きが取れない事に、男は苦笑した。よくある背もたれ付きの椅子に座らされ、丸ごと縛り上げられているようだ。拘束されるときに床に頭を打ちつけられ気絶したが、以降殴られたりけられたりはしていないようだった。意外だった。生ぬるい。
しかし、縛り方が悪すぎる。
これではお目当ての指まで腐り落ちてしまうだろうに。
まあ、兵士はどれもこれも荒事を得意とする手合いではなさそうだった。こんな無様になるのも当然だ。
そして男もそうだった。
男はただの商人だ。男こそ、こんな荒事に巻き込まれるいわれはない。軽い罪ならいくつも犯してきたが――
いや、違うな。一つはもう償おうったって、償いきれない。……一つと言って、いいのかどうか。
「上手くやってきたと思ったんだがなあ……」
どこで間違えたのか。間違いではないと思いたいが、この状況ではそう言い張るのは無理が過ぎる。
けれどきっかけの一つは間違いようもない。
銀の髪に銀の瞳。あれが男のすべてを狂わせた。
「……商人」
キィ……と、割に軽い扉の音が響く。男を捕らえた冷酷な女が入ってきたのだ。
「おっとお?一人でお越しとは、女だてらに剛毅だねえ?いいのか?男の部屋に女が一人で忍んで来るなんざ。悪い噂が立っちまわねえか?」
ああ、大丈夫。口は回る。男の心はいくらか落ち着いた。
目の前にいるのは銀の髪に銀の瞳ではない。ただの紫の髪に紫の瞳。――これはこれで、市井でそうそうお目にかかれるものでもないが。これなら怖くもなんともない。街では月の女神と褒めそやされそうな顔つきだが、比喩ですむ程度の程度の美人だ。
月の女神にはかなわない。男が狂う事もない。
「……くだらない軽口を」
女が眉をひそめる。不快感もあらわだ。
「おっとごめんよ。商人は口が回ってなんぼだからよ」
商人に重要とされるものはもっと色々あるはずだが、ないない尽くしの男では、それぐらいしか、自身を商人だと誇示できるものがなかった。
「まったく。お前はいつも面倒を起こすようですね。それも『綺羅の琥珀』に関してばかり」
「とっくに、時効扱いにでもしてくれているもんだと思ってたよ」
「上手く逃げおおせていたようですね。しかも、商人を続けているなんて、どんな面の皮をしていればそうなるのか」
どうやら、『綺羅の琥珀』に関しての紹介文諸々に目を通してくれたようだった。たいしたことは書いていないが、だとしても、書き過ぎた。
『綺羅の琥珀』に関する事ならば――それを証明しようと国が考えているのなら。その判断をつけるための『誰を』そこに配置するのか、当然に考えてしかるべきだった。適任は、ここしかいないではないか。
「俺のやった事は『余計な事』なんだよな?」
「ええ、そうです。余計な事をしてくれました。まさか本物の『綺羅の琥珀』を連れてくるとは」
「……へえ?アイツはそうなのか?……いい事を聞いたな?」
「おかしな事を。お前があの娘を連れて来たんでしょう。なら、あれは『綺羅の琥珀』のはずです」
「へえ?目利きの腕を買ってくれた、ってか?……買いかぶり過ぎなんだよ、どいつもこいつもよぉ!俺ぁただの商人だぜ!?」
男を男として正しく見ていたのは、銀の髪に銀の瞳だけだった。……いや違う。それそれでは男を下に見過ぎだった。ままならない。
「けどよ、俺を踏ん捕まえちゃあ、そちらさんに面倒な事になるんじゃないのか?」
「何がです」
女が眉をひそめた。
まさかこの女、気づいていないのか。勘弁してくれよと男は思った。
正直、男が本気で力を振るったところで、目の前の女一人殴り倒せるかも怪しい。どちらにせよこの会話の間、逃げ出せまいかと手元をごそごそしていたが、縄が解ける気配もない。こりゃ駄目だ。詰んだな。
もう後はこの女をつついてつついて、キレさせて。どちらに転ぶか見るしかない。
「お前らが動けば、国が、次代の『綺羅の琥珀』が見つかったのかと勘づくんじゃあねえか?」
「……!」
「馬鹿だよ。お前らは。本当に『綺羅の琥珀』だったとして、お前らは、それを見過ごすだけでよかったんだよ。『ありがとうございました、お帰り下さい』ってな?」
女は、明らかに動揺した。畳みかける。
「お前らは――『菫の監視』は!『綺羅の琥珀』に出てこられちゃあ困るんだろうが!」
「――なっ……どうして……ああ、そうですね。お前……お前は、知っているのでしょう。何もかも!」
そんなわけはない。
けれどそんな顔をしておいた方がいいと男は察している。とりあえず不敵に笑っておけばいい。
しかし、手が痛む。どんな縛り方の指示をしたんだと恨み言を言いたくなる。いや、目の前の女にそんな細かな指示はできないだろう。だとすれば、この街の兵士が悪いのか。人を力任せにとらえ監禁するなんてした事が無いのか。平和な街でようござんした。俺にとっては何も良くないが。
男は不敵な笑みを、あとどのぐらい続けていられるか不安になってきた。
ともかく、女が拙策を取ったのも、仕方のない事だろう。
男の名前は国の指名手配犯の中にあがっているかもしれない。だが、指名手配犯なんて、山のようにいる。特にこの数年、長年にわたりおんぶにだっこだった『綺羅の琥珀』を失い、王も若い王に変わったばかりの国は、恐慌状態で疑心暗鬼に満ちている。
もしかしたら、そのあたりの事情は、『菫の監視』であり国の役人でもある、目の前の女の方が詳しいのかもしれない。
やはり『菫の監視』でよかったようだ。
別に隠しているわけでもなさそうだが、あたりをつけていたとおりでよかった。変にひねりを加えた難問奇問なんて出されていたら、男にはお手上げだった。
ただ、男に固執する人間について絞っていけば、それは『綺羅の琥珀』絡みでしかありえない。
そうなれば、その関係者は限られてくる。まさか国のお偉方が、男ごときの為に乗り出してもこまい。
「さーて。どうするどうする、別嬪さんよ。月の女神の穏やかな顔には程遠いぜ?」
男のあおりに反して、苦悩していても女は美しかった。しかし、苦悩している事は事実だった。気を焦りすぎた。まさにその指摘はほぼ同時間、別の人間から指摘されている事だった。
男に加えて、次なる『綺羅の琥珀』になりうる存在。そんなものが一気にあらわれたら、何かの啓示とすら思えるかもしれない。人であれば仕方のない事とも言えた。これほどの好機はない。もっと現実的に考えるならば、『捕えなくては』『我が手に置かなくては』と。
……我が手に。
――男を捕らえよと言ったのは聞いている。なにせ目の前での事だった。しかし、もう一方。『綺羅の琥珀』について、何の指示も出していなかった。
指示を出す必要がなかったのは何故だ。
……『指示を出す必要が無い』とは?
男は、心臓が凍りつく気がした。
「……おい。お前。俺の『連れ』はどうした」
男が目を見開いた。濁った瞳が紫の瞳を射る。
「まさかお前――!」
「ワタシは!……ワタシは間違いを犯していません。そうです、お前程度の考え、ワタシが至らぬわけはないのです。ワタシはお前を捕らえた。国の逆賊を。それだけです。あの娘は放っておいた。そうです。大丈夫。国も気づきません。『綺羅の琥珀』など、現れていない。……ほら、大丈夫。何も問題ありません」
女は必死に、自分に言い聞かせるため言葉を重ねていた。
『綺羅の琥珀』の最有力候補、銀の髪に銀の眼を放置したのは、意図しての事ではない。結果的にそうなっただけだ。しかし何であれ、良い結果に運んでいる――少なくとも、女はそう理解している。
そして、良い結果に転んでいたのは、男にとってもだった。
男自身の状況は何も好転していないが、あの無邪気な笑顔を見せる銀の髪に銀の瞳が無事であったのならばそれでよかった。
……いや、それでいいわけがない。だったら自分も無事でありたい。
そう欲が湧くのは当然だった。男は今まで、欲のままに生きてきて、いくつも大きな失敗を犯してきた。それでも、欲のままに生きて来たから、ここまで生きてこれたのも事実だ。死ぬかもと思った回数は、片手の数では足りない。数日食事にありつけなかったぐらいで『もう駄目……私、死ぬんだ……』なんて泣き言を言うほど生易しい生き方などしてきていない。
「おい。俺を国に突き出して、それですむと思うか?俺はべらべら喋るぜー?」
「まさか、まともに法の場に立てるとでも思っているのですか」
法の下に人は等しく裁かれる――どうであろうと、国の役人ならば、建前ぐらいは守り切ってほしいものだ。男は女の『正直さ』に呆れた。まあ、そう理解している方が、話は持って行きやすい。
「……まともな方の場に立てないからこそだ。ただの役人や裁判官なら、俺の喋る事の意味なんざ、わかんねえだろうよ。けどな、俺を『裁こう』って奴なら――そいつには、俺の言葉は響くだろうぜ!?そいつにはわからなくとも、一つ二つ『上のお方』どもにゃあな!?」
男は、大きく息を吸い込んだ。口が自由で、よかったと思った。
「――『綺羅の琥珀』は目覚めてる、とな!」
「やめなさい!」
男の声をかき消すように、同時に発された女の声は、悲鳴に近かった。
「やめて……やめて。やめなさい。許しません……!」
男がどうにか緊縛を解いて、この女を手籠めにしているとでも兵士が勘違いして飛び込んできてくれればいい、と男は願ったが、そうはいかないようだった。
いくら国の役人からとはいえ、『尋問をする間、誰も近寄らないように』とか何とかのおかしな命令を受けて、馬鹿正直にそれを守る兵がいるのか。どれだけ平和ボケをしているんだ。そこまでこの国が平和だった事など、一度もないはずなのに。男はうなだれた。
……やはり、縛り方が悪い。
手の鬱血だけではない。目がちかちかしてきた。
兵士よ、さっさと飛び込んで来い。何なら俺がこの女『に』手籠めにされていると芝居でも打った方がいいのか?何でもいいからさっさと来いよ、税金泥棒めが。
――男は内心で悪態をつき続けていた。しかし、仕方のない事だった。
その頃、兵士も、町の人々も、空を見上げて口を開けているところだった。
そして、空を覆う影は一つ、二つと増えていた。
その影は建物の隙間を砂嵐よりも早く飛び抜けていく。脆い家などは、その風圧でばらけていった。それを黒い影は笑っていた。
大きな大きな影。炎のように、ぼろきれのように。
風に巻き上げられるように飛翔して、大地を舐めるように降下する。
一通り街を泳ぎ切ったその影から順に、その肉厚を確かなものにしていく。相変わらず揺らめいているが、それは確かに形を持っていった。
影の頭部に当たる箇所――とも限らなかった。獣のように二つの目を持つものもいれば雲のように八つの目を光らせるもの。あるいは翼の先に目を生み出すもの。様々だった。
――それらは等しく、銀の瞳であった。
そして裂けるように開かれた口から――獣のように、鳥のように。それぞれが思い思いに、歓喜の声をあげていた。
囚われの商人バジェと、国の女役人ヴィオ側の話でした。次回はエーラ側に戻ります。
※ 完結まで執筆済! エタりよう無し!あなたを一人、孤独にはしません!
毎日一話ずつ更新中。
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