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第9話:名を知るということ

「名前は?」

私は沈黙を破って尋ねた。


彼は驚いたように瞬きをした。

「え? 無気力って、何にも興味がないって意味じゃないの?」


私は少し言葉を探した。

「うまく説明できない……でも、あなたには興味があるの。誰かに対して、こんな感覚を抱いたのは初めて」


彼の顔が一気に赤くなった。

「えっ……な、何だって?」

言葉に詰まりながら続ける。

「僕に興味があるって? どういう意味で?」


「とても興味深い人だと思う」

私は小さく首を傾げて答えた。


「お、おう……」

彼は理由も分からぬまま視線を逸らし、急に恥ずかしそうになった。

「サンスラだ。僕の名前はサンスラ」


「珍しい名前ね、サンスラ」

私は微笑んだ。

「私はマンダネ」


「君の名前も珍しいよ!」

彼は少し落ち着きを取り戻して言った。


「ペルシャ語由来なの」


「どういう意味?」


「“喜び”とか“朗らかさ”から来てる」


彼は吹き出した。

「それって……矛盾してない?」


「どういう意味?」

私は冗談めかして目を細めた。


「君、全然朗らかじゃないじゃないか!」


私は彼の腕を軽く叩いた。

「痛っ!」

彼は笑い声を上げた。


「大げさよ! そんなに強く叩いてないでしょ!」


「じゃあ、同じくらい叩き返して確かめようか?」

彼は挑発的に笑った。


「やってみなさいよ」

私は口元を歪めた。


彼には、不思議な引力があった。

自然と惹かれ合っているような感覚。

会話はやがて途切れ、飛行機の揺れの中で、私たちは寄り添うように眠ってしまった。


着陸態勢に入った衝撃で、私たちは同時に目を覚ました。

互いの距離に気づき、慌てて体を離す。

視線を合わせられず、頬が熱くなった。


「ギ、ギリシャではどこに滞在するの?」

彼が咳払いしながら尋ねた。


「サロニカ。祖母の家よ。あなたは?」


「アテネ。でも来週、テッサロニキにも行く予定なんだ。だから……ギリシャ滞在中に会うことはないかな」


私は思わず微笑んだ。

「テッサロニキとサロニカは同じ場所よ、ばかね」


「そんなの分かるわけないだろ! 僕、ギリシャ人じゃないし!」


「それはあなたの問題よ」


「ギリシャ人じゃなくて悪かったね!」


「謝罪却下」


その時、母が微笑みながら私たちの横に立った。

「二人、連絡先を交換したら?」

「マンダネ、初めてのお友達ができて、母さん嬉しいわ」


「ママ!」

私は顔を赤くした。

「彼の前で言わないで! 恥ずかしい!」


「あら、ごめんなさい」

母は楽しそうに笑った。


結局、サンスラと私は連絡先を交換した。

立ち去る前、彼は優しく微笑んだ。


「来週、サロニカで会おう。マンダネ」


「……また来週」

私の声は、すでにいつもの無機質さに戻っていた。


彼が去った瞬間、先ほどまで感じていた生気は消え失せ、

慣れ親しんだ虚無が私の中を満たした。


その時、サンスラが同年代と思われる少女の元へ歩いていくのが見えた。

濃い肌の色、濃灰色の髪、コバルトブルーの瞳――

間違いない。ベネシャ姉さまだった。


一瞬、視線が交わる。

だが彼女はすぐに目を逸らし、サンスラと共に歩き去った。

二人の距離感は明らかに近かった。


違和感が胸に残った。

サンスラは彼女によく似ていた。

どうして?


兄妹なのだろうか。

でも、ベネシャ姉さまの両親は不妊だったはず。

サンスラは黒髪で、普通の瞳――ホムンクルスではない。


奇跡の子?

その考えが、妙に不安を掻き立てた。


両親と共に飛行機を降りようとした時、

視界の端に、麦色の肌、白く波打つ髪、黒みがかった青い瞳の少女が通り過ぎた。


――ハニヤ?


考えるより先に、私は両親の元を離れて追いかけた。


「マンダネ! マンダネ!」

両親の呼ぶ声が背後から聞こえる。


胸の奥に沈む不安。

彼女は、人混みに紛れて消えた。


その瞬間、ひとつの暗い考えが頭をよぎった。

――リリス?


あの不吉な気配。

もしかして、すでに私の前に現れているのではないか?


……いや、違う。

そう自分に言い聞かせながら、私は両親の元へ戻った。


だが、不安は消えなかった。

その日から、私の中で何かが静かに、確実に動き始めていた。

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