表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
惑星N-450からの飛来  作者: 海野原未来


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/1

東京都品川区のビルの屋上に突然舞い降りたUFO。中から出て来た異星人2人は地球の暮らしに溶けこみ宇宙船の修理を試みる。なぜ行き先が地球だったのか?そもそも2人の目的とは?

この作品はある日の夜の東京都品川区を舞台に始まります。はるか遠くマゼラン星雲からやって来た異星人二人が宇宙船の修理のために地球で暮らし始めるが...予想外、想定外の事だらけの銀河系コメディー。

【お知らせ】

この物語には続編があります。

現在、“帰還編”(第二作)を執筆中です。

(全三部作予定です。)

地球から帰る二人にはさらに思いがけないハプニングの連続!。

第一作をお楽しみいただけた方は、

ぜひ今後の更新も見守っていただけると嬉しいです。


ある夜の街


 十月X日。東京の空は真冬の冷気を重くためこんだまま、大きな青い夜のカーテンを下ろし始めた。

 空が暗さを深め始めると同時に、大小さまざまにひしめき建つ都会のビルは小さな窓に灯りをともし始める。


 時計の針が六時を示したその夜のこと。

 オフィスビルの灯は点々と消えてゆき、代わりにマッチ箱をひっくり返したように一面にひしめくアパートやマンション、一軒家の窓に小さな灯りが灯り始めていく。


 高速道路はネオンの帯を作り、列車は小さな四角い窓を光らせている。

夕刻から次々と帰途を急ぐ大勢の人を乗せて列車は街を流れていく。


 品川区西五反田駅から徒歩二分。大通りから一本入った細い道の先に、そのマンションがある。

 七階建て、チョコレート色のタイル張りの外観をした「Yヒルズ西五反田」だ。


 最上階の七階には二世帯分の部屋があり、一つは大家が住み、もう一つは賃貸に出していた。

 前の居住人は急な人事異動で引越したばかりで、現在は空室となっている。

 賃貸募集の記事には条件と地図、間取りだけが記されているが、七階の住人にだけ特別な秘密があった。


 ──七階から五段の階段を上り、鍵付きの扉を開けた先に広がる、広々とした屋上。

 そこは洗濯物や布団を干すのに最適で、七階の住人だけが自由に使える特別な空間だった。


 前の住人である二十代の会社員は、週末になると屋上いっぱいに洗濯物を干し、布団を並べた。

 夜には親しい友人を呼び、折り畳みのテーブルと椅子を運び込んで、星空に包まれながら語り合ったりもした。


 眼下に広がる光の絨毯のような東京の夜景を眺めつつ、つまみを食べ、ビールを飲む──そんな時間が彼らの楽しみだった。


 この物件で過ごした心地よい日々は、彼にとって品川区での良い思い出となり、訪れた友人たちにとっても、宝箱を開くように懐かしむ記憶となっている。


 大家は金に欲がない人物で、物件の条件に対して家賃は驚くほど安かった。

 家賃の安さに加え、間取りや内装も良く、さらに屋上を使える七階は居心地の良さから退去者が少ない。

 ゆえに七階が空室になること自体が珍しかった。


飛行物体


 時計の針が七時を示した頃、夜の空はさらに深い色へと染まり、小さな星々が宝石のように輝き始めていた。

 そのとき、東の空から、小さな光の玉のようなものがひっそりと飛来していた。しかし誰一人、その存在に気づく者はいなかった。

 光の玉は旅客機よりはるかに速く、風を切るように品川区上空へ迫ってくる。


 西五反田付近の上空に差しかかると、その光はふいに七つの光を下方へ放ち、それぞれが虹色に輝きながら隊列を組み、空を滑り降りてきた。

 空を見上げる者がいないのか、それとも遠すぎて光に気づかないのか──この異常に気づく者はやはり誰もいない。

 道には、ちらほらと足早に歩く人の姿がある。グレーのコートの男、赤いワンピースの女、黒いジャージでジョギングする若者など。


 大きな光は地上に近づくにつれ楕円形へと形を変え、小さな光は虹色に高速回転しながら、その楕円形の下で整列するように降下を続けた。

 やがて大きな光と小さな光は、左右に揺れる枯葉のようにジグザグの軌道を描きながらさらに下降する。

 淡く広がる光が辺りににじみ、小さな光は回転を保ったまま楕円形の内部へ吸い込まれていった。


 残された楕円形の物体だけが、音もなくゆっくりと着地を始める。

 そこは、品川区西五反田にある「Yヒルズ西五反田」の屋上だった。


不時着


 飛来してきたのは、マゼラン星雲領域の銀河系に属する惑星N-450からはるばる探検に来ていた宇宙船である。

 本来の目的地はサハラ砂漠だった。しかし途中で小さな隕石と衝突し、燃料タンクに亀裂が入ってしまい、不時着を余儀なくされたのだ。

 宇宙船には、異星人が二人乗っていた。


 先ほど下に放たれた七つの小さな光は、着地地点を探すための誘導船である。

 誘導船は地球の生物に気づかれぬよう、音を立てず比較的広い場所を探していたが、燃料切れにより、もはや方向を正しく保つことすら難しくなっていた。


 宇宙船は高度を下げ続け、すでに制御不能に近い状態だった。

 誘導船は辛うじてサーチを続け、まさに路上へ墜落する寸前に、降りられそうな四角いスペース──Yヒルズ西五反田の屋上──を発見したのである。


 白い煙を舞い上げながら、宇宙船はゆっくりと屋上に接近した。

 正確には、屋上から十センチほど浮いたままだった。強力な電磁波シールドを張っているため、宇宙船は磁石が反発するように浮遊状態を保っているのだ。

 このとき、地上の時計は七時十分を指していた。


 宇宙船はライトを消した。

 暗闇の中、かすかな月明かりだけが船体を照らしている。船体は楕円形で、平らな形状をしていた。

 機体全体は青みがかった銀色の金属で覆われ、細かいパズルのピースを組み合わせたような複雑なパネルが幾重にも組み込まれている。

 縦横に走る線、その周囲には無数の丸い鋲のようなものが規則正しく並んでいた。


 楕円形の一部には、四角い扉のようなパネルがあった。

 乗り込んできた異星人のうち、一人がその扉を開けようとしていた。


M教授


 星人AとBは、惑星N-450の大学に通う大学生だった。

 夏休みの課題の一つに「他惑星への探査旅行」があり、行き先は宇宙地図にダーツを投げて決める仕組みだった。

 矢が示したのは、マゼラン星雲領域から遥か彼方にある小さな惑星──地球である。

 だが二人は、地球についてほとんど知識を持っていなかった。マゼラン星雲領域の惑星なら大抵の情報は把握していたが、地球となるとまったくの未知だった。


 仕方がないので、担任のM教授に安全な着陸地を尋ねに行くことにした。

 M教授は筋金入りのベビースモーカーで、教授室はいつもモウモウとタバコの煙でで煙っていた。煙が濃いほど、その奥に教授がいる合図である。


 教授は大きな銀色の丸い灰皿に、山のように積み上がった吸い殻を積み上げ、その奥の背もたれの大きな椅子に座り、タバコをくゆらせながら何冊もの重厚な本を何冊も同時に読み進めていた。たまに難解な独り言を漏らす癖がある。


 「はたして知というものは、人を幸福に導くのか……。いや、知とはそもそも何をもたらすのか……」


 教授はいつも六冊ほどの本を並行して読んでいる。


 昼下がり、星人AとBは教授室を訪れ、煙の中で読書に没頭する教授に尋ねた。


 「地球の安全そうな着陸地はどこでしょうか?」


 教授は窓を開けて換気しながら、六冊の本をめくる手を止めず、目も上げずに答えた。


 「……なぜだね?」


 「夏休みの課題で地球に探査へ行くことになりまして、安全な着陸地を知りたいのです」

 星人Aが言った。


 教授はすぐには答えられなかった。何しろ彼の専攻は哲学であり、地理学や宇宙科学についてはほぼ無知である。

 しかし、知らないと正直に言うのも癪だった。そこで目の前の灰皿を見やり、うず高く積もったタバコの灰が砂丘のようになっているのを見て、ひらめいた。


 「着陸地か……。地球なら、広い砂漠が良いだろう」


 完全に出鱈目なので、生徒の顔を見る勇気もなく、教授は本から目を離さずに言った。


 星人AとBはさらに尋ねる。


 「ありがとうございます。その砂漠はなんという名前ですか?」


 教授はまた答えに窮した。

 目の前には六冊の本。

 ──ならば、本のページの右から順番に頭文字を繋げて砂漠の名前にしてしまおう。


 「S、A、H、A、R、A……という砂漠じゃ」


 「S、A、H、A、R、A……ですね」


 二人は忠実にノートに記し、丁寧に礼を言って教授室を後にした。


星人、サハラ砂漠を目指す


 星人AとBは、教授に教わった「S、A、H、A、R、A砂漠」の位置を知るため、図書室の資料を片っ端から漁った。

 ようやく銀河系大全全二十巻のうちの一冊に、極めて小さく描かれた地球の地図を見つけた。


 「海ばかりね」

 「砂漠は少なそうだ」


 しばらく地図を眺めていると、星人Bが指を差した。


 「ここ!S、A、H、A、R、Aって書いてある!」


 「教授は凄いわ……こんなに遠い星の知識まであるなんて」

 「この砂漠の砂は貴重な鉱物かもしれない。研究にぴったりだ」

 「ええ。教授に燃料の量も聞いておきましょう」

「S、A、H、A、R、A砂漠を知っている教授が一番だね」


 こうして二人は再び教授室を訪れた。

 煙がモクモクと立ちこめる中に進み、尋ねた。


 「すみません教授。S、A、H、A、R、A砂漠へ往復するには、燃料はどれくらい必要でしょうか?」


 教授はまた新しい六冊の本を読み始めたばかりで、生徒の質問はほとんど耳に入っていなかった。


 「うーむ……」


 分厚い書籍を高く積み上げたり、崩したり、砂丘のような灰の山を散らかしたりしながら、教授はうなる。


 星人AとBはしばらく待った。

 ──きっと地球まで遠いので、複雑な計算をしているのだろう。

 そう信じ、煙の向こうで返事を待った。


 だが教授は哲学者である。宇宙旅行の燃料がいくら必要かなど、さっぱり分からない。

 しかし、何も答えないわけにもいかない。変なプライドだけは高かった。


 そこで、手元に開いた六冊の本のページに書かれた数字を、右から順に読み上げることにした。


 「うむ……燃料は、4、10、6、3、5、19本分じゃ」


 「えっ……!」


 二人はノートに書き取りながら驚き、思わず聞き返す。


 「4、10、6、3、5、19本分ですか?……ほんとうに、41063519本も必要なんですか!?」


 気が遠くなる量である。

 夏休みの課題で往復する程度の宇宙旅行なら、どれほど遠くても二十本もあれば十分だ。

 41063519本──あまりの桁数に、二人は言葉を失い真っ青になった。


 星人Aはくらりと目眩を覚え、体がふらふらと揺れた。星人Bは立ちくらみを起こし、その場に座り込んでしまった。


 教授はタバコを吸い込み、青ざめた生徒たちに向かって煙を吐きながら言う。


 「うむ、4、10、6、3、5、19本じゃ。旅から得られるものは、人生において貴重な学びの宝となる。よい旅をするのだぞ」


 二人はまだ青ざめていたが、その言葉ををありがたい教訓として受け止めた。

 なんとか立ち上がり、ふらふらとよろめきながら礼を言って退出した。


燃料数


 星人AとBは、ノートに記した「41063519本」という途方もない燃料の数を見て、不安で胸がいっぱいになっていた。


 「……すごい数だね」

 「ええ。地球って、とても遠い星なのね」

 「マゼラン星雲とは全然違う感じだ」

 「途中に巨大なブラックホールがあって、ものすごく遠回りをするのかもしれないわ。だから燃料も大量に必要なのかも」

 「燃料の数は、あのS,A,H,A,R,A砂漠をご存じの教授が言ったんだから間違いないよ、きっと巨大なブラックホールを避けていくに違いない。」

 「そうね、間違いないわね。」


 二人は巨大なブラックホールを妄想し、勝手に納得しながら燃料庫へ向かった。


燃料庫


 大学の燃料庫は国有燃料も保管していたので、大量の燃料が蓄えられてある。

 星人AとBは受付に向かって、旅行証明書に行き先と目的、必要燃料数を書いて提出した。


 受付の者は紙面に目を通し、印鑑を押す前に思わず燃料の数に目を止めた。

 「ちょっと、これは合ってますか?燃料は41063519で間違いない?五桁か六桁間違えていませんか?」


 二人は自信を持って答えた。

 「間違いありません。41063519本必要だとM教授に教わりました。」


 受付の者は二人で行く旅行にしてはあまりにも多い燃料なので驚いたが、M教授が言うならば間違いないだろう、と信じることにした。

 印鑑を押し、燃料の使用を許可した。


 受付の者は用紙を渡しながら、二人に親切から一言告げた。

 「でも、これだけの燃料を乗せるならば、国立飛行センターにあるジャンボ宇宙船しか飛行は無理ですよ。」


 「えっ?!」

 二人はそれを聞いて腰が抜けそうになった。

 「ジャンボ飛行船、ですか?」


 国立飛行センターには、惑星国家レベルで使う特大の宇宙船しかない。

 大学生や一般の星人が使う宇宙船は小型で、大学内飛行場や民間飛行場に大小様々、いくらでもあった。

 それらに比べ、国立飛行センターにあるジャンボ飛行船は何倍も大きく、惑星間紛争の有事の際に登場させるくらい限られた使用しかしなかった。


 二人が驚くのを見て、受付の者は逆に驚いた。

 ジャンボ飛行船に乗るくらいだから二人の生徒はきっと国家レベルで特別に招かれた学生だと思っていたのだ。

 「今更驚かなくても。きっと国家レベルの特別任務でしょう。どうぞ素晴らしい旅を」


 帰り支度の最中だったらしく、そう言い残すと受付窓をピタリと閉めてしまった。


 二人は顔を見合わせた。


 「ジャンボ宇宙船だなんて……」

 「大きすぎて乗れる気がしないわ……」

 「僕も。でも課題だから行くしかない」

 「国立飛行センターで操縦方法を聞けば、意外と簡単かもしれないわよ」

 「大きいだけで、操作は単純ならいいね」

 「そうよ、きっと大丈夫」

 「うん……大丈夫かもしれない」


 二人は無理やり自分を納得させ、少し安堵した。


国立飛行センター


 翌朝、二人は国立飛行センターを訪れた。

 受付で宇宙船使用許可書を受け取り、必要事項──利用宇宙船の種類、行き先、目的、人数、燃料数──を記入して提出した。


 しばらくすると受付の者に呼ばれた。

 受付の者は用紙を読みながら、眉をひそめて確認した。


 「利用宇宙船は……ジャンボ宇宙船?」

 「はい」

 「もう一度聞くけど、本当に“ジャンボ宇宙船”で間違いない?」

 「……はい」


 二人はたじろぎながらも頷いた。


 「……燃料をたくさん積まないといけないので」


 受付の者はしげしげと二人を見た。滅多に飛行しないジャンボ宇宙船を、こんな若い二人が使用?

 おそらく、国家規模の極秘プロジェクトに違いない──と勝手に想像した。


 「行き先は地球の……S,A,H,A,R,A砂漠?」

 「はい」


 二十五年勤務してきた受付の者は首をかしげた。


 「そんな場所、聞いたことがないけどね...」


 二人は焦ったが、正直に答えるしかなかった。


 「夏休みの課題で、安全な着陸地はそこだと、H惑星大学のM教授に教わりました」


 受付の者は哲学好きで、M教授の本を何冊も読んだことがあった。


 「なるほど……かのM教授が言ったならば、間違いはないだろう。良い旅を」


 (国家から極秘任務を与えられ、M教授が若者を送り出す……きっとそうに違いない)

 受付の者は完全にそう思い込んだ。


 二人が安堵していると、また受付の者が再び口を開いた。


 「えーと……燃料は……」


 紙を二度見し、目を丸くする。


 「んっ? 君たち、この数字……五桁ぐらい間違ってないかね? “41063519”と書いてあるが」


 二人は顔を見合わせ、また焦った。


 「間違いありません。M教授から、41063519本必要だと教わりました」


 受付の者はそれを聞くと、妙に納得したように頷いた。


 「ああ、なるほど……M教授が言ったなら、問題ないだろう」


 二人は胸を撫で下ろした。


 確認が済むと受付の者は、宇宙船使用許可証に印鑑を押し、棚からマニュアル、エンジンキー二つ、飛行服、燃料タンクのキー二つを取り出して並べた。


 「ありがとうございます!」

 二人はワクワクしながら礼を述べた。いよいよ課題の宇宙飛行が始まるのだ。


教授に挨拶


 二人は宇宙への支度を整え、出発前にM教授の元へ挨拶に向かった。

 モクモクと煙が漂う教授室に声をかける。


 「教授、教えていただいたSAHARA砂漠に行って来ます!」

「燃料も教授のおっしゃった通り、しっかり用意しました!」


 教授は別の本を読みながら、昼下がりの睡魔に負けつつあった。

 煙の奥で、半分寝ながら答えた。


 「……うむ。燃料は……つまり……6,7,20,88,3,17じゃ……」


 「えっ!?」


 二人は青ざめた。先ほど聞いた数字と全く違う。


 教授は自分がまた出鱈目を口走ったことに気づき、あわててごまかした。


 「い、いや!なんでもない!君たちが言う燃料で合っておる!早く行きなさい!」


 二人は混乱しつつも、“教授が間違いないと言った”なら間違いないのだろうと自分を納得させ、まだ少し青ざめたまま教授室を後にした。


重たい燃料


 二人は燃料庫に着いた。

 そして目の前に積まれた大量の燃料を見て、深いため息をついた。


 「……これ全部、二人で積むのかな?」

 「他に誰もいないから、二人で積むしか……」

 「わかってるけど……量が凄すぎないかい」


 目の前には、テニスコート一面ほどの燃料がぎっしりと積まれていた。


 「とにかく課題だから……一週間くらいかけて運ぼう」

 「……うん」


 二人は重たい燃料を台車に乗せ始めた。

 三日目、二人は腰痛になった。

 四日目、腰に貼る湿布を買いに薬局へ走った。

 五日目、とうとう二人は病院へ行き、腰を診てもらうことになった。


医者


 医者はX線撮影と触診を終えると、怪訝そうに言った。


 「何かハードなトレーニングか、崖登りの罰ゲームでもしていたのかね?」


 二人は困惑しながら答えた。


 「燃料をたくさん積んでいました」


 医者はさらに尋ねた。


 「なんの燃料だね? かなり腰を痛めているが」


 星人Aは青ざめながら答えた。


 「夏休みの課題で、地球のSAHARA砂漠という場所に宇宙船で行くために、必要な燃料を積んでいました」


 医者は首をかしげた。


 「燃料?せいぜい10本もあればマゼラン星雲一帯を回れるだろう。その、地球とやらのSAHARAという場所は、そんなに遠いのかな? 一体どれほど積むんだね?」


 星人Bはノートを取り出しながら答えた。


 「41063519本必要だと、M教授から教わりました」


 「41063519本だって?」


 医者は思わず二人を交互に見た。

 てっきり言い間違いだと思ったが──医者の妻は最近、哲学カルチャー教室に通い始め、つい昨日、M教授はマゼラン星雲でも三本指に入る哲学者だと嬉しそうに話していた。


 (あの教授の生徒か……ならば間違いはないのだろう)


 医者は不思議と納得し、励ますように言った。


 「なるほど、M教授の教え子か。ならば間違いなさそうだ。だが、腰を痛めるほど燃料を積む患者を見るのは初めてだよ。とにかく腰を大事に。良い旅を」


 医者はカルテに「腰痛。原因:燃料41063519本」と丁寧に記載した。


 二人は痛み止めを受け取り、医者の励ましのおかげで少し気分が軽くなった。腰は相変わらず痛かった。


燃料を積む


 燃料庫に戻った二人は、湿布を貼り、痛み止めを飲みながら積み込みを続けた。

 だが六日目、やせたほうの星人Aがついに限界を迎え、腰痛で寝込んでしまった。


 それ以降は星人Bが一人で積み続け、全てを積み終えるまで七日かかった。


 八日目──不眠不休だった二人は、そのまま倉庫で丸二日眠り続けた。

 うなされながら寝言を言った。


 「……SAHARA……41063519……」


燃料の運搬


 二日間眠った二人は、なんとか目覚めたが腰痛を抱え、少し憂鬱になった。

 これから荷車に積んだ燃料を、今度はジャンボ宇宙船に積まなければならない。


 ジャンボ宇宙船は国立飛行センターにある。

 大学から国立飛行センターまでは車で30分。

 車には、小さなトランクしかないので、大型車をレンタルするしかなさそうだった。


 「どうやってこんなに大量の燃料を飛行船まで移動しよう?」

 「どうしよう?大型車をレンタルする?一番大きな大型車でも、これだけ沢山あると、とても載せきれない。何往復かしないと。」

 「何往復も?それより、またトラックまで燃料を全部積むのかな?」

 星人Aは腰をさすりながら青ざめてBに聞いた。


 「課題だから今更やめるわけにも、、、。」

 星人Bはすっかり諦めたように目を伏せて呟いた。


 課題は二人にとって、卒業論文をまとめるための大事な課題だった。

 さぼるわけにはいかない。

 課題は、就職にも大きく影響するのだった。


 「仕方がないか・・・。」

 星人Aの声は弱々しかった。

 「仕方がないわ。荷車にも載せられたんだから、もう一回頑張るだけよ。」

 星人Bは必死に励ましたが、心ではため息をついていた。

 SAHARA砂漠という地が憎らしくなって来た。

 地球という星も、ついでに憎らしく思えていた。


再び教授室に行く


 二人は、燃料の大量搬入に限界を感じ、レンタル車を借りる必要があると考えてM教授に許可を取りに向かった。教授が確実に研究室にいるのは昼下がりである。この日も昼下がりだった。


 モクモクと煙が満ちた教授室に入ると、二人は言った。


 「すみません、燃料を運ぶためにレンタル車が必要です。許可証を書いてください」


 教授の許可証がなければ支払いができない。レンタル車の料金は学生には高すぎた。


 この時、教授は七冊の哲学書を同時に読みながら、睡魔と格闘していた。


 「何を運ぶために?」

 「燃料です」


 教授は眠気を振り払いながら考えた。

 (たかが燃料を運ぶのに大きな車など必要なのか? 余計な経費を払いたくもない。そんな金があれば哲学書を買いたい。)


 「レンタル車に載せるほどの燃料じゃないだろう!」


 「えっ?!」


 二人は面食らった。


 「しかし、41063519本あるので……ジャンボ宇宙船まで運ぶにはレンタル車で何度も往復しないといけません!」


 二人は必死に訴えた。


 教授はようやく目が覚めてきた。

 ──そういえば、燃料を聞かれて適当に答えたような気もする。多すぎたかもしれない。


 「う、うむ……」


 教授は唸り声をあげて黙り込んだ。


 二人は痛む腰をさすりながら返事を待った。


 教授は考えた。

 今さら地球までの必要燃料を正確に計算するのも難しい。仕方ない、車を用意してしまえばいい。しかし支払いが...。


 教授はさらに考え──そして閃いた。


 「君たち、大型車ならば私が用意しよう」


 「本当ですか! ありがとうございます!」


 二人は感激で胸がいっぱいになった。教授が自ら車を手配してくれるなんて……なんて頼もしい教授なのだろう。


 教授は明日来るよう告げると、腕時計の通信ボタンを押し、自宅へ衛星電話をかけた。


 「隣のお宅から大型車を一台借りてほしい。二台あればなお助かるが。うむ、頼んだ」


 教授の妻はよくできた妻だった。電話を切ると、近所の星屑店に行き、マゼラン星雲特製の上等な星屑の詰め合わせを購入。隣家に“お礼”として持参し、大型車を貸してもらえないか頼みに行った。


 隣家は貨物運搬業を営んでおり、余っている大型車は数台あった。

 星屑の詰め合わせを受け取るとすっかり気を良くした。


 「では二台、喜んでお貸ししましょう」


 と快く答えた。


大型車


 翌日、教授は生徒が来るのを待っていた。七冊の本を読みふけっていると、昼下がりに二人が来た。


 「教授、大型車を貸していただけますか?」

 「もちろんだ。二台ある。君たちが一台ずつ乗れば、燃料も早く運べるだろう」


 教授は誇らしげに言った。


 「えっ! 二台も! 本当にありがとうございます!」


 二人はまたしても教授を尊敬した。

 なんて優しい教授なのだろう。腰痛のことまで思いやってくれている……二人は胸が熱くなった。


 教授から地図を受け取り、隣家へ向かった。


 「二台もあるなら、数回往復すれば終わるかもね」

 「腰は痛いけど、教授がここまでしてくれるのだから頑張らないと」

 「教授の思いに応えましょう!」


 二人は痛む腰をかばいつつも、元気が戻ってきた。


 二人は大型車二台に燃料を積み始めた。

 しかし一日目ですでに限界が来た。昼頃には、星人Aが薬局へ飛び込み、二人分の鎮痛剤と湿布を買った。


再び病院へ


 二日目、鎮痛剤の飲みすぎで二人とも胃痛に襲われ、再び病院へ行くことになった。

 診察室に入ると、前回と同じ医者がいた。


 「また君たちかね。今日はどうした?」


 「胃が痛いんです。空腹で鎮痛剤を飲んでしまって……」

 「私もです……」


 医者はX線と触診をした。


 「うむ……かなり荒れている。下手をすれば穴があいてマゼラン星雲大病院に入院寸前だ」


「えっ!」


 二人は震え上がった。


 「困ります! これから宇宙へ探査に行かないと!」


 医者は首をかしげた。


 「ああ、前にもそんなことを言っていたな。だが何故、二人して空腹で鎮痛剤を飲むんだ? 何かの罰ゲームかね?」


 二人は青ざめたまま答えた。


 「罰ゲームではありません。燃料を41063519本積まないといけないので……」

 「二台の大型車に二人で半分ずつ運んでるんです……」


 医者は土星色のもじゃもじゃの髭をさすりながら確認した。


 「41063519本? この間は腰を痛めて来たばかりだろう。まさか運搬のアルバイトでもしているのかね?」


 二人は必死で説明した。


 「この間は大学の燃料庫から荷車に運びました。七日かかりました。今度は荷車から大型車に移しています。まだ終わりません」


 「うーむ……」


 医者は唸った。

 (宇宙旅行に七日かける患者は見たことがあるが、宇宙船の燃料を七日もかけて積む患者は……前代未聞だ)


 「君たちは……とんでもなく壮大な宇宙探査に行くようだね。マゼラン星雲ギネスブックに挑戦できるのではないかな。胃薬を出すから、しっかり頑張って良い旅を」


 医者は大真面目だった。


 二人は地球のSAHARA砂漠に行くことが“壮大な宇宙探査”なのかわからなかったが、ひとまず安堵して病院を後にした。


再び燃料を積む


 胃薬を飲むと二人は少し胃の痛みが和らいだ。

二人はマゼランレストランに行き、銀河系土星ラーメンを食べた。

 銀河系土星ラーメンは栄養がつくと評判なので、二人は頑張ってたいらげた。


 満腹になった二人は残りの荷物を積み始めた。

 5日間かけて二人は大型車に燃料を積み終えた。


 6日目、二人はどっと疲れが出て、腰も悲鳴を上げたので、また病院に行った。


腰の骨、砕ける


 診察室に入ると、また同じ医者だった。


 「また来たのかね。今度はどうしたのかね?腰かね? 胃かね?」

 医者は二人分のカルテに目を走らせながら言った。


 「腰がひどく痛みます」

 「私もです……どうにも辛くて」

 「おやおや」


 医者は慌てて二人をX線に回し、触診した。そして険しい顔でX線写真を見つめた。


 「うーむ……君たち。これは……」

 医者は眉をひそめ、ため息をつきながら告げた。


 「腰の骨が砕けておる」


 「えっ?!」


 二人は声を合わせて青ざめた。


 「腰の骨が……砕けた? 本当ですか!? これから宇宙探査に行かないといけないんです。困ります、治してください!」

 星人Bが必死に訴え、Aもすがるように医者を見つめた。


 医者は真剣な顔で言い放った。


 「この間も言っていたな。君たち、ギネスブックに載りたいのか、体を大事にしたいのか、はっきり選びなさい!」


 どうやら医者は、二人が“マゼラン星雲ギネスブック”に挑戦していると本気で思い始めていたらしい。

 無謀な記録に挑んで体を壊す星人は、稀に存在するのだ。


 「いえ、ギネスブックなんて興味ありません。私たちはただ、大学の課題をこなしたいだけです」

 星人Aが泣きそうな声で言った。


 「そうです。私たちの課題は地球のSAHARA砂漠に行くことなんです。そのために41063519本の燃料が必要で……」

 星人Bも必死で続けた。


 医者はため息をついた。


 「仕方がない。燃料を41063519本も運べば、腰の骨が砕けても不思議ではない。……では、入院するかね?それとも応急処置でギブスをするかね?」


 二人は顔を見合わせた。


 「入院はできません」

「ではギブスしかないな。応急処置にすぎんが、宇宙探査から帰ったらきちんと治しなさい」

「わかりました、ギブスをお願いします」

「お願いします!」


黒いギブス


 二人は、マゼラン星雲の“真っ黒な土”を練って作った分厚い黒いギブスを腰にぐるりと巻かれ、病院を出た。

 まるで黒いふんどしのような、大きく重たいギブスだったが、見た目を気にする余裕などなかった。


 だが通りすぎる星人たちは、

 笑ったり、じろじろ見たり、笑いをこらえたり、気の毒そうな顔をしたりと反応はさまざまだった。


 当然のことである。本来なら入院して過ごすべき姿なのだ。


 しかし二人には、立ち止まる時間はなかった。

 みっともない外見だろうが、とにかく行かなければならない。

 ──地球の、見知らぬSAHARA砂漠へ。


 「とにかく行かないとね……SAHARA砂漠に」

 「そうだよ。宇宙船に乗ってしまえば、ギブスがどう見えようと関係ないからね」


 二人は互いを励ましながら、黒いギブスを巻いたまま未来の目的地に希望を抱こうとした。


再び国立飛行センター


二人は燃料を積んだ大型車で国立飛行センターまで向かった。燃料を運ぶのもこれが最後だと思うと幾らか気が楽だったが、二人ともギブスをはめていても腰は容赦なく痛かった。

 二人は車から降り、受付でジャンボ宇宙船に燃料を積みたいと言うと、受付の者は用紙を出して来た。

 必要事項に氏名、人数、燃料庫数41063519本、出発日時を書いた。

 受付の者は用紙に目を通すと「燃料は……41063519?」と驚いた顔で聞いて来た。

 長く受付をしているが、こんな量の燃料は初めてだった。いくら宇宙が広いとはいえ、どれだけ遠くへ行くのだろう?それに、二人揃ってギブスをしてるけど、どこかで事故でもおこしたのかしら。それはともかく、飛行センターでは燃料は係員が運搬する。この量を運ぶにはかなり人数が必要そうだ……」


 星人Aは答えた。「はい、間違いないです。」

 受付の者は何か思案顔をして「少しお待ちください」と言うと、奥に行き、何やら他の者と話し始めた。

 星人Bが言った。

 「いつも燃料を言うと驚かれてない?」

 星人Aが答えた。

 「うん……なんでだろう。地球までそんなに燃料かかるかなぁ」

 二人は初めての宇宙飛行でなんともわからなかった。

 「ギブスをしても腰が痛いよ。燃料積むのが大変だな」

 星人Aはそう言うと腰をさすった。

 「私もよ!頑張るしかないけどすごく痛い」

 星人Bも腰をさすりながら答えた。

 少しして、受付の者が戻って来た。

 お待たせしました。燃料はどちらですか?」

 「駐車場の大型車の中です」

 「では案内して下さい。裏口に係員がいますからそちらへ」


 二人は言われたように裏口に回る。

 裏口で用件を告げると、係員が奥に声をかけた。

 「運搬行くから集まってー」

 そして、次から次、と十人ほどの係員が出て来た。

 「どちらの車ですか?」

 「あの車とその横の2台です」

 歩きながら答える。すると、係員が言った。

 「出来るだけ早く運ぶので待っていて下さい」


 二人はびっくりした。まさか燃料を運んでくれるという事だろうか? 

 車に着くと、係員は皆で手慣れたように台車を出し、燃料を積み始めた。

 二人は何もせず、見てるだけで良かった。

 「親切だね。助かったな」

 星人Aがほっとしたように言った。

 「ほんとね、腰痛いから助かるわ」

 星人Bも言った。


 二人がしばらく待っていると、十人は2台の大型車から燃料を台車に乗せ終えた。

 「では、あとは飛行予定日までに積んでおきます」

 係員が額に汗をかきながら言った。

 二人はお礼を言って飛行センターを後にした。


SAHARA砂漠を妄想


 歩きながら二人はSAHARA砂漠について語り出した。

 「SAHARA砂漠はきっと凄い貴重な資源がある場所かもしれないんだ。」

 「SAHARA砂漠は教授が知っていたくらいだからきっと有名な場所に違いないよ。数々の研究が出来るかもしれない。」

 「SAHARA砂漠には他の惑星からも宇宙船が来てるかもしれない。着陸する場所は混み合ってないかな?」

 「教授が知っていたくらいだから、混み合っているかもしれない。着陸出来なかったら私達は上空で待つしかないわ。」

 「仕方がないね。上空から他の宇宙船の観察をしてレポートにするのも良いかな」

 「それは良い考えだわ。きっと混雑しているだろうから、着陸出来なかったら上空でレポートをまとめて引き返しましょうよ。」


 二人は地球のサハラ砂漠が如何に広陵としているかを知らない。

 二人は好き勝手にSAHARA砂漠に多くの宇宙船が着陸している様子を本気で妄想した。


ジャンボ宇宙船


 離陸の日が来た。二人だけで乗るには大きすぎるジャンボ宇宙船へと、勇んで二人は乗り込んだ。

 タラップで星人Aが太く巻かれたギブスが引っかかり悲鳴を上げ、それに驚いた星人Bはよろけてギブスの左側を思い切りぶつけ悲鳴を上げたが、なんとか二人とも操縦席に乗り込んだ。


 宇宙へと旅立つと、地球の方向へと飛行を始めた。ギブスが重く、腰は痛かったが初めての宇宙飛行に二人はワクワクした。


巨大なブラックホール


 地球までの距離は、思いのほか近かった。

 さすが最新式のジャンボ宇宙船である。計器に地球の座標をセットし、自動誘導モードにすれば、あとは地球が見えてくるのを待つだけでよかった。


 二人は、燃料の数から“巨大なブラックホールを迂回する長旅”を覚悟していた。

 宇宙食も三年分積み込み、長期航行の準備も万端だった。


 だが──

 いくら星々を眺め、仮眠をしながら進んでも、ブラックホールらしいものはまったく現れない。


 そしてついに眼前に地球が現れた。


 「もう地球が見えてきた……燃料、ほとんど減ってないね」

 「どうしてかしら。予想よりずっと近いわ」

「帰りのルートに巨大なブラックホールがあるのかもしれない」

「なるほど……だから燃料がたくさん必要なのね」


 二人は相変わらず巨大なブラックホールを妄想し、勝手に納得した。


隕石衝突


 地球に近づいた頃、黒い小型隕石が宇宙船に向かってくるのが見えた。

 二人は慌ててマニュアルを開き、「隕石対処」を探したが、操作は複雑すぎて理解できない。せいぜい二人ができるのは自動操縦くらいだった。


 やがて隕石は宇宙船の下部に衝突した。

 船体がグラリと揺れ、燃料タンク付近で嫌な音が響いた。


 二人はミニ点検船を出し、星人Aが外へ確認に向かった。


 燃料タンクには──

 ビシリ、と横一文字に大きな亀裂が入っていた。


 星人Aは青ざめて戻り、星人Bに状況を伝えた。


 「……どうしよう、大変なことになったわ」

 「SAHARA砂漠まで飛べない……」


 二人は必死で安全に降りられる場所を探した。

 宇宙船は、いつ爆発してもおかしくない状態だった。


不時着


 「……あの四角い場所が一番近い! 今すぐ降りないと爆発する!」

 「SAHARA砂漠は無理……まずはあそこに着陸しましょう。修理ができたら、またSAHARAを目指せばいいわ」


 二人は宇宙船を着陸体勢に切り替え、四角い場所へ慎重に降ろすことに集中した。


 「狭い場所だから、“緊急縮小モード”を最大にして!」

「わかった。船を限界まで縮小する」

「異星人に見つからないよう、緊急シールドも張ります!」


 二人を乗せたジャンボ宇宙船は、ぐっと機体を縮め、透明に近いシールドを展開した。

 肉眼では見えないほど小さくなった宇宙船は、品川区西五反田の上空へ降下していく。


 ──目指したのは、七階建てマンション

 Yヒルズ西五反田の屋上だった。


Yヒルズ西五反田屋上


 二人はついに屋上への着陸に成功した。

 操縦に疲れ切った星人Aは「少し眠りたい」と言い、星人Bは「外の世界を調査して来る」と言って一人で宇宙船を降りた。


街に行く


 街に出る前に、星人Bは保護色モードを発動した。

 これは異星生物の姿を瞬時に記憶して平均化し、そっくりの外見になれる機能である。


 マンション前には地球人がまばらに歩いていた。

 そのうちざっと20人を記録し、平均化した結果── 星人Bは"顔立ちが整った美人ですらりとした女性"の姿になった。


 星人Bは人々の後をつけて店に入り、貨幣の存在を知ると、小型の特殊レーザーで一瞬だけ照射し超能力でそれをコピーした。

 そして人気のない路地裏で一万円札をまとめて約300枚ほど生成した。


 続いて、しばらく過ごすならば保護色モードによる仮の服では怪しまれると思い、目に入ったブティックへ入った。


ブティック


 ウィンドウ越しに、煌びやかな婦人用フォーマルドレスがずらりと並んでいた。

 星人Bが入ったのは、普段着とは程遠い──むしろ結婚式か舞踏会にでも着ていくような高級ドレス専門店だった。


 星人Bは宇宙船の修理資材を集めるため、地球の工事現場で働くつもりだった。

 星人Bは地球の服装文化をほとんど理解していない。従って、このブティックが普段着とは違う事に何の疑問も抱かなかった。


 「地球人は色々な服を着ているらしい。毎日同じ姿では怪しまれるだろう」

 そう考えたBは、ウィンドウで最も目立っていた服に迷わず手を伸ばした。


 マゼラン星雲の星人は、特殊な色覚を持っている。

 その中で最も鮮明に見える色──それは“赤”。


 当然、星人Bが選んだのは真紅のフォーマルドレスだった。

 地球人から見れば非常に派手すぎるが、本人にはその自覚はない。


 星人Bは次々と赤いドレスを選ぶと六着、コピーした一万円札で購入した。

 そのうち一着を試着し、優雅な真紅のドレス姿のまま店を後にした。


 客が去ると、ブティックの店員は呆然と呟いた。


 「売上は上がったけど、真っ赤なドレスを六着まとめ買いするお客様なんて初めてよ……」


靴屋


 六着のドレスを入れた袋を片手に、星人Bは満足げだった。


 (毎日着替えれば完璧に地球人に溶け込めるに違いない。デザインが違うからバレないわ!)


 さらに仕事用に靴も必要だと考え、靴屋へ入る。

 保護色モードの靴はよく見れば輪郭がぼやけており、本物に見えなかったのだ。


 幸い、親切な店員がドレスに合いそうな靴を並べてくれた。

 星人Bは、また目につく靴を──つまり赤い靴を選び、自分と星人Aの分として4足購入した。


不動産


 次に、住まいを確保するため不動産店へ向かった。

 不動産のウィンドウの張り紙の一つに“Yヒルズ西五反田 七階 空室”の文字があった。

 まさに宇宙船が着陸した建物である。


賃貸契約


 受付の者は、今月のノルマが未達で退屈そうに外を眺めていた。

 そこへ、真っ赤なドレスを着た美しい女性が立ち止まり広告を見ている。


 (やたらと派手な人だけど...これは決まりそう)

 受付の者は期待に胸を躍らせた。


 星人Bが店のドアを開け、カウンターに来て言った。


 「外に貼ってある物件に住みたいのですが」


 受付の者は大いに喜んだ。


 「ええ、とても良い物件です。こちらが詳細です」


 一枚の紙をファイルから取り出し、赤いドレスの美女に手渡す。


 星人Bは内容を確認した。


 「7階ですね」

 「はい。最上階で、見晴らしも最高です」

「借ります。費用は持ってきました。できるだけ早く契約をしたいのです。お金はあります」


 内見も不要と言われ、受付の者はさらに喜んだ。

 ノルマが一気に埋まりそうである。

 現金も用意しているらしいし、派手なドレスを着ているし、どこかのお金持ちなのかしら...。


 すぐに契約書を取り出し、赤いドレスの女性の前に置いて重要事項説明を読み始めた。


Yヒルズ西五反田7階


 不動産から連絡を受けた大家は、七階の空室で新しい入居者を待っていた。

 やがて階段を上って現れたのは──全身真っ赤なフォーマルドレスの美女だった。


 大家は思わず目を見張ったが、家賃はしっかり支払われている。

 「きっとファッションモデルか何かだろう」

 そう勝手に納得し、部屋の鍵と屋上の鍵を渡した。


 「この階段の先が屋上ですからね」

 そう言って自室へ戻ろうとする大家の言葉を聞きながら星人Bは内心ヒヤヒヤした。

 扉を開かれれば、そこには小型化した宇宙船がある。


 しかし大家は気にも留めずに帰っていった。

 こうして星人AとBは七階の部屋で暮らせるようになった。

 まずは屋上の宇宙船を直さなければならない。


Yヒルズ西五反田界隈


 星人Bはまず近所の美容サロンに入った。

 保護色モードで作った髪型は、近くで見るとところどころ透けたりギザギザになって見えて不自然だったからだ。


 店内で目についたカツラ──真っ赤なカツラを二つ選び、会計を済ませると、

 店員は美女の美貌に見惚れながらカツラを器用に装着した。


 「とてもお似合いです」

 そう言いながら、店員は想像していた。

 (舞踏会にでも行くのだろうか…)


 こうして真っ赤な髪、真っ赤なドレス、真っ赤な靴で街を歩く星人Bは、通り過ぎる人々の視線を集めた。


 だが本人は、完璧に地球人に溶け込めているつもりである。

 ウィンドウに映る自分を見ても、赤しかはっきりと認識できない目ではどうみても「普通の地球人女性」にしか見えなかった。


宇宙船の修理準備


 星人Bにテレパシーで起こされた星人Aは目覚め、自分も体を星人Bを真似て保護色モードにし、二人はうりふたつの地球人姿になった。

 同じ顔では区別がつかないため、服装で見分けることにしたが、二人が買う服は相変わらず"赤” だった。


 賃貸契約は一人である。

 働きに行くために二人同時に部屋を出ては怪しまれるため、まずは星人Aだけが工事現場の職探しに出かけた。


工事現場


 面接会場に現れた全身真っ赤な美女を見て、面接官は固まった。

 赤い髪、赤いドレス、赤いヒール──どう見ても工事現場の肉体労働志望者には見えない。

 ひやかしだろうか?


 しかし話を聞くと、彼女は

 「金具や釘、色々な金属を扱える現場で働きたい」と熱心に語る。


 (借金でもあるのだろうか…?)

 面接官は勝手に同情し、採用した。

 もちろん「現場では作業服を着てくださいね」と念を押した。


 翌日から星人Aは現場仕事に出向き、金属を少しずつ集めて持ち帰った。

 星人達は重く大きな物質を縮小化させる特殊な照射ライトを指先に持っているので、大きな金属は縮小化して持ち帰っていた。


 だが現場仕事は重たい鉄筋などを運ぶ。

 早速、腰痛が悪化し、湿布と痛み止めを買うことになった。

 湿布を貼り、痛み止めを飲んだがギブスを出来ないので腰は激しく痛んだ。


 星人Aがバテると星人Bが働きに行く。

 二人は交互に湿布を貼り、痛み止めを飲みながらも、部品を屋上に並べていった。


 「うーん、腰痛がきついね……」

 「私も痛い。でももう少しで部品が集まりそうよ」

 「じゃああとちょっとの我慢だね」

 「うん、あと少し頑張りましょう」


 照射ライトで縮小した金属を並べると、

 屋上はすでに廃品置き場のようになっていた。


 今迄、Yヒルズ西五反田では色々な住民が七階を借りていたが、布団干しやバーベキューに使う住民はいても、宇宙船を直す住民は未だかつていない。

 ──金属片を山盛りに並べたのも、この星人二人だけだろう。勿論、宇宙船を着陸させたのも...。


修理完了


 二人は買い物に出るにも、通勤するにも、相変わらずやたらと注目を浴びた。

 じろじろ見られても沈黙でごまかしつつ、コツコツと宇宙船の修理を続け、 ようやく一週間ほどで修理を終えた。

 目指すはSAHARA砂漠──のはずだった。


 まずは現場の地球人に、さりげなく情報を聞いてみることにした。

 「旅行に行こうかな、なんて思うんですが、SAHARA砂漠って知ってます?」

 星人Aが作業の合間に問いかけると、地球人はあっさり答えた。


 「え?サハラ砂漠?ラクダしかいない砂丘だよ。観光ならハワイの方が楽しいよ」

 「サハラ砂漠って広いんですよね?」

 「広いどころじゃないよ。この日本が24個入るくらい広大だよ」


 "この日本"が24個?

 星人Aは“この日本”の意味がわからなかったが、なんとなく広そうなので、それ以上聞かないことにした。



 二人はすっかり地球人になりきって暮らしているつもりだった。だが相変わらず赤い色しかはっきりとは見えないため、服も生活用品も煙草も、すべて“赤いもの”を選んでいた。


 自販機でも、よく見える赤い缶を買う。

 それはコーラだった。


 「地球の飲み物って、やたら泡が出るね」

 「薄めないと飲めないわ」

 二人はコーラを沢山の水で薄めて飲んだり、一日置き、泡がなくなってから飲むようにした。

 「ほら、水を沢山入れたら飲みやすいわよ」

 星人Bは水で薄めたコーラを気に入った。

 「いや、一日置けば甘くなるようだよ」

 星人Aは一日置いて炭酸が抜けたコーラを気に入った。


 二人が何も知らないその頃、街では噂が広まっていた。

 “赤い服の美女” が頻繁に目撃される噂が広まると、ついに配信者が動画を撮り始めた。

 好奇心旺盛な若者は後をつけたり写真を撮ったりし始めた。


 AとBは二人同時には外出しないように警戒して暮らすことにした。


 「とてもじろじろ見られるけど、異星人だとばれてるのかな?後までつけてくるよ」


 不安になった星人Aが鏡台に置いた赤いカツラを眺めながら言った。


 「でもどう見ても地球人よ。大家さんもお店の人も怯えたり怪しむ様子はないわ」

 星人Bも首を傾げながら言った。


 二人は交互に鏡の前に立ってみた。

 だが、やはり、地球人にしか見えない。


 しかし、ある日、本屋で宇宙人の本を見た星人Bは顔面蒼白で帰宅した。

 本には、捕らえられた宇宙人、ミイラ、宇宙人の解剖写真──恐ろしい絵が並んでいた。


 星人Bはそのページを特殊な能力で床に再現して見せた。

 星人Aはぶるぶると震えながら叫んだ。

 「大変だ!絶対バレる前に逃げよう!宇宙船も直ったし、家賃を払って退去しよう!」


目的地変更


 「目指すはSAHARA砂漠。……でもあれ?課題の内容なら、もう十分学んだんじゃない?」

 星人Aが言うと、星人Bも、はっとした。


 「……あれ?SAHARA砂漠って、行く必要あったかしら?」

 「着陸できたし、この街だけで地球の文化は十分研究できたよね」


 二人は一晩話し合い、目的地の変更を決めた。

 ──SAHARA砂漠はやめよう、西五反田生活のレポートで十分だ。


 翌朝、星人Aは大家に連絡し、事情ができたと言って退去を伝えた。

 たった一週間の入居で退去するので、大家は慌てて部屋を訪ねた。


 そしてドアを開けた瞬間──大家は腰を抜かしそうになった。


 部屋中のスリッパ、カーテン、ケトル、テーブル、椅子、布団、鏡台、 タバコ、灰皿、缶ジュース、ライター、クッション、ナイトスタンド、婦人用コート……


 "何もかもが真っ赤だったのだ。"


 「……」

 大家はまじまじと星人Aを見つめた。

 長年大家をしているが、ここまで徹底した“赤い部屋”は初めてだ。


 しかし、家賃はきちんと払われ、部屋も綺麗に使っている。

 文句を言う理由はなかった。


 星人Aは丁寧に感謝を述べ、大家は微笑んで(やや引き攣った微笑みであったが)鍵を受け取った。


 こうして二人は、西五反田から静かに立ち去る準備を整えた。


宇宙船、帰還へ


 二人は部屋の物をすべて、一瞬で吸収して消去するライトで処理した。

 室内は入居時と同じ、まっさらで綺麗な空間に戻った。


 「さあ、自分の惑星に帰ろう」

「帰ったら腰を治さなくちゃ」


 深夜二時。

 屋上に瞬間移動した二人は、修理した宇宙船に乗り込んだ。

 発進モードのスイッチを押し、緊急サイレントモードを起動する。


 宇宙船は風を巻き込みながら静かに上昇した。

 発進の瞬間、月より明るい光が辺りを照らしたが、地球の住民は誰一人としてこれに気づくことはなかった。


 ちょうどその頃、7階の大家は寝ぼけてトイレに起きていた。

 窓の外が一瞬ピカッと眩しく光った気がしたが、何やら眩しげな夢だろうと思い、そのまま布団に戻ると爆睡した。


YouTube


 星人AとBが姿を消して十日程経過したある夜。

 家族の団欒中、大家がふと思い出して語り始めた。


 「しかし、あの7階の女性は不思議だったねぇ。

  真っ赤な髪に真っ赤な服、赤い靴、部屋の中も全部真っ赤でさ」


 息子は声を上げた。

 「お父さん!あの人、YouTubeでめっちゃバズってるよ!"赤い服の美女”って、何十万回も再生されてるよ」


 驚いた大家はYouTubeを開いた。

 検索するまでもなく、トレンド欄の一番上に

 「赤い服の美女」というタイトルの動画が表示されていた。あの美女と、見慣れた景色が見える。


 コメント欄に目をやると……


 「西五反田らしい!」

 「そこ住みたい!」

 「いや、もういないって」

 「ワンチャン近くにいるかも。引っ越したい」

 「俺も!」

 「俺も住みたい!」


 大家は思わず目を丸くした。


Yヒルズ西五反田


 翌日、大家の元に不動産から一本の連絡が入った。

 大家が不動産に向かうと、そこには七階への入居希望者、スーツ姿の会社員が目を輝かせて言った。


 「赤い服の美女が住んでいた部屋ですよね?

  ぜひ住ませてください!」


 これを皮切りに、7階は常に入居者が絶えることがなかった。

 むしろ他のフロアにまで入居希望者が押し寄せ、Yヒルズ西五反田は“人気物件”へと変貌した。


 大家は思わず呟いた。

 「赤い服の美女のおかげだなぁ...」


 だが、どうにも不思議だったのは、

 あれだけ目立つ外見をしていたのに、退去して以来、日本のどこでもあの赤い美女を誰も見かけていないという事だった。


 星人AとBは最後まで気づく事はなかった。

 ──自分たちの生態、"赤しかばかりよく見える特殊な色覚” のせいで、地球では「全身が真っ赤のド派手な美女」にしか見えていなかったとは...。


 こうして星人達は、"赤い服の美女”という謎めいた都市伝説を残した。

 そして、誰もその姿を見なくなったために、それはやがて東京の"赤い服の美女"という神話になっていくのだった。

 そんな事を知る由もなく、星人二人は静かに銀河の彼方へと帰っていった。


(了)




※本作の著作権は海野原未来に帰属します。

 無断転載・引用・AI学習素材としての利用を禁じます。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

続編(帰還編)も執筆中ですので、もし楽しんでいただけたら、ブクマや感想、★★★★★で応援してもらえたら大変励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ