五、歪んだ愛情
後宮内で動乱が起きていた頃、そのことを全く知らない蘭玲はいつものように、嬌に教えてもらったことを思い出しながら、刺繍の練習をしていた。
(義姉上・・・やっぱり私は向いてないみたい。玲莉を通して義姉上に渡してもらおうと思ったけど、この仕上がりではまだまだ義姉上に見せられないわね。それにしても、建明は何をしているのかしら・・・)
蝋燭を灯していても薄暗い冷離宮で一人、蘭玲は帰って来るかもわからない建明を待っていた。
冷離宮にいる今、蘭玲の唯一の話し相手は建明であったため、建明の帰りをひたすら待つしかなかった。
「誰?」
外から冷離宮に近づいてくる数人の男の声が蘭玲の耳に入ってきた。
「そこに下ろせ」
「いいのか?元は皇子だぞ。こんなに粗末に扱って」
「元皇子だろうが今はただの護衛に過ぎない。晨明殿下から殺されなかっただけでもまだましだ。行くぞ」
蘭玲は戸の隙間から覗き、男たちが立ち去るのを確認して、倒れている男に駆け寄った。
うつぶせになっている男をひっくり返すと蘭玲は驚いて、その男の名を呼びながら体をゆすった。
「建明!建明!」
蘭玲は建明の心臓の音を確認し、心音が聞こえたので、安堵した。
(気絶しているようね・・・とりあえず中に運ばないと)
蘭玲は建明の脇を抱え、引きずりながら冷離宮の中へ運んでいった。
「玲莉!」
建明は悪夢から冷めたように飛び起き、息を切らしていた。
顔に触れると汗が滴っており、自分が生きていることを確認できていた。
「建明、何があったの?」
建明は蘭玲を奇異な目で見ていた。
(私をあんな目で見るなんて・・・それに・・・)
蘭玲は玲莉の名を呼びながら飛び起きた建明を見て、心が張り裂けそうだった。
「蘭玲、なぜ私はここにいるのだ?」
「わからないわ。外から男の人たちの声が聞こえてきたから、そっと覗いていたの。そしたら、あなたを下ろして去って行ったわ」
建明は必死に記憶をたどっていた。
(黒風が陛下を殺そうとしていて・・・兄上が・・・玲莉を・・・)
「玲莉!」
建明は立ち上がり、玲莉のもとに向かおうとしたが、蘭玲から手を引っ張られ、止められた。
「建明、どういうこと?何があったの?玲莉が危険なの?」
蘭玲も玲莉のことが心配でたまらなかった。
建明は蘭玲の手を振り払った。
蘭玲を見る目は昔の穏やかな建明の面影は一切なかった。
「なぜ、お前なのだ・・・」
建明は握りこぶしを震わせながら、怒りを露わにしていた。
蘭玲の胸ぐらを両手でつかみ、激しく揺さぶっていた。
「私は玲莉と一緒になるはずだったんだ!なぜ、玲莉は私の手から離れて行ってしまったのだ。李義、劉翔宇、それに兄上まで・・・なぜ皆私の玲莉を奪おうとするのだ。あいつらが玲莉に近づかなければ、私は今、玲莉と幸せに過ごしていたはずだった。なぜ・・・」
建明は蘭玲の胸ぐらを掴んだ手に寄りかかり、声を出さずに泣いていた。
蘭玲は優しく建明を抱きしめた。
「建明、もうあなたのもとに玲莉は戻らないの。現実を見て。皇太子殿下たちのせいではないわ。あなたはあなた自身の手で玲莉から遠ざかる道を選んでしまったのでしょう。あなたは玲莉と結ばれる運命ではなかったのよ」
建明は蘭玲の胸ぐらから手を放した。
蘭玲の目に映る建明はもはや生きる屍のようだった。
「これを飲んで落ち着いて」
蘭玲は魂が抜けたように一点を見つめたままの建明に、無理やりある薬を飲ませた。
少し経つと建明の様子がおかしくなってきた。
「身体が熱い・・・」
建明が顔上げると、目に映ったのは微笑んでいる玲莉の姿だった。
「玲莉!私のもとに戻ってきてくれたのか。玲莉、すまなかった。今度は絶対に放さないから」
建明は今まで抑えていた全てを発散するかのように、玲莉の全てを味わっていた。
(これでいいのよ・・・一瞬でも建明に夢を見てもらえれば・・・)
建明は最後まで欲望を満たしている相手が蘭玲だとは気づかなかった。
「旦那様、今すぐ後宮へ来てください。李誠明が謀反を起こしています。その場に玲莉お嬢様もおられます」
「なんだと!」
紫睦の知らせで、王浩は後宮で何が起きているのか知った。そのまま紫睦を伴い、後宮へ向かおうとしていた。
「あなたどうしたの?そんなに慌てて」
思敏は慌てて走っている王浩の姿を見て、心配になり声をかけた。
「その・・・後宮で問題が起こってな。心配するな」
王浩は思敏に不安を抱かせないため、あえて李誠明の謀反については触れなかった。
「あなた、玲莉は大丈夫かしら?」
「安心しろ。玲莉には護衛がついているし、皇太子殿下もおられる。きっと守ってくださるよ」
思敏は王浩の言葉で安心して、笑顔で王浩を送り出した。
(李誠明の狙いは玲莉だ。急がねば)
王浩は最速で馬を飛ばし、後宮へ向かった。




