二十九、胸騒ぎ
紅玉宮での生活も慣れ、特に大きな出来事もなく、玲莉は穏やかに過ごしていた。
唯一気になることがあるとしたら、後宮内の玲莉に関する噂だ。
「皇太子殿下の許嫁の王玲莉は人前に顔が晒せないほど醜いらしいよ」
「私は顔に火傷を負っていて見せられないと聞いたけど」
玲莉の容姿は限られた人しか見ることができず、噂に尾ひれがつき、とんでもないことになっていた。
「でも、あの冷徹皇子を落とした女でしょう。顔が醜女なら、さぞかし心が美しい方なのでしょうね」
玲莉と春静が歩いているのを知っているのか知らぬのか、宮女たちはその話で盛り上がっていた。
「こんなに美して可愛いお嬢様になんてことを」
春静は言い返してやりたい気持ちでいっぱいだったが、余計にこじれてしまう恐れがあるため、耐えていた。
「春静、気にしないで。所詮、噂は噂よ。どうせ私の噂なんてすぐになくなるわよ」
玲莉自身は気にも留めていなかった。
玲莉は聖女伝を読み続けていたが、目新しい情報は何も書いていなかった。
(この聖女伝、肝心なことは書かれていないし、何のためにこの聖女伝があるのかいまいちつかめない。謎の空白のページもあるし。もしかして、この聖女伝で重要なのは内容ではなくて、この聖女伝自体に何か秘密があるのかしら)
「玲莉お嬢様、茶菓子を持ってきますね」
春静が部屋から出て、玲莉は難しい顔をして悩んでいた。すると、玲莉の目の前に人が降ってきた。
玲莉は思わず大声で叫びそうになったが、口を手で塞がれた。目の前にいたのは宦官の恰好をした見覚えのある人物だった。
玲莉はその人物の目を見て頷き、誰であるか気づいたことを示した。玲莉の口を塞いでいた手は離れた。
「冬陽さんですよね」
「突然の無礼をお許しください、玲莉お嬢様。蘭玲お嬢様から文を預かりましたので、お届けに参りました」
「姉上か・・・」
玲莉はもう一度大声を出しそうになり、冬陽に手で口を押さえられた。
「すいません。ありがとうございます。冬陽さん。本当に宦官として潜入していたのですね。よく後宮に入れましたね」
「後宮の中に入ることなど容易いです。もし、一緒にいるところを見られてもこの格好なら問題ありません。旦那様がとても心配しておられます。何か問題はありませんか?」
「はい、私は大丈夫です。それより、姉上のことが心配です。姉上は元気ですか?」
冬陽は微妙な表情をしながら、真実を言うべきかどうか悩んでいた。
「そうですね・・・蘭玲お嬢様は明るく快活な方です。正直、環境はよくありませんが、あれこれ工夫して頑張っておられます」
(冬陽さんの表情からして最悪な環境なのだろうな・・・でも、建明さんもいるなら・・・)
「姉上は建明さんと仲良くやっていますか?」
「まぁ・・・そうですね。悪くはないとは思いますが・・・」
冬陽は歯切れの悪い言い方をしていた。
「玲莉お嬢様は心配されるので、言いたくはなかったのですが、建明さんは冷離宮にあまり戻られていません」
「どういうことですか?」
冬陽の話によると、最初の数日は蘭玲と建明は共に過ごしていたが、その後は冷離宮に姿を見せることが少なくなったという。建明は晨明のところによく足を運んでいるそうだ。
「建明さんは皇太子殿下の従者ではなかったですか?皇太子殿下はなぜ何も言わないのですか?」
「申し訳ございません。玲莉お嬢様。私には皇太子殿下が何を考えているのかは理解できません。お嬢様にでしたら、皇太子殿下は話してくださるのではないのでしょうか?」
「それもそうですね。皇太子殿下は私以外には基本冷たい視線しか送らないし。何考えているかはわからないでしょうね」
(これは私が直接聞くしかないようね)
冬陽は三日後にまた来ますと言って、どこかに消えていった。
春静が不思議な顔をして周りを見渡しながら、部屋に入ってきた。
「春静、どうしたの?」
「いえ、人がいる気配がしたので・・・もしかして誰か来ましたか?」
玲莉は平常心を装いながら、否定した。
(何だろう・・・嫌な予感がする。今は春静がいるし、姉上の文は寝る前にでも見よう)
玲莉は春静にわからないよう素早く文を懐に隠した。




