六、冷徹な心を溶かした少女
李義は幼い時から年齢にそぐわない冷静さを持っていた。
何事も感情に支配されず、理性に基づき判断する。李義とってはそれが普通で、だからといって、感情がないわけではなかった。しかし、物事を合理的に判断し、行動しているため、周りからは心がないように見えていた。
「皇太子殿下がまた侍女を牢獄送りにしたそうよ。忠実に仕えていた侍女なのに可哀想だわ。あの皇子には人間の血が通っていないのかしら」
(またか。あの侍女は私に睡眠薬を盛って、あわよくば関係を持とうとしたのだ。当然の結果だ。なぜ、私が悪く言われるのか。まぁ、どうでもいい)
「父上、お呼びでしょうか」
李義は皇帝である父に呼び出されていた。
「義、お前も十七だ。そろそろ婚姻相手を見つけてもよい年齢だ。王丞相の娘の蘭玲のことは知っているだろう。今、年は十五でなかなか美しく、教養もある。お前の相手にと思っている。将来、皇帝になるお前をきっと支えてくれるだろう」
(どうせいずれ婚姻をしなければならない。子を成せばいいのだから、問題はないか。私が心を開ける相手なんているわけない)
李義は承諾した。
「お嬢様、お待ちください」
後宮内の庭では無邪気に駆け回っている少女とその少女を追いかけている侍女の姿があった。
案の定、その少女は石に躓き、こけてしまった。
李義はその様子を見ていた。
(どうせ泣いて同情を求めるのであろう。走り回っていた自分が悪いのに)
しかし、その少女の様子を見て、心を打たれた。少女は膝が血だらけになっているにも関わらず、笑っていた。
(あの小娘はなぜ笑っている?)
李義は初めて人に興味を持った。無意識にその少女のもとへ近づいていった。
気づいたら少女に手を差し伸べていた。
「なぜ君はそんなに笑っているのですか?痛くないのですか?なぜ泣かないのですか?」
少女は李義の手を取り、立ち上がった。
侍女は手を差し伸べたのが皇太子李義だと気づき、深々と謝っていた。
「だって、自分で勝手に躓いたから。痛いけど、これは春静の忠告を無視した罰ですよ」
「お嬢様、私は笑えませんよ。旦那様に叱られるのは私なのですから」
侍女の春静は困り果てながら、少女の血を拭っていた。
少女は春静に謝りながらも、笑っていた。
「お兄さん、ありがとう。お兄さん、優しいね」
(私が?優しい・・・?)
李義は初めて言われた言葉に動揺して、少女を見つめたまま、固まっていた。
遠くから少女の母親らしき人が少女の名前を呼んでいた。
少女の母親は李義に気づき、近づいてきた。
「皇太子殿下、私の娘がご迷惑をおかけしませんでしたか?」
「いいえ・・・」
(たしかこの夫人は王丞相の妻だったか。ということはこの娘は王丞相の娘なのか)
王夫人は娘の傷を見て、呆れながら、李義に挨拶をし、娘の手を引きながら帰っていった。
少女は後ろを振り返り、李義に向かって力強く手を振っていた。
思わず李義も手を振り返した。
(こんな気持ちは初めてだ。私はあの娘に心を奪われたのか。そんな馬鹿な。心がないと言われている私が)
李義はそれ以来、その少女に会うことはなかった。しかし、李義の心の中では少女の存在が大きくなっていた。
李義は玲莉から唇を離すと、玲莉を抱き寄せたまま、王浩にこう告げた。
「王丞相、私は玲莉と婚姻します。玲莉が十八になるまで待ちますので、他の男と婚姻させないでください。父上には私から言いますので」
先程のキスは何だったのかと思うほど、淡々と述べるので、皆圧倒されていた。
「皇太子殿下、殿下もご存じかと思いますが、玲莉は建明殿下の許嫁です。ですから、その・・・」
李義は基本的に人への興味もなかったため、従兄弟の建明の許嫁など気にも留めていなかった。
「そうか、建明の許嫁が玲莉でしたか。問題はありません。私は皇太子ですので、父上に言えば、建明との婚姻は解消されるはずです。それに皆、私と玲莉の口づけを見たでしょう。玲莉はもう私のものです。それとももう一度したほうがよいですか?」
そう言うとまた皆の前で玲莉にキスをしようとしたが、王浩に止められた。
「皇太子殿下、わかりました。ただ、私から陛下に申し上げることはできません。皇太子殿下からの口添えをお願いします」
王浩の言葉に李義はやっと玲莉を解放した。
(この人たぶん悪気はないとは思う。言ってることは間違っていないのだけど、確実に敵を作るタイプね。不器用な生き方をしているのだろうなこの人。ただ、玲莉のファーストキスを奪ったのは許せないけど)
「では、早速父上に報告してきますので、私はこれで失礼します。見送りは結構ですので」
李義は玲莉の耳元で囁いた。
「私からは離れられませんからね」
李義は満足げに従者と共に帰っていった。
李義が去った後、思わぬ展開に、玲莉は皆の視線を一気に浴びていた。
「父上、私はこれからどうなるのですか?」
王浩は困り果てた顔をしながら、
「玲莉、皇太子殿下に嫁ぐことになるだろう。建明殿下との婚姻は白紙になるだろうな。それより、なぜ皇太子殿下はお前を妻にすると言ったんだ。玲莉、まさか皇太子殿下と」
「父上、春静の話だと三年前に会っただけです。その時も特に特別なことはなかったと。そうですよね、母上」
「そうね。たしかあの時は、玲莉が膝を怪我したのよね。皇太子殿下とも親しげに話してる感じではなかったわね。いつも通り皇太子殿下は無表情でしたし。それよりもあの時は・・・」
思敏は何かを思い出し話そうとしたが、今は話すべき時ではないと思い、言葉を飲み込んだ。
王浩は玲莉と李義とのつながりを考えていたが、玲莉が李義に気に入られる要素が何も思いつかなかった。
玲莉は蘭玲に近づき、
「姉上はこれでよろしいのですか?皇太子殿下と婚姻できなくてよいのですか?」
蘭玲は玲莉を隣に座らせた。
「玲莉、こんなこと言ってはいけないとは思うけど、私は皇太子殿下と婚姻したいわけではないから別に構わないの。それよりも、あなたのことが心配よ。建明との婚姻を楽しみのしていたのに。まさか、こんなことになるなんて・・・」
相手は皇太子殿下だ。父王浩でさえ、異議を唱えることができない。
(前の世界でモテたこともない私が、まさかこんなことになるとはね。流れに身を任せるしかないのかな)
玲莉は蘭玲の肩に頭をのせ、深くため息をついていた。