三十、家族との別れ
逃げることもできないまま後宮入りの日が来てしまった。
玲莉は朝から憂鬱な気持ちのまま春静に髪を結ってもらっていた。
「玲莉お嬢様、気持ちはわかりますが、覚悟を決めたください。私もお嬢様についていきますので、安心してください」
「後宮で頼りになるのは春静だけよ。私を見捨てないでね」
「何があっても私だけはお嬢様の味方でいますよ」
玲莉は半泣きになりながら、春静に抱きついていた。春静は髪が結えないので離れてくださいと言いながらもうれしそうに笑っていた。
玲莉と春静がそんなやり取りをしている時、蘭玲と嬌が玲莉の部屋を訪ねてきた。
玲莉は二人を見るとすぐさま飛びついた。
「蘭玲姉上、嬌義姉上・・・もっと一緒にいたかったです」
「もう、玲莉、そんなこと言わないでよ。笑って送り出そうと思っていたのに・・・そんなこと言われると泣いてしまうじゃない・・・」
蘭玲と嬌は涙を流しながら、玲莉を抱きしめていた。
蘭玲は頭につけていた簪を取ると玲莉の手のひらに置いた。
「姉上、これは姉上が大事にしていた簪ではないですか?」
「玲莉、あなたにあげるわ。姉としてこんなものしかあげられなくてごめんね。まさか玲莉が後宮入りするなんて思ってもいなかったわ。まだ、十五なのに・・・」
蘭玲は玲莉の頭をなでながら、涙が止まらなかった。聖女という立場でなければ、のびのびと過ごし、後宮入りすることもなかっただろう。いや、玲莉が皇子たちの目に留まった時点でこの子はこういう運命だったのかもしれないと、蘭玲は玲莉の運命を嘆いていた。
嬌からは香袋を渡された。
「玲莉が眠れない時に焚いていた香の匂いよ。後宮の生活に慣れるまでは寝付けないこともあるだろうから、その時はこれを枕元に置いて寝るといいわ」
玲莉は二人にお礼を言いながら、笑顔を見せていた。その唇は震えており、無理して笑っているのが、蘭玲と嬌には伝わった。
部屋の外には勇毅と逸翰が待機していた。
玲莉は二人に気づき、勇毅に抱きついた。
「勇毅兄上・・・寂しいです」
勇毅は玲莉を抱きしめたまま、頭をなでていた。
「私だって寂しい。でも、安心しろ。私は父と共に後宮に行くことが多いから、その時に会いに行くよ。陛下からも許可はいただいた。玲莉の様子は私が皆に伝えるよ」
その様子を見ていた逸翰は不満そうな顔をしていた。
「兄上だけずるいです。玲莉に会うことができるなんて」
玲莉はくすっと笑いながら、今度は逸翰に抱きついた。
「逸翰兄上の科挙の合格を祈っています」
「ありがとう・・・玲莉」
しばらく抱きしめることができなくなる妹を力強く抱きしめていた。
「逸翰、玲莉が苦しがっているぞ」
王浩の言葉で玲莉を見ていると、苦しそうな表情をしていた。
「玲莉、大丈夫か?すまない、つい、力が入ってしまって」
「平気ですよ」
玲莉はそう言って逸翰に向かって笑ってみせた。
(こんなに早く王家を出るのなら、もっと一緒にいる時間を作ればよかった・・・)
逸翰は玲莉に笑い返しながら、過去の自分に後悔していた。
「玲莉、後宮から陛下の使いの者が来ている。行くぞ」
玲莉は兄、姉たちの方を向き、跪き、一礼した。
その姿に蘭玲と嬌は大粒の涙を流し、勇毅は涙が流れないよう、必死にこらえていた。
逸翰は真っすぐな瞳で玲莉を見つめていた。
門の前では玲莉が王浩、思敏に最後の挨拶をしていた。
思敏は黙ったまま、玲莉を抱きしめた。
「何もできない母でごめんね。もっとあなたの成長をそばで見守りたかった。後宮は大変なことばかりだと思うわ。何か困ったことがあったら、皇太子殿下に話すのよ。皇太子殿下はあなたのためにならきっと力になってくださるはずよ。あなたは決して一人ではないわ。母はいつでもあなたのことを想っているから」
思敏は玲莉の左手を手に取り、翡翠色の腕輪を渡した。
「母上・・・これは?」
「本当はあなたが婚姻するときに渡すつもりだったの。私の母の形見よ」
毎日手入れしていたのだろうか。祖母の形見とは思えないほど綺麗な腕輪だった。
「母上、ありがとうございます。大事にします」
玲莉は翡翠色の腕輪をうれしそうに王浩に見せた。
王浩は顔をくしゃくしゃにしながら微笑んでいた。
「玲莉、父にしっかり顔を見せてくれ」
そう言うと王浩は玲莉の両頬を優しく両手で包み込み、じっくり顔を見ていた。
玲莉の顔立ちは王家の中でも一番美しい顔立ちをしている。しかし、王浩から見た玲莉はまだまだあどけなさが残る子供にしか見えなかった。
そんな玲莉を後宮に見送ることしかできない自分を腹立たしく感じていた。
王浩は黙って抱きしめることしかできなかった。
「そういえば景天さんはどうしたのですか?」
「あぁ、今朝、誰かと約束があるとかで出て行った。玲莉が今日後宮に行くことは知っていたはずなんだが・・・」
玲莉は少し寂しい気持ちになった。
(景天さん、最後ぐらい会いたかったのにな・・・)
王浩は玲莉の髪、顔が見えないようにするため笠を被せた。
「春静、玲莉を頼むぞ」
「旦那様、奥様。おまかせください」
「王玲莉様」
玲莉は最後に満面の笑みで王家を後にした。
玲莉の名を呼びながら泣き叫ぶ思敏を王浩は優しく抱き寄せ、玲莉を乗せた馬車が去った後も時間が止まったように見続けていた。




