三、王家一族
ようやく体を動かせるようになった秀英は侍女の春静に王家を案内してもらった。
「玲莉お嬢様、本当に私のことも忘れたのですか?あんなに姉妹のように仲良かったのに」
どう頑張っても思い出せないため、苦笑いをしながら謝った。
「私の名は春静。年はお嬢様のニつ上です。お嬢様が十歳の頃から、お世話しております。今度は忘れないでくださいね」
秀英は物凄い速さで首を縦に振った。
春静は玲莉のことも教えてくれた。
玲莉は王家の末娘で皆から可愛がられながら育ち、末っ子らしい無邪気さと我儘も多少あったが、純粋で優しい子だったという。
「今のお嬢様はどこか落ち着いているというか冷静というか。急に大人になったような感覚です」
(そりゃそうでしょうね。中身は二十五歳ですからね)
さすが国の丞相ともなると立派な屋敷である。侍女や従者らしき人たちもあちこちで働いており、本物のお嬢様であることを理解した。
春静と庭を歩いていると、秀英に向かって一人の女性が近づいてきた。
(あの人は誰だろう。美人なんだけど、なんか性格きつそうな感じがする。いじめられるのか?)
その女性は秀英を見るや否や泣きながら抱きついた。
「よかった、玲莉。本当に心配したのよ」
秀英はこの女性が誰かわからず、目で春静に訴えた。
春静は秀英が何を訴えているのか悟り、説明してくれた。
「若奥様。玲莉お嬢様は記憶をなくしておりまして。おそらく、若奥様が誰かわかっていないかと」
女性は驚いた表情で、本当なのか、秀英に向かって尋ねていた。
秀英は申し訳なさそうな顔で頷いた。
女性は秀英をもう一度抱きしめ、大丈夫よ、きっと思い出すからと、子供をあやすかのように秀英の背中を軽く叩いていた。
女性の名は張嬌といい、長兄王勇毅の妻だという。年は二十。長兄とは二年前に結婚した。一歳の息子が一人いる。長兄は父の補佐役をしている。玲莉は義姉を慕っており、よく義姉の部屋に訪れては裁縫や化粧の仕方を教えてもらっていたそうだ。もちろん、全く記憶にない。
「記憶がなくなっても、あなたの義姉であることは変わらないわ。いつでも私の部屋に来ていいからね」
秀英はうれしそうに笑った。嬌は秀英の笑顔を見て、少し安心したようだった。
「記憶がなくなっても、あなたのその笑顔は変わっていないわ」
嬌は秀英の頭をなで、微笑みながら去っていった。
(最初は怖そうな人かと思ったけど、ものすごくいい人だった。私が一人っ子だったことは覚えている。蘭玲の時も思ったけど、姉がいるってうれしいな)
秀英は玲莉として生きていけそうな気がした。
春静の話では今夜は父浩、長兄勇毅、次兄逸翰がこの家に勢ぞろいするらしい。その時に玲莉の記憶のことも話されるだろうと。
「若旦那様も逸翰様も玲莉お嬢様にとても優しい方々です。私から見ると甘すぎるぐらいですよ」
(王家の玲莉は本当に愛されて育ったんだね。とてつもない我儘娘にならなくてよかったよ)
その夜、王家では家族皆一つの部屋に集まり、玲莉の回復を喜んでいた。
「本当に私たちのことを忘れてしまったのか。私は勇毅だ。年は二十一。この家の長男だ。妻の嬌と息子の堅だ。小さい頃、玲莉はよく勇毅兄上と婚姻すると言っていたぐらい私のことが好きだったんだぞ」
(玲莉はそんな子だったの)
秀英は自分が言ったわけではないのに恥ずかしくなり、顔を真っ赤にしていた。
「兄上だけではありませんよ。むしろ、私の方がよく言われていましたよ。玲莉、私は次男の逸翰だ。年は十八。蘭玲とは双子で蘭玲が姉で私が弟だ。顔が同じだろう。私は科挙への合格を目指して学舎で学んでいる。だから、なかなか家に帰れないんだよ。ここを出るときも玲莉が離さなくてね。逸翰兄上と一緒に行くって。心を引き裂く思いで、玲莉の手を離したのを今でも覚えているよ」
(蘭玲と逸翰がそくっりだと思ったら、双子だったのね。しかし、過去の玲莉は私ではないのに、私がやっていたような気持ちになって、公開処刑させているみたい。恥ずかしくて死にそう)
父の浩は兄妹で笑っている様子を見て、悲しそうな顔をしていた。
「父上、どうしたのですか?そんな悲しい顔して。珍しいですね」
いつも鬼面のような顔をしている浩だが、この時は優しい父親の顔をしていた。
「もうすぐ蘭玲は後宮入りするし、玲莉も建明殿下に嫁いでしまう。喜ばしいことだが、やはり可愛い娘たちがこの家を出ていくのは寂しいな」
その言葉に母の思敏はくすっと笑っていた。
「あなた、もうそろそろ子離れしないといけませんね」
「父上、兄上と私がいますから」
「そうだ、父上。寂しくなったら逸翰に女装させてはいかがでしょう。蘭玲と顔が一緒ですから問題ないかと」
「たしかに、いい案かもな」
「父上、それは勘弁です」
しんみりしていた空気が一気に明るくなった。
玲莉は一人部屋の外で星を眺めていた。
(いつの時代も星は変わらないな。前の世界で私に関わった人や私が何をしていたのかは覚えていないのに、自然や人としての当たり前の知識はちゃんと覚えている。前の世界で私はどんな生活をしていたのかな・・・)
後ろから玲莉の名を呼ぶ声がした。隣に座ったのは兄の逸翰だった。
「玲莉も寂しいのか?」
秀英は逸翰の顔を見ながら考えたが、よくわからなかった。そもそもこの時代の記憶も前の世界の記憶もほとんどない。
「記憶がないから正直わからないです。でも、私がこの家で大切に育てられていたことは理解できました。幸せな時間を過ごしていたのだということも。もっと多くの時間、兄上や姉上たちと一緒にいたいと思いました。この家を離れたくないんだなと心の奥底では思っているようです。不思議ですね。兄妹としての記憶はないのに、もうすでに私にとっては兄上と姉上は大事な家族になっています」
逸翰は玲莉の頭をぐしゃぐしゃになでながら、笑っていた。
「私も寂しいな。いつも笑顔で迎えてくれる玲莉がいなくなると考えると寂しくなるな。まだ三年あるから、それまでは存分に甘えさせてやるぞ」
秀英はお礼を言いながら、逸翰に抱きついた。
(私はもう秀英ではないのだ。これからは玲莉として生きていこう。もしかしたら、記憶が戻るかもしれない。この世界で悔いなく生きていこう)
秀英は玲莉として生きていくことを決意した。この時、秀英は知らなかった。玲莉はこの国にとってただ唯一の特別な存在であることを。