九、楚の皇太子妃
蘇宣は入ってきた男を見るなり、すぐに供手し、跪いた。その手は震えていた。
「劉昇豪将軍・・・?なぜ、ここに」
蘇宣が跪いたので、段燕と崔濬は男が何者なのかわからなかったが、同じように跪いていた。
劉昇豪は楚の皇帝劉正の長子であり、楚の国では皇帝、皇太子に次ぐ地位を持っていた。
(劉・・・昇豪?もしかしてこの人、翔宇のお兄さん?)
玲莉はじっと劉昇豪を観察していた。
視線を感じた劉昇豪は周りを見渡すと、玲莉が目に留まった。
(この娘が王玲莉か・・・たしかにこの私でもつい目を奪われてしまうほどの美しさだ。翔宇が言った言葉の意味がようやく理解できた)
劉昇豪は弟の劉翔宇がずっと婚姻話を避けていた理由が、この娘に出会うためだったのかと納得していた。
「お前が蘇宣だな。何をしている」
劉昇豪は男を引きずりながらこの家に向かっている時に黄飛と合流し、蘇宣という名の男が、この村で問題を起こしていることを事前に聞いていた。
(まずい・・・娘に手を出そうとしていたが知られたら、殺される)
「劉将軍、私はこの家の者を助けようと思っていたのです。この娘は美しい容姿でありながら、こんな貧しい家に住んでいるのが、不憫で・・・それで私の妾に迎えて、助けようとしていたところなのです」
「違います。この男は玲莉を襲おうとしていました」
段燕の発言に蘇宣は、すかさず段燕の頬を叩いた。
「劉将軍、この老婆の話などに耳を傾けないでください。私は本当に助けようとしていたのです」
「では、これは何だ」
劉昇豪は翡翠の腕輪を蘇宣に見せつけ、隣にいた黄飛が翡翠の腕輪を持っていた男を投げ飛ばした。
蘇宣の目の前に倒れている男は、辛うじて息をしている程度だった。
「私は・・・私は何も知りません」
蘇宣は震えながらも、否定していた。
「お前はその娘が誰だかわかっているのか?」
「はい、劉将軍。この娘はこの老婆の孫娘ですよ。劉将軍が気にかけるような娘ではありません・・・もしかして、劉将軍もこの娘を気に入りましたか?劉将軍にお譲りいたしますよ」
「ふざけるな!」
劉昇豪は蘇宣の腹を蹴り飛ばした。
蘇宣は腹を押さえながら、うずくまっていた。
(一体・・・この小娘は何者なのだ・・・)
劉昇豪は玲莉の目の前に来ると、供手をし、跪きながら、頭を下げた。
「遅れて申し訳ございません。皇太子妃」
黄飛と劉昇豪の部下の者たちも劉昇豪と同じように、玲莉に対し敬意を表していた。
「皇・・・皇太子妃!?」
蘇宣は事の重大さをようやく理解した。
段燕と崔濬は玲莉を見ながら、唖然としていた。
(私って・・・もう皇太子妃なの?えっ?)
この中で一番驚いていたのは玲莉だった。
「名乗るのが遅くなり申し訳ございません。私は劉昇豪。皇太子劉翔宇の兄です。皇太子殿下から皇太子妃が行方不明になったと聞き、捜しておりました。お怪我はありませんか」
「大丈夫です。ありがとうございます。助かりました。劉将軍が来て下さらなければ、この男の餌食になるところでした」
蘇宣は玲莉に対し、床に何度も頭をぶつけながら、謝罪していた。
「劉将軍、この男は税の免除を脅しにして、多くの女の人を傷つけてきたはずです」
「黄飛!蘇宣の首をはねて、村の入口に吊るしておけ!」
「御意!」
「どうか命だけは!劉将軍!」
蘇宣は劉昇豪の部下に引きずられていった。
「玲莉!」
「翔宇!」
翔宇は玲莉を見るなり、力強く抱きしめた。
「翔宇、苦しい・・・」
「我慢しろ。どれだけ心配したと思っている」
「ごめんなさい」
劉昇豪は二人の様子を見て、微笑んでいた。
「翔宇、この二人が私を助けてくれたの」
段燕と崔濬は一生に一度会うかどうかわからない皇太子を目の前に、跪いたまま顔を上げられずにいた。
「おばあさん、崔濬さん。顔を上げてください」
「私たちのような者が皇太子殿下の目に入るなど恐れ多いです」
劉翔宇と玲莉は見つめ合い、笑っていた。
「お二人は玲莉の命の恩人です。そのようなことは言わないでください」
劉翔宇と玲莉は段燕と崔濬の手を取り、立ち上がらせた。
「玲・・・皇太子妃。なぜ皇太子妃だということを教えて下さらなかったのですか?」
(そう言われても・・・私も知らなかったのよ。いつの間にか皇太子妃になっていたなんて言えない・・・)
「夫人、玲莉には身分を隠すよう私が言っていたのです。皇太子妃という身分はいつ狙われるかわかりませんので」
玲莉は劉翔宇の咄嗟の嘘にウインクをして、感謝を伝えた。
「お二人の事は父上にも伝えます。きっと褒美をくださるでしょう。私の愛妃を助けてくださったのですから」
段燕と崔濬は再び跪き、感謝を述べた。
劉翔宇はいたずらっ子のような顔をしながら、玲莉を抱き上げた。
「ちょっと、翔宇。自分で歩けるから」
「またいなくなっても困るから、馬車に着くまでは下ろさない」
「恥ずかしいから、ちょっと、翔宇!」
玲莉の抵抗も虚しく、劉翔宇にお姫様抱っこをされたまま馬車まで連れて行かれた。
(翔宇があんな表情をするなんて・・・魏に送り出したのは間違っていなかったな)
劉昇豪は劉翔宇と玲莉のやり取りを優しく見守っていた。




