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第4話「新しい道へ」



 雪藤美子が倒れてから十日ほど経ってからのこと。彼女の退院日。

 その日、フルライブの会議室にて社長、フルライバー、運営スタッフが揃った会議を開いていた。

 現在、八合義智(役職:フルライブ社長)、橋渡凛(V:魔女屋オルエン)、時野梓紗(V:青空みちる)を中心に会議が進行しているところである。


「そうか。今日で雪藤さんは退院か。いやーよかったよかった」

「本人は配信したがると思うけどどうする?」

「一週間か二週間は配信禁止の休暇だね。手当も出せるはずだよ」

「ここで配信なんかしたら社長が鬼畜だ~ってリスナーに怒られちゃうよねえ」

「やめてよぉ~みちるさーん……っ!」


 八合の確認に凛が答え、対応にからかいの茶々を入れるのがみちること時野梓紗だ。それにお決まりの情けない声を出すのは八合である。


 この三人が中心となる会議ではだいたいこういった様子である。八合と凛がメインで討論を交わし、細かい補足やツッコミをみちるが行うという流れになりやすい。


「んんっ……それで今後の計画と報告なんだけど、まず、第1期生のメンバー選考が進んでね、次は面接なんだ。この面接官に梓紗さんも参加してほしい。どう?」

「え? わ、私ですか? 凛さんではなく?」

「おーいいね。たしかにコラボが多くなるんだから、フルライバーとのコミュニケーションは見てみたいというやつか。みちるなら申し分ない」

「でしょでしょ? さすが凛さん、わかってらっしゃる」

「ちょ、本人がわかってないんですがっ」


 八合と凛が二人して意外だ、という顔を浮かべる。


「どうしてって、細かいところに気付くし、見逃しがちなことを真っ先に指摘してくれるじゃないか。僕としてははそういうところが頼りにしてるんだよ。面接なんか特にそう」

「わかる。原点にして頂点はやっぱり違うよな」

「待って。また何か変な称号をつけたくなってない?」

「清楚クイーンのことか? いやあれを超える称号はなかなか――」

「やめてよぉー!? あれって凛さんのせいでもあるんだよ!? 配信で私のことを美化して話してるせいなんだからね!!」


 恥ずかしがる梓紗に、凛と八合はしみじみとした態度でこう返す。


「真実を言っただけだから私は悪くない。ハッハッハ」

「いやあ、個性って生えてるもんだよねー。清楚クイーン、哲学の魔女、エロゲーマスター。僕もすごく実感してるよー」


 そんな二人に、梓紗はげんなりとも困惑ともいえる表情で呟く。


「……アイドルVチューバーってなんだっけ?」

「そりゃあアイドルはアイドルさ。令和のアイドルはそういうのが求められてるんだろ」


 梓紗の疑問に凛は迷うことなく答えた。


「まあ、そういうことでよろしく頼むよ。それと0期生の追加だ。スカウトをかけていた子がようやく了承してくれたんだ。歌が得意だからオリジナル曲をいくつか用意してからデビューさせる予定なので、1期生と同じくらいか少し前にデビューになる」

「「「おおっ!」」」


 八合からの朗報に二人はもちろんスタッフも含めた全員が拍手する。


「八合、ちなみに名前は決まってるのかい?」

「名前はそのまま使う。彗星ルカさんだよ、個人勢のね。アバターは微調整の予定さ」

「ああ、あの人か。なるほどね」


 梓紗が凛の発言で彼女に尊敬の目を向ける。


「知ってるんだ、凛さん」

「個人勢はどんな感じなのかなーと気になってた時に少し見かけた程度さ。雑談を覗いただけだから歌がうまいとかは知らなかったな」


 梓紗は彼女の発言で『やっぱり研究とかに余念がないんだなあ』と思った。彼女にとって凛はよき同僚、同期である。そして同時に格上の尊敬できる相手でもあった。


 ちなみに凛としては『彗星ルカ』というのは、前世の記憶で名前だけ知っている有名なVチューバーという存在だ。前世でも彼女はフルライバーの0期生である。凛に彼女の情報が無いのは、凛の前世はルカの視聴に時間を割いてなかったからである。歌については言われて思い出したレベルだ。


「オリジナル曲ありのデビューならダンスとかも込みになるのかい?」

「そうだとも。それと予定としてはさくらさんとの曲も含めてね」

「美子と?」

「ん……あ、そうそう雪藤美子さんだよ。アバターのほうが青とピンクで見栄えがいいし、さくらさんとルカさんをユニットとして売り出そうと思ってるんだ。どうだろうか?」

「いいんじゃないか?」

「私も賛成です。もちろん雪藤さんの了承も必要ですけど」


 二人の賛同を得て八合はより安堵した表情を浮かべた。


「よかった~賛成してくれて。それで、しばらくは凛さんとみちるさんは二人でコラボを多めにするか、1期生との絡みを多くしてほしいんだ。それでチャンネル登録者のブーストを助けてやってほしい。その間にルカとさくらはユニットで頑張ってもらう。

 それで頃合いを見てスケジュールの合間に“都合のいいフルライバー+ルカさくら”で運営のチャンネルで行う企画に出演する形にしようと思うんだ」

「運営のチャンネルがテレビの役割を果たすというわけだ」

「その通り。そこで気になったフルライバーのチャンネルにリスナーが飛んでいき登録者を増やす、という好循環を狙っていこうと思う」


 悪い顔をする八合。それを見て凛は感心する。前世で漠然と推測していた戦略はやはり八合が明確に思い浮かべていたということを知ったからだ。


 なお、梓紗とスタッフはいまいちわかっていない様子である。


「あの八合さん……質問していいですか?」

「ん? いいよ」

「テレビの役割ってどういう意味ですか?」

「え? テレビはテレビだよ? ほら、お笑いとかのテレビ番組ってタレントが一堂に揃うでしょ? あれの効果と同じものを狙って、それぞれのタレントが持つチャンネルへの導火線にしようっていうのが運営チャンネルの動画や配信の目的ってことだよ」

「???」


 八合が当然のように説明するも梓紗とスタッフが疑問符を浮かべている。それに気づいた八合が待ったと手を上げながら唸りつつ考え始めた。


 それを見た凛が少し考えてから補足を入れる。


「みちる」

「はい? なんでしょう凛さん?」

「リスナーは複数あるVチューバーの動画をどういう基準や過程を経て、チャンネル登録するくらいの本格的なファンになると思う?」

「どういう基準、過程……?」

「好みのアバター、ライブ配信、アーカイブ、投稿した動画、これらを少し視聴してから本格的にファンになるよな?」

「あ、そういう意味ですか。そうですね。あとは何かしらサイトの紹介、ネットや販売店でのグッズを見てとか……そんな感じですか?」

「そうだね。でも、そうやって探していてもすべてのVチューバーを見ることは労力的に不可能だろう? 特に探してる途中でお気に入りのVチューバーが確定したらどうする?」

「あー……しばらく探すのをやめますね。それでお気に入りの配信に浸るかなあ」


 うんうん、と凛は嬉しそうに頷いた。理解の仕方が予想通りで説明がしやすくなったからだ。


「つまり……潜在的に魔女屋オルエンのようなVが好きなリスナーがいたとしよう、そのリスナーがオルエンに会う前に、青空みちるの配信で満足したせいで、魔女屋オルエンの配信には辿り着けなかったとする。

 では、このリスナーを魔女屋オルエンの配信へ誘導するにはどうすればいい?」

「それが、運営の?」

「そう。ちなみにコラボでも同じ効果を狙えるね」


 梓紗はここまででかなり納得した様子だ。凛もそれに気づいたがあえて補足を続ける。

 周りのスタッフは真剣である。ちなみに八合も真剣である。


「つまり具体例を言うと、みちるのリスナーがみちるが出演する運営のチャンネルに投稿された企画物の動画を見て、それに出演していた魔女屋オルエンを目にすると言うわけだ。そしてみちるのリスナーが“オルエンもいいな”となって私のチャンネルに流れていくというわけさ。

 テレビの効果というのはここ。本来は必要としていない情報を強制的に視聴者へ送り届けることが可能であることだ。テレビほどとは言わないが、我々はその仕組みを利用するというわけさ。テレビが洗脳装置だ、プロバガンダだと揶揄(やゆ)されたり批判されたりする理由だな、ハッハッハ!」

「「「なるほどー! すごーい!」」」

「いやなんで八合まで驚いてんだよ、あんたはわかってるだろ」


 スゲースゲーと連呼する二人とスタッフ。さすがっすわーと連呼されていく。大げさな冗談だと感じつつ、凛はそれらの称賛に少し照れながら謙遜した。


「んんッ! ……補足するとだな、地上波のテレビが廃れた理由はここにある」

「あー、私達のチャンネル的なものがなかったからってこと?」

「なかったわけじゃない。たぶん時代が進むにつれ力不足になっていったが正しい。

 ……例えばアイドルなら専門誌の雑誌や写真集があったが、ライブ配信ではない以上、視聴者のニーズに正確に応えていたかどうかは怪しいんだ。肯定的な視聴者は文句は言わないし、素晴らしいです、ということくらいしか言わない。改善点や要求などをほぼ口にしない。

 一方、肯定はしているものの不満のある視聴者というのはうるさくて目立つ。もちろん悪意があるわけじゃない。不満点がはっきりしているから、はっきりと口にできるだけだ。

 だから声やコメントという形にした場合、彼らが少数派であっても多数派の声やコメントの数を上回ってしまう。これによって需要の読み違いというやつが、テレビ側の関係者に発生してしまったんだろう。それがどうなるか……まあ、供給する商品やサービスを間違えてしまうことに繋がるんだろうさ」


 凛の語りは自分としては適当な推測でしかない。それを凛以外は深い教養として真剣に話を聞いている。もちろん八合社長も真剣に聞いていた。


 ただし八合に対して、凛は『おもしろがってるだろコイツ』と思っていたが。


「まあそういった感じでテレビ側は批判や不満の声に応えたわけだ。それの行き着いた先が普通のグッズ販売もあれば、アイドルの履いたパンツ販売、握手券、グループセンター決定の人気投票、とかなんだろう」

「……あーあの喜色悪い、そのパンツの販売とかをやめろとかいう、普通の意見は?」

「そんなものは聞かないよ。正確に言えば、数が少なくなっているだろうから取るに足らない意見だと判断しただろうね。しかもそういうサービスでも利益が出たんだからさ。いや正確に言えば、利益が出るというのは確実にそういうお客さんがいるという証拠。そのファンサービスをやめる理由がなかった。

 その証拠は会社のデータを見なくてもネットの匿名掲示板にあるファンの過去スレを見ればわかることさ。握手券のためにCD10枚買ったとか自慢しているレスはいくらでも見つかるからね」

「うえー……パンツ販売とかはダメなんですよねえ」

「そう。みちるみたいにそういうことを思うやつは“何も言わずに黙ってファンをやめる”という結論に辿り着く。そういうことが続くとどうなるか?

 結果、当初は多数派のマジョリティを狙う大衆向けアイドル商売が、いつのまにか少数派のマイノリティを狙うマニア向けアイドル商売に成り果ててしまうんだ。行きつく先はコストに利益が見合わなくなって衰退するか、場合によっては廃業する、という結末を迎えたりするわけさ。

 特に始まりが明確なマジョリティ狙いのアイドル商売だったなら予算は多く使いたくなるだろう? 当てれば利益がでかいなら初期投資は気にならないし、回収だって余裕だと思うからな。でかすぎる商売はブレーキをかけても切り替えが遅いからまあある程度進めてしまった時点で……失敗しないことのほうが難しかっただろうさ、ハッハッハ」


 凛の話にみちる達は感心しっぱなしである。

 そこへ、八合は感心しつつも確認をするように凛へ問いかける。


「だから今の、動画サイトでタレント個人が配信をすると言うのは大きな武器になるというわけだね、凛さん」

「そう。例えばVチューバーのライブ配信なら、大好きなタレントが数時間ずっとラジオをしてるようなものさ。あるいは生放送してるテレビ番組の司会兼メインキャストかな?」

「で、おまけにファンであるリスナーと直接的でタイムリーなやり取りをできるわけだ。しかもコメント欄も変な意見、アンチの意見は無視して、面白い意見を取り上げてネタにして話せばそれで充分、ファンは喜んでくれる」

「リスナーというお客様は、なにもかも自分の意見を取り上げてもらおうとなんてワガママはさすがに持ってない。それよりも、そういうチャンネルでのトークで推しタレントの新しい一面、素敵な一面に触れることができればそれで大満足さ。そしてファンの時間は長くなれば長くなるほど、もう長年の友人のような感覚に陥るだろうな。憧れから親しみになり、やがてタレントへの理解と親愛に変わっていく」

「タレント、アイドルとの直接的なやり取りと、アイドルそのものが独占する番組の放送だ。アイドルファンのマジョリティへのファンサービスとしてはこれ以上のものはなかなか存在しない、というわけだね」

「テレビがやりたくてしょうがなかったことを私達がやってしまおうというわけさ。いや、本当に大きな仕事だと思うよ、ハッハッハ!」


 凛の愉快気な笑い声に八合は少し考え込む。

 みちる達はこういう二人のやりとりは日常的とはいえ、すごい話なのでやはり圧倒されてしまって真剣な面持ちで緊張しっぱなしだった。


「それにしても理解ねえ……それがー……あー……凛さんの令和のアイドルは恋愛禁止をする必要がないってことかい?」

「まあ、そんな感じだな。ちなみに予言っぽく言うと、将来は五十歳の子持ち既婚女性がアイドルVチューバーとしてデビューするような業界になると思うぞ?」

「ははははは! それはないでしょー凛さん!」


 したり顔の凛に八合は盛大に笑っていた。


 なお、彼女の前世の知識というのは幾分かの未来のことも含まれる。その未来では五十歳でデビューしたVチューバーは存在している。


 そのため八合が笑う一方で梓紗は、凛の五十のVチューバーに関しての発言がかなり本気のものであると察して笑えなかった。


「あーところで、会議は終わりになるかな? ルカとさくらでユニット結成、私とみちるでコラボと後輩の支援ということで」

「ああ、うん。そういう方針だね。みんなどうだい?」

「「「異存ありませーん」」」

「では会議を終わります。お疲れ様でした」


 会議が終了し、それぞれがガチャガチャと移動を始めた。


「じゃあ凛さん、さくらさんのことは頼むよ」

「ああ、じゃあまた」


 凛がさっそうと退出していく。

 八合が見送る中、みちるが彼に近づいた。


「八合さん」

「どうしたのみちるさん?」

「五十歳のおばさんがアイドルになることについて、男性はどう思いますか?」

「待って? 本気であり得るって思うの???」

「いえ、私が五十歳のおばちゃんでもアイドルをやりたいんです」

「…………」


 みちるが握りこぶしを掲げて宣言すると、八合は思わず呆然となった。

 それから二人は会議室に残り、そのまま少し話し込んでいた。

 



  ■   ■




「お世話になりましたぁ」

「はーい、お大事にしてください」


 病院の前で女性の看護師さんと挨拶をする雪藤美子。

 荷物をまとめていたリュックを背負って車の乗り降り場まで歩く。


 そこでベンチに座りながら待とうとしたところ、凛の車がこちらに来るのが見えた。停車位置のところまで歩いていくとちょうど彼女の車も到達し、美子が後部座席に荷物をも入れて乗車した。


「おかえり」

「ただいまぁ~凛ちゃん、ありがとう。あ~逆になんか疲れたねぇ~」

「まあ入院なんてそんなものさ」


 車が出発すると同時に話しかける凛の顔はいつもながら凛々しい。それに美子は嬉しさと安心から緩み切った状態になってしまう。


「ご飯はどうしようか? 蕎麦とかあっさりしたものにする?」

「いやぁ、なんか知らないけどね……私は今、すっごいステーキ食べたいです……まあ夜にでも――」

「じゃあステーキ屋にするか」


 凛がすぐさまカーナビで設定して進路を少し変更する。行きつけの店があるのだ。


「退院祝いだから私のおごりだな」

「え!? いやそれは――」

「いいからいいから。ああそうそう、さっきね、事務所で会議をして来たんだ。今後の活動方針だけど――」


 そうして会議で決まった今後の方針やその他の仕事についての話をしながら、二人はステーキ屋にて昼食を取った。


 なお一週間の活動休止という説明をした際、美子は思わず撃沈してしまう。凛はそれを見て『落ち込むな落ち込むな、収入はあるんだから』と慰めた。


 そうして昼食を終えると、食材や日用品を購入してから美子の家へ向かう。


「……そういえばさ、凛ちゃん」

「どうした?」

「私のパソコンの上に飾ってるコレクション……見た?」


 二人で自宅に入ってから、美子は恐る恐る尋ねていた。入院中に思ったが、自分はたしかコレクションが丸見えの状態で倒れた記憶がある。そして凛は自分の着替えを病院に届けてもらうために鍵を渡して部屋に入ってもらったのだ。


「ああ、特装板とか書いてあるゲーム類のことか? ハンカチのようなもので簡単に隠せるようにしてあるけど、別に堂々と飾ってればいいだろうに。

 寝取られものが多いのはちょっと驚いたな。そんなにいいんだ?」

「くあぁああああ!? ……り、凛ちゃん、私の性癖を勘違いしないでほしい私はね――」

「まあまあ趣味は人それぞれだから」

「寝取られは二次元だけが至高なんだよぉ! ホントだよ信じてっ!! 私は普通の恋愛が好きなんだよリアルの方はっ!!」

「ンン……“竿を鍛えないのは男としての価値を捨てるようなものだ、そうだろうススムくん?”」

「ちゃっかり寝鳥竿やってんじゃねーかっ……!?」

「意外と面白かったよ? まさか寝取られものに純愛シナリオがあるとは思わなかったな。あのシナリオはすごく好きだ。まあだからと言って、違う作品に手を出そうとは思わないけどね、ハッハッハ」

「いやそう! 本当にそう! デッドエンドだけど愛ちゃんの一途さはたまらんのですよ!」

「あの結末はかわいそうだったなー。そうそう“あなたの声と姿がアイツに塗り潰されるくらいなら! 私が私の人生を閉じてやる!”ってやつがまたひどいというかいいというか、何とも言えないんだよなー」

「そう! そう! 喉から血ドバドバしてる時に微笑むCGがね、すごく嬉しそうなのがまーた苦しくなるんだよー」


 そういった何とも言えないハプニング(?)がありつつ美子の自宅に到着する。そしてそのまま家で穏やかに二人で雑談をしたり、部屋の片づけをしたり、凛が作り置きの料理を作ったりして時間を過ごした。

 

 そうして美子が暇を持て余して、習慣である次の配信の準備を終わらせた時のことである。美子が作業を終えて凛のいる台所へ入ると、衝撃の光景が目に入ったのだ。


 エプロン姿の凛が封筒、凛が自作したレシピノート(市販のノートにレシピを書き込んだもの)、預けていた合鍵をテーブルの上に置いていたのである。

 

 それを目撃した美子が想像していなかったことに『え?』と声を上げて呆然とする。

 そして彼女に気づいた凛が微笑みながら話しかけてくる。


「きみのチャンネルの登録者などを確認したかい? そろそろ余裕で生活できる収入を確保できそうな数字になってないかな?」


 美子は理解が追い付かない。

 凛がそれを察して追加の言葉を口にする。


「封筒は繋ぎになる生活費だ。レシピ本は私が適当に考えた料理だな。応用するための味付けの基本も書いているから参考にするといい。

 それでだな、その……きみも元気になったしもう大丈夫だろうからさ、明日からはあまりここには来ないようにしようと思う。その――」

「どうして? 友達でしょ?」


 不安げに訊いてくる美子。

 凛は少し目を逸らしつつ言いづらそうにしている。

 しかし思い直して向き合い、美子に近づいた。


「その、は、はっきり言うとだな……」


 恥ずかしそうに言う凛。

 美子は察することも出来ずにじっと見詰めている。少し目線を上にしながら。


「きみとは友達を超えて手を出しそうになるんだよ、言ってる意味わかる?」

「……はい?」

「女性とこんなに距離を縮めたことないからさ、ふとした瞬間にこう、ベッドでも連れ込んだりキスをしたくなっちゃうんだよ。そういうことさ、ハッハッハ!」


 凛は照れながら大笑いして誤魔化した。愛の告白が恥ずかしいのだ。そこでようやく、美子は目を真ん丸しながら状況を理解した。


「だからな、その、適切な友達との距離に戻すためにな――」

「いいよ」


 凛が思わずキョトンとする。あまりにも隙が大きすぎるそれに美子は迷うことなく手を引いて寝室へ連れ込んだ。


 凛は予想していなかったため困惑しながらされるがまま、ベッドに座らされてしまう。美子は戸惑う彼女に勝ち誇った様子で、上から覗くように彼女と顔を合わせて。


「凛ちゃんとなら美子は恋人になれるぜぇ……っ!」


 そのまま長いキスをした。主導は美子がした。初めてのキスだが、混乱した相手からしたら十分な熱愛のそれになっていた。

 美子が緊張しつつも、気合を入れて服を少しはだける。


「初めてだけどよろしくね、凛ちゃんっ」


 そして二人はそのままベッドで夜を過ごした。




  ■   ■




 美子が夜が明けないぎりぎりの時間に目が覚めた。

 ベッドの中に凛はいない。トイレかどこかにいるんだろうか。


 お互いに初めての夜の営みは思いのほかうまくいったのだが、その分だけ疲れてしまったらしい。完全に裸なのでさっさと服を整えていく。その過程でつい情事を思い出してしまい恥ずかしくもなり、お互いが初めてであったことに無性の喜びを覚えた。


 とにかくさっぱりしたかったので美子はシャワーを浴びることにした。途中台所を覗くと、テーブルで座り込んだ凛がやらかしたと言わんばかりに頭を抱えていた(もちろん服はきちんと着ている)。それを見て美子はつい笑いそうになった。


「ちょっとシャワーを浴びるねぇ」

「!? あ、ああ! ゆっくりでいいぞっ!」


 美子が余裕のある笑み浮かべながらゆっくりとシャワーを浴びる。その間、凛はコーヒーがいいか、熱いお茶がいいかと迷いながら、全く落ち着きもなく慌てながら準備をしていた。ちなみに結果はコーヒーである。


 美子が出てきたところで、凛がコーヒーをすぐさま出す。好みは把握している。凛がブラックで美子がミルク入りだ。砂糖はいらない。


 用意が終わったところで二人は向かい合ってコーヒーを飲み始めた。美子は精神的に余裕があるためニヤニヤ顔をしっぱなしだ。一方、凛は落ち着きがなかった。


「その、だな。ああ……」

「いやーエッチなことをしちゃいましたねぇー。恋人ってやつだねぇ」

「う……その、そのことなんだが、私たちの関係はその、セックスフレンドということにしておこう! 恋人というにははや――」

「あんなに好きだ好きだ言い合ったじゃなんねぇ?」


 美子がニヤニヤしながらコーヒーを置く。恥ずかしがっているだけだと確信している。そりゃああんな熱い夜を過ごせばわかるというものだ。


 そんな彼女に反して、凛はとにかく悩まし気だ。


「真面目な話なんだけど、していいかい?」

「ええ、いいですとも。今ならなんでも、私は論破できる自信があります」

「……お手柔らかに」


 苦笑いを浮かべる凛。

 勝ち誇る感じの美子。


「きみってさ、恋愛対象って男だろう?」

「凛ちゃん以外にならそうだと思うよ? でも私はねぇ、男を見る目がなかったしこれからもないと思うの。女の子と恋愛するのもいいかもって思い直してるよぉ」

「その、セフレっていうのはな、一種の方便だ。というのもな――」

「いつでも別れやすいようにってことでしょ? でもって、別れても友達関係も続けやすいようにって意図なんじゃないの?」


 凛がバツが悪い顔を浮かべる。図星なのだ。

 美子のほうは嬉しそうである。想い人を理解できていることが嬉しいのだ。


「凛ちゃん」

「ん……」

「凛ちゃんは頭がいいからさ、先のことを先のことを考えることができて、それはとてもすごいことだと思うんだぁ。でもたまには、今考えていて、今感じていることをそのままやるっていうのもいいと思うの」

「無責任は好きじゃないのさ。特に恋愛なんてそうだろ? 今の時代は、景気が悪くて消費税やらの税金が重くて金がないから結婚できない、子供が作れない、というのが今の恋愛だ。逆に言えばある程度の金さえあればそれは問題にならない。でも、女同士の恋愛は根本が違うだろう?」

「違うって? 好きな人同士なら性別なんて些細なことでしょ? 

 まずはね、結婚のことを考える前にさ、この人と一緒にいて素晴らしい人生を送れるのか、という問題を乗り越えるのが先でしょ? それを乗り越えられる人っていうのが、今の私は凛ちゃんしかいないよ?」


 言い返せない凛。言ってることは凛にも理解できるからだ。

 一方、美子は『必死に考え込んでるときは横に視線を逸らす癖があるんだなあ』となごやかな気持ちで観察をする余裕がある。


「……美子、歳はいくつだ?」

「二十一歳ですけど?」

「そうか。きみは子供が欲しいと思ったことはあるか?」

「あー子供は好きだよ? 短大はねぇ、幼稚園の先生になろうって思って通ってたんだからねぇ。自分の子供はきっとかわいいねぇ」

「私と結婚するということはその夢を捨てるということだぞ? そして私と本気で付き合うというのは、生涯の伴侶を選ぶ時間を私に対して浪費するということだ。そのせいできみが結婚をするのに難しい年齢になる可能性が高くなるのはわかりきった話だろう?」


 盲点だったという顔をするが、あんまり気にならない美子。

 凛はそれを読み違え、畳みかけるように話す。


「今の女は30以降でも結婚できるというバカな風潮があるがそんなの幻想だぞ? できないとは言わないが、男よりも何十倍も難しいのが現実だ。

 よく言われる、若い女にしか興味がない男性はたしかにいるし、割合もそこそこいる。だが同じくらいかそれ以上に、子供を産ませるんだから女性は若いほうが安全、30代の女性に無理をさせたくはない、という男性もそれなりにいるんだ。そして子供が欲しいから結婚したい男性というのはこの人達がほとんどだ。男性はバカじゃない。体験はできないが出産に関する情報くらい集めているものさ。

 なあ、わかるだろう? 私でパートナー選びの――」

「ストップだよ凛ちゃん」


 美子が自分の口元に人差し指を立てて沈黙を促す。美しい動作に凛はつい見惚(みと)れるように止まった。


 美子はそのまま人差し指を立てたまま、椅子から立ち上がって凛の隣に座る。そして凛をのぞき込む姿勢で少し顔を近づけた。


「私は凛ちゃんが好き。凛ちゃんは私のこと好き?」

「あ、ああ。私も――」


 美子が肯定を察するや否やキスで凛の口を塞いだ。


「凛ちゃん、付き合うっていうのはね、確かめ合う時間なんだよ」


 凛は心臓が高鳴るせいか、それとも好きだという感情が増幅しすぎてなのか、何も言えなくなって彼女を見詰めるだけだ。


「未来のことを考えるのは大事だよ。でもね、同じくらい確かめ合うことも大事だと、私は思う。だから、一年とか二年だけでもいいの――」


 一度、深呼吸をして、美子は愛を告白した。


「――あなたをずっと好きでいられて、一緒の時間を過ごせる伴侶となれるかを、ほんの少しだけ、確かめさせてください」


 凛は呆然となりつつも、必死に考え込み、やがて意を決する。


「わかった。きみの告白は、受け入れる。ただ――しばらくは、いちおうはセフレという関係だということに、言葉だけでもさせてくれ」


 美子は怪訝な顔になるも、ふと理解が及んだ。

 彼女は頭がいいから、どうしても先のことを考えすぎるのだ。


「その間はいつでも私と別れることになっても構わない。私も別れ話で拒否なんかしない。きみが他の子と付き合うと言っても咎めるようなことはしないと約束する。

 だからそうして関係がもっと深まって、私が決心したら、その、なんだ、その時はちゃんと付き合おう。もちろん結婚を前提にだ。それで――」

「わかった、それでいいよ」


 美子は凛に軽くキスをする。


「女は包容力も大事だからねぇ。恋愛ヘタレのパートナーなら、なおさらなおさら。これからもよろしくお願いします」

「……あ、ああ、こちらこそよろしく頼む、美子」


 最後に凛からキスをして、コーヒーを片付けていく。

 そうして変わらぬようで変わりながら、いつものように朝食の準備を始めた。




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