第2話「お仕事、魔女の導き」
橋渡凛と雪藤美子が親しくなってから数週間が経過した。二人にとっては大きな変化であったがその周辺では大きな変化は起きていない。今日もフルライバー(フルライブに所属するVチューバーへの呼称)は積極的にそれぞれの配信を行なっている。
例えば橋渡凛こと魔女屋オルエン。
動画サイト:YOURSTUBEにある魔女屋オルエンのチャンネルの『魔女屋オルエン.ch』において、今日もライブ配信が始まろうとしている。
配信画面に映し出されたものは大まか分けて三つだ。リスナーからのコメント欄、魔女屋オルエンという二次元のキャラクター(2Dアバター、アバター)、背景にいかにも魔女が住んでいそうな木造の家屋である。
このアバターには、凛の顔の動きを反映させつつ、たまにキーボードで指定したコマンドでも視線や表情を制御してアバターの動きが表現される。それをしながら、凛が画面の向こう側で視聴しているリスナーに向かって雑談をするのだ。
ちなみに言うと、現在はライブ配信と言えばどのVチューバーも上記のスタイルだ。利用されている動画サイトも、現在はYOURSTUBEが大多数を占めている。
「どうもこんばんはー魔女屋オルエンです。忙しい中、今日も配信に来てくれてありがとう。
というわけで本日はツブヤイターのレターボックスに届いた、リスナーからの質問に答えたり雑談をしたりしようと思います。いえーい」
魔女屋オルエンの容姿は凛の容姿とかなり酷似している。わかりやすく言うなら魔女屋オルエンの姿は、やや長めの黒髪ショートカットの凛が、魔女っぽい紫の三角帽子を被り、素肌をさらさないようにしつつスリットの入った白いドレスを着ている姿だ。素足は破廉恥だからと黒タイツとブーツを履いて素足を出さないようにしている。」
キャラクターの公式年齢は28歳(凛曰く、女のバランスがいい美しさの年齢だからとのこと)であり、それにふさわしい大人びた印象を抱かせる魔女だ。
そんな魔女屋オルエンの配信で、リスナー達がコメントを打ちこんでいく。打ち込む場所はライブ配信を映す動画画面のページ横にあるコメントパネルと呼ばれる場所だ。
コメントパネルと凛が設定した画面内の見やすい部分に設定したコメント欄へ、次々とリスナーのコメントが並んでいった。
『こんばんはーオルさん』
『最後ダウナーで草』
『こんばんはー』
『さあお便りはどんなのが来るのか……』
凛は目で上記のようなコメントを追いつつ、面白くなりそうなコメントを拾えるように注意しながらレターボックスの質問を読み上げる準備をする。
なお、ツブヤイターと言うのはいわゆるSNSというやつだ。そこにレターボックスという匿名での質問をメールのように受け取れるシステムがある。その送ってもらった質問に返答することが最初の企画である。
「えーではまず――“レズビアンとは本当ですか? 本当ならオフパコしましょう! 返信待ってます!”――だけど、なんで元気のいい変態しかいないんだよっ。この手の内容が来るのはいいけど、なんで9割ぐらいビックリマークを多用するお誘いなのさ……」
『草』
『変態はそういうもの』
『そりゃあ誘う側は積極的で行動的になるんだからギンギンな奴しかおらんやろ』
『そうか、女もギンギンという言葉を使う時代か』
『女の子の中にもおじさんがいるもんだよ。男の子にもおばさんがいるでしょ?』
「さすがにギンギンはもう少し抑えなさい。
ええと、レズビアンは本当です。が、こんなオ〇パコセ〇レ上等女の尻軽は好みじゃないのでお断りしますっと。前も言ったが軽いお悩み相談は積極的に答えたいけどガチ恋……ガチ恋(笑)のような誘いは受けないからね。そこはよろしく。そうじゃなかったら下ネタはいいんだけどなあ、よし次だ」
次のお便りを画面に表示する。
「――“フルライブに加入されましたが、どんな感じ、どんな印象ですか? 他のメンバーやスタッフは美人さんが多いですか?”――感じとか印象とかはまあ、まだ小さくてもしっかり企業だなあと感動してる感じだね。ボイス収録とか企画立案とか会議とか個人じゃなかなか体験できないからさ」
『それはそう』
『会議はオルさんが中心になってそう』
『できる女ってやつが声だけでわかるもんな』
『魔女はたまに予言じみたことするからな』
「いや、そんな大してできる女じゃないよ私は。凡人だよ凡人。ちょっとVチューバーになるタイミングが良かっただけの凡人さ、ハッハッハ。
ええと――“美人が多いですか?”――の部分だけど、フルライブにはたぶん美人が多いかなあ。と言っても骨格とかが優れた天然の美人じゃなくて、ちゃんと肌とか髪型、見せ方とかの手入れをしっかりしているタイプの美人が多いね」
魔女屋オルエンが穏やかな笑顔を表現する。
「――“深い理由がありそう”――うん、ちゃんとした理由があるね。八合がその採用基準を推しててびっくりしたけど納得はしたなあ。――“悲報、社長はハーレム願望持ち”――じゃないよ、あの人にそんな時間ねーわ。というか令和の時代にそんな昭和のうん……排泄物臭い慣習なんかやったら会社が潰れるわ、冗談抜きで。それを許すって無能に荒らされるのと同義さ。
真面目な理由を言うと面接の短い時間で細かい人格を見るなんて無理だし、なんなら面接の練習までするから本当の長所や短所を誤魔化されてしまうんだ。私だって練習して遠慮なく誤魔化すわい。
でも化粧だとか清潔感ってさ、普段から気を付けるものだし、ガサツな人はきちっとしてても何かしら雑だったりするだろう? 気遣いができる人の可能性が高い、つまり仕事で広く気配りができる可能性が高いってことなんだ。そういう部分に本質が見えるから採用基準にしてるんだってさ。それを聞いて感心したよね。下手な質問よりわかりやすいんだよ」
『あーなるほど』
『八合社長って基本はお茶目な人だけどたまにガチさが出るよね』
『つまりフルライブのVチューバーはみんな美人ということ?』
『少なくともオルさんが美人なのは自称だけじゃないということ』
「いつか顔バレするかもしれないから楽しみにしててくれ。いやまあ、自分からする気はないけどさ、ハッハッハ。
じゃあ次の質問――“真剣な質問です。自分は女性ですが、異性である男性の方とは距離間に気を付けて接しています。また、男性の方もこちらに対して距離感に気を付けて接してくれることが多いと感じています。しかし同姓だとこの距離感は気を付けなくても適切に保たれると個人的に感じています。そこで、レズビアンの方はこの距離感がバグったり、バグらされたりといったことはありませんか? もしある場合、どのように感じるかをお聞かせください”――って。ふーむ……」
オルエンが難しい表情を浮かべる。すると。
『来るぞ来るぞ……っ』
『傾聴―! 傾聴―!』
『耳を研ぎ澄ませ―!』
『ヒャッハー! 魔女の哲学の時間だー!!』
コメント欄では期待のコメントが溢れていく。
「私はまあ今年で二十三歳になるんだけど、恋愛経験はクソ雑魚ナメクジということを念頭に聞いてくれよ? 前にも言ったけど処女なんだよ、私は。
で、個人的に女性との距離感に困ったことはない。一般男性だって女を見れば無差別に欲情するのかって言ったらありえないだろ? 私だって誰も彼もに欲情するわけじゃないさ。エッチだ、と思う時もあるけどそれが恋愛感情に近い何かに繋がることはないかなあ。そういう性格だから女性との距離感を間違えたことはないと思う」
『さらっと堂々たる清楚宣言してて草』
『Vチューバーに夢見る男や乙女の幻想を現実化してる女』
『魔性の女を略すと魔女になる。これテストに出ます』
『変なテスト作るな定期』
「たぶん距離感がバグることよりも、距離感の詰め方が普通の恋愛より難しいことのほうが目に付くんじゃないかな。
私が好きになる人がレズビアンである可能性が低いことは当たり前だからね。直接訊けばいいじゃん、と言われればそれまでだけど、それはそれで友好関係がぎくしゃくするだろうから、なかなか私には訊けないなあ。
つまり結論としては、お互いに取り合う距離感がバグる、チグハグになる、ということはそんなにない。ただそこから一歩を踏み出すのが普通より難しい。
まあそこは、社会的少数者の面倒なところだけどしょうがないとこだね。受け入れるべきことだから素直に受け入れるさ。こんな回答でいいかな?」
『いいよー』
『今回は普通だったなー』
『魔女の戯言じゃなかったかー』
「ハッハッハ。普通でいいんだよ普通で。
ああちなみに昨今、ポリコレか何かよくわからんものは注意しろよ? 例えば“心は女性だから男性の私にも女子トイレを使わせろ”とかふざけたことを言い出すやつらにだ。あんなのはどうせ弱者を盾にした特権ビジネスだからな。いや、ビジネスですらないかもしれん。
例えばそうだな、先ほどの放言を盾にして“女子トイレに入ってカメラを仕込んで、盗撮動画やスナッフビデオを制作する“ような犯罪がやりやすくなったりするんだ。他にもいろいろあるがキリがないから言わないが、こういうことに注意してくれよ?
中には純粋に知力の低い、頭の悪い人間が教えられた理想を為そうとしている、現実を理解する能力が著しく低いから言っているだけのパターンもある。しかしな、人間に物事を教えるためには、そいつ自身が知性を育てない限りはどうしようもないこともある。そんな残酷な現実は確かに存在する。残念だが、そういうやつらは放っておけ。助けようとしても巻き込まれるだけだ。
だからみんな、そういうのに巻き込まれないように気をつけてくれよ?
……まあつまり一般人の私たちができることは、特別扱いを極力取り除いて、みんなが過ごしやすいためのマナーとルールを守って、仲良く生活しようということだな。それで世の中はだいたいなんとなる。ホモやレズの対応もそれでなんとなるから大丈夫さ。いいね?」
『はーい』
『魔女の哲学、魔女の戯言でした。あざーす』
『礼儀と筋肉は大体のことを解決できる、いいね?』
『筋肉どっから出てきたんだよ草』
「“筋肉は大体のことを解決する“――たしかに、筋肉で解決できることは意外と多い。困ったことは筋肉に任せるのもいいし、健康の基本でもある! 技が雑でも力があればいろいろ誤魔化せるように、筋肉はいいものだなあ、ハッハッハ!」
『『『草。魔女なのに脳筋やないかww』』』
コメント欄がにぎわって嬉しいので、オルエンの表情も笑みが浮かんでいる。ただし凛としては思っていることを素直に言っただけのため、たまに特別な格言のように扱われることに関しては戸惑ってしまうことがあるが。
「じゃあ次の質問――“魔女の予言、魔女の戯言、魔女の哲学ってなんですか? コメント欄で散見されるのですがよくわからんので教えてください”――ああ、これね……。
私もよくわからん!!」
『草草草』
『大草原不可避』
『勢い◎』
「私が適当なことを言って“かっこいい”とか“かっこいいかもしれない”とかそういうことを思ったときに魔女の戯言だーってワイワイしときなさい、以上!
だってわかんねーんだもん! ハッハッハ!!」
と、こんな感じで進んでいくのが橋渡凛――魔女屋オルエンの配信である。
それでは次に雪藤美子――社守さくらの配信を見てみよう。
配信のタイトルは『朗報:貧困生活終了のお知らせと雑談、ゲーム配信』だ。
「みなさーん、こんさくらー。恋愛神社の巫女を務める社守さくらでーす。今日も配信に来てくれてありがとうございまーす。まずはお知らせと雑談を始めまーす」
社守さくらの挨拶でOP映像を流していた画像が切り替わる。画面に映るのはオルエンのときと同じくコメント欄、社守さくらという2Dアバター、そして背景は自室のような部屋である。背景の室内には神道と関係するような飾り、神棚、人形、などが置いてある和風な印象を与えるものだ。
社守さくらというキャラクターは、桜色の長い髪を揺らす巫女服のようなものを着たかわいらしいキャラだ。萌えを優先しているのか下は短いスカートのようになっている。そこに、赤ちゃん声とも評されるかわいげのある雪藤美子のボイスで動くことが、よりかわいらしさに命を吹き込むような強調を施していた。
『タイトルに草』
『運営が動いたかよかったなこんさくらー』
『こんさくらー』
配信の直後、すぐさまコメント欄が打ち込まれる。が、その数はオルエンに比べるとだいぶ少なかった。それでも社守さくらはそれに嬉しそうに頬を緩ませている。
「はい。それではですね、お知らせなんですけど、朗報! 社守さくら、ついに貧乏生活は終了しましたー!」
さくらが拍手喝采する。
コメント欄も同じように賑わっている。
「というか数日前から終わっていたんですが、改めてね、みなさんにご報告をしなければと思いまして、お知らせします。ご心配をおかけしました、すみませんでした、そしてありがとうございます」
お辞儀をするさくら。
「ちなみに貧乏生活が終わった理由はですね、えーとツブヤイターのほうを見ている方はあっ察しとなるんでしょうけど、さくらのお友達がですね、さくらの惨状を見て助けに来てくれました。ちょっとした生活費とね、しばらく定期的にご飯を作りに来てくれることになりましたっ」
『ナイスー』
『いい友達やないかー』
『お金はちゃんと返すんやぞー』
「もちろんお金の方は配信を頑張ってすぐに返します。それでですね、みなさん、今日の雑談は私を助けてくれた、ええとアールちゃん、という名前にします。アールちゃんについて話します。本人から配信のネタにしていいという許可も貰いましたっ」
『きりっとした表情になった』
『なんやなんや? 新しいフルライバーか?』
『重大発表でもするん?』
「あのですね、まずその、私のツブヤイターにあげた料理のことなんですけど、察している人は察しているのかもしれませんが、あれはさくらが作っていません。全部……ぜ・ん・ぶ! アールちゃんの作ったご飯です……っ」
『キリっとしてるけど悲しそうで草』
『なんかさくらが作ったみたいな認識してた人いたもんな』
『前の料理できないよー発言は騙してたんかと思ったわ』
「なぜさくらがこんなに女子力のなさを露呈しなければならないのか……――“誰誰が作ったとかなかったもんなー”――そうなんですよ! あまりの美味しさに自慢したくなってソッコーで写メとって勝利宣言したのがまずかったんです! ツブヤイターのコメント欄で“さくらさんは料理上手だねー”のコメントがいっぱい来たときは完全に十字架に吊るされた偉い人の気分でしたよ! やばい! 下手なこと言ったらあっちゅいされるぅ! ってなりましたホントにッ!!」
さくらが頭を抱えるような動作、まるであーあーあーと嘆いているようだ。それに合わせてコメント欄にいるリスナーから大量の草が流れていく。
「いやもう貧乏生活の直後にクッソ健康的なご飯を出されたときはびっくりしました。めっちゃうまかった。ガツガツ食って……アールちゃんには笑われました。いやもうさくらは恥ずかしくて恥ずかしくて下を向くしかなかったですね。
本当にスジ肉大根はおいしかったです」
『草草草』
『ちゃんと前を向きつつ感想が言えてえらい!』
『最後小学生みたいに誇らしく言ってて草』
『あっちゅいは火あぶりかな???』
「あの味はお母さん身がすごかった。さくら知らなかったんですけど味ノ粉ってほぼ昆布の旨味なんですね。グルタ……グル、グルグル酸ナトリウム? でしたっけ? あれをちょっと入れるだけでお肉がすげーうまくなるって説明されながら作ってもらいました。
甘さ控えめ旨味強めの金平ゴボウもおいしかったです」
味の粉というのは有名な商品のことである。小瓶に塩のような粉末が入った状態で売られている旨味調味料だ。その粉末がグルタミン酸ナトリウムと呼ばれる旨味成分である。
『どんだけうまかったんだよ(笑)』
『グルグルすんな』
『グルタミン酸ナトリウムだぞ』
『体に悪そうな調味料を取ってんなあ』
「あ、そうですグルタミン酸ナトリウムですね! アールちゃんが“これは便利な調味料で配信者の味方だぞ”と熱弁していました。体に悪いと思われがちだけど、ええっと体の毒素を排出してくれたり脳味噌の能力を上げてくれたり筋肉にもいいらしいです。
これは魔法のやばい粉では? とツッコンだらただの栄養素だと一笑されました。さくらの女子力はもうこの時点でだいぶ敗北していましたね」
なぜか誇らしい顔になるさくら。
「ちなみに塩と一緒で過剰摂取したらダメ。取りすぎは頭痛がしたりするので気をつけるようにですって。適量の10倍とか50倍とかどんだけ入れてんだよってぐらいじゃないとならないので、そう心配することはないというのは安心ですよね」
『はえーそうなの』
『まあ冷凍食品とか美味しいと言われないといけないから過剰に入りがちではある。商売だからなあ』
『配信者の味方ってどういうこと???』
「配信者の味方というのはですね、昆布と違って味ノ粉は使いやすいから手軽に料理の味を決めるのに便利だとか。味噌汁とか吸い物を3分で作るのに便利らしいです。卵かけご飯にレンジでチンした野菜をぶち込んだりする時とかもいいらしいです。そういう簡単だけどちゃんとした栄養の取れる料理くらいは取らないと配信者はダメだと叱られました。
Mバーガーやコンビニ弁当は病気になりにいくようなもの。特にVチューバーは部屋に籠りっきりになることもあるからそのくらいはやれと……」
悲しそうな顔、申し訳なさそうな顔を浮かべるさくら。
なるほどーと納得する一覧。
「なによりさくらのやりがちな食生活だとすぐババアになるぞと言われました……さくらの食ってるご飯は“ババア到達最速RTAご飯”なんだと……そこまで腐すのはひどすぎるんじゃないかと思うんですが、みんなこの表現をどう思う?」
『草』
『残念ながら当然』
『ジャンクはねえ、カロリーはいいけど添加物とビタミン不足がねえ……』
『ジャンク食ったら別のもんで補強すればいいけどそんな意識高いやつはそうそうジャンクフードを食べないというね……』
『アールちゃんもコメントもさくらに厳しくて草(震え)』
『最速ババアメシ食ってそうな奴がコメント欄にもチラホラいるな(目を逸らしつつ)』
「うわぁ……アールちゃんの言ってることって合ってるんだ……マジで気をつけないとなー」
コメントを眺めつつ呟きながら、パソコンで次の作業を進めていく。
内容は予定していたゲーム配信である。ジャンルはステルスアクションゲームだ。
「じゃあお知らせはこのくらいにしますねー。次はゲーム配信なんですけど、この間リスナーさんからオススメされたステルスアクションゲームをやっていこうと思います! 初見なので、チュートリアルからやっていきますね!」
しかしこのとき、彼女は特大のミスを犯していた。
彼女の家にパソコンは一台しかない。その一台で配信も仕事の作業も、そして趣味のゲームも行っているのである。
ありがちと言えばありがちなミスを、彼女は犯してしまった。
「よーし気合を入れて――【堕落ソフト♪】――は?」
『は?』
『は?』
『ファ!? この企業名はまさかっ!?』
『このねっとり男性ボイス……っ! まさか……っ!?』
「ちょ待っ――【ようこそ寝鳥学園~きみの思い人は大竿先生の性奴隷~】――うぎゃあああああああああああああああああ!?!?」
そう、彼女は誤って趣味の18禁エロゲーを起動してしまったのである。当然ながら慌てて消そうとするも失敗し、クオリティの高いダークなBGMがしばらく流れてしまった。
「違う違う違うぅ! これは違うのぉー!!
エロゲが! さくらのエロゲーがぁああああああ!?
あぁああああああああああああぁああああああああああああ!?」
当然、コメント欄は無情にも盛り上がっている。
『wwwwwwwww』
『wwwwww』
『え? え? え?』
『幻聴かな? 男性向けのエロゲーでもやべえジャンルだった気がするんだが……』
『説明しよう! “ようこそ寝鳥学園~(略)~”は通称“寝鳥竿”と呼ばれる王道の寝取られエロゲーである! ヒロインは五人! 清楚、ツンデレ、ギャル先輩、ロリ後輩、女教師などでしっかり差別化された高品質のシナリオで構成されているためユーザー評価の高い作品だ! 禁断の果実をかじるならぜひ寝鳥竿でかじるのを推奨するぜ!』
『ドMにも種類があるってこと教えてくれる至高の作品だよーおすすめー』
『なんで既プレイがこんなとこにいるんだよwww』
コメント欄が地獄絵図みたいになっているが、さくらはそれでも配信のために冷静に努めようと深呼吸して、言葉を発した。配信画面もすでに予定していたステルスアクションゲーが映し出されている。
「……す、すいません。間違えました。それではゲームのほうをしていきたいと思いまーす」
『スルーしようとしてて草』
『逃げるな! 逃げるな!』
『エロゲー好きなん?』
『な、なんで男性向けエロゲー??? 乙女ゲーやBLゲーとかじゃないんか???』
「……はい。単純に好き、だからです。エロゲーってほらかわいい女の子がいっぱい出て来るじゃないですか! 特にお乳の大きいことかめっちゃ多いし、ロリっ子もいいのが出て来るでしょ! ああいうのが好きなんですよ! 二次元の女の子はね! みんなから好かれるかわいい対象なんですッ!!」
ザワザワ ザワザワ ザワザワ
コメント欄は大盛り上がりだ! これは逃げられない!
社守さくらの思考は緊急事態で加速していく!!
(どうするどうするどうする!? いやここは……開き直って熱弁するべきではないだろうか!)
この時の決断を後にさくらは少し後悔するのだが、この時は諦めの気持ちに至った。だって性癖がバレたら隠しようがないじゃない。
やけっぱちになって素直な思いをぶつける!
そうリスナーを! こっちの沼に引きずり込むのだ!
「リスナーの皆さん! よく聞いてください!」
バン! という台パンが盛大にリスナーの耳に届く。
彼女の演説は独裁者のように優雅で力強い響きを放つ!
「エロゲーは悟りを開ける芸術なんです! 性欲の解消はおまけですがそんなこともできる優れモノなんです! でも本質は! 未知のものに出会わせてくれる! つまりは一生の恋ともいえる出会いの扉! これが本質! そう! 本質なんですッ!!」
雪藤美子は深呼吸をしつつ、アバターのさくらの表情をキーボードでしっかり調整する!
「エロゲーとは! 我々を新しい娯楽へ導くコンパスである!!」
自分の感情とリンクさせ、思いをリスナーに伝える!
「エロゲーは全年齢対象にはできないこともできてしまうんです! つまり自分の世界が広がる景色を見せるための山でもあります! あるいは低下している視力を上げるための優れた眼鏡なのです! この美しくも危険な炎を消すことは文化の否定です!」
言って、彼女は深呼吸と共に演説を終えた。
そして促す。
「さあリスナーの皆さん、さくらと一緒に日本の誇る文化に浸りましょう」
普段の赤ちゃんボイスではなく、あえて落ち着きのある母性的な声で堂々と誘惑するそれは、リスナーに奇妙な激震をもたらせ、コメント欄を混乱の渦に叩き落した。
『未知、新しい扉=寝取られ性癖』
『うーんこのお姉さんボイス……いいね……っ』
『あの、寝取られの宗教に勧誘されてますけど? もしもしポリスメーン???』
『間違ってないんだけど起動したタイトルのせいでシュールにしかならないんだよなあ』
『決めた。俺はさくらをこれからも推していくぜ』
『ワイもー』
(ゲームには申し訳ないけど今日は寝鳥竿でいくしかねー!! 女は度胸だ勝負だこんちくしょーめー!!)
そういった感じでさくらは寝鳥竿談義を始める。
「フッフッフ――始めよう。私の寝鳥竿解説を! とくと魅力を聞き給え! そう! この作品を語るにはたった二人のキャラクターを語るだけでよいのだ!!
普通のギャルゲーでも稀な超純情純愛一途な理想の女の子:山下愛ちゃんと、チン〇にヘソ天女の女教師:後藤志図子をなッ!!」
『wwwちww〇wwぽww』
『へwwそwwてんwおんwwなwwwwww』
『草ぁ!!』
『たしかにヘソ天してるな志図子のやつ』
『他のやつにお勧めするとき、その表現使うねー』
『あぁあああいいいいいいどぉおおおおるううううう!?』
そういったようにさくらはエロゲー談義をたっぷりと行なった。最後に少しだけ予定のゲームをプレイし、なんとか配信を終えた。終わった瞬間にベッドに倒れ込むほど疲労を感じ、そのまま不貞寝した。
翌日、速攻でツブヤイターにて確認するとサジェスト機能により『社守さくら エロゲーマスター 寝取られ好き』が表示されるようになっていた。さくらこと雪藤美子は頭が爆発しそうな羞恥心とともに「きえぇー!?」という奇声を上げることになった。
「うわーん! 凛ちゃんエロゲーで大変なったー!」
『ハッハッハ。まあバズってよかったじゃないか』
パニックのまま凛に電話をかけると慰められ、さらに夜には夕食の約束を取り付け、そのまま夜を迎えるとお酒を飲んで愚痴を吐き出していた。そしてこの時にお酒を飲んで愚痴ったことが、二人の距離を縮めていった。
■ ■
橋渡凛と雪藤美子はあれからすっかり親しくなり、親友に近い関係となった。特に一ヶ月ほど前の『社守さくらの寝鳥竿事件』以降は顕著に親しくなったと言える。
また、あの事件(?)を機に社守さくらの登録者が一〇〇〇〇人を突破した(この時代のVチューバーとしては上澄み)。これにより美子の生活も精神もどちらも非常に安定させていた。凛の援助ももう少しすれば必要なくなるだろう。
「ご飯できたよー」
「はーい」
二人の定期的に夕食を一緒に食べるというような親しい関係は続いている。夕食を取る場所は美子の家で、美子の配信が終わった後か配信の直前に取るというのが習慣化していた。またその際には多めに煮物などの作り置きを用意しておき、それを美子の家の冷蔵庫にしまって凛が帰宅することも習慣になっていた。
そんな折にふと、美子が真剣な表情を浮かべて凛に尋ねた。
テーブルに向かい合いつつ“豚汁うめえ”と思いながらだ。
「凛ちゃん、すごく、訊きづらいけど訊いていい?」
凛、こくりと頷く。
「あの、その、私のこと食べたいとか思ったりする?」
凛が思わず耳を疑って固まった。途端、美子の耳や頬が赤くなる。これは当然ながら性的な意味で、という問いかけを確信させてくる。
そうするや否や、凛はご飯を掻っ込んでから立ち上がる。
「ちょっと鏡の前に来てもらえるかい?」
「え? あ、うん」
美子が彼女の言葉に従う。鏡というのは部屋の隅っこに大きな鏡のことだ。美子が身支度用に買ったものである。
そこに立たせると、凛は美子の服をめくりあげ彼女のお腹を鏡に映す。
「ひゃあ!?」
「ごめんごめん。まあそんなことよりきみの体を見ようか。このアバラの浮き具合、これをどう思う? 最初よりは幾分かマシになったとしてもだ」
「ど、どうって……」
困惑する美子にため息をつく凛。
「正直なところ、ここまで痩せてると性的な魅力なんてないよ。レズの私じゃなくてもね、普通の男でもこれに欲情する奴はそういないだろ」
「ひ、ひどい――」
「そのぐらい痩せすぎってことさ。自分じゃわかりにくいかもね。正直、声をかけたときはプライベートに干渉しすぎたと反省してたんだが、やっぱりこれを見るとそんなこと言ってられん」
ため息をつきながら美子の服を元に戻す凛。終わるや、美子は恥ずかしそうに両腕を抱きしめてしまった。
そこへ流れるように、凛が美子の顔に手を添えて振り向かせる。
凛が少し見下ろす形で、二人は見詰め合う。
「体の骨格は悪くない。顔の作りは美少女になれるタイプの作りなんだろう。人間って痩せたほうがイケメンにも美女にも見えやすい……それが良くなかったんだろうね。顔だけ見るとなあ、ちょっと不健康そうな美少女だもんなあ」
「び、美少女……」
「そう。化粧でちょっと整えればなおのことかわいい印象の美少女さ。でも腕とか足とか細すぎるんだよ。お腹は痩せるのはいいがやつれてるのは萎える。きみの場合はやつれてる状態。アバラを見ればわかる」
凛が顔から手を離した。呆れつつも笑みを浮かべている。
自然なその仕草や表情に、美子は胸の高鳴りを意識した。
「私が性的に食べたくなるのは、もう少し太って健康的になることが大前提だな。だからもうちょっと食べて太って、健康的な体になりなさい。痩せる前はEカップの胸だったとか、コンテスト直前レベルのボディビルダーかとツッコミたくなるわ。
そうだね、今のAカップからその付近のラインに戻すくらい基準にしよう。健康的に戻せたらプレゼントで高級下着を買ってやってもいいぞ? ハッハッハ」
美子はボディビルダーという言葉に困惑した。自分は痩せすぎているのは自覚しているが、そういった人たちに例えられるほどとは思っていないからである。そういう意味で彼女はまだまだ危険意識が薄かった。
「それで少し運動もしよう。恵まれた容姿をドブに捨てるのはもったいない。ダンスそのものは教えられないが、ステップによる有酸素運動でちょっとした運動神経強化や筋トレくらいなら教えることはできる。それをやっておけば今後の活動にも生かせるぞ、一緒にどうだ?」
「ダンス? ステップ?」
「まだ会社の議題にはなかなかできないけど、フルライブはそのうち3Dアバターでダンスを多用するライブ配信とかするようになるだろうね。そこで運動不足で無様をさらすよりは、ちょっとくらい踊れるほうがアイドルっぽいだろ?」
「それはそう。でも、そういうのって映像スタッフが用意するものなんじゃ? Vチューバーなんだし」
「作れなくはないけど、直接モーションを取ったほうが早い。じゃあ私たちでそれをやってしまおうという流れになるさ」
「あ、そうなんだ、すげー……私、腹筋できないんですけどそういうのが放送されたり――」
「運動系の企画でのネタ枠だな」
「ぜひ一緒に運動をさせてくだされください」
美子はものすごく嫌な予感を感じてしかめっ面になり語尾もおかしくなった。凛はつられてつい含み笑いを漏らしてしまった。
そんなこんなでテーブルに戻って食事を済ませ片づけをしていくと。時間は深夜帯になっている。凛はちょうどいいと思って提案する。
「美子、ご飯を食べたらジムに行こうか」
「え? こんな時間に?」
「今の時間帯、実は人がものすごく少ないジムを知っててさ。筋トレマシンとかの説明をするのにめっちゃ楽なんだよ。デートだと思って一緒に行こうよ。配信のネタにもなるぞ?」
「配信のネタは大切。わかった、行こう」
そうやって二人は夜中に出かけた。その楽し気なやりとりは同じ時間を長く過ごすからこそのものである。
順調な日々がしばらく続いていった。