第20話「ジャックポット」
雪藤美子と橋渡凛は世渡李神社から商店街を抜けて来て最寄りの駅に到着した。駅はやや規模が大きくそこそこの人だかりで賑わっている。ただし今の時間帯は三時ごろということもあって、人だかりが邪魔になるほどではない。
「ご飯どうしよっか?」
「そうだな……」
駅の中に入ったところで凛が違和感を覚えて警戒を強めた。その分だけ足取りがゆっくりになっている。
さっと見渡したり、あるいは反射して別の方向が見える窓の部分を少し注視して見たりしている。そうして確認していくとやはりというように凛は確信を抱いた。話しを続ける美子を無視して集中して考えていき、そして。
「凛ちゃん、ねえ聞いて――」
「美子、真面目な話だ。腕をほどいて」
「は、はい」
ドキッとするような鋭い声に従い、美子は腕を組んでる状態から軽く手を繋いだ状態に移した。いつでも離して逃げられるようにだ。
「どうやら本物のストーカーが私達をつけているらしい。探偵の可能性もあるが……何の探偵が私達をつけるんだって話になるからな、それはないだろう」
「え、ええ? ほ、本当に?」
「ああ、黒い帽子と白いマスク、それに白い上下揃ったジャージ姿のやつだ。髪は坊主頭かな? 神社の方から見かけているから、たぶんそうだろう」
「マジでいるんだー……美少女だからですか」
「ハッハッハ、きみに一目惚れも否定できないな」
「いや凛ちゃん――は、男装してるからぱっと見じゃわからないかな?」
美子が握っている手の指を動かす。不安の表れで自然と動いているのだ。凛はそれを察してかわずかな時間、反対の手で不安を和らげるように彼女の手をさすった。
「念のためにいつでも逃げれるようにな。いざとなったら私を置いて行け」
「いやいや一緒に逃げるんですよ?」
「可能ならもちろんそうする。無理なら私も一人で逃げる。刃物には勝てないからね」
「おう……」
「なに、さすがに日本だから、たぶんただの盗撮野郎さ」
そのまま緊張感をもって駅のホーム向かっていく。凛はさりげなく警戒するが、美子は相手から中止されればわかる程度には大きく警戒している。動揺していると言ってもいいだろう。凛は電車に辿り着くまで小声で何度も『大丈夫だ』と励ました。
ホームで電車を待っていると放送が鳴り、電車が到着する。電車の車両は大きめで、その内装は左右に席が別れて中央に広めの通路があるタイプのものだ。襲われても対処できる充分な広さがあった。
車両に乗り込むと二人は端っこの方へ移動する。美子は座り、凛は彼女を隠すように立ったままだ。人込みは少なめであり、先ほど警戒していた男が乗り込んだ様子はないが、隣の車両で追ってくることも考えて凛は警戒する。なお隅のほうに位置取ったのは、頭を動かさなくても車両内を見渡せるようにするためだ。
車掌による注意の放送と同時に電車の入口が閉まる。そしてほんの少し動き出そうとした瞬間だった。空気が変わったと言うべきだろう。怯えるような気配、驚くような気配、それを掻き消すような怒りの気配が社内を支配していく。
凛達とは真反対の位置で異常が発生したのだ。サバイバルナイフを持った総髪の男――飯塚と、異様に冷静な金髪の男がスマホを構えて社内を撮影している。
「やしろもりさくぅらぁあああああああああああああああああああッ!!」
サバイバルナイフを取り出した男が威圧するように叫ぶ。その瞬間、美子には怯えが混じり凛には驚愕が広がった。
ナイフの男にはっきりと睨まれたからである。
同時に動き出していたとしていた電車が緊急停止し、ホームから中途半端に離れた状態になってしまう。
さらに凛達の後方の車両からは白い煙が充満していた。それが火災によるものか、発煙筒のようなものによるかはわからない。しかしどう考えても意図的に作り出された状況であることを凛は確信する。
凛は隣の車両に逃げるという選択肢を捨てる。その一瞬の判断を下すと同時に凶悪犯である飯塚は大げさにサバイバルナイフを振り回して、雪藤美子に向ってゆっくりと接近して来る。
「邪魔だ! 俺はあの裏切り者の女を殺すんだ!」
「逃げろ! 私に構うな! 外に出て警察を呼べ!」
飯塚はパニックを起こして立ち尽くす男性を容赦なく切りつけ、怯んだところに蹴りを入れて吹き飛ばした。派手に吹っ飛んだことが威嚇になり電車内から悲鳴が上がった。同時に人々は壁に張り付くようにして通路を開けていく。ただ、怪我をした男性はおそらく無事だろう。ナイフも蹴りも急所には当たっていない。
凛が飯塚に立ち向かうように歩き出す。被っていた中折れ帽子を右手に取って。彼女は暴漢の男性への加害方法を見て『暴力には慣れているが素人である』という分析をした。いや、希望的観測をしたという自覚がありつつ、その分析に頼った。
なぜなら電車の通路は抵抗できるスペースはあるが狭すぎるからだ。接近を必要以上に許せば許すほど美子は簡単に巻き込まれる状況を作られてしまう。それが凛から冷静さを奪っていく。
(まずいまずい!? ターゲットが固定されてる! 紛れて逃げられん、走っても追いつかれる可能性あり、仲間がいる可能性しかない! だが私でいけるか!? 素手ならいけるが刃物持ちが複数人はカウンターでないと厳しいぞ!? そもそもタイマンでも仕掛けるのは――いや仕掛けるしかない! 私が待ちの姿勢に入ると無視して美子が襲われるッ!! やつの目的は社守さくらだ! あの目は気づいてるんだ! 目的を成し遂げるまで止まらない! クソが! うまくやつのアドレナリンを上回る技を当てられるか!?)
一定の距離になる。そこで凛と飯塚が睨み合う。飯塚が威嚇のようにわざとらしい一歩を踏み出した瞬間、凛は右手に持っていた帽子を投げつける。飯塚が凛を舐めていたことと、遊びで投げる練習をしていたこともあって、投げた帽子の軌道はしっかりと相手の視界を邪魔した。
想定通りに事が運び、凛が流れるように相手の膝を狙ってサイドキックを行なう。
(取った! ……いや違うこいつっ!)
凛のサイドキックはたしかに命中した。しかし寸前で気づいて咄嗟の回避運動を行なわれたため膝の関節ではなく筋肉の方へ命中してしまう。それでも痛みで動きは鈍るのを見越し、凛は続けて右手の人差し指と中指を伸ばしてストレートリードと呼ばれるパンチの動作で目潰しを狙う。
そこでうまく怯めば、みぞおちにシャベルフックでも打ち込んで無力化を狙おうとしたのが凛の作戦であった。
しかしその指を伸ばしたストレートリードによる目潰しが当たる直前で、ナイフを持たない手で腕を押されたことにより突きの軌道が外されてしまった。ボクシングで言うパリングと呼ばれるものに近かったと言えばわかりやすいだろう。
まずいと思って距離を離そうと伸ばしてしまった右腕を引いた瞬間、飯塚のサバイバルナイフが斬り上げを行なう鋭い音が聞こえた。
それとほぼ同時に凛の人差し指と中指が斬り離されて窓にぶち当たった。それのせいで婚約指輪も抜けてしまい、カーンと何処かに当たった音が響く。
凍ったような空気が過ぎていくと、堰を切ったように指の無くなった部分から流血が溢れ出した。
「その肩甲骨の動き……自衛隊崩れかクソったれ。ご指導いただいた先生方が泣いてるぞ、貴様」
「ボクシング、じゃねえな。キックボクシングだとしても蹴りが急所を狙いすぎてる。なにかしらの武術か?」
凛と飯塚が何でもないように殺し合いをしながら言葉を交わす。
その異様さに電車内の喧騒はひどくなり始めた。
そこで、電車の扉が開いた。とっさの判断なのかわからないが、運転手によりいつの間にか電車がバックし、乗客が問題なくホームに脱出できるようになっていた。そのため扉が開いた瞬間に一般客が外へと駆け込んでいく。
その中で美子は表情を恐怖と絶望に染めつつも、必死に手に持ったスマホで警察を呼びながら外に出て行く。自分ではどうにもならないと早々に理解で来た。あの中にいることが異常そのものだと。
電車内に二人だけが残されていく。
「いいだろう、おまえを殺す」
「勝ち目なんてねーぞ。女なんて他にいるだろう?」
「ふざけるなよ、代わりなんて見つかるもんかッ」
「大いに同意するぜ。ならお前も八つ裂きだ、イケメンさん」
お互いに覚悟を決めて構える。
思考に違いはあったが、衝突するという結論は同じだったからだ。
飯塚の構えは両腕を胸より少し高い位置で構え、ナイフを揺らすように動かしている。腹部ががら空きのような構えだが、これはあえてそうすることで相手の攻撃を誘い、カウンターで反撃しやすいようにするためのものだ。そして視線は凛を見ているようで常に雪藤美子に集中している。隙が生まれれば容赦なく美子のほうへ走り出すだろう。
凛の構えはジークンドーのスタンダードな構えだ。ボクシングに似ている構えだが、フェンシングを参考にしていることから利き腕を前にする構えである。もっとも、現状は右手を怪我しているので、左腕を前にしている状態だ。
負傷の痛みはアドレナリンのおかげか全くない
愛する人のところへ行かせないため、凛は自ら攻撃を仕掛ける隙を探っていく。
■ ■
独島は駅のホームがパニックで騒がしい中、目立たないように立ち去っていた。そのまま人目につかないようにトイレに入り、個室にて簡易的な着替えを行なう。黒のジャケットを別のものに変え、金髪のカツラを取って黒髪に戻して、代わりに帽子を被り、使っていたものは全て持ってきたビニール袋へと突っ込んでいく。
そして先ほど撮影した動画をSNSのツブヤイターに投稿する。Vチューバー、フルライバーに関連するタグを忘れずにつけてだ。
『やしろもりさくぅらぁあああああああああああああああああああッ!!』
投稿した動画は二つに分けて投稿した。ばっさりと余分なものをカットしただけの無加工の動画だ。しかしそれでもその動画で十分に『社守さくら=雪藤美子という美少女』というのははっきりとわかるだろう。
『邪魔だ! 俺はあの裏切り者の女を殺すんだ!』
『逃げろ美子! 構うな! 外に出て警察を呼べ!』
殺人現場の直前というのがわかる動画に満足してスマホをビニール袋に突っ込む。独島はそれほどパソコンに詳しいわけではないので、警察の調査を逃れるためのちょっとした工夫である。
トイレから出て一直線に外へと向かった。ビニール袋は背負ったリュックに隠しているので目立たない。帰りに適当なゴミ捨て場に破棄する予定だ。
そうしてタクシー乗り場付近に出たころで、独島は普段使いのスマホで電話をする。油断だったが、嬉しさのあまりに報告をしたくてたまらなかったのだ。
「――もしもしアニキ? 例の件、当てましたよ」
『ツブヤイターで確認した。こりゃあ知ってる人間は中の人だって余裕でわかるだろ。ジャックポットはどうだ?』
「期待は大きいと思いますよ。恋人さんがバッチバチにやってましたからねえ。一瞬でタマが取られそうな雰囲気でちびりましたよ。いやあ本物はすごいっすねー。震えるっすわー」
『ハッハッハッハ! まあたしかに怖いだろうなあ! だが逃げるにも稼ぐにも必要なものだ。鈍感なやつは鉄砲玉にしか使えないからな』
電話をしているうちに部下の迎えの車を発見し、独島は後部座席に乗り込む。それによってさらに彼の顔は緩み切っていた。
「ちなみにバイトの子に野次馬として続きの撮影をさせてます。まあ状況次第なんで何とも言えませんが、純粋な野次馬も撮ってくれるでしょうから、大丈夫でしょう」
『そっから足は付かねーだろな?』
「前金も払ったし大丈夫っしょ。こちらの身元は教えてません。捨てるスマホの連絡先は入ってますがね」
「そういやあの煙は何だ? まさか電車を燃やした?」
「ありゃあ発煙筒っす。イーヅさんの提案でしてね。煙が蔓延しているところへ咄嗟に逃げる判断は難しいので、逃走を防ぐためにバイトに使わせたっす。見事にうまくハマってくれましたよ」
『なるほど、ならいいんだ。さて、あとは転売での稼ぎをうまくやるくらいか』
「Vチューバーのニュースを動画で扱ってるチャンネルみたいなことをやっておけばよかったことが悔やまれますが、まあ転売だけでいい金は入りますよ。直筆サインも揃えてますし、限定グッズもそこそこありますからね」
独島の興奮する声につられてか、酒鬼原の声も弾んでいる。
『なんだったかな、たしか“社守さくらには失望しました。でも推していた事実は消したくありません。この値段は僕の気持ちを表現しています……ッ”だったかな?』
「あ、読みました? なかなかの“僕の考えた最強の変態オタク”な名文でしょう? 」
『いくら限定グッズとかいうやつとはいえ、あんな煽り文句で売れるとは信じられん業界だ』
「さくらちゃんが死んだ場合は“辛いです。本当は手放したくない……でも持っていると彼女を思い出してもっと辛いんです……だから、売ります。値段は僕の考えている価値も含んでのものだと思ってください!”って感じで100万くらいを狙っていきたいですねぇ」
『いよ! 日本一のヤクザ!』
「冗談はやめてくださいよーもう。本物インテリヤクザに言われたら恥ずかしくってたまらんっすよー」
独島は兄貴分と慕う酒鬼原からの熱気のあるおだて方に本気で照れていた。
「というわけでもうちょっと後始末とかするんで一週間後に事務所で報告しますわ。そこでちょっと飲みましょうよ」
『わかった。こっちもお薬のほうの金額がまとまりそうだからな。お前に負けないように結果を出しておく。じゃあな』
「ういっすー。お疲れっすー」
電話を切る。後部座席背を預ける。そして彼はスマホでSNSのツブヤイターを開き、自分が引き起こした大事件の行方をリアルタイムで確認し始めていった。