第19話「神前婚約式」
社守さくらの恋人騒動が落ち着き、雪藤美子(V:社守さくら)と長船羽月(V:シルヴィア・ブラックフェザー)の謹慎期間も終わり、フルライブはようやく通常の活動に戻っていた。
そのフルライブ本社兼事務所では今日も多くのフルライバーとスタッフが仕事関係で行き来している。雪藤美子も仕事で訪れていた。
「――はい、じゃあそのようにお願いします」
「はい、かしこまりました。先方に伝えておきます。ではさくらさん、では失礼しますー」
「お疲れ様でしたぁ」
午前中で仕事が終わり、美子がスタッフに挨拶して帰宅しようと出口に向かって歩いていく。
その途中、黒染千鶴(V:彗星ルカ)が美子の後姿を発見する。千鶴はウキウキして後ろから近づいた。
「ずんずんどんどんずんどんどん―♪」
「?」
「ずんどこどこどこどこモッフモフー! 熊さんがかわいい子を捕まえたぞぉー!」
「おおっふーっ?」
千鶴が美子の背中から覆うように抱き着いた。千鶴が体をわしゃわしゃと触りだしたところで気が付いたのだろう、美子は冷静に彼女の頭を撫でて対応する。
「ルーちゃん。あなたいつからハンターから熊そのものになったんだい?」
「熊はハンターでもあるからほら、都合のいい時に熊にも変身するってもんさー。いけなかったりするかなー?」
「フフ、わけわかんなくて草が生えてしまうんだなー」
笑い合ったところで二人は正面に向き直す。
「さくらはこれから収録? 打ち合わせ?」
「午前中の打ち合わせとサンプルの確認だけぇ。で、今から帰るところなのです」
「ええールーちゃんつまんなーい! まあいいとして、じゃあお昼一緒にどうよ?」
「あ、ごめん。そのデ……友達と遊ぶ約束してるんだよね」
「ああじゃあ夜もダメか―。夜はクロル達とも馬肉を食うぞーみたいな話してるけど……」
「夜も遊ぶ約束なんだなぁ」
「そっかー。じゃあまた今度誘うぞー?」
「オッケーオッケーよ、もちろん」
アッハッハと二人は笑い合った。
そして千鶴はニコニコしながらジロジロしながら美子の顔を見る。どういうわけかいろいろな角度から見据えたいらしい。本人は真剣に観察している。
美子が困惑していると千鶴が納得した顔になって言葉を出す。
「うん、大丈夫そうだね、よかったよかった」
千鶴は安心というように満面の笑顔だ。
その感情を察して、美子は力強く言葉を返す。
「あの放送事故は、スタッフさん達はもちろん社長もすんごい心配されたからね。しかも謹慎処分のことを謝られっぱなしだし、活動再開に尽力してくれたもの。フルライバーにはみんなから励まされて、弱気になったところはアールちゃんによちよちされましてよ?
最後はオルちゃんのあの配信よ。ここまで応援されたらこの社守さくら、フルライバーとして奮い立たねば無作法になるというものです」
冗談めかしつつ気合の入った顔に加え、大きく胸を張って美子は言った。そんな彼女に千鶴は笑顔が溢れる。
「そっかそっか、安心した。あのな、さくら。その……」
「なんですかい?」
「その……またこういう感じで問題起きたら、次は私が絶対に助けるからな? 頼ってくれよ? その、早まった行動はするなよ?」
「ありがとう。いや、今回は冷静な行動でしたからね、次も大丈夫だよ」
「それもそっか。まあ、そういうこった。ライブでの借りはその、絶対に返すつもりだから。それだけ。んじゃあ、またな!」
「うん、お疲れさまぁ」
恥ずかしそうにして去っていく千鶴を見送ってから、美子はゆったりとした歩みで事務所の外へと歩いて行った。
「ふんふん♪ ふふん♪」
そして千鶴は美子と別れたあと、本社の二階にある食堂へと向かった。食堂にて定食を確保してからとあるテーブル席へ向かうと、そこには時野梓紗(V:青空みちる)と坂田真衣(V:クロル・エ=アップルスミス)が昼食を取っていた。
真衣は憂いを帯びた表情で外を眺めている。みちるは持参したらしい弁当を食べている。千鶴が近づくと梓紗が挨拶として手を振っている。
「ちーっす。到着しましたー」
「お疲れさまー。お昼からは3Dでゲーム収録だね」
「ああ、それで今日は終わりだ。それでさーみちるさん、さくらにそこで会って晩御飯を誘ったけど断られた―」
「あら残念。他の人を誘ってみる?」
「うーん、パッと見たスケジュールだとズレてた気がするんだよなー」
「じゃあ今日は三人でご飯だね」
千鶴が昼食を食べようと着席する。そこで真衣がぴくりともせず外の一点を見詰めていることに気づく。
「クロル、どうしたんだ? そんなアンニュイフェイスで」
「あれですよ、あれ」
とんとんと叩くようにして指で示す。指の先には相手と腕を組んで歩く雪藤美子と男装した橋渡凛(V:魔女屋オルエン)が事務所の外を歩く姿があった。思わず、千鶴はその衝撃の光景に目を見張って固まってしまった。
そんな千鶴を差し置くように、梓紗のほうも驚いた反応を見せている。
「あれって、オルさん、じゃない?」
「そりゃそうですよ。何度かあの男装した格好で来てますよ、会いませんでした?」
「あ、いや、別人かとふと思っちゃって――」
「そうじゃなきゃ浮気じゃないですか。そんなことしてたら私がオル様の隣を奪ってますぅ―。さあ幸せになって爆発しろぉー」
真衣がわざとらしく抗議するように言う。すると、梓紗はロボットのようにギコギコと動き、そして爆発したように思いをぶちまけた。
「ええ!? 恋人ってさくらさんのことだったの!? 本当にぃい!?」
「みちる先輩、知らなかったんですか?」
「知らない知らない! え!? うそ? 本当!?」
「本当ですよ。なんなら私、さくら先輩に確認しましたからね。ていうか気づいてないって……そっかー、いやあ、最近はもう特にねえ、あんなにわかりやすいからねえ……今はもう、みんなわざと知らないふりをしているんだとばかり思っていましたよ。失敗したな―」
「そっかー、そうだったんだなー。いやー本当にびっくりしたー」
梓紗はようやく衝撃から立ち直り落ち着きを取り戻していく。途中から納得した様子になっているのは心当たりがふんわりとでもあるからだろう。
一方で、千鶴の方はショックのあまり硬直したままであった。
「ああー、ルカ先輩が脳を破壊されてる感じになってますねぇー」
「ま、まあ衝撃が凄いからね。そっかー、二人ってそういう関係だったんだー。公表しろとは言わないけどなんでこう、みんなに隠してるんだろう?」
「うーん、シンプルに仕事とプライベートを分けてるとかじゃないですか? ほら、あの二人って隠れてるところでイチャイチャするじゃない……してるのわかってますかね?」
「それってあれかな? 収録中とかみんなで会話しているときに一瞬だけ、二人でジェスチャーとかアイコンタクトとかで会話するやつ?」
「それですそれですそれですっ! あれ見てうわーわかりやすくてえてえでいちゃついてんなーと思ってましたけど……案外、みんな気づいてない?」
真衣の発言で梓紗は『あれかー』と心の底から納得したらしく、脱力して椅子の背もたれに体を預けた。千鶴はまだ再起動できていない。
「いやあの、実は仲がいいのは知ってたよ? ただこう、フルライブ一の賢者とポンって言われてる二人じゃない? だから相性自体は悪いからそんなに会話しないのかなーって勝手に思ってたんだよねー。
まさかその真逆とは……このクイーンの目を持っても見抜けなんだわ」
「それ節穴風の嘆き方になってますよ先輩。というか、相性が悪くて仲がいいというのはどういうことです?」
「そりゃあだって、フルライブの初期のころにさ、さくらさんが特に貧乏だったでしょ? そのことは配信で彼女が公表してたじゃない?
それで食生活が滅茶苦茶になってたところを積極的にサポートしたのはオルさんなの。なによりさくらさんが家でぶっ倒れたのを発見して入院の面倒を見たのはオルさんだよ? どう見ても恩人みたいなものなんだから、仲が悪いわけないじゃない」
「え、なにその隠れエピソード……尊いんですけど」
キャッキャッキャと盛り上がる二人。
そこで千鶴がようやく再起動して呟く。
「やばい、衝撃が抜けてくれねえ……」
「ルカ先輩はさくら先輩にゾッコンですもんね」
「ビ、ビ、ビジネスフレンドだからね……そうじゃないね。いやでもそっか、そうなのか……というかジェスチャーとかそれ気づかなかった……」
「あれ気づかないのかー。ほんとこう息ぴったりなんですよ。例えばそうだな、この間もですね――」
と言って、真衣がジェスチャーを実演する。
そこで合点がいった梓紗が補足する。
「あれかな? オルさんがこんな感じで手を振ってさー」
「そうそうそう! で! さくら先輩がウインクしながらこうやってー」
「で、こうでしょ?」
「そうなんですよー!」
そうして真衣と梓紗が美子と凛が使うジェスチャーをどんどんと実演していった。真衣としては誰かに話したくてたまらなかったのか妙に熱が入り、梓紗のほうは真衣の補足に納得と楽しさを覚えていた。なお、それを見るだけの千鶴はあまりのジェスチャーの多さにあんぐりと口を開け、気になった箇所を時おり質問するという感じである。
そうしてその話題は、三人の休憩が終わるまで盛り上がっていた。
■
「美子、少し早く歩こうか」
「はーい」
事務所での仕事が終わって合流し、おめかしした雪藤美子と男装をした橋渡凛は恋愛に関するご利益のある世渡李神社の中を、腕を組みながら歩いていく。駅から神社への道中でもそうだが、今日の凛は周囲の警戒を多くしていた。挙動不審には見えないが、見る人が見ればわかる仕草かもしれない。
「凛ちゃん、今日はいつになく警戒レベルが上がってますねぇ」
「東郷先生に歩行中の警戒方法を習ってさ。それを遊び半分で試してる」
「あ、なるほど。ということは今の私はお姫様であれということ? いやあ、今日の凛ちゃんもサービス精神が凄いなぁ、えへへ」
美子が笑みを浮かべながら凛の腕を抱きしめた。
凛も嬉しさに頬が緩む。
「まあホントは腕を組んで歩くのは良くないんだけどさ、武術家的な考えだと」
「あ、そうなんですか……」
「ほら、どう考えても咄嗟の反撃が難しいし、若干ながら視界の角度変更が狭まるだろう? それがよくない」
「武術家の奥さんってひょっとしてデートの定番行為ができないんじゃ?」
「できないだろうな。まあ日本だということと、きみに喜んでほしいし、私自身もこういうの好きだからね、多少は目を瞑ろうじゃないか。ハッハッハ」
二人はそんな会話をしながら、長い大きな石階段を上っていき、世渡李神社の拝殿のある大きな広場へと到着する。大きな神社であるからか平日であるのに人波もそこそこだ。お祈りの前に広場の隅にある各売店でおみくじやお守りなどを打っている売り場に寄って見物していく。
「凛ちゃんってさー、思いのほか信心深いよねー」
「ああー……そんなことは……あるのかな?」
「あると思うよー。ふとしたことでお祈りに行くじゃない」
「神様にお祈りして損はないからやってるだけなんだがな。まあでも……」
「でも?」
「神様のせいでよくわからん不思議体験はしたことあるからな。そのせいかもしれん」
「なにそれなにそれ? ホラーですか? オカルトですか?」
「あえて秘密だ。ハッハッハ」
「そんなー(; ・`д・´) 教えてよぉ」
じゃれ合うような会話を終えると、二人は拝殿の前に辿り着く。上に吊るされている本坪鈴の紐を取って鈴を鳴らし、賽銭箱に適当な金銭を投げ、二礼二拍手一礼でお祈りをした。
祈りの時間は一分ほどであっただろうか、それが終わると自然と二人は腕を組んで何も言わずに拝殿から去り、石階段へと向かい、そのまま何も言うこともなく降りていく。ただ黙って触れ合い、歩くだけで、二人は幸せを感じていた。
そうして階段を降り切ったところで、注連縄が巻かれた大きな樹木の前で凛が立ち止まる。それに合わせて美子も不思議そうな顔で彼女を見上げながら立ち止まった。
「美子、手を出してくれるかい?」
「? うん」
美子が言われるままに手を出す。凛がそっと優しく手に取ると、用意していたサイズがぴったりの指輪を彼女の人差し指に入れた。すると美子が目を見開いて驚いたまま、凛の顔を見詰める。
凛は照れを混ぜたやわらかい表情だった。
「これはその、婚約指輪、みたいなやつかな」
「……婚約指輪?」
「そう。改めて、私はきみと一緒に人生を歩みたい。返答はどうかな?」
美子は少し息を呑んで呼吸を整えた。正しく思いを伝えるために。
「これからもずっと、よろしくお願いします」
凛が頷く。
「よろしく、愛しの我が伴侶」
美子も頷くと、感慨深いと言わんばかりの表情を見せる。
「それにしても伴侶かー。そっかー奥さんだとどっちがどっちみたいになりそうだもんねぇ」
「他にいい言葉が見つからなくてさ。まあ伴侶ということで。ハッハッハ」
凛は照れ笑いをしながら自分の指輪を取り出す。指輪はもちろん美子に送ったものと同じだ。デザインは凛の好みらしく簡素な代物である。
やることを察した美子はその指輪を素早く没収する。驚いた凛にジェスチャーで手を出すように指示する。凛が素直に従うと、美子が凛の人差し指に指輪を着ける。
「そう言えば、人差し指なんだね」
「薬指は正式な結婚指輪ですればいいと思ってね。これは私がプロポーズのために選んだものだから、正式なやつは二人で選びたい。そう思わないか?」
「いいねぇ。ロマンだねぇ。大好きだねぇ。ありがとう、凛ちゃん」
美子が甘えるように凛の腕と組んできて、再び歩き出す。しばらく余韻に浸るように何も言うことなく歩みを進めた。
そうして、神社の入り口に到達したところで、美子が話しかける。
「いやーそれにしても、神様にもびっくりですよぉ」
「ほうほう」
「なにせ私が“二人でずっと幸せになれますように”なんてお願いしたらこんな出来事が起きちゃうわけですよ、これはもうね、神様が私達を応援しているに決まってるわけよ」
「ああ、なるほどね。それはまた幸運だな……?」
凛が急に立ち止まり、苦虫を噛むような顔を浮かべた。振り返って拝殿の方向を向いたが、思い直して苦笑いを浮かべると体の向きを元に戻し、再び歩き出す。
「ど、どうしたの凛ちゃん」
「いや、大したことじゃないんだ。さっきのお祈りでさ、失敗したなあと思ってね」
「失敗?」
「きみみたいに欲張りセット式のお祈りにしておけばよかったと思ったのさ。それでいまさら引き返すのもなあとも思ってね」
「いや、私は引き返しても構わんのよ?」
「その日のお祈りをやり直すのは神様に失礼だ。厚かましい。だから次に来た時、きみと同じく欲張りセット方式でお願いさせてもらうさ」
笑い合う二人。
「ねえねえ、凛ちゃんの願いってさ“雪藤美子が幸せでありますように”とかそういう感じのやつだったりする」
「…………」
「ドンピシャの図星かー。私だけじゃだめだからね。次は、二人で、というのをしっかり願ってね?」
「穴があったら私も埋めてほしい気分だ」
「埋まったら出れないから入るだけにしようね?」
「しょうがないなあ、我が伴侶は。ハッハッハ!」
凛は内心に気付かれた恥ずかしさ誤魔化そうとして笑う。その表情が今日は一段とかわいいと美子は思った。
そうして二人は神社を出て、駅へ向かって行った。
■
「って感じでラブラブしてますよ。ええ、ええ、そうです。腹立ちますねー」
「――――――」
「そうっすね。もうすぐっす。このまま真っ直ぐ駅に行くと思いますよ。警戒はまあされてるかもしれないっすけど、バレてるわけじゃないと思うっす。
なんせ“とんでもねえイケメンと二次元アバターのイメージに負けない美女”っすからね、ストーカーみたいな変態につけられるのも慣れてるだろうし、それで警戒してるって感じじゃないすっかね?」
「――――――」
「おーけーおーけー。天使は駅に入りました。もう入ってます? 予定通りっすね。じゃあいよいよ本番っすよ。裏切り者をコテンパンにしましょうや。
いざってときは俺も加勢するっすよ。記録係って言ってもあんたと同じさくらのファンだった。ですからね、制裁はきっちりやらんとね。そうっす。じゃあ、合図まで切りますわ」
電話を切った独島は、劣等種を見下すような目つきと共に勝利を確信した笑顔を浮かべていた。
「大当たり(ジャックポッド)の準備はやりきった。あとは天使が人間の前でしっかりズタボロになるかどうか。ま、祈らせていただきましょうか」