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第18話「人を愛せよ、罪を憎めよ」



 魔女屋オルエンの哲学配信が終わって二日後のこと。フルライブ・プロダクションの事務所の二回にある食堂の一席に雪藤美子(V:社守さくら)と長船羽月(V:シルヴィア・ブラックフェザー)が対面した状態で座っていた。


 なお、事業が順調に伸びているフルライブは少し前に事務所を大きなビルに移行していたりする。規模を大きくした理由はスタッフの増加と映像スタジオ、収録スタジオなどの施設と機材の拡張が大きな理由だ。


「この度はご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」

「いいの、いいの。みんなのおかげで解決したようなものだからねぇ。だから顔を上げて大丈夫だから。ね、シーちゃん?」


 美子に促されて顔を上げるも羽月の沈んだ雰囲気は否めない。


「本当に申し訳ありません」

「まあまあ。私も他の人も切り忘れなんてやったことがあるからねぇ。それどころか私はエロゲーの誤起動をやらかしてますっ。今回のことは運が悪すぎただけなの。気にしない気にしない。それに、八合さんにはめっちゃ怒られたでしょう?」

「はい。えっと、諭す感じではありますけど“場合によっては解雇になるから本当に気をつけてくれ”と、怒られました」

「だよねー。私の時も穏やかに諭される感じだったよ。でもめっちゃビビった。あははは」


 軽い感じで口にする美子だが、少し苦さも含まれている。今でこそ性癖全開の下ネタは受け入れられているが、当時はそんな風潮も土台もなかった。そのため八合からはリスナーが離れる危険性を注意されたのである。


「今回のことはね、怪我の功名みたいに思うべきだと思うんだ」

「功名、ですか?」

「七転八起ですよ七転八起。人生は転んでも起き上がって頑張るものじゃない? だから今回のことは“危なかったなー。次からはこの転び方はしないようにしよう”っていうね、勉強をしたと思えばいいんです。違うかなぁ?」

「……さすが0期生ですね。勉強になります」

「フッフッフ。女は度胸と根性があるほうが美しくなりますからね。そういう女を目指さないともったいないというものだっ」

「もー変な思想を作らないでくださいよー」


 美子の大げさな振る舞いに羽月は自然と笑いが出た。しばらくお互いに笑っていると、美子は不意に心配する表情を浮かべる。


「あのね、シーちゃん。私の気のせいならいいんだけど、変なことを聞いてもいい?」

「変なことですか? 今日のパンツの色とかですか?」

「おパンツはね、色より形のほうが重要な――じゃないんよ? そういう冗談は置いといってっと……シーちゃんさ、何かすごく悩んでることとかない?」

「あ、へ? あー……本当に真面目な話なんだ」


 羽月の問いに美子が頷く。羽月は少し悩まし気にして返答ができない。しばらくして美子が彼女を促すように訊ねる。


「配信中はね、別に変だと思わないんだ。素じゃない部分も配信を盛り上げようとしているものだってわかるし、不自然に思うことなんてない。興奮しすぎて叫ぶこともあるけどああいうのも気にならないよ」

「ええ。ふざけるなら全力でやりますもの。だって数千人のお客様が私達の配信を見てくださるんです。優しい嘘はつけても過度に傷つける嘘は許されません。我々はお金を貰っているエンターテイナーなのです。まあ、失敗はしますけどね?」


 羽月の苦笑いに美子も釣られつつ頷いた。


「でもさ、配信じゃないときのシーちゃんって怖いときがあるのわかってる?」

「……怖いとき、ですか?」

「そう。すごく怖い顔、って言えばいいのかな?」


 悩みながら言い淀む美子に羽月は困惑する。羽月にそんな自覚はないからだ。配信以外でも言動には気をつけるのは社会人としての常識だと考えているからである。


 考えをまとめた雪藤美子に、さらに指摘をされていく。


「うん、何かに追い詰められている顔かな」

「追い詰められてる……」

「私も追い詰められたような経験があるからねぇ。なんとなく今のシーちゃんのやばさを感じてるんだ。ちなみに私は家で倒れちゃって病院送りだったよ。凛ちゃんが助けてくれなかったら死んでたかもね」


 羽月は美子の言葉に目を丸くしてしまう。


 それは恋人の名前を素直に出したことからの驚きか、羽月からすれば成功者としか思っていなかった相手の意外な苦労を知ったからなのか、それはわからない。どちらの感情もあるかもしれない。


 羽月が絞るように言葉を出す。


「恋人さんがいてよかったですね。いなかったらどうなっていたか」

「その時は恋人じゃなかったんだぁ。事務所で会う程度の仲でね。今思うと私のやばさがわかってたんだと思う。だから目をかけてくれたと思うの。そういう経験をしてるとね、お馬鹿な私でもシーちゃんを見てわかることはある」

「…………」

「人から心配される状態って自分が考えてるより大丈夫じゃないよ。理由はね、頭が疲れて嘘を取り繕うこともできなくなってるからなの。経験者の私が保証するよ。

 シーちゃんは今、本当に大丈夫?」


 気を遣われた言葉に羽月の目から涙が落ちた。無意識な一滴を意識した途端、次々に崩れるように涙が落ちていく。動揺することを制御できないが、それでも平常に戻ろうと涙を拭っていく。


 心配事が的中した美子は慌てることなく傍に寄り、ハンカチで彼女の顔を整える。


「……すいません、すいません……っ」

「大丈夫大丈夫。大丈夫だからね」

「はい……はい……っ」


 しばらくの間、二人はただ黙って時を過ごす。羽月の爆発した感情を整理させるためで、美子は急かすようなことはしない。ただ人に話したいことを聞くためだけに、彼女は羽月に寄り添っていた。


 そして羽月が震えた声で唇を動かす。


「夫婦関係、ダメなんです。もう何もうまくいかない。わかってるんです」


 瞳はここでないどこかを見るように動く。


「でも別れたくない、やり直したい――でも……許せないっ」


 言葉に愛を反転させて生まれた嫌悪が湧き出ていく。


「私はアンタの子供を産みたいんだ! アンタが好きだから結婚した! アンタの不妊がわかった時だって愛していた! 子供なんて諦めてもいいとも思った! なのにっ!」


 握りこぶしを作って全力でテーブルを叩く。そこから何度も。


「なのに! なのに! なのにぃいいいいい!」


 振り下ろす拳を止めると涙が溢れ出す。羽月の体は怒りと悲しみの混ざった感情のせいで震えていた。それを少しでも和らげるため、美子は寄り添い彼女の背中をさする。嗚咽を漏れ出しながら、羽月は素直な気持ちを吐露していく。


「最初は、不妊治療をしようということになったんです。でもその費用が思ったより高くて……しかも女性に負担があるってわかって……アイツは……私の夫は戸惑いました。どういう意味で戸惑ったのか……今になっては、わかりませんね。

 私が何の資格も持ってないから稼ぎが足りないと判断されたことが大きかったのかな……一年でも早く、Vチューバーとして稼げていれば違ったんでしょうか……っ」


 彼女のフー、と深い呼吸で整えるのに合わせて、美子も背中のさすり方を変える。


「それである日、友達の子を、孕めと言われたんです。男の写真も見せられて。何も考えられなくなっているところにアイツは、いろいろと言っていたと思います。その時の内容は覚えていません。

 気づいたら、アイツを殴っていましたから」


 最後にフーと大きく息を吐くと、彼女は落ち着いたと示すように笑顔を見せた。痛々しいものであったが、多少の復調はしたことを確認して美子も笑顔を返した。


「すいません、さくら先輩。今のは――」

「仲直りはしたい?」

「……それもわからないですね。ぶっちゃけますと私、浮気をしまくっててその動画を夫に送りつけてますから」

「あちゃー……なるほどなぁ。それはもう、自分でもわかんないよねぇ」

「そうなんですよね。ずっとこのままなのはよくないけど、どうすればいいのか、わからなくなっちゃった……」


 苦笑する羽月に美子は腕を組んで思案する。しばらくすると妙案なのか微妙だが思い付き、それを話す。


「シーちゃん、旦那さんにはプレゼントを贈ったりしてる?」

「今はしてません」

「そっか。じゃあ、チョコとかでいいから手渡しのプレゼントをしてみたらどうかな?」


 羽月は意図が分からず困惑する。

 美子は自分の考えを話す。


「プレゼントの受け渡しはね、確認行動でもあるんだよ」

「確認、ですか?」

「そうそう」


 美子は恋人を思い浮かべながら続きを口にしていく。


「プレゼントってさ、基本的に相手のことを考えながら選ぶじゃん? 何が好きかとか、何が嫌いかな、役に立つのかな、とかはもちろんだし、どういう笑顔を見せてくれるのかなも考えちゃう。

 それってつまり、自分の気持ちにどういうものが存在してるかの確認にもなるんだよねぇ。好きじゃなかったら考えないし、そもそも渡そうとさえ思わないでしょう?」

「……そう、ですね」

「私は凛ちゃんにプレゼントするたびにそういう確認をしてる。そのおかげかな、どんどんあの人を好きになっていく自分のこともわかる。

 凛ちゃんの反応もかわいいんだよぉ。ありがとうって素直に言ってくれることも素敵だけど、ドンピシャの時は“おーおーおー!?“と興奮するし、場合によってはキスまで返してくれるんだ」

「…………っ」

「でもそれはね、相手が私のことを好きって気持ちがないとできないことなの。どんなに素敵なプレゼントを贈ったところでね、その気持ちがなかったらありがとうの一言……ううん、返事さえ貰えずにプレゼントは捨てられちゃう。悲しいんだけどさ、仕方ないことでもあるんだよね」


 美子はそこで勤めて笑顔を作る。


「というわけで、私はプレゼントをオススメするぜっ!」

「……確認ですね」

「悪いことが続いている時はね、何かを変えなきゃいけない。変えるためにはまず物差しを見つけなければならない。

 まー悪いことの変え方は魔女の哲学ですよ。凛ちゃんの配信で言ったことだからオススメは二人分で保証するぜっ!」

「ハハハ、二人ですか……そうですね。それは心強いなあ」


 羽月の表情に生気が少し戻ったように見えた。どうしようもない牢獄のような環境を、少しでも改善するための糸が見えたからかもしれない。

 それを見て美子も安堵を浮かべている。


「もし辛かったら少しくらい愚痴に付き合うよ。私でよければ」

「フフ、ありがとうございます。頼りにならないように見えてとても頼りになるんですね、さくら先輩って」

「女は度胸と根性と器の広さが大事ですからね。えっへん」

「それは女じゃなくても大事じゃないかなー?」


 冗談で笑い合ったところで、ふと羽月は気づく。


 先ほど“魔女の哲学”と“凛ちゃん”がまるで同じ人物かのように語っていなかったかと。そう思った瞬間、何かがぱちりとハマったように美子を凝視してしまった。

 美子はそれに戸惑いの表情を浮かべる。

 

「ど、どうしたの?」

「あの、今さら何ですけど、オル先輩って橋渡先輩じゃないですか?」

「そりゃあそうよ?」

「下の名前って聞き流したか言ってなかったか忘れたけど、私覚えてないんですよね。名前は何でしたっけ?」

「そりゃー凛ちゃんですよ。橋渡凛ちゃんです。名前が似合いすぎなお人ですな」


 美子が胸を張って堂々と言った瞬間、羽月の口がまん丸と開いて呆然とした。もちろんだが、雪藤美子と橋渡凛の関係は公表などしていない。ただ美子はほとんど隠す気はないこともあって、普通に名前を口にしてしまっただけである。


 そのことに気づいてしまった美子は明らかに失敗を自覚した顔になった。なんとか取り繕おうと思ったものの、羽月の明らかに気づいて驚愕している顔に諦めた。そして彼女の表情にはとても納得する。


「……オル先輩の彼女って?」

「私です」

「……アールちゃんとは?」

「凛の頭文字はRだからです……っ」

「そんな組み合わせってあるの?」

「それは私もびっくりするほど思ってます(きりっ)」


 それを言ったところで美子は立ち上がる。時計を見て時間を確認すると、ジムでの合流時間が迫っている。


「と、というわけでして。私は失礼するね」

「オル先輩と」

「……まあ! そういうことだよ!」

「フフ、そうですか。さくら先輩は幸せになってくださいね」

「もちろんですとも。じゃあね、シーちゃん。もし何かまた相談とかできたら、私でよければご相談に乗ります。では」

「今日はありがとうございました」


 言って美子が食堂から去っていく。それをしっかり見送ると、羽月は深いため息を付いて自己嫌悪に陥り、机にうつ伏せになった。幸いだったのは時間が時間なので人があまりおらず、二人で話していた席も隅の方だったので、自分の醜態を見かけた人は少なかったことだろう。


「何やってんだろーなー、私」


 もう一度深く息をついてから立ち上がる。


(チョコ……買って帰ろう。物差しに使えるもんね。それから――)


 その日の夜、羽月は夫にチョコをプレゼントした。

 結果はよいとは言えないものだった。しかし確かに理解できたことはある。自分達夫婦はもう修復しようがないということだ。


(しょうがないよね。変えないとね)


 ほんの少し、悲しみを抱きながら、彼女は前を向き始めていた。




  ■   ■




 とある大きな喫茶店。人の少ない午後の時間。

 若い男性の二人が目立たない隅っこの席で話をしていた。


 片方の男は独島獣王運智満という男で金髪、キャップ帽子、薄い色のサングラスが特徴だ。髪の色に関しては見る人が見ればウィッグやカツラ、ということがわかるかもしれないが、ぱっと見では明るいチャラ男という印象を受ける自然なものである。


 もう片方の男は飯塚郎二という男だ。長髪をオールバックにして乱雑に1つ結びにして簡素にまとめている。暗い色のパーカーと鋭い目つきからいかにも根暗な人物という印象を抱くだろう。あるいは危険人物に見えてしまう人もいるかもしれなかった。


「どうも。俺がドクっす。イーヅさんすかね?」

「あ、ああ。い、イーヅです」


 お互いのハンドルネームを名乗る彼らは本日が初対面だ。対面して話すのは趣味のVチューバーに関することだった。有名SNSのツブヤイターにて連絡を取り合ってこうして知り合ったので、共通の話題はすでに把握しているのである。


 しばらく他愛もない雑談を楽しんで、ドクこと独島が話を切り出す。


「やーやー。楽しい話はいいっすねえ、ついつい本題を忘れちまう。だけどそれだけじゃあ今日お会いした意味がないってもんですよね」

「い、意味がない?」

「忘れちゃダーメですってー。社守さくらのことですよ、さくたんのこと。イーヅさんも裏切者には天罰ってやつを与えなきゃダメって言ってたじゃないですか」

「あ、ああ、そうだな……」

「おや? 実はあれは勢いで言っただけだったり――」

「そんなことはねえ! お、俺は許せねえよ! 俺たちがどんな思いでグッズやスーパーチャットで金を払ってると思ってんだ! さくたんが俺たちの、俺達だけのアイドルでいてほしいからだ! その思いはさくたんのファンなら皆が思ってる! たださくたんが幸せになってほしい思いもあるから、その思いを我慢して、何にも言わねえ奴もいるだけの話だ!

 男を作ってファンをバカにするのとは話が違えんだよ!」

「そーそー。そーなんですよ」


 独島は『理解できないわ』という内心を悟られないようにしつつ、飯塚の言葉に全力で同意する。ただ反論が許されるなら『常識的なリスナーのほうがわかるし、おまえそんなに金払えるような人間じゃないだろ』というツッコミをして軽蔑の目を送っただろう。


 飯塚は推測でしかないことをさも真実のように話をする。バカにはこれで盛り上がってその気にさせるほうが有効だ。やつらは真偽を判断する知性はない。そのまま勢いで行動させるべき。それが独島の考えだ。


「ファンを裏切って男作ってたさくたんは許せないっすよね。たまに聞かせてくれるファンサービスの萌えボイスが最高っすけど……あれが俺たちをバカにしたもんだと分かった時にはもう俺も気が狂いそうになったもんすよ」

「バカにした?」

「ほら、いわゆるオタクに媚びるってやつっすわ。わざとらしい萌えをすればお金をくれるんだろうっていう安っぽい態度がね、クソムカつくって思いませんか? そいつをさくたんがやってたってわけっすよ。

 イーヅさん、これは許せねえことじゃないっすかね?」

「――許せねえ」


 独島は最後に凄みのある言い方をした。自分が本気だと思わせるためだ。


 しかしそれに対して返された飯塚の返事のほうがより深い凄みを含んでいた。具体性を持たせるなら『俺は人殺しができる』ことを確信させるような強い意志である。


 飯塚の表情から読み取れたそれに少しビビりながら、独島は用意していた問いを投げかける。


「そういやイーヅさん、自衛隊にいたんすよね? なんかこうそれが証明できるような技とかってできません?」

「ああん? ここでか?」

「大事なことっす。見せてくれませんか?」

「まあ簡単なのでいいか。帽子を貸してくれ」

「へいへい。それで?」

「この帽子をナイフと思って防いで見てくれ。それでわかるだろ」


 言って二人は立ち上がり、帽子を借りた飯塚と独島が構える。そして一瞬の間のあと、帽子が頭へ振り下ろされて独島が両手で防ごうとすると――飯塚の空いていた左手が指を伸ばし、独島の喉の柔らかい部分に突きを繰り出し、寸止めを行なっていた。


「おお……これは、マジモンっすね……っ」

「力を入れたら指で貫けるぜ? 喉ぼとけの上下の二つはどっちも急所だからな。やわらかいし鍛えようがねえんだよ。今のはそこを突いて苦しんでいるところにナイフでトドメだ。まあナイフはこんな面倒なことしなくてもいいんだが、こっちのほうがわかるだろ」

「ええ、ええ! すんげー技っすよ! お偉いさんはイーヅさんを首にするなんて本当にバカなことしたもんっすね」


 独島が返却された帽子を被りながら恐怖交じりに称賛すると、飯塚は照れた表情を見せる。そして二人はまた座り直して会話を続ける。


「オッケーオッケー。じゃあお礼にっすね、イーヅさんにこいつを見せるっすわ」

「これは?」

「社守さくらの中の人とその恋人っすね」


 独島が二枚の写真をテーブルの上に乗せる。それがどんなものかを理解した途端、飯塚が奪い取るように手にして食い入るように眺めた。


 一枚目の写真はシルヴィアからの写真をさくらが映っている部分だけを切り取って拡大したものである。


 もう一枚は探偵を雇ってフルライブの事務所から出てきた社守さくらを尾行してもらった時、偶然カメラに収めることができた秘蔵の逸品だ。社守さくらこと雪藤美子が恋人の腕を組み、自然な笑顔を見せているものだ。その笑顔を向ける相手は男装をした橋渡凛である。


「――ああ、とんでもねえことしてるな、さくらのやつ」


 写真を見ている飯塚の言葉に憎悪が募る。


 そうなった理由は写真に写っているいる橋渡凛が男装しており、中世的なイケメンの男性に見えたからである。


 その認識は独島も同じだ。雪藤美子は紛れもなく美人であるのだから、男がいてもおかしくないという発想から探偵を雇ったのである。その証拠を作り上げた時点で男の正体が何者であるかというのはどうでもいい。天使計画には必要がない。故に、この男装の麗人が橋渡凛こと魔女屋オルエンであることには気づいていない。


「ちなみに刺激が強いのだとこんなのもありますよ」


 追加で出した複数の写真は二人の仲睦まじさを表したものだ。駅前で男装している凛が雪藤美子の頬にキスしたり、雪藤美子がお礼にキスを返すなどの状況がカメラに収められている。


 飯塚の憎悪にしっかりガソリンが撒かれたのを確信して、独島が呟く。


「フルライバーって今や飛ぶ鳥を落とす勢いで人気があるっしょ? だからもうマイナーとは馬鹿にできないレベルで収入があるんでしょーね。ホスト狂いの風俗嬢を見たことあるっすけど、完全にさくたんもそれっすね。間違いなくこの男に金を貢がせてるっす。それで夜にはたっぷり突っこまれてるっすわ、金づるバカ女って思われてるでしょうね」

「あ、あ、あ……っ!?」

「同棲してる可能性は高いっすね。この写真を見て確信したっすけど、俺の自慢する直感は間違いなく同棲してるっすわ」

「やめてくれぇ……っさくらがぁ……っ」


 両手に顔を覆ってうなだれる飯塚。

 独島は見下すと同時に不敵な笑みを浮かべる。


「イーヅさん、やりましょう。俺たちの手で天罰を下すんすよ、さくたんに。俺達リスナーを金づるとしか思っていないさくたんに報復を与えるんっすよ」

「……そうだ、俺達が」

「そう、やるんっすよ。俺たちをバカにしたクソビッチに天罰を下す。バカにされたままじゃダメだ、人間が腐るってもんすよ」


 飯塚が覚悟を決めたのだろう。生気の戻った目をしてゆっくりと力強く頷いた。独島もそれに同意するように頷き返した。


「そういやイーヅさんは仕事してないと言ってましたね?」

「あ、ああ。辞めたばっかりでなかなかな――」

「バカ政治家とバカ官僚のせいで不景気な世の中ですからねー。大変っすよねー。そういうわけで協力金というわけでこれ上げますわ」


 前金の入った封筒を取り出して飯塚に渡す。中身は数十万ほど入っている。一般人なら大金だろうが、鉄砲玉の調達金としては破格だ。

 飯塚は驚きながらもそれを手に取って中身を確認している。


「イーヅさんは他人事には思えないんっすよねー。あ、もし良ければ仕事も紹介しましょうか? いいとこ知ってますよ? ただ紹介するには免許証みたいなもので身分証明相があればよりいいとこを紹介できますよ」

「あ、怪しげな紹介だな」

「わかりますわーそれ。紹介する仕事はね、高額の短期バイトなんすわ。三時間だけ必要な引っ越しバイトとかね。だから金だけもらってバックレるやつも多いんすよ、外国人とか特に。だから仕方なく身分証を見せてもらわないといけないって仕事なんです。

 金を貰えるのは保証します。よければどうっすか?」


 飯塚がしばし考え込んだあと、財布から戸惑いながらも免許証を取り出した。独島はそれにニヤニヤを抑えながら免許証を撮影して、飯塚に返却する。


「あざっす。これで紹介するのは大丈夫っす。いい仕事があったら連絡するっす」

「それよりさくたんの――」

「内容が言いにくいんで、これから天使計画って言いますね。とりあえず天使計画の今決まっていることはですね――」


 そうして独島は天使計画の詳細を飯塚に話していった。




  ■   ■




 雪藤美子が事務所を出て行きつけのスポーツジムに到着する。更衣室で手早く着替えると麦茶の入ったドリンクを持って大きな鏡のあるレッスン部屋と表記されている一室へと足を運んだ。


 その部屋の隅には橋渡凛がいる。運動用の長袖長ズボンを着た彼女はシャドーボクシングをしている。適当にステップを踏みながらのジャブ、ストレートリード、シャベルフック、さらに同モーションに指を伸ばしたフィンガージャブなどを混ぜたものだ。そこから急速に緩急をつけてサイドキック、カーフキックを混ぜたシャドーを移行したところで、待ち合わせていた美子に気付いて休憩を取った。


 小さく拍手をしながら美子が会話する距離へ縮めていく。


「やー、いつ見てもホント凄いよねぇ、ジークンドー」

「まあこれでもランク2だからな。最後はド派手に見せたから余計にそう感じたのかもしれないが」

「素直に受け取ってよぉ」

「ハッハッハ、ありがとう」


 照れながら凛は、近くに置いていた自分の水を飲む。


「そう言えばさー凛ちゃん。凛ちゃんはどうしてジークンドーを習おうとしたの? 今思うとすんごい意外性があるよね?」

「そんなにか?」

「凛ちゃんって知的なハイパーウルトラ無敵の美人さんじゃん? コスメとかコスプレとかの美容や容姿関係か、あるいもういっそなんかの研究職、いやモノホンの哲学者になってておかしくない人だからすんごい不思議なんだよねぇ」

「ハッハッハッハ! ――ゴホゴホ!?」


 笑いすぎて思わず咳き込んでしまう凛。美子はびっくりしながら背中をさすると、息を整えた凛が返答をする。


「私が習おうと思ったのはとあるジークンドーの動画を見たのがきっかけだよ。

 それを見たときにすごく衝撃を受けてね。人間ってこんなにすごいことができるんだって感動したんだ。もっと言うなら、娯楽作品でしか存在しないと思っていた技、空想の産物だと思っていたものが、そうではないと否定されたことに感動した。合理的な思想に基づくものは美しい、とね。じゃあこれを学べるのなら、学びたくなるものが私という人間ってやつさ」

「意外性なんて言ってごめん。凛ちゃんにふさわしい動機だったわ」

「そうだろうそうだろう」


 いつもの妙な知的好奇心を発揮する凛にちょっと呆れてしまう美子。対して、凛は理解してくれたことを嬉しそうにしている。


「ジークンドーを知るうちに自分の本当の趣味嗜好を発見できたのも嬉しかったな。これも好きが大きくなったのも理由の一つかもしれない。

 私はボクシングとかサッカーとか、スポーツという競技を行なうことに心の底から億劫に思うタイプだと気づいた。言語化が難しいが、まあ苦手だということだ」

「そうなの? んー……人と争う、競争するっていうのがダメ?」

「そうだな、そこがダメかな。

 ゲームという勝ち負けにそれほど重点を置かない遊びなら喜んでやるけどさ。勝ち負けはまあ、そんなにこだわりがないんだろうなあ。悔しいみたいな気持ちを感じることはあるけど」

「あなた格闘ゲームの路上拳闘6でキャラランク世界7位とかですよね? そういうのは好きなものだとばっかりに思ってた」


 路上拳闘6というのは有名な老舗ゲーム会社の代表的なシリーズ作品だ。ジャンルは2D格闘ゲームである。1対1の対戦ゲームであるから競争が苦手と自覚するなら、彼女に似合わないと思ったのである。


「格闘ゲームは親友とよくやってたからな。その名残が大きいかもしれない。まあ、競技的な思考で強くなること自体はとても好奇心が刺激されて好きだし、それを磨いた知識で人と対戦するのも好きだ。でもトーナメントやリーグ戦には興味ない。ああでも、それらを観戦することは好きではあるか。

 キャラランクもゲームに用意されたランクマッチで世界七位をウロウロしているというだけで、本当の意味での世界七位じゃないからな。ちなみに最近は30位くらいだ」

「……そっか。そっかそっか」


 ちょっと難しい顔をする美子。

 不思議そうな顔をする凛。


「いやぁ……凛ちゃんは奥が深いなぁと思ってね。私もまだまだと思ったの」

「なんだ? 惚れ直したか?」

「最初から今までずっとゾッコンだからそれは逆に難しいなぁ」


 照れながらの不意打ちな言葉にお互いが赤面してしまう。

 しばらくアワアワしてから、凛が咳払いをして話を再開する。


「まあその、ジークンドーを知るうちにな。私の好きなものは真理的な知識欲を満たすものが好きだというのが分かった。それもできる限り単純なものでありながら、強くて美しいものに惹かれる傾向があるらしい」

「それってジークンドーの具体的なもので言うと、どうなります?」

「具体的なもの……例えば、接触した距離で肋骨や胸骨を破壊する最適なワンインチパンチ。腕のリーチを生かして威力を出すストレートパンチ。眼球を潰したり急所を貫いたりするための鉄球を使った指の鍛え方……になるかな?」

「うん、危険人物の答えしか返って来なくて困惑するしかないね」

「ハッハッハ」


 呆れを含んだ冗談を言う美子に凛は笑ってしまう。


「武術は究極のところで護身術なんだ。で、究極の護身術って結局のところ、目の前の危ないやつをパッパと倒したり、行動不能にして逃げる、が一番だからね。学べるようにまとめると危険なものばっかりになるよ。

 だからそういう危険だからやるな、精神が犯されることをやるな、こういうことやこういう状況は危険だから避けろ、というのも体験と共に学ぶというのが魅力的さ。さあ、きみもジークンドーを学んでみないか?」

「とても怖いので遠慮させて頂きます。それにしても危ないものから急に神秘的な技術になりましたね……言葉って大事だわ。ちなみにさー凛ちゃん、ナイフを持った人間にも勝てたりする?」

「勝てない。逃げるに限るスタコラサッサ。恋人置いてサッサッサ」

「こら、私を置いていっちゃダメです。赤ん坊のように泣くぞ? 泣くぞ? ほーら泣くぞぉ?」

「だってナイフ持ってるやつに勝てないんだもん。素人ならワンチャンだけどね。まあ武術の神髄、命大事にってやつさ」


 冗談交じりで自己中な発言をする凛。頬を膨らませてわざとらしく怒る美子。不思議なことにその光景はどう見ても完全なイチャつきにしか見えない雰囲気だ。

 

「さ、じゃあそろそろベンチやデッドリフトやらをやろうじゃないか」

「やりましょー。目指せ100キロ!」

「それは女性としてムキムキすぎるなあ、ハッハッハ」


 二人はレッスン部屋から退出してパワーラックやマシンのあるエリアへ移っていく。途中、凛は少し恐る恐るとした様子で美子に提案する。


「美子、次の休みは二人でデートしないか?」

「最後はホテルのコースですか?」

「そっちのほうが手間は省けるだろうな」

「行きましょう行きましょう、へっへっへ。どこに行くかは決めてるの?」

「それは決めてる、神社に行きたくてね。じゃあ、デートは決定だ」


 その後、二人は仲良く筋トレをして自宅へと戻った。






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