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第14話「時に無知は導火線と触れ合っている」



 フルライブの事務所。お昼を少し過ぎた時刻にて。


 橋渡凛(V:魔女屋オルエン)がグッズへのサイン書きと、マネージャーと予定調整の打ち合わせを終え、帰宅しようと廊下を歩いていた時である。


 その正面から坂田真衣(V:クロル・エ=アップルスミス)が驚いたような、不審がってそうな顔で駆け寄って来た。


「……うえ!? オ、オル様ですかっ!?」

「あ、ああそうだけど?」

「うえー!? す、すげーかっこいいー!」


 今日の凛は男装の麗人というべき姿だ。黒ジャケット、黒ズボン、白シャツ、中折れ帽子を被っており、クールな印象を受けるバンドマンの男性のような雰囲気であった。ウイッグをつけて後ろ髪を長くしているが、それは女性らしさではなく知的でクールな印象を抱かせるのに一役買っていた。


 そんな彼女を上から下へと炭地味まで見ながら、真衣は感心の息を漏らす


「いやーちょっと遠いところからだと、こりゃチャラ男風のバンドマンが来たなーとか思ったんですけど近づくとガチでかっこいい……って思ったらオル様ぁー!? なので、本当にびっくりですよ」


 ちなみにバンドマンのような男性が来ることはそこまで驚いていない。なぜなら音楽制作で外部からそういう人が来ることもあるからである。


 真衣はグルグルと凛の周りをまわりながら彼女のファッションチェックをしている。普段のゆったりした格好とはかけ離れているから好奇心が止まらないのだろう。凛はそんな真衣に照れるような苦笑いを浮かべていた。


「オル様、今日はどうしてこんな格好を? あ、事務所で着なかっただけで結構そういう趣味もあったりするんですか?」

「んー趣味というか……嫌いではないからやってみたという感じか。背が高めの美女だし筋肉質だから似合うとは思ってたからね」

「あーあーなるほど? 彼女さんを喜ばせるためですか?」

「まあその気持ちが一番かな? うん、その通りさ」

「くあぁー!? 口の中が黒砂糖でドロッドロの栄養に満ちていくぜぇー!」

「なんで欲望全開な表現なんだよ」

「違うんですか?」

「んー……違わないかもな?」

「くっそぉおおおおお……っ」


 真衣は両手を叩きながら悔しい羨ましいという感情をわざとらしく表にする。凛はそれに後輩からの好意を感じて思わず微笑んだ。

 そして真衣がハッと何かに気付いた表情に切り替わる。


「いいこと思いつきました。オル様、欲望を一人だけに開放するのは――」

「却下」

「迷うことなく塩対応でワロタ。目も氷のように冷たくて草」

「いやいや。性的にふざけるというのはね、私の中でブレーキを緩めるということだからそこは譲れない一線さ」

「ほんっと無自覚に清楚してんなこの魔女様。そこが好きです、愛してるっ」

「おおっと?」


 真衣がさりげなく近づいて抱き着こうとするも、凛は伸ばした両腕で彼女の肩を抑えて距離を保つ。


「大胆な告白からのダッキングとかいう変態の特権を行使するんじゃないよ」

「チューぐらいはさせてくださいよーっ」


 チュチュチューとキス顔で迫ろうとする真衣。凛は半笑いでしっかり腕で距離を離しそれを保っている。まあ、じゃれあいである。

「おいーっす二人ともー。イチャついてんじゃーん」


 そうしている二人のところに黒染千鶴(V:彗星ルカ)が現れた。方向から音響スタジオでの収録を終えたところ、二人を見かけて声かけた様子である。なお、千鶴もいつもと違う雰囲気の凛に少し驚いた様子だった。


「あ、どうもルカ先輩」

「こんにちは、ルカ」


 抱き着きをやめて凛と真衣が千鶴のほうを向く。

 そして三人で話すため円形のように位置を整えると、その形を保ったまま通行の邪魔にならないように端へ移動する。


「なに話してたのー?」

「そうですねー強いて言えば……」

「黒砂糖と塩に関係する話かな?」

「料理の話?」

「いえ、関係性の話ですね」

「わけわかんなくて草」


 三人から笑い声が漏れた。


「ルカは何してたんだい? 案件? 収録?」

「収録だよオルさん。ボイス収録というやつ。ただ自信がなくてさ、どうせだからってことでスタジオの方で撮ってきたー」

「なるほど」


 凛の問いにルカは苦い表情で頭を掻く。


「いやーでもやっぱ出来が良くないんだよねー」

「そうなんですか?」

「そう。ブルーミストさんとこのVさんみたいなエロさが出ねーのよ、ルーちゃんにはさっ」

「想像したベクトルが違ってて笑ったww」


 質問した真衣が千鶴の返しで噴出してしまう。というのも彗星ルカというVチューバーはエロや下ネタを売りにした配信はしないからである。


 ちなみにブルーミストというのはフルライブと同じくVチューバーのタレントが所属する事務所のことである。この事務所の方針なのか所属しているタレントのせいなのか、ブルーミストは下ネタ配信が濃厚なVチューバーが豊富なことが特徴だ。


「いちおう、暫定エロボイス(笑)は作っては見たけど売る気にはならないな―。クオリティが低すぎるんよ、ブルーミストさんとこと比べて」

「そもそもどうしてそんなボイスを? 彗星ルカの方針としては違うだろう?」

「フッ、オルさん。これはね、リスナーにワンダーカートで敗北した罰ゲームなのさっ」

「それは仕方ないな。全力を尽くすしかない」


 ワンダーカートというのは昔からの大人気の定番レースゲームのことだ。そのため所属事務所を問わず、かなりのVチューバーがリスナーと勝負したりしてワイワイする配信に活用されている。


 そんなゲームに負けて潔く罰ゲームをこなそうとする千鶴の決め顔はかっこいい。ただし、やってることはエロボイス収録であるが。


「マネちゃんや運営さんには怒られませんでした?」

「エロボイス収録したいって言っただけだと渋られたけど、ワンダーカートのことを話したらしっかりやれって逆に応援されたー」

「やだ、うちの運営、理解力ありすぎ……?」

「せやでー。だからクロルも罰ゲームでやってもええんやで?」

「うーん……私はセンシティブボイスはちょこちょこ漏らしてるんですよねー。ルカ先輩と違ってレアリティもありがたみも少なすぎるのがなー」

「じゃあホラゲーか」

「ああ……プレイするとなんであんなに怖いんでしょうねー。私もエロボイスが罰ゲームになるように誘導しますよー」

「アッハッハッハ!」


 千鶴が大笑いする傍らで真衣が泣き笑いをしている。そんな感じで三人で話しているところにアラームが鳴った。凛のスマホからである。


「時間が来た。じゃあな、二人とも。今日もお疲れ様」

「お疲れーっす」

「お疲れっした―」


 凛が事務所の外へ向かっていくのに合わせ、二人はしばらくバイバイと言うように手を振って見送った。


「ねえクロル、あなたってオルさんの相手って知ってる?」

「知ってますよー」

「そうだよね謎の――ん? 今なんて」

「それは本人が公表するのを待ちましょー。詮索なんて無粋ですよ無粋ー。本心としてはもう言ってもいいやろとは思ってますけど、マナーというやつです」

「それはそうだなー。でも気になる!」

「うーん欲望に正直ですねー。まさにこれぞ彗星ルカ」

「いやまあ、あのオルさんの相手って気になるじゃん? やっぱりオルさんのように賢い感じの女性なのかな―とか。それともギャップ萌えみたいな感じで天然さんなのか……いやもう、そういう恋愛が気になるだけだな! 私は処女だからなあ! クッソぉ!」

「荒ぶってるなー」


 冗談交じりに声を荒げる千鶴に真衣は苦笑気味だ。そして真衣は内心、真実を知ったらもしかして凄い反応をするのではと、少し心配になった。


 ちなみに真衣だけでなくフルライブ関係者の多くが、千鶴が雪藤美子(V:社守さくら)のことを好きすぎることを察していたりする。


「大雑把に言うと頭の良い人ではありますよー。ただギャップがなかなかすごいですね。ぱっと接するだけじゃ賢さがわからないかも」

「ほほう! それは素敵な人だな! さくらの対極に位置しそうだ!」

「うーん、ギャ、ギャップの大きさは近いと思いますよー?」


 真衣はちょっと動揺しつつも『やっぱあの二人はカップルとして結びつかないよなー』と浸りながら、その後は冷静に千鶴と会話を続けていった。




   ■   ■




 フルライブ事務所と契約を結んでいるダンスレッスン教室がある。本日はそこで、雪藤美子(V:社守さくら)と長船羽月(V:シルヴィア・ブラックフェザー)の二人が運営に指定されたダンスレッスンを受けていた。


「あ"あ"――!! 今日も全力でお疲れっした―!」

「お疲れ様でしたぁー。アハハハっ」

「さくらちゃん体力ありすぎでしょー!」

「最古参で鍛えてましたからねぇ。それのおかげですなぁ」


 レッスンが終了し、その教室の隅っこ。羽月は疲労でバテバテになってへたり込み、お気に入りのスポーツドリンクを呷っている。


 対して彼女と会話する美子は少し汗を掻いただけで涼しい顔だ。喉を通るひんやりとした麦茶をしっかり味わう余裕があった。


「アラサーおばさんにダンスなんてしんどいよー運営は鬼だよー……か弱い女の子には優しくしないといけないんだぞー」

「女の子じゃないから厳しい可能性が存在する?」

「あー? さくらさんそんなこと言うんだー?」

「シーちゃんはか弱い女の子運営はけしからんっ」

「早口で笑える」


 ゲラゲラ笑いながら水分補給する二人。


「でもねぇシーちゃん? 私達はアイドルだからね、今のうちに練習しないといけないんだよ」

「もうすぐ三十路にはハードなダンスはきついんだよ?」

「平成の時代からアイドルは四十歳までやれることは証明されてる。残念だけどそんな弱音は許されないんだよなぁ」

「平成の……? って、それはかの有名アイドルグループのスマーピーとかのこと言ってる?」

「そう! あんな感じで令和のアイドルは四十歳まで、いや六十歳までアイドルやれるよ」

「あれは超例外な人達じゃない。というか男性アイドルなんだからそもそも私達とは違うと思うんだけど?」

「でもさでもさ、それ言ったら私達もとっくにアイドルとしてヤバい年齢だからね? それでもやってるってことはずっとやれるってことだと思うのです」

「まあそれは確かに……二十歳でもアウトだからね、昔は」


 ちょっとだけ納得する羽月。

 そして美子は両手を腰に当て胸を張り、どんと構えて言う。


「つまり! オルちゃんの言うことは正しいということだっ」

「なんでさくらさんが偉そうなのよ、おかしいなーもー」

「いや0期生として誇れるもんは誇っときたくて。というかさくらとか他の人がこういうことしとかないとオルちゃんはほら、クッソ控えめで隠れちゃうからさぁ。

 隙があればあの子を褒めようかなって考え始めてますっ」

「あーなるほど~。オルエン先輩は謙虚の中の謙虚だからねー」


 そんな感じで二人が笑い話を適当にしているとき、美子のスマホに通知が届く。確認すると、美子は慌てた様子で更衣室へと向かった。突飛な行動に驚きつつも、いい時間だと思って羽月も更衣室へと向かう。


「いつものお迎えだったりする?」


 羽月が更衣室に到着し、すでに着替え始めている美子に尋ねると、美子は恥ずかしそうに失敗したぁ、と言いたげな表情で返答をする。


「うん、そうそう。凛ちゃん――えーと、アールちゃんが駐輪場で待ってるって連絡だよぉ。デート兼夕食を約束してたからさぁ、つい急いじゃってさ、何も言わずにごめんなさい」

「いいのいいの。ラブラブで結構じゃないの」


 恥ずかしそうに頭を下げてから、美子はすぐに着替えを再開する。羽月もゆっくりと着替えて帰宅の準備をする。


(あー、りんちゃん、ね。倫太郎とかそういう感じの名前かなあ……私もミスったなぁ。うっかり口にしていいように旦那のことをアーちゃんとかに呼び慣れるようにしとくんだった。それなら配信で言い間違えても怖くないもんねー)


 羽月はそんなことを思いながら雪藤美子を隅々まで観察していく。美子は慌てながら幸せそうな顔を浮かべている。それが妙に今日の羽月には、癪に障った。日常のストレスが不意に爆発しているのかもしれなかった。


 羽月は『アールちゃん』というのが橋渡凛であることにも気づかない。注意力が散漫であったこともあるし、羽月はVチューバー同士ではアバター名で呼び合っているため、所属タレントの本名はところどころうろ覚えだったりもするからだ。これを習慣にしている人は多い。配信でうっかり本名を呼んだらまずいからである。


「アールちゃんのことはいつ聞いてもラブラブねー。すごく羨ましいなー」

「あー……うん。ラブラブです。えへへっ」

「リスナーにはそれを公表したりしないの? 男とじゃなくて百合だから逆に受けがいいかもよ? そういう風潮もあるじゃない?」

「うーん、百合営業はねぇ……私のチャンネルはそういうのを推してるわけじゃないから微妙な気がするねぇ。でもいつか、公表できたら嬉しいなあ」


 美子は完全に油断しているのだろう。彼女の顔は非常にだらしない。しかも発言にVチューバーであることを示唆してしまっている。


 しかし羽月はそれに気づかない。今の彼女は自分の感情をコントロールすることで精一杯だ。もし羽月が慌てて背けた自分の顔が誰かの目に入れば、般若のように恐ろしい顔だと指摘されるに違いないだろう。


(幸せそうでムカつくわ。お金の不安もなくて? 料理上手で? 仕事に理解があって? 自分の仕事もクソほどうまくいってて? お互いに素直にありがとうやら愛してるやら甘えることができるやら、常に気遣ってくれる理想の関係性で? おまけに夜はベッドの上でしっかり可愛がられて充実しています? 

 それで……私達と違って子供を作ろうと思えば作れる問題ない体ってか? いや、しかもだ、主にオル先輩のおかげでリスナーからフルライバーへのアイドル観は男を許容する可能性もあるんだよな……今はわからないけど、いつかは……。

 ふざけんじゃねーよ、不公平だろそれはッ)


 日常生活に過剰なストレスがかかっているからこそ、彼女は物事を悪いように受け取ってしまったのかもしれない。もちろん普段ならそんなものは出ない。しかしそれが不意に表に出て来てしまうことは、心が追い詰められ始めている人間にはままあることではないだろうか。


(配信でもツブヤイターでもなんでもいいや。ちょっと燃やしてやりてーな、この子。それで人生の厳しさを教えてやるって感じ。前もって厳しさを教えてやるのは年上の特権っていうやつじゃないの)


 羽月はようやく表情のコントロールを取り戻し、作り笑顔で美子のほうを向く。美子のほうはタイミングよく準備が終わっており二人の視線が重なった。


「さくらさん、あの、いいかしら?」

「なんですか?」

「今度、早いうちに時間があればコラボしましょうよ。まだ二人で五目並べとかの遊び大全をやる企画、してなかったでしょう?」

「えーと……してないねぇ。わかった、一緒にやろっか。あとで空いてるスケジュールを送るからそれに合わせてくれる形で?」

「わかりました。それでお願いします。フフ、忘れないでくださいよ~?」

「さくらはそんなにポンコツじゃないですよーっと。じゃあお疲れ様でしたぁ」

「お疲れ様―」


 美子はニコニコしながらさっさと退出していく。視界から消えたところで、羽月の作り笑いは一気に解除され、能面のような無表情になる。


「あんなに可愛いならそれもそっか。私と違ってさ、大切にしてもらえるよね……なんで私、愛してもない男に抱かれてるんだか……意味がわからないよ」


 羽月はパンと両手で一泊叩いたあと、気合を入れるようにパンパンと顔を叩いた。それでしっかりいつもの長船羽月に戻った。


「よし、それじゃあ、会話のシュミレートをしていきますかー」


 その声は、いつもよりも冷淡な色を含んでいた。




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