プロローグ「ブイチューバー・プラスワン」
「大人しくしろ凛!」
「――ッ!? いや! は、離してお父さん!」
「おまえは! お、おまえは裏切らないよな!?」
高校二年生の秋。
橋渡凛は実の父親から性的暴行をされかけた。
本来ならそれは、父親への恐怖や情が混ざった複雑な感情で混乱し、彼女は父親にされるがまま処女を散らしたであろう。
しかしあまりに強いショックのせいかこの時、彼女は前世と呼ぶべき記憶を思い出した。
「いで、いででで!?」
「……クソが、ああもうほんとクソだよったく」
凛が思い出した記憶は40代間近の男性の記憶である。それも今から十数年後の未来まで続く平凡な人生を送った記憶だ。名前や家族構成はぼやけているが、趣味や思想、人生に対する満足感などについてはかなり詳細に自覚できる代物であった。
そして幸運なことにその趣味の一つに動画サイトで武術家の技を視聴するというものがあった。彼女は反射的にその記憶に従った。
「痛い痛い!? 耳! 耳、耳、耳が!?」
「やかましいぞ強姦魔!! やったらいけないこともわからないのかッ!」
その結果、凛はうまく父親の耳を掴むことができた。そのまま力任せに引っ張りまわしていく。急所と言われるだけあって耳を全力で引っ張るというのは女の力であっても強烈な痛みを与えるものである。そしてそのまま流れるように有効な技をまた思い出す。このままでは反撃されると直感がささやいたのかもしれない。
彼女は右耳をつまんだまま、両手で頭を挟み込むようにして左手でビンタをした。
素人ながら技がうまくいったのだろう、打った衝撃でうまく脳を揺らされた父親は、床に崩れて頭を押さえ小さく呻いている。
「貴様が言ってわからない動物なら、叩いて躾けるまでッ」
凛の漏らした言葉は自分でさえ怖くなるほほどの大きな怒りを抱えていた。親に対する失望と、今世の記憶と前世の記憶が混ざったことで激情が生まれたのだ。彼女はそれに任せ、近い場所である台所から打擲に手ごろな物を入手する。その道具とはフライパンである。
父と殴り合った部屋に戻って来たところで、頭を押さえながら睨んで来る父親と目が合った。そして父親は凛のフライパンに気づくや顔が青ざめる。
「や――」
「一罰百戒っ!!」
凛が感情のままに言葉を吐き出し全力でフライパンを振り下ろす。
言葉に合わせてと言うのか、彼女はフライパンで百発叩いて父親を打ちのめした。床や壁にはいくつかの血飛沫が飛んでいったが、幸いにも死ぬということはないだろう。父親も殺されまいと必死だったため、血が出たというのは皮膚や瞼切ったという程度であった。代わりに青痣がそこらにでき、いくつも骨折してしまい身動きはできなくなってしまったが。
それがちょうど終わったころに母親が帰宅してくる。そのまま母親は息切れして座り込んだ凛と悲惨な姿で床に気絶している父親を発見することになり悲鳴を上げた。すぐさま救急車を呼んだことでこの出来事――娘への強姦未遂事件は幕を閉じる。
ある種の幸運なことにこの事件は警察沙汰にはならなかった。凛の父親は母の不倫によって狂っただけの善人である。自分が悪い、家庭内のこととして警察に説明したことでいちおうは円満に処理された。
それから父親はそのまま怪我の治療と精神医療ということで2ヶ月ほど入院した。母親はどういう心境か父の世話ということで頻繁に病院に通った。そのため凛へ干渉する時間が減ることになり、彼女は疑似的な独り暮らしをすることになった。
(男性の視点を理解すると、私はずいぶんな長身美人だな、背が一六八センチだから体型もぎりぎり一般受けもする感じか。
……母の顔はこれにそっくりなのだから父が狂うのもわからんでもない、前世は男として……いややっぱり理解できないな。親というのは子供の幸せを願うというのが義務であり基本だからな。例外の心を察しろというのはな……)
その二ヶ月、凛は突発的に思い出した前世の記憶と向き合った。とは言っても大きな問題にはなっていない。性格の変化はあるものの大きすぎるというわけでなく、クラスメイトから大人びた感じになったと言われた程度である。
(思えば昔からその気はあったが、前世を思い出してからは本格的にレズビアンだな。男を友人に見ることはできるが、恋愛という意味では無理だ。恋愛が厳しくなったとも言えるが前世もモテなかったしな……それを思えば、これも気にすることでもないか)
橋渡凛の認識としては性的嗜好が変化したというより、前世の男性であるという記憶が自分の女性への見方をはっきりさせていくという感覚である。これは混乱ではなく、単純に本当の自分を理解できたようで嬉しいことであった。
ちなみに彼女はクールな印象を与えるかなりの美人である。なので厳密にはモテるのだがそれは自覚していない。恋愛感情を抱かせるレベルの自分好みの人物から好意を寄せられるという経験がないからである。
(歳を取ったら難しくなる趣味というのはあるからな……まずは……大学時代から健康と美容に気を配りつつ、なにかしら武術を習えるならとりあえずそれを目指そう。特別にやることはないんだから)
前世の記憶には少し残念なこともある。今から二十年近く先の未来を生きた記憶がありながら、ニュースや出来事はぼやけていて役に立たないということだ。どうも前世の男性は株価や競馬のようなギャンブルに関心がなかったらしい。それらで利用しやすそうなネタは前世の記憶から見つからない。
その代わりなのか、自分の趣味嗜好に関してはかなり思い出せる上に強い影響がある。例えば『体調管理に必要な大雑把な栄養素』『健康=アンチエイジング』『トレーニングの必要性』『自分が食べられる基本的な料理の知識』『料理のレシピとそのアレンジ』などの知識はかなり思い出せている。と言っても頼り切りにできるものではないので、補足するようにこれから書籍やネット情報で補完する必要があった。
橋渡凛がそういった内面を整理しながらしばらく生活していると、ようやく退院した父親と自宅で顔を合わせた。その時、父は安定した精神状態であるように伺えた。もちろん後悔や罪悪感で作られた他人行儀さというものを纏っている状態ではあった。
父親から暴行未遂の件を素直に謝罪されると、凛は不愛想に答える。
「大学の費用を出してくれるだけでいい。それができないというならそれでも構わない。もうあなた達とは親子の関係ではいられない。場合によっては今すぐ高校を中退しても構わない」
親に対して偉そうに! と母親が叱責すると、凛は見下して言葉を返す。
「不倫した雌豚は黙ってろよ。状況を理解できない知性でものを話すな。蛆虫以下の劣等人間はこれだからうんざりする。父親、じゃあそういうことでいい? ――そう。じゃあこれからはできる限り話しかけないでくれると助かるよ」
と切り捨てて、そこからは冷え切った親子関係が始った。彼女は平然と続けてそのまま高校を卒業し、希望した平均的な大学へ入学し、一人暮らしをするようになった。そうして両親とは金だけの関係になったのである。
もし他者が、彼女に男である前世の記憶があることを知っているなら、その影響が強くなりすぎてないか、乗っ取られていないかと邪推されたのかもしれない。そのくらいに彼女の家族への情は切り離しがされていた。
なお凛からすれば、一連のことは完璧な対応であったと非常に満足している。
前世を思い出さなければ『親というのは子供を尊重するからこそ親である』とか『一線を越えれば親子の縁でも問答無用で切ってしまえばいい』という合理的で魅力溢れる思想に行きつくことはできなかったであろう。グダグダとくだらなくて不愉快な親子関係を惰性で続けたに違いない。
もし処女を奪われていたらその場では気にしないように振舞うものの、後々にそれがストレスの原因となって爆発し、父を殺害する決意をすることだって自分の性格的にありえる話なのだ。
後悔などは微塵もなく、やってのけた矜持だけがあった。
そういったことにけじめをつけて迎えた大学生活は親の仕送りで金銭的な余裕があって充実していた。謝罪の意味もあり気を遣われていたのだろう。借りる部屋は大学生の一人暮らしにしては広々としているし、付近の交通も便利で通学する大学にもそこそこ近い。学業に専念できるどころか、多少の酒場巡りやショッピング巡りなどの娯楽ができてしまう金額だった。
凛が大学とは別にその金で何をしたかと言えば、健康と美容のために食生活の充実とスポーツジムでの運動時間の確保、そしてジークンドーという武術を習得することである。
ジークンドーの知識については完全に前世の趣味のおかげであった。
というのも、彼女が師事したジークンドーの指導者:東郷石丸は、数年後に動画投稿で大物の武術家系動画配信者である。その動画をよく見ていたので東郷石丸のことは知っていたのだ。
この時期の彼は小さな道場で細々と鍛錬し、少なすぎる弟子に指導していただけだったことは前世で見た動画で知っていた。それでネットで検索してみるとすぐに見つかったのですぐさま彼の道場に入門したのである。
(いやーこの神秘的な知識がたまらないなあ! 効率的な肉体の動作から繰り出す技というのは効率的であるからこその美しさがある! やっほー!)
投稿された動画が格闘技業界でバズる前は、弟子は二人しかいなかったというのは本当だったらしい。おかげで指導時間が有り余っていることから彼女は実に丁寧に教えてもらうことができた。東郷石丸の指導は素晴らしく、凛が大学を卒業するころにはワンインチパンチや指による突きで建築資材の板を叩き割る技を出せる程度の技量を得ることができたのである。
彼女の実戦的な面での強さは、熟練度で言うならランク2と称されるもので、指導者のアシスタントを務めることが許される程度の技量だ。対人戦闘で言うなら、一般人よりは明らかに強く、ナイフを持った素人ならまあ制圧できる可能性が高い、と言ったレベルである。
そうして充実した日々を送って大学四年生を迎えたとき、どういうわけか両親がそろって自殺した。この頃になると親戚付き合いというものもなくなっており、家族葬もあっさりと終わらせた。
橋渡凛は不意に天涯孤独の身になってしまった。
(……喜ぶべきことでも何でもないが、まあ、余分なしがらみが減ったということでいいとしよう)
望外の幸運もあった。両親の遺産が結構な金額になったからである。これに加えて、街中でスカウトされて雑誌モデルの仕事をいくつか受けていた(理想の体型と仕事で求められる体型が合わなくなってきたので、大学四年の時点では雑誌モデル関係の仕事は辞めている)のでそれも含めて考えると、十年くらいなら無職だったとしてもどうにかなる金額になったのだ。
これを元本としてローリスクの投資信託を行なうと不労所得で家賃くらいは賄えるようになった。節約次第では十五年以上も無職でいられる可能性も現実味を帯びて来ていた。
そういった経緯で不意に金銭が充実してしまい、橋渡凛の就職活動へのやる気が削がれていた時期のことであった。
(怖いくらいに順調な人生だなあ……ん? Vチューバー? ああ! そうかそうか! 今ごろが黎明期やら創世期というやつか!)
世界的に有名な動画サイト:YOURSTUBE。
彼女がそこで暇潰しの動画を探していた時、そこのオススメピックアップにフルライブ・プロダクションに所属するVチューバーの動画が目に入ったのである。
この世界において『Vチューバー』というのは、二次元のイラストを専用ソフト『2Dムーブ』などを使いイラストを動かしながら話したり踊ったりする動画を投稿したり、あるいはライブ配信を行なって活動する人間を意味する。
本来なら『バーチャル・ストリーマー』などというのが言葉として正しいのだろうが、動画投稿サイト:YOURSTUBEにおいてVチューバーの先駆者がその動画サイトで活動を始めて成功したため、上記のような活動家は別サイトでも『Vチューバー』や『Vtuber』と呼ばれるほどに広がっていくのだ。
その最初期に活動した企業のタレント事務所:フルライブ・プロダクションは、独自の客層を開拓しブランドを確立した。凛の前世記憶の未来においては常に業界トップを走っている大企業として存在していた。
(懐かしい……というのは時系列的には変な話か。今は黎明期。これからこの業界は大きな客層を得ていく時期なんだから)
なおVチューバーの動画鑑賞は前世の趣味の一つである。と言ってもそこまで熱狂的と言うわけではなく、にわかファンというやつだ。それもかなり有名になってからVチューバーという存在を知った口なので知識自体は浅い。定期的に配信を見る程度の軽い推し(*憧れや好意を抱く相手のこと)がフルライブの中で数人いたという程度である。
具体的にはラジオ的な感覚でアーカイブの動画を視聴したり、あるいは有志の視聴者が切り抜きと言う形で特別に面白い場面だけをまとめた動画を見たりする。そしてたまにスーパーチャットというもので動画の投稿主である推しへ、五〇〇〇円程度の金銭をプレゼントする。その程度のファンだった。
(ははあ、これが後に0期生と呼ばれる、それもフルライブ始まりのアイドル、原点かつ頂点の青空みちるの動画かあ……ラジオ的に生配信してるんじゃなくて、明らかに作成されたアニメ的な動画というのは新鮮だな。たしかにこれでは売れないだろう。これを見るならアニメを見ればいいですむ。それにみちるのキャラクターも弱い。
最低限、彼女を象徴するアイテムである鞭は欲しいよな)
橋渡凛の前世である男性がVチューバーの動画視聴を趣味にした時期は、業界トップといわれるフルライブ・プロダクションはもちろんのこと多くの企業がVチューバーと言う確立されたジャンルで様々な活動を行い、大きな市場が出来上がっていた時期のころである。
このころになるとオリジナルのライブ映像、有名曲をカバーして歌唱する動画、生配信で「おっぱいボインボイーン!!」「でめえこのババアってなんだテメー!? 三十路は充分お姉さんだろうがよぉ!!」などの下ネタ無双乱舞や視聴者との軽快な言葉のプロレスのようなワイワイトーク、などをリスナーに提供していた。
つまり、人間が二次元のキャラクターを演じつつも演者本来の人間性を表現することで仮想アイドルや仮想アイドル(芸人)という独特の娯楽をお客に提供していたのだ。
この手法が確立するのはたしかあと数年はかかるはず。そう思いながら懐かしくもあり、貴重な歴史的映像を見るようにフルライブのVチューバー:青空みちるの動画を鑑賞していた。
そこで凛はふと嫌なことを思い出した。
パソコンで動画を検索する。
『フルライブ 社守さくら』
結果、該当なし。
出て来るのは関係のない映像だけ。
つまりフルライブ初期にデビューしたものの脳卒中を患ってすぐに引退してしまった『悲劇のVチューバー:社守さくら』はまだデビューしていないということだ。
「……ああー、思い出しちゃったかー。嫌だなー嫌だなーぐあー」
呆れるような、苦笑するような、あるいは自分を逆行TS転生させた適当過ぎる神様の無駄に強い意思を妙に実感させられつつ、椅子の背もたれに思いっきり寄りかかった。
ほぼ確定している不幸な出来事を見捨てるというのが気が引ける。さらにつられるように、あるいは後押しされるように、彼女は二つのことを思い出した。
一つは前世で視聴したフルライブの社長:八合義智のインタビューである。八合社長という男は、これから大人気アイドルVチューバー事務所になるフルライブ・プロダクションの創始者である。
映像の彼は常に朗らかな笑顔で時にネタ画像にされるほど慕われている男性だが、とあるインタビューの時だけはそれとは正反対の、裁判を受けている罪人のような苦しい表情を浮かべていた。
『フルライブの事業で後悔していることはありますよ。0期生の社守さくらのことです。
彼女がいた当時、我々の事業は計画よりも大きな壁にぶつかっており、満足な収益を上げることができていませんでした。それでもフルライバー(※フルライブ所属のVチューバーの呼称)はスタッフ一同と共に努力してくれました。少ない給料と過密なスケジュールだったのにね。
特に契約の関係上、フルライバーのさくらはまだ人気がなかったので、動画広告の収入がなかったんです。私はそれをうっかり――いえ、甘えたんですね。しばらく辛抱したら売れるからって我慢を強いたんです。
彼女はいい子でね、それがいけなかった。栄養失調のせいで家で倒れて誰にも気づいてもらえず、不審に思ったスタッフが訪れたら手遅れだった。一命は取り留めたけど引退させるしかなかった。
そしてそのわずか一年か二年後ですよ。1期生を始まりにどんどんフルライバーの人気が出て、それを上手く盛り上げてフルライブ・プロダクションも共に成長し、安定させることができました』
思い出した映像で写される八合が少し涙を拭うように目をこする。
『彼女には本当に申し訳ないことをした。同時に、彼女が今ここにいるのなら、フルライバーの中でも上位の人気Vチューバーだったことを確信しています』
「……はあ、嫌だ嫌だ。なんでこんなことも思い出すんだ。今の私じゃそっちこそどうすることもできないだろ……」
パソコンの前で肘を付きながら両手で覆う。同時にもう一つの嫌なことを鮮明に思い出す。
内容は前世の親友が急逝した時のことである。
『聞いてくれよ〇〇。とうとう俺の創作論が完成した』
『いきなりだなおい。なんだおまえ、そっちの道は諦めたんじゃなかったのか?』
『確かにダムの濁流にのまれるような鬱にはなったが今は問題ない。いいや! 今だからこそ問題ないのだ親友よ!! というわけで次の土曜日に一緒に映画を見るぞ。作品はマシントラッカー2でよろしくな!』
『古い名作で草。いや好きだけどどういうこと?』
『これがどうして優れた作品なのかを説明する。おまえが納得するなら俺の創作論は完璧というわけだ。つまりは一生、小説家やら脚本家で食うのに困らん! まあ才能がないなら編集者としてもいくらか転用できる! よろしく!』
『はいはい。受賞したら飯でもおごってくれ』
このやりとりから数日後、親友が亡くなったとの知らせを受けた。死因は自宅で心筋梗塞だったらしい。まだ二十代だったのだが、カップ麺や菓子パンを夕食にするというクソすぎる食生活をしていたのは知っていた。それが祟ったのだろう。
はっきり言うが、彼は恐ろしく頭がよかったと思う。
小学校からの付き合いで学業に優れていたという数字を残したわけではないし、有名な大学に行ったわけでもない。しかしニュースに対しての鋭い考察はよくぼやいていたし、とある国に対してなんて50年後くらいに滅亡するという予言をしており、その実現の過程をニュースでよく見かけていた。
よく理解していることを説明することに関しては抜群にわかりやすい説明をする人間であった。定期的に『みんな俺を頭がいいっていうけど、あのお世辞はなんなんだろうな?』とぼやく人物であった。
彼と友好を結んだ人間は彼の知力を認めていた。
そんな彼が不慮の病でこの世を去った時の、寂しさ、悔しさ、口惜しさ、永遠に証明できぬ不条理さ、というのは実に苦い記憶だ。あれは身近にいた親しいものにしかわからぬ悔しさであろう。
そして同時に彼の個人情報――名前、容姿。声、家族構成、年齢など――彼に接触するために必要なものは全て思い出すことはできないという直感も感じていた。自分を転生させた神様が前世と関係する人間と関わらせないようにしているのだろう。
「わかったよ、わかった。そういうことなんだろう? 気持ち悪いな。まあやってもいいさ、特に人生の目標があるわけじゃないんだ」
そういうことで、フルライブの社守さくらが病で引退したときの八合社長の口惜しさというものを、橋渡凛は共感できてしまっている。
そして彼女のことを放っておけないという気持ち悪さもあるのだ。
彼女は今、自然とVチューバーになる方法を調べている。
明らかにそれは、前世の親友を救えなかったことに対する代償行為であった。そのこと自体はほんのり、彼女も自覚しているのだ。
「Vチューバーに興味が惹かれないわけじゃない。博打的な職業なのはわかってるし失敗しても生活できる余裕はある……」
ブツブツと独り言を漏らしながら凛は、パソコンで機材やイラストレーターの情報を検索していく。
「……なるよ、Vチューバーに。スタッフは性に合わんだろうしな。目標はフルライブに入社して社守さくらを助ける。ダメでも個人勢でコラボをお願いして接近して、部屋で倒れないようにメシを作ったりすればいい。それでダメならそれまでだ。私のせいじゃない。知ってる芸能人が死んじまったというだけの話さ」
そういう適当な気概で数ヶ月後、彼女は『魔女屋オルエン』というキャラクターで個人勢のVチューバーとして順調に活動を始めた。チャンネル登録数が一万を超えると収益が安定し始め、しばらくすれば、金銭面では不安がなくなった。
そしてさらに順調なことにとある仕事のメールが届く。
ざっくり要約すると――
『いつも拝見させていただいております。魔女屋オルエン様。
私は株式会社ニューメイカーおよびフルライブ・プロダクションの社長を務める八合義智という人間です。
あなたの切れ味の鋭いトーク力は大変魅力的です。
特に動画の~中略~。
――以上によりあなたはVチューバーとして素晴らしい素質があります。その活動をより活発により安定的にするため、オルエン様もフルライブ・プロダクションとタレント契約を交わし、活動いたしませんか?
わが社の優れた2D、3D技術、撮影環境などにてご支援させていただきます。
詳しくはこちらにご連絡ください~中略~。
株式会社ニューメイカー 社長:八合義智』
運命に導かれているような内容に、彼女は苦笑を浮かべる。
「……これはもう神様がお膳立てしてるレベルですね。嫌だな嫌だなあ……でも放っておくのはもっと嫌だ。やるだけやってみますねっ! と……」
橋渡凛は仕事メールに快く、承諾のメールを返信した。
■ ■
――そして、二年と半年後。
大人気Vチューバー『社守さくら』が突然の活動休止となり、その直後にフルライブ運営から病を患ったと告げられてからの、二年と半年後のことである。
この日、新衣装記念配信という名にて、社守さくらの活動再開となる初日のライブ配信が行なわれていた。
「――リスナーののみなさん、お久しぶりです。フルライブ0期生、社守さくらです。
本日は――私の活動再開の配信に来てくださり、本当にありがとうございます」
動画配信サイトの『社守さくら.Ch』のチャンネルにおいて、二年ぶりの生配信が始まった。流麗に動く2Dアバターが演者の表情を正確にトレースし、紫色の魔女帽子と巫女服の似合う長い赤髪の女の子がその動きを表現する。
「あ、新衣装のこの魔女帽子はですね、オルちゃんの話をママ(*イラストを担当した絵師のこと)にしたらですね、わざわざ描いてくれたんですよ。ママ、本当にありがとう」
普段は赤ちゃんボイスとも呼ばれるが、真面目な時は清楚を前面に出した声で社守さくらが手を振りながら言っている。それを見たコメント欄の流れが速くなった。感涙であったり、感動であったり、あるいは『てえてえ』というやつを感じたのかもしれない。
その中にはフルライブ・プロダクションから解雇されると同時に、既婚者であることが発覚して離婚騒動で荒れたものの、最近では人気のある個人勢として落ち着いた女性Vチューバーもいた。元同僚であるからか、彼女はわざわざ祝福の満額スーパーチャット(*コメントと同時に動画主へ投げ銭ができるシステムのこと)を投げている。
社守さくらの復帰は、それほど多くの人が心待ちにしていたのである。
「ほんのさっきまで、さくらはですね、見れなかったんですよ、自分のチャンネルをね。言葉で言うのは難しいけど、怖かった。うん、怖いというのがね、いろいろ混ざってた。
――でもチャンネル登録者数を見て驚きました。最後に見たのは一〇〇万だったはずなんですけど、さっき見たら、一五〇万だったんです。オルちゃんの言った通り……さくらのことをみんな待っていたんだなと思うと、怖いのがなくなったよ……二年以上、なにも……なにも……でき……」
できなかった、という言葉を涙声のせいできちんと口にできないさくらに、社守さくらのファンであるリスナー、同僚であり同じフルメライバーの青空みちる、クロル・エ=アップルスミス、個人勢の白羽カラスなどといった数々の人々からの気遣われるコメントが大量に流れていく。
「ありがとう、みんな。さくらは大丈夫だよ。あ、実は今日の配信はね、ルーちゃんも一緒にいるんだ。念のためにね。もうちょっとしたら助っ人で出てくれるからね、楽しみにしててね」
グズグズ、という涙を拭う音と共に声が少しずつ落ち着いていく。
無理をしないで、というコメントが大量に流れていく。
「――改めて、お礼を言わせてください。
本日よりわたくし、社守さくらはフルライブ・プロダクションに復帰し配信活動を再開いたします。今日のような素晴らしい日を迎えることができたのは、リスナーの皆さま、フルライブのスタッフおよび関係者の皆さま、フルライバーのみんな、リアルママや兄弟、友人……そして、オルちゃんのおかげです。みんなが、さくらを支えてくれて、応援してくれたからです。
本当に、本当にありがとう――!!」
コメント欄に拍手を表現する文字、絵文字が大量に羅列していく。
それに応えて、震える声でさくらがいった。
「それじゃあ、今日は雑談と新衣装紹介の配信を始めるね!
ではゲストの彗星ルカちゃんをお呼びするねぇ! どうぞぉー!!」
「はーいどうもーみなさん! 彗星のように輝くアイドルVチューバー:彗星ルカです! ルーちゃんは~?」
「今日もかっこいい!」
「はい! ありがとうございます! じゃあそういうことで!」
「「二人そろってサクラスター! 今日からまたよろしくお願いしまーす!!」」
コメント欄に二人のファンであるリスナーからのコメントが大量に投下される。中には有名なフルライバー、交流のある他企業のVチューバーのコメントも紛れている。
「というわけでですね、まずこのルーちゃんがみんなの気持ちを代弁しようと思います」
「え? あっはい」
「巫女服と魔女帽子の組み合わせって妙に背徳的でエッチだ、これ以上ないベストマッチ。そう思わないかみんな?」
「おいてめぇ! センシティブになるのが早すぎるだろうぉ!?」
「「アッハッハッハ!!」」
美子と千鶴が顔を見合わせ頷き合う。
「さくらは、これからも頑張ります。私を応援してくれる人のために、私を好きでいてくれる人のために――アイドルVチューバー! はっじめーるよー!」
そして、アイドルVチューバー:社守さくらの伝説は始まった。
■オマケ設定集1■
作者的には以下のように作品内の世界線を区別している。
大きく分けて三つ。
・「Vtuber+0」
橋渡凛の前世である男性がいる。
橋渡凛という女性は存在しない。
社守さくらが悲劇のVチューバーで、知る人は知ってる程度の存在。
・「Vtuber+1」
本編の世界線。
なお、橋渡凛の前世である男性と彼の親友は存在しない。
・「Vtuber+2」
ほとんど設定が「Vtuber+1」の本編と同じ。
ただし世界線は別。外伝的なもの。
こちらの設定で物語を書く場合、ほぼコメディ路線。
執筆予定は未定。