8.シクラメン(5)
ディアンはフィルラウスの言葉を一つ残らず受け止めた。やるべきことは分かったような気がする。その微かな自信があった。
「絵だけじゃ人は助けられない。描いた対象を持ってくる」
「そうだディアン。描いた絵がいくらすごくても、何の絵が分からなかったら水の泡だ。だから実際が大切なんだ」
ディアンはスケッチを仕上げた。そして立ち上がった。
「僕、もうそろそろ帰ります」
「そうか」
フィルラウスは静かに頷いた。そして言葉を繋いだ。
「お前は人物画は下手だったが、悪い生徒じゃなかった。むしろ今、宮廷画家で雇われていることを全然不思議に思っていない」
ディアンは少し驚いた。その顔を見たフィルラウスは笑った。
「まあお前は俺のこと嫌いだったろうけど」
「そんなことありませんよ」
「嘘つけ。大嫌いだったろ」
2人で大笑いした。ディアンはもちろん彼のことを嫌っていたが、もうそんな感情を忘れてしまった。ひとしきり笑った後、2人で校門まで歩いた。
「では、行ってきます」
「ああ、活躍を楽しみにしてる。またいつか会おうじゃないか」
ディアンは手を振った。フィルラウスは少しだけ振り返してくれた。
ディアンは心の底から来て良かったと思った。おそらく学生時代よりも、先生から多くのことを教わった。それが嬉しくて、胸がいっぱいだった。
城に戻ると、アーネが玄関をほうきで掃いていた。
「あっ、ディアン様。お帰りなさいませ」
「アーネさん。お久しぶりです」
久しぶりに見たアーネは少し痩せているように見えた。疲れているようにも見えた。
「アーネさん、大丈夫ですか?だいぶお疲れのようですけど……」
「そんな……ご心配なさらず。私はいつも元気ですから、ディアン様もお身体には気をつけて」
ディアンは会釈して、アトリエに戻った。身体の辛そうな人に言われる「お身体には気をつけて」はディアンの心を傷めた。
ディアンを見送った後、アーネはため息をついた。自分でも分かっていた。働き詰めでまた休めていないこと。来年も忙しくなること。もうウィリアムス家としての任務を果たすことを考えなければならないこと……
やるべきことが山積していて、頭を抱えていた。
国王が外遊に出発する直前、アーネは執務室に呼ばれていた。
「陛下、どういったご用件で?」
「まあ君の春からの話なんだが、上位の立場で働いてもらうことにはなる。簡単に言うと、芸術学校三校の管理を頼みたい」
「なぜ私が?」
三校とは、音楽学校、芸術学校、彫刻学校の3つの学校だ。アーネはその3つの事務的な仕事を担うことになったのだ。




