8.シクラメン(1)
「契約更改のお話がありますので、執務室にお越しください」
ケレルが謙虚な笑顔でディアンに告げた。この打ち合わせはディアンの人生を決めてしまうものでもあるので、必ず参加しなければならない。
ディアンはそっと執務室のドアを開いた。
「ディアン、よく来た」
「本日は、よろしくお願いします」
2人は隣の部屋にある、革のソファに向かい合って座った。
「ディアンは3年間ここで立派に作品を作り続けてくれた。その功績は本当に素晴らしいよ」
「ありがとうございます。陛下のご支援のおかげです」
「これで私の心も明るくなるよ」
真ん中に置かれた茶菓子をつまみながら、2人で笑っていた。すると、国王が真面目な顔で話を切り替えた。
「さて、来年の春からの話なんだが……」
「はい……」
「この城でこのまま働いてもらおうと思っている。だからこの紙にサインをしてくれ。そうすれば、ここで成立だ」
差し出された白い紙をディアンは覗き込んだ。彼は少し経ってから言った。
「誠に申し訳ないのですが、ペンを忘れてしまったので、アトリエでサインしてきてもよろしいでしょうか?出来るだけ、急ぎますので」
「構わないが、私は昼から外遊に出るからしばらく城をあける。だから帰ってきてからにしてくれ」
「了解致しました」
嘘をついた。本当は万年筆は持っていた。インクもたくさん入っていた。ただ、時間が欲しくなったから、ディアンは嘘をついて時間稼ぎをしたのだ。
ボルナト国王はペルカを訪問しにその日のうちに馬車に乗った。彼が帰ってくるまでの一週間で、何か、決め手が欲しかった。
冬は描く対象が無くて、暇を持て余してしまう。初日は無気力なまま過ぎてしまった。
政治の切り札に絵は使われる。自分が守りたい人を守れない。こんなところで絵を描き続ける必要なんてあるのだろうか。
生涯認められる称号である。しばらくは遊んで暮らせるような給料を得られる。きっと将来は安泰だ。次の契約を結ぶべきだ。
ディアンの中では二つの思いが葛藤していた。
翌朝、このまま無気力な状態ではいけないと、散歩に出ることにした。すると、ラッセルと久し振りに会ったので、立ち話をした。そこでラッセルが興味深いことを言った。
「そういえばこの前、フィルラウス先生に会ったんだ」
「えっ、どこで?」
「道端で画商と話しているところを見かけたんだ。今でも学校で教えてるそうだよ」
フィルラウスとは学生以来会っていない。彼のことを嫌っていたのだからわざわざ会うこともないだろうと思っていた。
でも今は、この気持ちのわかる芸術家を求めていた。不意にその気持ちはディアンを芸術学校に連れて行ったのだ。




