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5.桜(7)

「でも、そのテクニックはあなたの個性ではないですか?」


 俯く男2人が顔を上げると、アーネが目の前に立っていた。彼女は目が合ったことを確かめると、話を続けた。


「私は絵のことなんかに詳しくはないです。ですが、ラッセル様が描かれた絵も、あなたが気に入らなくても私は好きです」

「そんなこと、無理しておっしゃらなくても……」

「無理なんぞしておりません!」


 ラッセルは圧倒された。見ず知らずのアーネが自分の絵に果敢に迫ってくる。そこで座り直して彼は言った。


「本心なら、ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいし、描いてた意味はあったと思う」


 後を追うようにディアンも言った。

 

「僕もラッセルの絵は全部好きだよ。みんなそれぞれ『綺麗だ』って思う価値観は違うと思う。君が嫌だと思っても、他の人はテクニックに惹かれたりしてるはず」

「うーん、でも僕の作品は買ってもらえなかったよ」

「そりゃ、あんな著名な人の中にいたら埋もれるに決まってる。でもこの人のもいいなって思ってくれた人はいたに違いないよ」


 ラッセルはたたんでいた足を伸ばして言った。


「それじゃあ意味ないでしょ。実際買ってもらってない訳だし」

「売れるのが目標じゃないんでしょ?」

「……」

「今までたくさん、君に励まされてきたけど今日はこっちの番だよ。君にもう1作品だけでもいいから描いて欲しい」

「……」

「描けると信じてなかったら、こんなこと言ってない。その絵も、桜の良さを捉えてると思うよ」


 ラッセルは難しい顔をしていた。自分が嫌だと思って辞めたことに再び戻ることを躊躇うのは当然だ。すると、少し離れたところから声がした。


「わしも、お前が描いた絵をもう一つだけでいいから見たいと思っとるよ」


 ラッセルの祖父だった。


「画材屋で掃除をしているとき、いつも筆を動かしたりしてみて、お前の本心はやりたいと思ってるんじゃないか?」


 ラッセルは祖父にも励まされたことに目を丸くした。その目は少しだけ潤んでいた。そこでふっと顔を上げた。


「そうだな、まだ始まったばっかりだ。まだ30歳にもなってないのに、諦めるなんて勿体無いよな」


 筆を洗って、きつね色の筆先を見せて言う。


「この作品が満足いくものになったら、また絵を描こうかな。自分が綺麗と思える作品を」

「そう来なくっちゃな」


 ディアンは満面の笑みを浮かべた。単純に、ラッセルの新章を見られることが楽しみで仕方なかった。


「明日もちゃんと来いよ、風が強くなるみたいだから、綺麗なやつが描けるぞ」

「分かった、また明日ね」


 ディアンは清々しい気持ちで、馬車に戻った。


「良かったですね、ディアン様」

「彼が、彼自身が苦しんできたことを知れた。僕がコスモスを描いて国王にスカウトされた後、彼に何があったか、ちゃんと知れた」


 アーネは知らなかった。ラッセルとディアンは違う場所で同じ光景を描いていたことを。


「ラッセル様のものも、陛下は見たのでしょうか?」

「知らない。でも複雑だよ。あいつがスカウトされてたら、あいつは画家を辞めなかったかも知れないからね」

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