8 ダンス
ザカライアは口を閉ざして考え込んでいるけれど、今はそんな事に付き合っている時間はない。
「早く出発しないと、お義父様とお母様が待っているわよ」
私はお姉様とエラを急かして馬車に向かうが、何故かザカライアまで付いてきた。
「どうしてあなたまで馬車に乗るの?」
ちゃっかりと私の隣に座るザカライアに質問を投げかけるが、彼は涼しい顔をしたままだ。
それよりもザカライアの姿を見ても執事のサイモンもメイド達も何も言わないなんてどういう事だろう?
「どうしてあなたを見ても『どなたですか?』って聞いてこないのかしら?」
「それはね。僕自身に隠匿の魔法をかけているからだよ。君達以外には僕の姿は見えていないのさ」
私のつぶやきを拾ったザカライアは、得意そうに胸を張ってみせる。
(どうせそんなところだろうと思ったわ)
私は肩をすくめるとザカライアを無視して、馬車の外の景色を眺めた。
夕暮れ時の街並みが夕日に照らされて赤く色づいている。
王宮に着いて馬車を降りると、私達の到着を今か今かと待ち構えていたお義父様とお母様がいた。
「随分と遅かったじゃないか。来るのをやめたのかとやきもきしていたぞ」
「もうじき私達がクリストファー王子にご挨拶に伺う番よ。準備はいいわね」
お母様は私達の身だしなみを順番にチェックすると、ホールへと続く扉の前に整列した。
「タルボット侯爵家より、ボブ様、トレイシー様、ドロシー様、アナベル様、エラ様のご入場です」
私達の名前が読み上げられ、ホールへと続く扉が開かれる。
きらびやかなシャンデリアの光が輝く中、ホール中央に立っているクリストファー王子の所へ挨拶に伺う。
「本日はお招きありがとうございます。娘のドロシー、アナベル、エラです。どうぞお見知り置きを」
お義父様がクリストファー王子に私達を紹介し、私達は軽く一礼をして頭を上げた。
「タルボット侯爵家の皆さんですね。今夜は楽しんでいってください」
そう、私達に声をかけてきたクリストファー王子は顔に笑顔を貼り付けたまま、硬直したように固まっている。
(一体どうされたのかしら?)
クリストファー王子の視線を辿ると、私の隣に立っているお姉様に注がれているのがわかった。
(どうしてお姉様をそんなに見ているのかしら?)
そう思ってお姉様の顔を見ると、お姉様も同じようにクリストファー王子を凝視している。
クリストファー王子の隣に立っていた若い男性が、微動だにしないクリストファー王子に気付いてそっと声をかけた。
「クリストファー王子、いかがなさいましたか?」
その途端、ハッと我に返ったクリストファー王子は躊躇うことも無くお姉様へと近寄ってきた。
「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいですか?」
クリストファー王子に声をかけられたお姉様は、はにかんだように微笑んだ。
「ドロシーと申します」
今まで見たこともないような柔らかい微笑みに私だけでなく、お義父様、お母様、エラまでもが驚きのあまり目を瞠る。
「ドロシー嬢、素敵なお名前ですね。どうか、私と踊っていただけませんか?」
「クリストファー王子!?」
隣の男性の驚きを他所に、クリストファー王子に手を取られたお姉様はそのままホールの中央へと向かった。
そこでは既に何組かのカップルがダンスに興じている。
「…まだ、全員の挨拶を受けていないのに…」
男性がボヤいているが、クリストファー王子を止めに行く気はないようだ。
むしろ、今度はその男性がエラに向かって近寄っていった。
「はじめまして。ブライアン・ガザードと申します。お名前を教えていただけますか?」
ブライアンに対してエラも嬉しそうに笑顔を返す。
「エラと申します。ブライアン様」
エラに名前を呼んでもらったブライアンはクリストファー王子と同じようにエラに手を差し伸べてくる。
「僕と踊っていただけますか?」
「喜んで」
私が見ている横でブライアンとエラは手に手を取ってホールの中央へと向かう。
「ドロシーとエラは無事に相手が見つかったようね。アナベルも頑張りなさい」
「え? ちょ、ちょっと!」
お母様はそう言うと私が呼び止める間もなく、お義父様と一緒にダンスを踊りに行ってしまった。
私一人だけがポツンとその場に取り残されるハメになった。
(え? 何それ? 何が一体どうなっているの?)
呆然としている私の目の前で、楽しそうに踊る無数のカップル達。
(まさか私だけあぶれるとは思わなかったわ)
「僕で良かったら踊ってあげようか?」
その声に振り返ると、ザカライアがニッと私に笑いかけてくる。
「私以外には見えていないんでしょ? 一人で踊っているみたいで悪目立ちしてしまうじゃない」
「しょうがないな」
ザカライアがパチンと指を鳴らすと、黒のローブ姿から夜会服へと変わっていた。
「姿は見えるけれど、誰も僕達の事を気に留めないようにしたよ。これならいいだろう?」
そこまでしてもらっておいて断る気になれなかった私は仕方なくザカライアの手を取った。
ザカライアと踊りながら周りの人達の様子を窺うと、クリストファー王子とお姉様の事を悔しそうに見ている令嬢達が目に入った。
(やれやれ。面倒な事が起きなければいいんだけど…)
そう懸念しながら、私はザカライアと踊り続けた。