表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

第一話 二杯のコーヒー

 七月も終わりに差し掛かった頃の話だ。高校一年の一学期が終わり、夏休みが始まった。俺は夏休みが始まる前、ダラダラと寝て過ごしてやろう、と考えていた。高校生活に不満があるわけではないが、とにかく毎日が眠い。きっと新しい環境での生活に知らず知らずのうちに疲れを感じていたのだろう。そういうわけで、この夏休みはしっかりと眠ることで英気を養うのだ。それにこの成長期はしっかりと眠ることが成長につながる。そうすることで来るべき二学期を健康に愉快に過ごすことができる。しかし母はそんな息子の思いを知ってか知らずか、突然知り合いが店長をしているカフェにアルバイトを申し込んだこと、もう面接日は決まっていることを伝えてきた。俺は勿論反論したが、母の「寝てばっかりの生活をするよりあなたのためになる」という正論の前には無意味だった。こうして俺の夏休み睡眠計画は夢に消えて、アルバイトを始めることになった。


「えっと、砂川悟くんだよね。お母さんから色々聞いてるよ。大変だね。しかし君、背が高いね。身長どれくらいあるの? 百八十センチくらい?」

 初めてのアルバイトの面接は想定したものとはまるで違った。母の知り合いの店だからだろうか。店長だという男性――三田村茂というらしい――とは学校のことや近所の野良猫のことなど他愛もない話を三十分程していた。そして彼と俺の母親との関係について話をしていた。その後、シフトについて軽く話をして面接は終わった。あまりにも腑抜けたものだった為、拍子抜けしたことを覚えている。そうして夏休みが始まると同時にアルバイト生活が始まったのだ。


 真夏の刺すような日差しの中、俺は自転車でアルバイトに向かっている。午後の燃える様な暑さから逃れるようにペダルを踏み込む。自転車を漕ぎ続けてるとゆったりとした坂道に差し掛かった。この坂道を下っていくと、H電鉄のM駅が見えてくる。M駅は俺の住むM市の中心になる駅だ。中心になる駅、とはいっても、ホームが二面二線のこじんまりとした駅だ。駅の周りこそ居酒屋や飲食店があり賑わっているが、少し離れると静かな住宅街になっている。M駅の近くにある通りにバイト先のカフェがある。この通りは東通りと呼ばれており、最近新しい店がよくできている。この前も有名なお菓子屋の系列店ができたらしく、時折行列ができている。近隣の住宅街に住まう主婦をターゲットにしているのだろうか、この通りにはカフェや晩御飯のおかずになる惣菜店などが多い気がする。


 俺が住んでいるM市は所謂ベッドタウンだ。電車に三十分も乗れば、日本でも有数の大都市であるO市に着く。すぐに大都市へ出られる位置にありながら、自然に囲まれたこの町はゆったりとした時間が流れている。道を歩けば野良猫がうろつき、時々山からサルやらイノシシやらが降りてくる。そんな自然豊かというより田舎といった方が良い町だ。都会のコンクリートジャングルで日々働くビジネスマン達からすれば休日はこのような場所で過ごしたくなるものだろうか。


 そんなことを考えていると駅の北側にあるロータリーに着いた。このロータリーにはバス乗り場がある。自転車のスピードを緩めて左折し、東通りに入る。この通りは歩行者専用となる為、自転車から降りた。歩いていると、一階を内装工事している雑居ビルがあった。また新しい店ができるのだろうか。通りの中頃に差し掛かると、左手に三階建の雑居ビルが見えてきた。一階にある駐輪場に自転車を置き、階段で二階に上がる。するといくつかの飲食店がある。そのうちの一つ、向かって右から二番目の店がバイト先のカフェだ。俺がバイトをしているカフェ――Cafe Graceは三人掛けのカウンターと四人掛けテーブルが三つあるほどの小さなカフェだ。店内はオーナーがニューヨーク住んでいた時に通っていたカフェをイメージしているらしい。壁はレンガばりになっており、モノクロのアートパネルが掛けられている。カバーがついたペンダントライトと黒色のシーリングファンが洒落た雰囲気を醸し出している。店内は、入り口の扉を入って左側にレジとカウンターがあり、その奥にテーブルが三つ並んでいる。テーブルやイスはオーナーこだわりの品らしい。照明が暗めにしてあるため、落ち着いてコーヒーや軽食を楽しめる空間になっている。


「あ、砂川くん、お疲れ。」

 快活な声が聞こえてくる。

「ああ、おはよう。」

 声をかけてきた少女はバイトの同僚の佐竹ももだ。同じ高校一年生で、M市内にあるミッション系の私立女子高に通っている。彼女は俺より後にこの店のバイトになった。彼女はS女学院というミッション系の私立女子校に通っている。S女学院は、大阪府内でも有数のお嬢様学校として知られている。彼女も御多分に洩れず立派なお嬢様だ。聞いた話では、彼女の祖父はM市の市長を務めていたらしく、父親は建築家をしているとのことだ。そんな家庭の彼女がアルバイトを始めた理由は、自分のお小遣いは自分で稼ぐ、とのことらしい。母親によって強制的に始めた俺とは比べ物にならないほど立派な理由だ。俺は彼女と対照的に一般的なサラリーマン家庭で育った。父の通勤の都合で、縁もゆかりもないM市に俺が三歳の時に引っ越してきたのだ。また性別が違うため当然なのだが、見た目も対照的だ。俺は背が高くて目つきが悪いため、近寄りがたいとよく言われる。対して彼女は、小柄でクリクリとした目をしており、人懐っこい雰囲気がある。よく客から声をかけられており、その度に彼女は元気に返事をしている。


 俺はカウンター脇の扉を開け、この店のバックヤードへ入った。バックヤードには業務用の冷蔵庫が置いてあり、その傍にコーヒー豆がいくつも置いてある。また店の事務所を兼ねており、書類をたくさん挟んだ分厚いファイルがスチール製の棚の上に乱雑に置かれている。事務机にはデスクトップパソコンが置かれており、その前に男性が座って作業をしていた。店長の三田村茂だ。背は高くないが、肩幅が広いがっしりとした体格で、歳は三十歳前半ぐらいだろうか。目鼻立ちがくっきりとした顔立ちをしており、以前テレビで見た昭和の俳優を思い起こさせる風貌をしている。この人の母親が俺の母親と幼馴染だったらしく、それがきっかけで俺はこの店でアルバイトをすることになったのだ。

「お疲れ様です。」

 パソコンで事務作業をしている店長の背中にあいさつをした。

「おお、今からなのか。今日も頼むぞ」

 店長は振り返ってそう言うとまたパソコンに向き合って作業に戻った。


 リュックサックをスチールラックに置いて制服に着替える。更衣室と呼べる場所はなく、男性はバックヤードの片隅で着替えている。女性スタッフはこのビルの事務所にある更衣室で着替えているらしい。もしくは店の制服を着た状態で店へやってきている。

 この店の制服は白いシャツと黒いズボン、焦茶色の腰エプロンで、ズボン以外は支給されたものだ。エプロンさえつけていなければ私服に見えるため、制服を着て店へ行っても良いのだが、この季節は少し外に出るだけで汗だくになる。そんな状態でバイトはしたくないので、店で着替えている。タオルで汗を拭き、デオドラントウォーターをつけた。シトラスの爽やかな香りがする。手早く着替えて、店長に少しの間だけパソコンを使わせてもらいタイムカードを切って、事務所から出た。カウンターには佐竹の他にもう一人明るい茶髪の女性が立っていた。このバイトの先輩にあたる飯山里穂だ。隣の市にあるK大学の二年生で、一年生の頃からこの店でバイトをしているとのことだ。髪をボブカットにしており、女性にしては背が高い。気が強そうな顔立ちをしており、以前、店長が飯山は一部に人気があるんだよな、と呟いていたことを覚えている。


 時計を見ると十四時を回ったところだった。今日は平日のため、客が少ない。店内にいるのは、テーブルにおそらく近所に住んでいるであろう主婦が四人だけだ。主婦たちはケーキを食べながらずっと話をしている。最近法事があったという話が聞こえてきた。あまりケーキが減っていないところを見ると、話してばかりのようだ。それにしてもこんなにも話しているのに話題が尽きないもだ、と感心する。特にやることがないため、カウンターの整理をしていると、店長が声をかけてきた。書類の束を整理するのを手伝ってほしい、とのことだった。

 バックヤードで店長の手伝いしていると、佐竹が扉から顔を出して「手伝って」と声をかけてきた。時計を見ると十五時を過ぎていた。お茶をしたいと人々が思う時間で、ピークタイムと呼ばれてる。この時間には店長を含め店員が必ず四人はいるようにシフトが組まれている。バックヤードから出てみると、奥の三つのテーブルは全て埋まっていた。またカウンターにも二人の客がいた。佐竹と飯山がオーダーを取り、俺は店長と協力して次々とやってくるコーヒーやフードの注文を捌いていった。


 十七時になり、客足も落ち着いてきた。あと一時間でバイトも終わる時間だ。この店は朝の九時から営業を始めて十八時に閉まる。十六時までのシフトだったため、飯山はすでに帰っていた。店内には三十代ぐらいの女性客がいた。奥のテーブルに座り、パソコンで何か作業をしている。洗い物をしていると、佐竹が声をかけてきた。

「ねえ、砂川くん。そろそろあのお兄さんが来る頃かな?」

「あのお兄さん? それっていつもコーヒーを二杯頼んでいるあの人?」

「そう。なんで二杯も注文してるんだろうね」


 どんな店にもいえることだが、常連と呼ばれる客がいる。そしてその人たちはいつも決まったものを注文することが多い。例えばいつも十四時に来店し、店のオリジナルブレンドとバタートーストを頼むおじいさんや十六時にやってくる大学生ぐらいのカップルがそうだ。その中に一人変わった注文をする客がいる。それが先ほど佐竹が話していた男性のことだ。

 その男性はいつも十七時半頃に来店している。いつから来ているのか詳しくはわからないが、少なくとも俺がバイトを始めた時にはすでに店に来ていた。銀フレームのメガネをかけた真面目そうな男性で、真っ黒な髪をいつも七三に分けている。おそらく仕事帰りなのだろう、白いシャツにスラックスを履いており、黒いビジネスバッグを持っている。週に三回は来店しており、その度にコーヒーを二杯注文している。それも異なる種類のコーヒーを。

 この店のコーヒーは二つに大別できる。一つはブレンドコーヒーでもう一つはシングルオリジンコーヒーだ。ブレンドコーヒーは店のオリジナルブレンドの他に季節のブレンドがある。今は夏なので水出しブレンドコーヒーを出している。そしてもう一つのシングルオリジンコーヒーは生産国や銘柄といった大きなカテゴリではなく、単一農園・単一品種で分けられたコーヒーのことだ。この店では常時十種類のシングルオリジンコーヒーがあり、店の売りになっている。そのため、コーヒーにこだわりのある人がよく来店しているらしく、店長とコーヒーについて話をしているところみたことがある。

 常連の男性が頼んでいるコーヒーはシングルオリジンコーヒーだ。来店すると、何故か必ず異なる二種類のシングルオリジンコーヒーを頼んでいる。コーヒーのおかわりをお願いする客は時々いるが一度に二杯のコーヒーを頼む人はそういない。もしコーヒーが好きならば、異なる種類のコーヒーを選んでそれぞれの味や香りの違いをゆっくりと楽しむと言うのも理解できる。しかしその男性が来店するのは閉店間際の時間なのだ。当然ゆっくりとコーヒーを、しかも二杯も楽しむ時間はない。それに十七時半には店員たちが閉店の作業を始める。そんな中でゆっくりとコーヒーを飲むことはできないだろう。仕事帰りに一息入れたいと言うのなら、一杯で十分なはずだ。時間のことを考えてもそうするのが普通だと思う。

 不思議な人もいるものだ、と思いながら洗った食器を片付けていると、佐竹が声をかけてきた。

「もうすぐあの男の人が来る時間だね。今日も来るかな」

「多分来るんじゃないかな」

 時計を見ると十七時二十分になっていた。すると店の扉が開き、銀縁の眼鏡をした男性が現れた。例の常連だ。


 例の常連客は慣れた足取りで店内を歩き、空いている方のテーブルに座った。鞄を隣の椅子に置いて、中からノートとハンカチを取り出していた。佐竹が常連客の元へ行き水を出した。そして注文を取ると、こちらに意味ありげな視線を送ってきた。

「やっぱりコーヒーが二杯だよ。それもいつも通りシングルオリジンコーヒー。そんなにコーヒーが好きなのかな。それにあのハンカチはなんだろうね」

「なんだろうね。まあとりあえず、コーヒー入れるね」

 俺はそういってコーヒーを淹れる準備を始めた。先にカップを2つ用意して、温めるためにお湯を入れる。戸棚から二種類の豆を取り出す。今日注文したのはブラジルのエスプレッソレディーとコロンビアのサンドライコロナだ。それぞれの豆をコーヒーミルで挽く。ドリッパーとサーバーを二つずつ用意し、それぞれにペーパーフィルターをつける。フィルターの中にコーヒーを入れて全体にお湯をゆっくりと少量かける。蒸らしと言う工程らしい。こうすることでコーヒーが美味しくなると店長から聞いた。そして小さいひらがなの「の」を描くようにゆっくりとお湯を注ぐ。コーヒーの香りが漂う。コーヒーの匂いなどどれも一緒だと思っていたが、コーヒーをたくさん淹れるようになって違いがわかってきたような気がしてきた。そうして二種類のコーヒーを用意すると、佐竹が常連の元まで運んでくれた。後片付けをしている時にふと常連の男性の方を見てみると、カップを持ち上げると、鼻の方へ寄せ香りを嗅いでいた。そして一口コーヒーを飲むとノートに何かを書き始めた。一体何のメモを取っているのだろうか。カウンターに戻ってきていた佐竹は訝しげに眺めていた。

 時計は十七時四十分を指していた。もうすぐ閉店の時間だ。俺たちは閉店の準備を始めた。そんな店員の動きを察知したのか、テーブルに座っていた二人の客も帰り支度を始めていた。会計を済ませ、俺は扉ににカーテンをかけ、営業終了のふだをかけた。

 閉店作業が終わり、店長に報告をした。すると店長から、佐竹が帰るの待っててほしいと言っていた、と伝えられた。何か用事があるのだろうか。店長にわかりました、といった後店の扉を開けて、駐輪場へ向かった。


 駐輪場についてから五分ほど経った。スマホアプリのゲームをしていると、後ろから声をかけられた。佐竹が淡い水色のワンピースに着替えて立っていた。

「ごめんね、急に。待った?」

「いや、別に。全然だよ」

「そっか。それならよかった。それでね、今日待ってもらったのは、ちょっと気になることがあるの、あの常連さんについてね」

「コーヒーを二杯頼んでいるあの男の人のこと?」

「そう、あの人。あ、どこかで座って話そう。長くなると思うし」

 そう言うと彼女は歩き出した。俺は自転車を押しながら彼女に着いていった。そして、この通りの端にあるチェーンのドーナツ店に入った。彼女はダイエットしないとダメなの、と言ってカフェオレだけを注文した。俺はお腹が空いていたので、ドーナツ2個とコーヒーを頼んだ。空いていたテーブルに向かい合って座った。彼女はカフェオレを一口飲むと、話を始めた。

「さっきの話だけど、続き、いいかな?」

「ああ。それで、気になることって?」

「あのね、これまでずっと見てきたけど、やっぱり気になるの、あの常連さんのこと。それでこの前ね、パートの山口さんと常連の話になった時にあの人のことを話したの。そしたら山口さんもやっぱり気になっていたみたい」

 やはり山口も気になっていたのか、と思った。山口は近所に住んでいる主婦で、昼から夕方にかけて勤務をしている。当然件の男性客のことを知っている。

「へえ、そうなんだ」

「それでね、気になったのが、あの人がこの店に来るようになった時期なの。山口さんの話だと大体七月の頭頃には来ていたみたい。ところでね、今通りで工事してるの知ってるでしょ? 噂だけど、新しいカフェができるみたい。この工事が始まったのは、七月の十日あたり。この辺りって最近カフェがよくできてるよね。最近も有名なお菓子屋さんできたでしょ。あの店、カフェも併設されているらしいの。だから東通りはいわばカフェの激戦区ってわけ。そうなると、きっと新しくできる店はしっかりと周辺をリサーチすると思うの。それで、うちの場合はコーヒーが売りの店でしょ。当然そのことは知ってるはずだから、調査しにきていると思うの。メモしてりるのは味とか店の雰囲気とかかな。それで二杯頼んでいるのはオープンまでにしっかりと全種類確認しておきたいってことだと思う」

 彼女はそう言うと、自信ありげに小さくうなづいた。

「つまり、あの男の人は今度できるだろうカフェの人で、うちへ偵察しに来てるってこと?」

「そういうこと。多分ね」

 確かにあり得ることだと思った。しかし気になることがある。

「あり得る話だと思う。でももしそうなら、むしろコーヒーは一杯ずつ頼むんじゃないのか。一杯ずつ味とか香りとか、そう言うのを確認していったほうが確実だろ。時間がないからそうしているってことも考えられるけど、激戦区だと考えている場所に出店するのなら入念に計画を立てて調査するはずだ。それに何回も同じ味のコーヒーを頼んでいることになるだろ。例えばさ、七月一日から週に三回この店に来てるとするだろ。一日は木曜日か。週に三回だから、月曜、火曜、木曜に来てるとしよう。今日は八月三日だから、今日までに十五回うちの店に来ていることになるな。一日二杯のコーヒーを飲んでいるから、これまでに三十杯のコーヒーを飲んでいることになる。つまり、うちのシングルオリジンコーヒーを三周していることになる。これは明らかに頼みすぎだろう。それにシングルオリジンコーヒーしか頼んでいないことも気になる。店の調査ならブレンドコーヒーや季節限定のブレンドとかも頼むだろ。」

 それにあのハンカチは、と言いかけた時、彼女がうつむいていることに気づいた。話し方がキツかっただろうか。とにかく謝ろう。そう思い口を開きかけた時、彼女は顔を上げてこう言った。

「本当だ! 確かに砂川くんの言う通り、おかしなところがいっぱいあるね。砂川くんの話を聞いて考え込んじゃってた。確かに偵察に来てるのに一度に二杯も頼む意味はないよね。それにもし調査するのなら時間とかもずらして来店するんじゃないかなって思ったの。時間帯ごとのお客さんの様子とかも確認できるし。他にもケーキとかのお菓子を頼まないのもおかしいし……」

 俯いていたため落ち込んでいるのではないかと思ったが、そう言うことではないようだ。むしろ俺の話は彼女の興味を刺激したようだ。その後も彼女は色々な可能性があるよね、と言って、様々な推理を聞かせてくれた。


 その後は例の常連の話から離れて、バイトの話やお互いの学校の話をしていた。思ったよりも話に花が咲き、気づけば二十時になっていた。ドーナツ店が閉店する時間のため、店の外へ出た。彼女はバスに乗るためロータリーへ向かうと言った。ロータリーはドーナツ店の位置と反対にある。俺も同じ方向に向かうため一緒に歩いた。歩きながらも彼女と話を続けていた。同年代の女子とここまで話をしたのはいつぶりだろうか。時々自分が変なことを話していないか不安になった。

 ロータリーに着くと彼女の目的のバスは既にバス乗り場に到着していた。バスへ向かう前に彼女から連絡先を交換しようと言われた。せっかく仲良くなったんだから、とのことだ。断る理由もないため交換した。そして彼女はまたね、と言ってバスに乗った。

 佐竹と別れて自転車に乗り家へ帰っていると、スマホに通知が来た。自転車から降りて確認してみると佐竹からのLINEだった。今日はありがとう、またお話ししようね、とのことだった。もう一度自転車に乗って家路へついた。なんとなくペダルが軽いような気がした。


 翌日はアルバイトが休みだったため、家でダラダラと過ごしていた。仕方なく夏休みの宿題に手をつけた。宿題の量はあまりにも多く、どう考えてもこの一ヶ月半程の期間で終わるはずがないと思ってしまう。

 俺が通っているM高校は進学校として知られている。進学校は校則が厳しいイメージがあるが、M高校は自由な校風が特徴だ。制服はもちろんあるが、入学式や卒業式といった行事の時のみに着用すれば良いと言いう決まりになっている。そのため、私服での通学が可能なのだ。一部の男子生徒は毎日違う服だが、ほとんどの男子生徒はジャージやトレーナーといったラフな服装で登校している。一方で女子は制服のような服装で登校している。なんちゃって制服というものらしい。好きな格好で登校できるため、M高校は女子に人気があるらしい。

 音楽を聴きながら適当に宿題を片付けていると、電話がかかってきた。確認してみると同じクラスの須藤友也からだった。

「よう、元気にしているか?」

「クーラーをガンガンにかけた涼しい部屋にいてもう寒くて寒くて死にそうだよ」

「なんだよそれ。こっちはこの暑さの中部活やってるのに。」

「部活って、お前は軽音部だろ? 室内じゃないか。クーラー効いてるだろ」

「まあ、それはそうだけどさ。そういや今日はバイトないの?」

「今日はないよ。明日はあるけどさ。それでいきなり電話かけてきて何のようだ?」

「ああ、どうせ暇してるんだろうなって思ってさ。俺も部活が終わって暇なんだよ。」

「なるほど。今どこにいるんだ。」

「H電鉄のU駅にいるよ。楽器店に行こうって思ってさ。そうだ、こっち来いよ。一緒に昼飯食おうぜ」

「いいよ、ちょっと待っててくれ」

 須藤はOKと言って電話を切った。須藤は入学した時に俺の前の席に座っていたことがきっかけで知り合った。明るい性格をした、毎日違う服を着ているタイプの男だ。クラスメイトの話ではとてもおしゃれらしい。しかも垂れ目が印象的な、甘い顔立ちをしている。気さくな性格をしているため、男女問わず声をかけられている。須藤も俺とは別の世界の住人だと思っていたが、どうしたものか馬が合いよくつるむようになったのだ。こうやって夏休みでも二人でふらふらと出かけている。U駅に行くにはM駅が最寄駅のため、自転車に乗って向かった。


 電車に乗っておよそ三十分でU駅に到着した。U駅はO市の中心地にある駅だ。日本でも一位、二位を争う大都市であるO市の中心地にあり、H電鉄のターミナルとなる。電車から降りると多くの人が行き交っていた。平日のためスーツを着た大人が多いが、一方で俺のように夏休み中の学生らしい人もいる。改札を出るとすぐに須藤がいた。白色のゆったりとした半端な袖丈のTシャツと黒色のこちらもゆったりとした半ズボンを履いている。足元は夏らしくサンダルで、頭にはチャコールグレーのつばのついた帽子を被っている。こういう帽子をバケットハットということを須藤から教えてもらった。軽音部ではベースを担当しているため、ベースケースを背負っていた。こちらに気づくとよう、と言って近づいてきた。すると、何か香りがした。花や柑橘などが混じった爽やかだがどこか大人っぽい香りだ。

「何だかいい匂いするな。香水か何かつけてるのか?」

 須藤に尋ねた。

「お、気づいたか。そうなんだよ。この前誕生日だったって話しただろ。その時に姉ちゃんからもらったやつ付けてる。」

「なるほどな。しかし香水なんかプレゼントで貰うんだな。」

「まあ、姉ちゃんがそういうの好きな人だからな。仕事が美容部員だもん。化粧品とか売ってる人な」

「へえ、そうなんだ。それでこれなんていう匂いなんだ? なんか柑橘系の匂いがするな。あとは多分花とか混じってる。それにハーブとかそういうのも混じってると思う」

「悟、そんなことわかるのか。鼻が利くんだな。実際そうだよ。なんかマンドリンとかラベンダーとかセージとか……。そういう香りがするらしい。姉ちゃんから聞いたんだけどさ。それにしてもよく気づいたな。それで飯食ってけよ。お前ならできる」

「飯食ってけってなんだよ。そんな仕事あるのか?」

「あるらしいぞ。匂いを嗅ぐ仕事。香水とかの配合を決めたりするらしい」

「へえ、そういう仕事あるんだ」

「そうらしい。まあこれも姉ちゃんから聞いたんだけどな。そんなことより本当に飯食おうぜ」

 そう言って須藤と俺は歩き出した。U駅近くのファーストフード店に入り、ハンバーガーを食べた。その後楽器店や服屋など須藤の買い物に付き合った。気づけば夜になっていた。須藤も俺と同じM駅が最寄駅になるため、一緒の電車に乗った。そういえばさ、と須藤は声をかけてきた。

「バイト先にさ、確か同い年の女の子がいるって言ってたよな。どんな子なんだ?」

「どんな子、というと、そうだな。小柄な子だよ。あとよく客に話しかけられてるな」

「へえ、そうなんだ。お前、怖がられていないのか。クラスの女子みたいにさ」

「そんなことないんだ。驚いたよ。初めて会った時から普通に声をかけてきたんだ」

「それはすごいな。俺だって最初はビビってたのにな」

 そういうと須藤はケラケラと笑った。そして続けてこう言った。

「それでさ、その子のこと、どう思ってるんだ?」

「どうって、別に何も思ってないよ。まあ、いい子だなってことと、お嬢様だなってことぐらいしか思わない」

「お嬢様なのか。もしかしてS女学院の生徒?」

「そのとおり」

「そうか、それならダメだ。お前じゃ無理だな」

 ニヤニヤと笑いながら須藤は言った。この男は恋愛や男女関係といった話が好きなのだ。

「いきなり何だよ。それより友也、お前はどうなんだよ。この前も隣のクラスの女子に言い寄られてるって話してただろ。その子はどうなんだよ」

「ああ、その話か。まあその、断ったよ。まあそれはいいじゃん。」

 須藤は歯切れの悪い返事をした。他人の恋愛沙汰は好きなくせに、自分のこととなるといつも煮え切らない返事をしている。そしてそれ以上追及されることを避けようとするのだ。モテる男にも色々事情があるのだろう。その後も新学期早々にある文化祭の話をしているとM駅に着いた。須藤と別れたあと、自転車に乗って家へ向かった。自転車を漕いでいる時、ふと昼に須藤が話していたことを思い出した。そして頭の中であることが閃いた。


 次の日、俺はいつもより早くバイトへ向かった。昨日閃いた話を早く佐竹にしたかったからだ。真昼の日差しは今日も厳しい。汗だくになりながら店に着いた。バックヤードへ行き、店長に挨拶した。そして汗を拭き、手早く着替えた。今日の勤務は一昨日と同じメンツだ。バックヤードから出ると、佐竹は飯山と話をしていたが、俺に気づくと声をかけてきた。

「砂川くん、昨日話してた常連のことで話があるんだけど、今日も大丈夫?」

「もちろん大丈夫だよ。そのことでさ、俺も話があるんだ。昨日と同じところだよね?」

 少し食い気味に佐竹に返答した。少し驚いた顔をしていたが、すぐに笑顔を浮かべて、大丈夫だよ、と答えた。その後ろで飯山が何か言いたげな顔をしていた。

 今日のバイト一昨日と同じような一日だった。いつも通り十五時になると客足は増えて、佐竹と飯山がオーダーを取り、俺と店長が注文されたコーヒーやフードを作る。いつものスタイルだ。そうして注文を捌いていると、十六時になり、客足も落ち着いていた。飯山は今日も十六時が終わりの時間のため、タイムカードを切ると着替えるため店の外へ行った。そのまま帰るものだと思っていたが、店に戻ってきて佐竹に近づくと一言二言話すと帰っていった。シフトのことで相談でもしているのだろうか。そして十七時を過ぎた時、例の常連男性が現れた。

 彼は一昨日と同じように奥のテーブルに座った。そしてやはりコーヒーを二杯頼んだ。俺はコーヒーを淹れるとそのまま彼の元へ持っていった。確認したいことがあるからだ。常連の男性はいつも通り鞄を隣の椅子に置き、中からノートとハンカチを取り出していた。そのハンカチはグレーと紺のチェック柄で、アイロンをしっかりとかけておりピシっと折り畳まれていた。彼は大柄な男がコーヒーを運んできたことに少し驚いていた。俺はカウンターに戻ると常連の男性を観察した。彼はコーヒーの香りを嗅いでいた。そして鼻にハンカチを当てるともう片方のカップを持ち上げ、コーヒーの香りを嗅いでいた。その姿を見て俺は昨日閃いたことが正しいことを確信した。


 十八時になり閉店の時間になった。閉店作業を終え、閉店の札をかけた。バックヤードに向い、着替えながらスマホを見ると佐竹から、帰るの待っててね、とラインがあった。一昨日と同じように待っていると、佐竹がやってきた。一昨日と同じところに行こう、と言って歩き出した。昨日と同じドーナツ店に着いた。佐竹が扉を開けて店内に入った。後に続いて入ると、飯山がこっちを見て小さく手を振っていた。そしてこちらに来ると、「欲しいもの言って。奢るから」と言ってきた。佐竹は先にミルクティーを頼み、俺はコーヒーを頼んだ。そして飯山が元いたテーブルについた。佐竹と飯山は隣同士に座り、俺はその向かいに座った。

「ごめんね、砂川くん。今日も呼び出しちゃって」

「全然大丈夫だよ。それはそうと、飯山さんがいてびっくりしました」

「ごめんね。二人があの男の人のこと気にしてるんだよね。その話をしたくてももちゃんにお願いしたの」

「あの常連ってコーヒーを二杯頼む人のことですよね。俺もその人のことについて話があるんですよ」

「砂川くんも?」

 佐竹が不思議そうな顔をして言った。

「そう、あの人について話がある。というのも、何でコーヒーを二杯頼んでいるかわかったんだ。結論から言うと、あの人はコーヒーで香りを嗅ぐ練習をしているんだ。昨日調べたんだけど、調香師と言って香水や化粧品とかの香料を組み合わせる仕事があるんだ。その仕事だと嗅覚が鋭くないといけないし、嗅いだ香りを記憶できないといけない。毎回二杯のコーヒーを頼んでいるのは、違う種類の香りを嗅ぎ分けようとしているんだ。ノートに書き込んでいるのはそれぞれの違いについてメモしているんだろうな。テーブルに出しているハンカチだけど、そういう仕事をしている人って自分の嗅覚をリセットするために自分のハンカチの匂いを嗅いだりするらしい。七月ごろから来るようになったのは、この店のことをその時期に知ったんだろうな。人に紹介してもらうとかして。つまりまとめると、あの人は調香師――匂いを嗅ぐ仕事をしている。誰かから紹介してもらったこの店で、二杯のコーヒー匂いを嗅ぎ分ける練習をしている。それぞれの匂いについてノートに書き込んでいる。机に出しているハンカチは匂いをリセットするため。これが俺の考えなんだけど、どうかな」

 そう言い切ってコーヒーを飲んだ。すると佐竹と飯山は顔を見合わせた。そして飯山はなるほどね、と呟いた。そして俺の方を見て言った。

「悟くん、すごいね。大正解だよ」


「どう言うことですか。大正解って」

 なぜ飯山が大正解って言うのだろうか。今度は俺が面食らった顔してしまった。そんな俺に対して佐竹が話しかけてきた。

「砂川くん、実はね、今日も呼び出したのはその話をするつもりだったの。今日ね、砂川くんがくる前に飯山さんとあの常連さんの話をしてたの。それで、あの男の人は飯山さんのいとこさんなんだって。それで、砂川くんの言う通り、調香師の仕事をしてるんだって」

「飯山さんのいとこ?」

「そう、私のいとこなの。店長には話してたんだけどね。みんなにも言うべきだったわ。ごめんね。彼がやっていることだけど、大体悟くんが言ってくれた通りだよ。」

 そういうと、飯山は詳しい話を教えてくれた。

 飯山のいとこ――名前は吉村というらしい――は化粧品メーカーに調香師として勤務している。彼は昔から鼻が効くため、それを仕事に活かしたいと考えていたのだ。調香師には当然は鋭い嗅覚や嗅いだ香りを記憶する能力も必要になる。そのため常日頃から匂いを嗅ぐ訓練をしたいと思っていた。そんな時、飯山と親戚の法事で会い、その話をした。そこで飯山から、バイト先のカフェでコーヒーの匂いを確認する練習をすることを提案したらしい。それは七月二日のことだ。そうして彼は仕事が早く終わった時、うちの店に行きコーヒーの匂いを嗅ぐ練習をするようになったのだ。

「なんだ、そういうことだったのか」

 つい心の声が漏れ出てしまった。

「ごめんね。一昨日も二人で話ししてたんでしょ。そこまで気にすることだとは思ってなかったの。」

 飯山が申し訳なさそうに言ってきた。

「いや、全然大丈夫ですよ」

「私も気にしてないですよ。むしろ楽しかったです。何だか探偵みたいで。私、ミステリ好きなので」

 佐竹はにっこりと笑いながらそう言った。


 話も一段落ついたため、店を出てロータリーに向かって歩いた。飯山と佐竹は話をしながら俺の前を歩いていた。そしてロータリーに着くと、解散になった。飯山は帰り際に本当にごめんね、と言って電車に乗るためにM駅へ行った。佐竹もバス乗り場の方を向いたが、振り返って笑顔を浮かべてこう言った。

「とりあえず一件落着だね。それにしても砂川くん、本当に探偵さんみたいだね。なんだかかっこよかったよ。じゃ、また次のシフトで」

 彼女はバイバイ、と手を振ってからバス乗り場へ向かって行った。


 帰る途中、ふと須藤の「佐竹のことをどう思っているのか」という質問を思い出した。その質問に対して俺は別に何も思っていないと答えていた。だが、俺はその答えが間違っていることに気づいた。俺は何か佐竹に対して特別な感情を抱いている。そんな気がした。

読んで頂きありがとうございました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ