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第二話 王都の男

 先代の急逝に伴い十年前に即位した若い国王は、身分にかかわらず、優秀な者を登用する方針を持っていた。


 就任以来の王の努力は実を結び、身分社会には緩やかに風穴が開きつつあった。


 上級学校を首席で卒業した男は、宮廷官吏として登用されることになった。

 それは以前であれば、平民出身の者には考えられないことであった。


  無能な同級生達の鼻を明かしてやった。


 遂に王都にまで登り詰めた男は、報復感情が満たされるのを感じて、昏い愉悦に浸った。




 丘の上に建つ壮大な王宮を見た時、身分社会の本山であるその城に、男は屈折した思いを抱いた。

 男の中ではここまで登り詰めたという強烈な自尊感情と、貴族社会に対する憎悪が入り混じっていた。




 働き出すと、身分差別は、またしても男の前に立ち塞がった。

 平民出身の男にあてがわれるのは、誰もやりたがらない面倒で、地味な仕事ばかりだった。


 出世街道を順調に歩んでいく貴族の同期達を、取り残された男は、憎悪の眼差しで見送り続けた。



 ある時男は、何年も滞っている難工事の総監督を任された。

 増加する王都の人口に対応するために遠い川から水を引き、新たな水源を得ようとする工事であったが、途中に軟弱な地盤や、その正反対に固過ぎる地盤があり、工事の現場では崩落などの事故が幾度も起こり、既に何人もの死者を出していた。

 あまりの難工事に皆匙を投げ、責任を取らされたくがないために、宮廷官吏達は、男にその役職を押し付けたのだ。


 難工事の噂をかねて聞き知っていた男は、この時はそれ程腹を立てなかった。

 噂に聞く範囲の情報で、以前から、自分ならなんとか出来そうな気がしていた。


 男は種類の異なる地図を何枚も拡げて研究し、現場へ行って地質を調べ、工事に使われている機械を、丹念に検討し直した。


 やがて男の指示により工事方法が変えられ、機械に改良が加えられると、長年滞っていた工事は、瞬く間に進み出した。


 難所とされていた地点を制し、現場にお祭り気分が満ちた日、その場所に、騎馬の集団がやって来た。


「国王陛下だ。」


 騒めきが起こり、数人が慌てふためきながら男の許へ知らせに走り、工事の責任者として、男は王の前に進み出た。

 式典などの時に何度か遠目から見たことがあるだけだったが、やって来たのは確かにこの国の、まだ40代の若い国王だった。


「見事だ。よくやってくれた。よければどんな工夫をしたのか、教えてくれないか?」

 王は穏やかに微笑わらいながらそう言った。


 思いも掛けぬ栄誉に男は舞い上がったが、侮蔑の感情も同時に持った。


  もっと早く俺に任せておけば、税金を無駄にせずに済んだのに。

  この程度のことが出来なかったとは、この国の奴らはどれだけ低能なんだ。


 心の内で、男は国の指導層の全てを見下した。

 その日男は、しばらくの時間を国王への説明に費やした。


 それから程なく、男は上級官吏長次長に抜擢された。

 国王に直接意見することも叶う地位で、異例の大出世であり、平民でその職に就任する者は初めてだった。

 これまで宮廷官吏の中には平民出身の男をあからさまに小馬鹿にするような者もいたが、もはやよほどの家柄や地位の者でなければ、男に無礼を働くことは出来なかった。


 男が肩で風を切って宮廷の廊下を歩くと、男より地位が下の者達は、黙って頭を下げるようになった。

 但し、中には面白くなさそうな顔をする者もいて、貴族達の差別意識が消えたと感じることはなかった。

 一方で、大きな邸を構えて使用人を使う生活するようになった男は市民にはかしずかれるようになり、城下町へ出掛けると味わえるこれまで経験したことのない大物扱いは、男を酔い痴れさせた。



 そんな頃、毎日のように宮廷に出仕するようになっていた男は、城の庭を歩く黒髪の女性の姿に目を留めた。

 長い黒髪が艶やかなその若い令嬢は、男がこれまでに見たこともない程に美しかった。

  

  どこの家の娘だろう。


 と、美貌の令嬢が目を上げた。王宮の東棟と北棟を繋ぐ屋根付きの渡り廊下を歩いていた男と、視線が合った。

 令嬢は微笑むと、男に小さく一礼した。

 男が黙礼を返すと、彼女は微笑みを浮かべたまま立ち去った。


 今の自分であれば、これまでに考えられなかったような女を妻に迎えることも出来るのだ。


 その時にそう気付き、身分の高い女性との婚姻は、男が抱く幾つかの野望の中でも、強烈なものとなった。


 庭を歩いていた美しい令嬢が、年若い第一王女で王の一人娘であったと知って、男が驚いたのはその少しあとだった。

 まだ学生であった王女は社交界の集いに出ることが少なかったから、男は王女の顔を、この時初めて知ったのだった。





 それから数年が経ち、男は宰相にまで登り詰め、王宮に程近い、巨大な邸に住まうようになっていた。


 男の邸には連日、様々な便宜を願う者達が、高価な贈り物を携えて列を成した。

 小さなプライドが邪魔をするのか、貴族で列に並ぶものは少なかったが、男の権勢は今や揺るぎないものになっていた。

 男が大勢の人間を従えて宮廷の廊下を歩くと、皆道を空けて深々と頭を下げた。

 但し、自分の娘を男にめあわせようとする貴族は未だになかった。宮廷官吏となってから、貴族間の縁談を何十となく男は見て来たが、自分が打診を受けることは、決してなかった。

 能なしのくせに生まれにはこだわる貴族達への男の憎悪は、年月を経て、益々深くなっていた。



 ある時、取り巻きを引き連れて廊下を曲がると、すぐ目の前に若い男が立っていた。

 角を曲がって宰相が現れると思っていなかった様子の若い男は、慌てて廊下の端に下がった。

 一瞬とは言え自分の前に立ち塞がった若者を、男は不快気に睨んだ。そして顔色を青ざめさせて頭を下げる若い男に、どこか見覚えがあることに気が付いた。

 記憶の中を捜して、彼が上級学校の後輩であったことを、男は思い出した。

 一応貴族の子弟ではあったが弱小の家の出で、上級学校内では珍しく、供の者の一人もいなかった男であった。

 学生時代は、当時の自分とそう変わりない程、身なりからも切り詰めた暮らしぶりが伝わって来たような男であった。

 これまで宮廷で、彼を見掛けたことはなかった。

 おそらく弱小貴族に相応しい仕事を与えられ、詰まらぬ仕事を山程こなした末に、ようやく宮廷に出仕が叶う様になったのであろう。


「貧乏貴族が。」


 自分の進路に入った無礼な若造に、男は吐き捨てるようにそう言った。



 ある晩大きな宴があって、男は王の傍近くに侍った。

 「王の懐刀」とまで言われるようになった若い宰相は、この頃には国王の家族とすら近しく話すようになっていた。

 既に学業を終え、王宮の式典や宴に列席するようになっていた王女に「今度美術品をお贈りしましょう」と言うと、芸術に造詣の深い王女は、嬉しそうに微笑んだ。

 ダンスが始まると、男は二曲程の間、王女を独占した。


 美しい王女は公平な性格をしていて、出会った時も、男の出自を知ったあとも、男を見下す様子を見せたことがなかった。


 二曲踊った男が王の隣の席に戻ると、王女の周囲には、競う様に若い男達が集まった。

 男は不快気にその様子を眺めた。

  今やこの国は、自分がいなければ成り立たない国だ。

  自分こそが、王女の結婚相手には相応しい。

 大貴族すら自分にかしずくようになった今、異議を唱えられる者などいない筈だった。


 この国の王家には、王女の婚約をその誕生日に発表する伝統があった。

 王女は既に21歳で、次の誕生日までにはいよいよ相手が決められるのではないかと、人々は囁き合っていた。

 男は折に触れ国王に、「そろそろ身を固めたい」とか、「陛下をお支え出来るのは自分だけ」とか、さり気なく自分を宣伝した。

 だが国王からはなんの話もないままに季節は過ぎて、やがて王女の22歳の誕生日の日がやって来た。


  来年の誕生日まで待たせる気か。なぜ先送りにするのだ。


 男は王の決断の遅さに苛立った。



 その日の祝宴は昼の部と夜の部の二回に分けて行われることになっていて、昼の部は花盛りの王宮の庭で開催された。

 男はこの時も、国王のすぐ近くに侍った。

 国王は最初に、娘のために集まってくれた人々にお礼を述べた。

 そして突然に、「王女の婚約者を発表する。」と宣言した。

 国王から一言の相談も受けることのなかった男は、愕然とした。

 人々がどよめき、その声が落ち着くまで待ってから、国王はある青年の名を呼んだ。


「紹介する。ロウガント=ラ=ジェラウスだ。」


 緊張の面持ちで前に進み出た若者の顔を見て、到底納得することが出来ず、男は我を失いそうになった。

 王女の前で片膝を着いたのは、あの貧乏貴族の息子だった。

 王女ははにかむような微笑えがおを浮かべると、自分の前でこうべを垂れる青年に応えて、ドレスの両端を摘まみ上げ、深々と頭を下げた。


  なぜだ。なぜなんだ。

  わたしが平民だからか。

  その男が貴族だからか。

  この国を支えているのは、わたしだというのに。


 昼の部の宴が終わると、男は国王に詰め寄った。

「陛下、あのような貧乏貴族の息子、王女のお相手に相応しいとは思えませぬ。」

 顔色を変えて言う男を、王は困り顔で見つめた。

「しかし娘は彼を好いている。確かに彼は名門の出ではないが、優秀な青年だ。わたしは将来を期待している。いずれは国の支えになってくれるだろう。」


 自分の長年の貢献を理解しない国王に、男は激しい憎悪を抱いた。


 恨みの感情で目がくらみ、王女の婚約者を家柄で見下している自分の矛盾には気が付かなかった。


  無能でも弱小の家門でも、貴族であれば選ばれるのか。

  わたしがいなければ何も出来ない、愚昧な奴らのくせに。


 「貴族」というだけでのさばっている者達に、この時男は、息も出来ない程の敵意を持った。




 半年後、宰相による謀反で、王は命を奪われた。


 執務室で王を刺し殺した男は、配下が捕らえた王女の許へと向かった。

 突然の事態の中で、近衛兵達は国王の家族を逃がそうと奮戦したが、王宮内を熟知している男は、国王一家を一人として逃がさなかった。

 最後まで主人を守ろうとする侍女達に囲まれて、王女は真っ青な顔をしながら、やって来た男を出迎えた。

 父親を殺された王女と穏やかに暮らしていける筈もなかったから、男は王女のことは既に諦めていた。

 ただ嘲笑うようにして、男は王女にこう告げた。

「結婚はお諦め下さい。尼寺で余生を送って頂くことになりますが、わたしに忠誠を誓うなら、お命だけは助けましょう。」

「………母と兄達はどうなります?」

ほかの方々まで助ける訳にはいきません。」

「………わたしだけ助かりたいとは思いません。」

 王女は敢然と男を見返して、そう言った。

 男はわずかに顔を歪めると「ご自由に」と言って部屋を出た。


 翌日、国王の家族は処刑され、男は王国の新しい王として即位した。




 王権の簒奪からしばらく、辣腕を振るう新国王の許で国は著しい発展を見せた。一方で、賄賂や不正が横行して、国内はひどく乱れた。

 やがて政治的腐敗によって、国の発展にもかげりが見え出した。

 だが自分の優秀さを信じる男は、足許の揺らぎには気が付かなかった。




 即位の三周年に、新しい王家のあるじは騎馬と歩兵の行列を作らせて、自らは屋根なしの馬車に乗って、王都を練り歩いた。


 謀反によって王位を簒奪した男を、人々は複雑な思いで見つめた。

 長きにわたって国を治めてきた旧王家に人々は郷愁の念を持っていたし、殊に旧王家の最後の王は、多くの人に慕われていた。

 即位からしばらくの間、男は旧王家に近い者達を次々と粛清していた。

 だが完全に一掃しきれてはいなかった。

 馬車に飛び掛かる者達の姿を見た時、人々は心のどこかで、やはりこうなったかと思った。

 自分が刺されたことを理解した時、男は怒りで気が狂いそうになった。

  無能な連中が、なぜこんなことを。

 燃えたぎるような激しい眼差しをしている暗殺者を見上げて、自分に剣を突き立てているその賊徒が、王女の婚約者であった青年であると気が付き、男は呻いた。

「お前ごときが…………」

 自分より下に見ていた者の手によって人生を終える理不尽は、受け入れ難かった。

 怒りの中で、男は絶命した。





 立て続けに二人の王を失った王国は、それから長い内乱状態に陥った。





 その国の名前も今は分からず、男の名前も、分からない。


読んで下さった方、ありがとうございます。

どこに書くのが適切かちょっと悩んだのですが、この作品についての小ネタを、ここ後書き欄で書こうと思います。


ネタバレ的な内容を含むので、未読の方はご注意ください。

 ↓

 ↓

 ↓






















お気付きになった方も多いかと思うのですが、

王女の婚約者の名前は、英単語の arrogant(傲慢)と jealousy(嫉妬)をもじったものです。

男に死をもたらすものの名前です。

以上、小ネタでした!

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― 新着の感想 ―
 姉弟妹の話からきました。  こちらの話は、どの人物にも感情移入しづらいまま(主人公には少ししてしまう)読みました。淡々と、とても淡々と読んだのですが、目が離せず面白かったです。  しかし、王様には、…
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