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第一話 田舎町の少年

 男の出身は小さな田舎町だった。


 幼い頃からさとい子だと思われてはいたが、学校へ行き出すと、教師達を驚かせるようになった。

 字を教えられた少年は、それから間もないあいだに、大人も難儀するような難しい本をすらすらと読みこなすようになったのだ。

 学校に入るまで、少年には本に触れる機会がほとんどなかった。

 まだまだ本は高価で、一般的な家庭には二冊もあればよい方であったからだ。

 彼の家族や親族が、少年の知能がずば抜けていることに早くに気が付かなかったのは、そんな環境のせいもあった。


 学校に通い出して一年もする頃には、少年は町で「神童」と呼ばれるようになっていた。


 やがて熱心な教師が家までやって来て、「少年を中級学校へ進学させるべきだ」と両親に訴えるようになった。

 少年の両親は、全く気乗りしなかった。

 住民のほとんどが農業に従事しているようなその田舎町では、子供も重要な働き手だった。

 五十年程前に子供を初級学校へ通わせることが国民の義務となり、皆仕方なく12歳まで子供を学校に行かせているのだ。

 そんな片田舎であり、町にはそもそも中級学校自体がなかった。

 進学するにはこの町を離れなければならなかったから、両親は余計に難色を示した。

 だがその教師はすこぶる熱心で、「別の街に住む自分の恩師が少年の世話をしてくれると言っている」「恩師の家から通学すればよい」「成績優秀者は学費を免除される」と、少年の家に通い詰めて、両親を説得し続けた。

 既に初級学校の乏しい蔵書も読み尽くし、議論をすれば教師をも言い負かすようになっていた少年にとって、田舎の初級学校は、完全な役不足であった。

 少年自身、知的欲求を満たしたい思いが強く、それが12歳で親許を離れる寂しさを上回っていた。


「畑を耕すのに教科書がなんの役に立つ。」

 父親は頑迷にそう言って、教師が説得に来る度に迷惑気にしていたが、ある時その教師の語っていた「別の町の恩師」がわざわざ一家を訪ねて来て以降、態度を一変させた。


 二頭立ての馬車に乗ってやって来た初老の紳士は、町じゅうの注目を集めた。

 都会の洗練された客人を一目見ようと家の周囲に見物人が集まる騒ぎになり、客人の目的が少年に進学を勧めるためであることも、その日の内に町じゅうに知れ渡った。

 町じゅうの注目の的になり、父親は鼻を高くした。

 母親は息子を12歳で手離すことにまだ難色を示していたが、これがきっかけで、少年の進学は許された。



 12歳になると少年は、初老の紳士が差し向けてくれた迎えの馬車に乗り、町じゅうの住人達に見送られて、生まれ育った田舎の町を出た。


 馬車で半日を掛けて辿り着いた先は、少年の生まれ故郷よりは都会と言う程度の町で、実はそれ程大きくはなかったが、畑が広がる故郷の町からほとんど出たことのないその時の少年にとっては、眩しい程に洗練された都会に見えた。


 既に引退していたが、長年上級学校で教鞭をとっていたという初老の紳士は立派な家に住んでいて、少年はそこから三年間、中級学校に通った。



 中級学校でも、少年の優秀さはずば抜けていた。


  中級学校も大したことはない。


 一体どんな人間が中級学校まで進学して来るのだろうかと、期待半分、不安半分で田舎から出て来た少年は、同級生の出来を知ると、ふんと鼻を鳴らしてせせら笑った。


 やがて卒業の年が近付くと、三年間少年の世話をした初老の紳士は、「お前は上級学校へ進むべきだ」と、少年に進学を勧めた。


 だが中級学校までは存在していたその町にも、上級学校はなかった。

 学費が免除されるようなずば抜けて優秀な者を除けば、中級学校より上に進学するのは、ほぼ貴族の子弟ばかりであり、上級学校はもっと大きな町にしかなかったのだ。

 ただ上級学校はその多くが寮を有していて、入学試験を通過しさえすれば、住まいに困ることはなかった。

 学費の免除資格を得るには入学試験で高い成績を上げなければならなかったが、少年には自信があった。


 更なる進学の話を聴いた家族は困惑したが、里帰りの度に身なりや振る舞いが洗練されて行く少年は、既に自分達とは別の世界の住人のように見えていた。

 冷たい目で「進学するつもりだ」と我が子に告げられた両親は、もう反対することが出来なかった。



 少年は学費が免除される優秀な成績で、見事に入学試験を突破した。

 論述問題は、期待されている以上の回答をした自信があった。

 おそらく「満点以上」の成績だったという確かな手応えと自負を抱きながら、少年は新しい町に住まいを移した。


 「王立」の名を冠する上級学校のあるその町は、中級学校時代を過ごしたこれまでの町がみすぼらしく思える程、巨大できらびやかだった。


 田舎町からここまで登り詰めたことが誇らしく、少年はその時、意気軒昂としていた。


 だがここで、少年は初めて人生につまずきを感じることになる。


 王立学校の校舎は、宮殿のように立派であった。

 壮麗なホールで行われる入学式では、毎年入学試験で主席であった者が新入生代表の挨拶をすることになっていて、少年は、選ばれるのはきっと自分だと思っていた。


 居並ぶ貴族の子弟達の鼻を明かしてやろうと、入学式の日、少年は今か今かと自分の名が呼ばれるのを待っていた。


「新入生代表挨拶、ミハイル=ラ=クローデル。」


 自分の名でない名が呼ばれた時、少年は、まさかと思った。

 優雅な足取りで前方へ歩み出て、壇上に上がって行く金髪の少年の後ろ姿を見ながら、自分より成績が優秀な者がいたのか、と思った。

 だが少年は、自分の成績が「満点以上」だった自信があった。その成績を更に上廻る者がいるだろうか。



  貴族だから。



 確証となるものはなかったが、それしか考えられなかった。

 滔々(とうとう)と代表挨拶を述べる同級生の少年の声を聴きながら、彼の心にその時、昏い火が灯った。



 学校生活が始まってみると、少年の誇りは惨めな思いに踏み潰されて行った。

 身分の違いは学校生活の全てに渡って、露骨な違いをもたらした。


 寮で暮らせるとは言え、筆記用具や下着などの消耗品は自分で用意しなければならず、日々の生活には、考えていたよりお金が必要だった。

 少年を気遣い、中級学校時代を世話してくれた老紳士が時折小遣いを送って寄越してくれたが、少年には実家からの仕送りはなく、それだけでは生活費は全然足りなかった。

 だが貴族の子弟達は休日になれば街へ出掛けて行って、せっせと遊びや買い物にお金を使っていたし、自分の身の回りの世話をする召使いまで寮に伴っていた。

 貴族の同級生と連れ立って街へ遊びに行く金もなく、穴の開いた靴下や、擦り切れたシャツをいつまでも着続けるしかなかった少年はどんどんみすぼらしくなって行き、一年も経つと同じ制服を着ていても、一目で貴族ではないことが分かる程になっていた。


 少年の成績は相変わらず頭抜けていたが、普通は成績優秀者が任命されるような生徒間の役職にも、少年は一度も指名されなかった。

 中には身分を気にせず少年と対等に接してくれる生徒もいたが、女子生徒から少年が、恋愛相手として扱われることは、決してなかった。

 被害妄想であったのかもしれないが、貴族の少女達がくすくすと笑っていると、少年は自分が嘲笑われている気がしてならなかった。

 やがて日用品を買う金にも困った少年は、学内で貴族の子弟達の使い走りのような仕事をして小遣いを稼ぐようになった。


  俺より頭が悪いくせに。


 自分より成績が下の者の雑用をこなす惨めな日々は、少年の精神を捻じ曲げた。



 四年間の暗黒の日々を終える頃には、男は生まれで人生が決まる世の中を恨み、憎悪するようになっていた。



 だが彼は、運に見放されてはいなかった。



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