LV8 帰り道
初音さんがアパートへと消え、俺はタクシーを捕まえるために大通りに戻った。
さすがにこの時間ともなると流しのタクシーはそうそういない。車そのものも走っていないのだ。いや、人そのものも歩いちゃいない。人がいなければそれを目当てのタクシーなどいるわけないのが道理である。
ようやくにして現れた、一台のタクシーを盛大なジェスチャーで捕まえたのは、それからおそらく15分が過ぎたあたりだろう。
ここのタクシーは二種類だ。悪党とそれ以外。
今夜は悪党の方だ。
大抵、鳥かごに入っている奴にまともなのはいない。メーターを倒さず言い値で吹っ掛けてくる。まずはこの交渉からだ。ここから、ホテルまでなら通常20元、深夜なので、30元か。それをこの鳥かごの鳥は50元と言ってきやがった。
鳥かごとは、運転席とそれ以外を物理的に隔てる鉄パイプを運転席の助手席側と背後に張り巡らせている状態の事を俺はそう命名している。恐らく強盗対策か何かだとは思うが、どちらかというと中にいる運転士の方がよっぽど強盗に近い。
「ふざけんな!30だ。それ以上は出さねぇ」
何しろ出さねぇじゃなくて、出せねぇだ。財布の残りは30元だから。こっちも必死さ。
日本人だと思って吹っ掛けてきたのだろう。今夜の俺は一味違う。後に続く同朋の為にもここは引き下がれない。
鳥かごを掴んでゆさゆさしてやった。
今まで、どことなく俺を小ばかにしていた運転手が目を大きく見開いてガラスの方に後ずさりし口を半開きにしている。
は!一見の日本人だとでも思ったか? 甘く見るなよ! タクシー交渉経験値の差だ。
それだけなら街はずれのオークとだって戦えるぞ!
本編では多すぎて触れていないが乗る度にドラマが生まれるのがここのタクシーだ。
俺の勢いに飲まれたのか、相手にしたらあかん奴やと思われたのか。運ちゃんは30元で手打ちにする。その後、何か言ってたな?早口でわからん。ていうか広東語か?
今の俺との攻防は日本円すると400円か700円かという会話だ。この日本いるとそれほど大きな違いはなさそうに感じるが、ことここでは本気でキレるくらいの価格差になるから不思議だ。俺の体感価格は1,000円か5,000円かくらいの差である。
タクシーでおよそ20分、車のいないこの時間帯なら15分。ここのタクシーは赤信号無視上等だ。交差点のたびにサイコロを振って1~5なら即死亡ね。みたいな感じだ。
ずっと6を出し続ける自信は無いぞ!実際、ギリギリで衝突回避する場面に遭遇することもままある。今、おれの横で運転している籠の鳥もそんな感じで、すっ飛ばして俺の寿命を縮め続けている。
ヒャッハー!
そんな声が聞こえてきそうな爆走ぶりである。
残り1km最終コーナーを立ち上がったところでタクシーは道端に止めて降りろと言ってくる。
「何でやねん?」
そう聞くと、
「儂んち、そこやねん」
と籠の鳥は答えた。
ちなみに広東語は俺の中で関西弁のイメージだ。広東人は共通語も喋れるが決して話さない。かたくなに広東語を話す。頑なだ。ちなみに初音さんは広東語もあやつる。
要するに自分ちに一番近いところまで載せてくさかい、その分、安すぅしたるわ。と言う事だったらしい。そこまでは、気付きませんでした。
まぁ、いいや。ハイハイ。
残り15分位だろう、ここまでくれば何とかなるな。俺は暗闇の中、ホテルに向け歩き出すことにした。
しかし、ここは12月でも温かい。今の俺は日本の10月の装いだし、さっきのミニスカサンタはノースリーブだった。やはり亜熱帯は伊達ではない。年中、蚊に刺されまくるが……
少し初音さんの事を考えていた。初音さんとは一体どうすればいいのだろう……初音さんがもう少しわかりやす人ならば。いや、本当はわかっているんじゃないのか? 俺は本当にひどい奴だ……
今、歩いている道路は幹線道路で昼間なら車列が途絶えることなど無いし、行きかう人が視界から見えなくなるなんてことは決してない。この街に生きているのは俺だけかと錯覚するくらい昼間の喧騒とは別世界のように静まり返っていて不思議な感覚にとらわれている。
目の前には、商店が立ち並びそこには歩道が整備されている。そこを歩いているわけだが、道路は人工的でほぼ直線だ。所々、路地があって一度、足を踏み入れれば中はラビリンスの様相を呈している。
500mも歩いただろうか? 一瞬だが人がいたように感じたが。今、目を凝らしていても、誰もいないようなので気のせい?なのかもしれない。
もう少し、歩道に街灯をつけてほしいものだ。見えている範囲に街灯は、ほぼない。道路の曲がり角、曲がり角それぞれに設置されている灯りが唯一の照明を得る手段である。それで、見間違えたのか?
しかし……
これから、通る道の先、商店と商店の間、つまり、路地の中から声が聞こえる。
歌?鼻歌……
女性の様な声、女が鼻歌を歌っている?
いや、もう0時過ぎだぞ。
歩を進め、声のする路地が近づいてくる。
その路地の中をのぞくと---
青白く発光する女が……
「は、初音さん?」
刹那、俺の目の前は真っ白になり、意識は遠く彼方へと消え去った。
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