LV2 女神逃走中
さて、地雷原をまさかの大技で突破した初音さんとの話をこのまま進める前に以前の話を整理しておきたいと思う。それにはまず作戦開始1930からおよそ10時間ほどさかのぼらなければならない。
それは初音さんとのデートの最中に始まった。
細い路地の中、俺達は全力で駆けぬけている。というか全力で追われている。そいつらは俺達の後ろをつかず離れず同じ様に全力で追いかけてくるのだ。
よく見るじゃない。逃げながら路地に積んである荷物を倒しながら逃げる奴。あれをやってみたら、重くて動かん。おまけに止まる分追手との距離が縮まって話にならない。もし、だれか同じ目に会うような人がいたらオススメはしない。
最適解は“全力で走れ!”だ。
目の前のこの路地は20mも走るとクランクや丁字にわかれ速度が乗ったころで次の角に差し掛かかり最高速度の維持を困難にしている。いや、最高速度を維持できたとしてもたかが知れているのだが。
路地を抜けると雑多な人込みでにぎわう電脳城に出た。
雑多な人の流れ、喧騒の中の逃走劇へと場面は切り替わる。
どの程度の群衆かというと年末のアメ横だ。そこで鬼ごっこをやっていると思ってくれ。年末のアメ横の映像。一度くらい見たことがあると思うが、それでも、わからない場合は、あそこの例のワールドバザールの20:30過ぎ、花火終わりの混雑を思い浮かべてくれ。余計に判りずらいか……大丈夫、それを知らなくても、以降の話には十分ついて来られる。その程度の話だ。
なぜこんな事になったか説明させてもらいたい。
最初に言っておくが俺は公安でもなければ警察でもないし、ましてや特務の青二才でもない。逆に泥棒でもなければ、犯罪者でもないのだ。
強いて言えばサラリーマンだ。もっと言えば中小企業の若手、おまけをつければ永遠の若手って奴だ。特別高い給料で雇われている自覚もないし会社に隷属しているとも思っていない。
俺はこの人混みの中、白いワンピースに身を包んだナイスバディの初音さんと手をつないで逃げているのだ。シチュエーションとしては最高に絵になると思うのだが追手の方に問題がある。
追手ははっきり言おう。
公安だ。
日本流にいえば警察だ。
つかまったらシャレにならないヤツなのだ。さっきから、公安二名に追われているのだ。
今の状況は、お判りいただけただろう。
なんでそうなったか話さずには、この先立ちいかないので1週間ほど更に時間を巻き戻す。
「お給料いくら?」
「え?」
「だから、お給料はいくら? あなた、この国ではお給料の高低がそのまま、生きやすさにつながるのよ。街のキラキラの中で生活したかったら、そして、私がこれからあなたにどの程度関与するかもそれ次第よ。」
いきなり、裸の本音をぶつけてくる初音さん。
適当に数字を言ってごまかしたいところだが……目がマジだ、どう対応するか……
俺は今、宿からタクシーを走らせて日本料理屋の初音部長に会いに来た。というよりご飯を食べに来た。今は、日曜の夕時なのだが、日曜日は意外と客が少ないらしく仕事を呆けて4人掛けのテーブルの俺の前に陣取って話相手になってくれているのだ。
黒髪ロングに部長のみに許される黒スーツミニスカ、白シャツをまとっている。白シャツの胸元が、はちきれそうだぞ。初音さん。俺はなるべくそこを見ない様にしているのだが重いのかテーブルの上にのせた腕の上にそれをのせて会話をしている。どうしてもテーブルのジョッキに目を落とすとそれが目に飛び込んでくる。なんという破壊力だ……
「お客さん来ましたよ。」
と、俺が言えば、
「大丈夫、大丈夫。他の子がいるから。」
と、余裕の笑みを見せ、下っぱの子たちを顎で使っている。
別に俺にしても目の前に可愛い女の子がいて母国語で会話が出来るので拒む理由は全く無くて、むしろお願いしたいぐらいである。
そうなのだ、俺の環境では日本語で会話が出来るのは会社の事務所と日本料理屋の女の子と日本式カラオケの女の子に限定されると言って間違いない。最後の一つは有料になるので除外だ。今、それに加えて宿屋の従業員の女の子共に日本語を覚えさせQOLの向上を目指している最中でもあるが。先は長そうだ。
この目の前の初音さんは日常会話程度であれば難なくこなす。どこで覚えたのかは謎だがその辺りは聞かないのが礼儀らしい。身長は165cmほどで目鼻立ちの整った美人だ。
「お休みは何をしているの初音さん?」
このあたりの会話は定形文だ。
「壁を見てボーっとしているわ。」
狙いなのか知らないが思わぬ答えが返ってきた。思うのだが冗談と真剣の境界線は判りにくい。特に相手が日本語を間違う可能性が無視できないときは、結局どっちなの?迷うことがあるのだ。この場合がまさにそうだ。
そこで俺が本当に何を思ったのか自分でもわからないのだが、唐突に
「今度、深圳の遊園地にでも行きませんか?」
と誘ってみた。そんなつもりで来たのでは無いのだが。
今までどことなくスリープモードの初音さんの瞳が輝きを増し、今日一番の高慢な笑顔で
「いいわよ。行ってあげる。でも、それ以上の事を望んでいるのなら、期待には答えられないわ。悪いけど。私は気位の高い女で通っているのよ。」
と俺の目を見上げながら、言ってきた。
何処で通っているのかぜひ聞かせてもらいたいものだ。
まぁいい。夜はまだまだ長いのだから、追々、聞いていこう。
そして今日だ。
初音さんの務めるお店がある辺りは街の中心地で、ここから深圳行きの高速バスが出ている。時間より早く着いた俺は店の前で初音さんを待っていたのだが、初音さんは時間よりも早めにやって来た。この辺りはさすがである。俺の知っているこの国の女の子は大概時間より遅れてやってくる。
早めに来るのは希少種だ。
初音さんは白地に花柄の入った清楚系お出かけミニワンピでやって来た。とりあえずその服と本人を誉めておくことにしよう。
バスのチケットを買い、隣同士の席に座ってから乳繰り合っていたらあっという間に深圳の中心部についていた。1時間半程度だろうか?
バスを降りると一例に並ばされて何やら身分証の確認をされている。
そう、ここは特区なのだ。
入り鉄砲、出女張りに同じ同胞の戸籍により深圳に入れるもの入れないものを選別するのである。
俺はこんな時のためにパスポートを持参していたのだが隣の女、初音さんの挙動が怪しい。
『やばい、こいつ持ってね~な』
会話の中で深圳出身とは聞いていない。
むしろもっと北の方だ。
いよいよ俺たちの番になると、やおら初音さんが
「わたし、パスポート忘れちゃたどうしよう?」
日本人に成りすましやがった。
目が泳ぐ俺。なんだかんだ言っても庶民ベースの日本人である。決められた事は守るのが当たり前。人の嫌がる事はやったらいけない。などとぬるい事を教わったきた俺だ。やったもん勝ちのこの人たちにかなう訳もないのだろう。
結構、日本語でまくし立てる初音さん。
お前、その勢いで日本人になるつもりだな、なんなら俺の嫁だと言いそうだ。
あ!やっぱり言った。
公安もあきれ顔だ。ねぇ。お巡りさんこの公安に対する態度、この国の人そのものですよね?
しばらく初音さんが公安に絡んでいると後ろのおばさまが血相変えて怒鳴ってくる。
これだ、初音さんのシナリオ通り。
公安も。面倒な女だな。いいよ!行け!と手振りで初音さんに指示するのだ。
俺が後ろからくる初音さんの顔を見るとやってやったろって顔をしている。ガッツポーズの一つも出そうな感じだ。その勢いのまま歩いていると、ふと後ろの公安が初音さんに声を掛けた。
『あなた何処出身ですか?』
もちろん中国語だ。
『河北です。』
初音さんがきれいな北京語で答えた。
「……逃げるよ。」
初音さんは俺の手を握って雑踏の中へ走り出した。
ここから冒頭に戻るのだが、今はさっきのバス停から500mほど離れたところにある電脳城の店の中にかくまってもらっている。
店の中とは言いすぎた。部品が雑多に並べられている出店の棚の下だ。そこに二人でうずくまっている。外からは完全に見えない。慌てて入り込んだ初音さんが店主になにやらまくし立てていたら、ここに入れって事になったのだ。
そして、これだ。俺と初音さんはお互いに向き合っている。目の前に初音さんの顔があり息遣いが聞こえてくるほどに近い。
やおら、俺の手を取り大きな瞳で俺を見つめている。
「楽しいね」
少し上目使いで顔を赤くして乱れた髪を耳に掛けながら俺に呟いた。
『そんな顔も出来るのか、初音さん。可愛い』
心臓の鼓動は今、公安に追われているからなのか?初音さんが可愛いからなのか?俺に選択を迫っている。
よし、男ならキスの一つもしなければならない。そんなシチュエーションであることは間違いないだろう。
繋いだ手に力を入れて引き寄せ---
「さ、いこ!」
キス迄2秒前の俺を綺麗にスカして初音さんが、何もなったかのようにそこから出ると、とっとと店の奥へと入って行った。
「もう行っても大丈夫なの?」
そもそも大丈夫かどうかの判断を初音さんにお伺いを立てている時点で初音さんの態度が如何に立派か察していただけると思うが、
「大丈夫よ。あいつらも給料分は走ったでしょうから。それ以上はもう関係ないってところだわ。今頃戻って英雄譚を仲間に吹かしている最中よ」
そもそも、あんたミニスカワンピのハイヒールで走って逃げるって女泥棒かよ。
初音さんと手を繋ぎながら
「公安につかまって国外退去か……」
と肩をおとしていると
「捕まらなければ、どうというものではないわ。」
と彗星ばりの名セリフを吐いてきた。
店を出しなに俺に100元くれというから、差し出すと。店主にそれを渡し、背中をポンポンと叩いて握手をしている。
「お前!初犯じゃねぇな!!」
「さあ、遊園地を楽しむわよ」
俺の話など完無視だった。
不定期更新です。