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2-4

 見上げたアシュタレルの屋敷は地の国でも富裕層が住んでいる区画にあって、その中では瀟洒ではあるがそれほど大きくはない建物だった。到着したのが陽が落ちる間際で、夕焼けが広がる黄昏時だったのだが、アシュタレルの屋敷だけは灯りはポツポツとしかともっていない。

 先ほどメイドがいないと言っていたが、かなり人が少ないのだろう。


 アシュタレルは大きな扉を開け、玄関ホールに入るとホールの前で突っ立っているカナタを振り返る。


「どうぞ入ってくれ」

「お、おじゃまします……」

「お兄さま!!」


 尻すぼみに挨拶をしておずおずと中に入った時、屋敷の中から一人の少女が姿を現した。


 栗色の巻き毛をスカーフでまとめている少女だった。その少女は小柄な体を精一杯大きく見せようと、肩を怒らせてずんずんとこちらにやってくる。よく見ると黒い大きな瞳はアシュタレルを睨みつけ、眉毛を釣り上げてどうやら怒り心頭の様子だ。

 アシュタレルは少女が側までやってくると、丁度よいとばかりに手で指し示した。


「カナタ、これは妹のネイリルだ。ネイリル、こちらはカナタ。今日からしばらくこの屋敷で暮らすからそのつもりで――」

「お兄さま!!」


 ネイリルは兄の言葉を遮った。アシュタレルは、口の中でラキリオスに文句を言う。ネイリルには話をつけておくと言っていたじゃないか。なんでこんなに怒っているんだ。


「なんだ」

「それはラキリオス様から伺いましたわ。ですが! なぜ、わたくしに何も言わずに決めてしまわれるの!」

「ああ、悪かったな。でも、お前、反対するだろう」

「もちろんですわ! ですが、ラキリオス様から頼まれたことですから、空人なんて本当に嫌ですが、我慢しますわ……」


 忌々しそうにカナタを見つめてから、ネイリルはびしっと指を突き付けてきた。


「あなた! 空人が地の国の嵐を起こしているというのは本当ですの!?」

「え?」

「おい、ネイリル」


 寝耳に水なことを言われて、カナタはとっさに反応できなかった。


 空の国と同じように地の国でも嵐が起こっているのか。しかもそれは空人が起こしている? そんな話は聞いたこともないし、そんなことを真正面から聞かれるなんて、ひどい侮辱だ。

 カナタは頭の中が真っ白になった。ネイリルはじっと睨むようにカナタを見つめている。カナタは一言違うと言いたかったのだが、口をパクパクとさせるだけだった。

 その様子を見ていたアシュタレルは、横から口を出す。


「おい、ネイリル。そんな根も葉もない話を信じるな。嵐は自然現象だ。空人がどうこうできるものじゃない。悪かった、カナタ。ネイリルも悪気があったわけじゃないんだ」

「黙っていて、お兄さま。わたくし、あなたから答えを聞きたいの。違うなら違うとおっしゃってくださいませ」

「……違い、ます……」


 カナタが小さな声でつぶやくと、ネイリルが聞こえませんわ、とカナタを追い込んでいく。小さくなっていたカナタがますます小さくなると、見かねたアシュタレルが割り込んできた。


「もうその辺でいいだろう。カナタは違うと言っている。それに、今日はいろいろあってカナタは疲れているんだ。休ませてやらないと」

「……わかりましたわ」


 ネイリルは一歩下がりカナタをちらりと一瞥すると駆けていった。


「ごめんな。まあ、ネイリルも思うところがあるようで……。でも本心ではそんな噂信じていないと思うんだ」

「……い、いいえ……。ちょっとびっくりしてしまった、だけで……」

「まあ、怪我もしているって聞いてるし、疲れてるだろう。部屋に案内するから、夕食ができるまで休んでいるといい」

「……はい……」


 案内してもらった部屋は王城で休ませてもらっていた部屋よりもこじんまりとしていたが、趣味のいい家具がセンス良く配置されていて、居心地よさそうな部屋だった。

 部屋に案内してアシュタレルは夕食を作るために退出していった。カナタはふらふらとキルト生地の敷布のかかったベッドに近づき、ゆっくりとなるべくしわを作らないように気を付けながら座った。


 空人が地の国の嵐を起こしている……?


 そのネイリルの言葉はカナタの心をざっくりと切り裂いた。空人と地人は仲が良いとは言えないが、地人の間にそんな根も葉もない噂話が広まるほどだったとは衝撃だった。そもそもカナタは地の国に嵐が頻繁に起こっていることなんて知らなかった。

 ネイリルは空人を嫌っているようだった。その鋭い瞳の光を思い出すと、カナタの心にどうしようもない悲しさが沸き上がってきた。


「ううん……。私がもっとしっかりと、否定できていれば……」


 ネイリルも違うならそう言ってと言っていたではないか。それなのに、頭が真っ白になってしまい、はっきりと否定の言葉を言えなかった自分が情けなくてどうしようもない。

 だから、自分は両親からも瞳を隠して生活するようにと言われ続けてきたのだ。そしていつからか、誰かと目が合うとうまく話せなくなる性格になってしまったのだ。


 夕食までの数刻、何をするでもなくぼうっとしながら時が過ぎていったのだった。







 アシュタレルの屋敷で朝食の食器の片づけをしていたとき、来客を告げるノックの音が聞こえた。

 しかし、家主のアシュタレルの両親は部屋から出てこないというし、ネイリルは朝から出かけている。アシュタレルは今日は近衛兵のほうの仕事をしに行っていて、屋敷にはいなかった。

 迷ったが、カナタは片付けを中断して玄関ホールに向かった。今は居候とはいえ使用人のような気分でいる。メイドとしての役割をすることは全然苦ではない。


「ラ、ラキリオス様?」

「よかった! カナタさん! いてくれたんですね!」


 玄関先には地の国の王子であるラキリオスが息を切らしながら佇んでいた。

 先ほどまで王太子として仕事をしていましたという立派な服装の彼は、走ってきたのか荒い呼吸を繰り返していて、頬もほんのりと赤いし、髪も乱れている。ラキリオスは驚いているカナタの前で二三度髪を撫でつけて、ジャケットの一番上のボタンを外すと、カナタの横をすっと通り抜けて屋敷に入ってきた。


「ごめん、ちょっと匿ってくれますか」

「か、匿う……? あ、待ってください……!」


 あまりにも自然な動作で入ってきたので、止めることも、どうしたのか聞くこともできずに、カナタは我が物顔で歩くラキリオスの後をついていくしかできなかった。

 ラキリオスにとってこの屋敷は本当によく来る屋敷なのだろう。カナタには追い付くだけでも大変なスピードでさっさと先に進んでいく。そして、応接間に入ろうというところで急に立ち止まったので、カナタは危うくラキリオスの背中に鼻をぶつけるところだった。


「ラ、ラキリオス様!?」


 ラキリオスはくるりとカナタの方に向き直ると、すみませんでした、と頭を下げた。

 どうしてラキリオスが謝っているのか分からないカナタに、ラキリオスは言う。


「いくら知っている家だと言っても、家主の案内も待たずに歩いてしまってすみませんでした。言い訳になってしまいますが……少々気が急いていたようで……」

「え、いいえ……! 私は、ただの居候なので、あまり気にしないでください。今、アシュタレル様も、ネイリル様も、不在なんです……」

「ああ、それはいいんです。ちょっと匿ってもらえれば……」

「……先ほども、おっしゃっていましたが、匿うって……もしかして、誰かに追われているんですか……? だ、大丈夫ですか……?」

「……はは。違います違います。話すのも恥ずかしいんですが……お見合いを勧めてくる侍従から逃げていたんです」


 お見合い……。ラキリオスの身に何か危険が迫っているのではないかと緊張していたカナタは、その言葉を聞いて、全身から力が抜けた。


「すみません、紛らわしかったですね。ところで、座りませんか……?」

「あ、はいっ。紅茶でいいですか……!?」

「ああ、お構いなく」


 カナタはキッチンへと急いだ。







 ラキリオスは応接室のソファーに座ると、長く息を吐き出した。そして、紅茶を用意してきたカナタに気づくと、バツが悪そうに苦笑する。先ほどお見合いを勧めてくる侍従から逃げてきたと言っていたが、それはそれで大丈夫なのか心配になる。

 カナタはラキリオスの前にティーカップをそっと置くと、自分は仕事に戻ろうと思い、応接室から出ようと踵を返した。


「ああ、待ってください」

「え?」


 足を止めてラキリオスの方を向き直ると、彼は困ったように笑いながら手招きをして見せた。


「少しだけ話せませんか?」

「あ、申し訳ありませんが、わ、私、まだ仕事が……」


 仕事を優先しようとしたカナタに、ラキリオスは可愛くラッピングされた小さな箱を取り出して見せた。何だろうと内心首を傾げながらその箱を見ていると、ラキリオスはいたずらっぽい笑みを見せた。


「実はここに来る前にフォグレイに寄って、クッキーを買ってきました。ナッツが入っているものしか残っていなかったのですが、ナッツはアシュタレルもネイリルも食べられないんです。今、カナタさんに食べてもらわないとせっかく買ったクッキーを捨てることになってしまうんです」

「……フォグレイ……?」


 初めて聞く単語だ。聞き返すカナタにラキリオスはますます笑みを深くして見せる。


「ああ、聞いたことありませんか? 今、地の国で流行っているスイーツ専門店です。なんでも、いろいろ種類があって女性に大人気とかで……。カナタさんはお菓子は好きですか?」

「……は、はい。好き、です……」


 すると、ラキリオスはそれならばと、カナタを誘ったのだった。


「きっと、美味しいと思いますよ。アシュタレルとネイリルは食べられませんので、是非、一緒に食べませんか? このクッキーと僕のためだと思って、ね」


 ラキリオスの言葉に思わず笑ってしまいそうになって、カナタは慌てて咳払いでごまかした。


「……わかりました。ご一緒させていただきます」


 ここに来る前に手土産を買ってくるなんて、そんなに必死に逃げてきたわけではないのかなと思いつつ、カナタは自分の分の紅茶も用意するためにキッチンへと向かったのだった。



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