表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/32

2-3

 カナタは近くに人の気配を感じ、ハッと飛び起きた。その直後背中に痛みが走り顔を思いっきりしかめた。


 それ以上動けなくなったカナタの目に、濡らしたタオルを持ったまま固まった一人の青年の姿が映った。その青年は一瞬の後、タオルを放り出して両手で優しくカナタの肩に手を置いて視線を合わせようとカナタの顔を見つめてきた。


「カナタ!! 大丈夫か!? どこか痛いところはない?」

「っ!? え?」


 カナタは急に目の前に映った黒曜石の瞳を宿した知らない顔に、慌てふためくしかない。

 きょろきょろと辺りを見回す。

 フカフカの大きめのベッドに部屋の中のアンティーク調のインテリアも、シックなカーテンを開けた大きい窓も、記憶にないと判断するのに時間はかからなかった。焦りがどんどん加速していく。しかも、目の前の知らない青年はなぜか自分の名前を知っている。


 それでも一つだけわかることがあった。目の前の彼は地人だということだ。地人特有の髪色目色を持つ彼は、先ほどから何も言葉を発しないカナタを見て心配になったようで、もう一度小さな声で呼びかけた。


「カナタ、大丈夫? どこか痛いところがあったら言ってほしい」


 カナタはごくりとつばを飲み込むと、意を決して顔をあげた。それでも自分が地の国のどこかにいる事が何故なのか理解できない。


「あ、あの……」

「ん?」

「あなたは、誰ですか……? なんで、私の名前、を知っているんですか……?」

「……え?」


 地人の青年はカナタの言葉を聞いて、衝撃を受けたように動きを止めて、まじまじとカナタを見つめた。あまりにもじっと見つめてくるので、カナタはだんだん居心地が悪くなってきて顔を俯けた。


「ご、ごめん……。僕の事、覚えてない……?」


 カナタは眉間にしわを寄せてゆっくりと怪訝そうにもっさりとした前髪から青年をうかがいみた。少し考えてみたが、自分には地人の知り合いなんて一人もいない。

 目の前の青年が少し悲しそうにカナタに問うたが、なぜそんな顔をするのかカナタのほうが不可解だった。


「すみませんが……初めて、ですよね……?」

「…………」


 カナタが小さな声で告げる。青年は深いため息を吐くと、小さくそっか……と呟いた。しかし、すぐにカナタに笑顔を向けると明るい声で自己紹介をし始めた。


「自己紹介が遅れて申し訳ございませんでした。わたくしは地の国の第一王子、ラキリオスと申します。初めまして。ちなみにあなたのお名前は空の国の王女ということで知っていました。なれなれしくおよびしてしまい失礼しました」


 ベッド脇に膝立ちになりながら腰を折って謝罪する。カナタは目の前の青年が地の国の王子だと聞いて、慌てた。


「い、いえ……は、初めまして。ラキリオス様……。あの、私は、空の国の王女のカナタ、といいます。……と言うことは……もしかして、こ、ここは……」

「はい、地の国の王城の一室です。神秘の泉で倒れていたあなたを、近衛兵のアシュタレルが連れてきたのです」


 戸惑うカナタに対して、ラキリオスはあっけらかんと言ってのける。それを聞いたとき、カナタは気が遠くなった。


 なんてことだろう。自分は嵐に遭い空の国から地の国に落ちてしまったのだ。その時の記憶が一気に押し寄せる。いったいあれからどのくらい経ったのだろう。家族は心配しているだろうか。一刻も早く帰らなければと逸る気持ちそのままに、カナタはベッドを出る。


「あ、あの、看病してくださって、あ、ありがとうございました。私は、帰ります……。このお礼は、後日、必ず……!」

「……え? ちょっと、待ってください!」


 今にも帰りそうなカナタをラキリオスは必死に引き留める。


 カナタをアシュタレルが抱えてきたのを見たときは、心底驚いた。

 ラキリオスは少年のころに少しの間だけ会っていた空人の少女のことを、忘れたことは一度もなかった。早く空の国との国交を回復するために、村人たちに働きかけてきたし、国王である父親にも進言してきた。しかし、正直言うとこのままでは手詰まりの状態だった。どうすればいいのか、ラキリオスは悩みに悩んでいた。


 そんな時にカナタがやってきた。話を聞くと、神秘の泉で気を失っていたという。その話を聞いたときは、心臓がひやりとしたが目立った外傷がないと診断されてようやく落ち着いた。


 カナタはあのときから変わっていなかった。

 綺麗で感動する色合いのサラサラの髪の毛も、その前髪を瞳を隠すように伸ばしていることも、背はあの頃より幾分か伸びているが、それでもラキリオスと比べると小さいことも。

 そして、あのとき、ラキリオスが送った飾り紐をつけてくれているのを見て、嬉しさが胸いっぱいに広がった。


 いつか空の国と地の国の国交が回復したら会おうと約束をしていた。ラキリオスはこっそりと左手首の飾り紐に手をやる。その実現までどのくらい時間がかかるかと思っていたが、そんな時にカナタがやってきたのだ。

 しかし、なぜかラキリオスのことをすっかり忘れてしまっている。再会したら、どんなことを話そうかといつも楽しみにしていた。その未来の実現だけを心の糧にして今まで頑張ってきた。


 想像と違った再会にラキリオスは複雑な心境になったが、持ち前の前向きさで数秒で気持ちを切り替えた。

 忘れてしまったならば、これからまた、いや、もっと仲良くなっていけばいい。


 そう思ったのだが、カナタはすぐに帰りたがっている。ラキリオスとしては、このまま帰したくないという気持ちと、カナタの好きにさせてあげたいという気持ちがせめぎ合って、一瞬反応が遅れた。


 カナタはラキリオスの制止を聞かずに、近くにある大きな窓を開けると翼を広げながら勢いよく外に飛び出した。

 しかし、その瞬間左の翼に鋭い痛みが走り、はばたくことができなくて、二階から落ちてしまったのだった。


「カナタ――!!」


 部屋の中からだと、まるで身投げをしたかのような一連の様子にラキリオスは急いでカナタの後を追って外に飛び出した。

 整えられ青々とした芝の上にうつ伏せで倒れているカナタを見つけて、ラキリオスは医者を近くの侍女に呼びに行かせ、自身はカナタを丁寧に抱えて先ほどの部屋に戻ったのだった。







 深いため息を一つ。


「折れてますね」


 カナタの翼を診てくれた王族専門の医者が短く診断した。その言葉に鬱々とした気持ちになりつつ、カナタは広げていた翼を閉じしまった。

 どうりで翼を出したりしまったりするだけで痛むはずだ。


「どのくらいで、治ります……か……?」

「私も空人の翼の骨折の完治までの期間には詳しくはないのですが……そうですね。使わないでいて、二ヶ月といったところでしょう。それでは私は失礼しますよ、ラキリオス様」

「ああ、ありがとう」

「……二ヶ月……」


 医者から告げられた期間を呆然と繰り返す。困った。これでは空の国に帰れない、と沈んだところでハッと顔をあげてカナタはラキリオスを見た。


「あ、あの……! 空の国への、ゲートを、使わせてくれませんか……?」


 すると、ラキリオスは申し訳なさそうに眉を下げて首を横に振った。


「そうさせてやりたいのは山々なんですが……。現在はそのゲートも封鎖されていて、使えないんです」

「……そう、ですよね……」


 いい考えだと思ったのだが、よく考えてみれば十年前までは細々と機能していたゲートもこの十年で完全に使えなくなってしまったのは空の国でも同じだった。

 現在唯一残っている地の国と空の国との行き来を可能にする手段は、空人が地の国に降りてくることしかなかった。

 いつも持っていた通信機も地の国に落ちたときにどこかへやってしまったようで何処にも見当たらない。つまりカナタが地の国にいると家族に連絡できない。


 暗く落ち込んでしまったカナタを見て、ラキリオスは心の中で、自分のわがままを押し通すのではなく、カナタを何とか空の国に帰してやろうと決意した。自分のことを忘れてしまったとしても、ラキリオスがカナタを好きな気持ちは全く変わらなかった。想う人が元気がないのは耐えられない。


「そんな顔しないでください。時間はかかるかもしれませんが、あなたが空の国に帰れるように何とかします」

「……え?」


 そんなにも絶望した表情をしていたのだろうか。ラキリオスは優しい声音で真摯にカナタに語り掛ける。元気づけるように、カナタがラキリオスの方に顔を向けると、にこりと微笑み大丈夫だと励ましてくれたのだった。


「……?」


 その笑顔を見ると、カナタの脳裏に何か懐かしいような不思議な感覚がよぎる。

 以前にもその優しい笑顔を見たような、カナタを元気づけてくれる快い声音を聞いたような。不思議な感覚に首をかしげるが、その感覚の正体をつかむことはできず指の間からハラハラとこぼれ落ちてしまう。


「帰ることができることができるまで、この王城で暮らしたらどうですか?」


 部屋は余っていますし、とラキリオスは何でもないことのように言った。

 しかし、カナタは力いっぱい首を横に振ってお断りの意思を伝えた。


「い、いいえ! そ、そんな、滅相も、ありません! 私は、宿屋か、どこかに、滞在します……!」

「宿屋……ですか。心配ですね。この国の宿屋は歓楽街にありますが……。あまり治安がいいところではありません。ましてやあなたは空人。何か起こらないとも限りません」

「……で、ですが……」


 そう聞いてしまったら怖くて宿屋には行けなくなってしまう。しかし、このまま王城の一室を借りるのも、自分が空人だから気が進まない。そうなったら地の国の王様にも挨拶をしなければならないのが怖いし、やはり王城に空人がいると周りの目も気になるし、空人の中でも異質な自分が滞在することで、地の国に迷惑をかけて、これ以上空の国との仲を悪化させたらと考えるとどうしても頷けなかった。


 どうしたらいいのかと困って固まってしまったカナタの耳に、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。ラキリオスは目線で来訪者を入れてもいいかカナタに確認すると、一言入れと誰何する。

 すると、ゆっくりと扉が開いて、一人の青年が部屋に入ってきた。


「殿下。こちらにいらしたんですね。先日の祭りの件で陛下がお呼びですよ」


 アシュタレルは少し緊張した様子で、ラキリオスに用件を告げる。


「アシュタレル、お前の屋敷の部屋は余っているか?」

「は?」


 ラキリオスはアシュタレルを見て、何かを思いついたように唐突にそんなことを問うた。

 いきなりそんなことを聞かれたアシュタレルが、戸惑いながらも、まあ少しならと答えると、ラキリオスはよし、と笑顔でカナタを振り返った。陛下が呼んでいると言っていたがそれはいいのだろうか。


「この男はアシュタレルといって、王国近衛兵で私の友です。あなたを泉から助けたのもアシュタレルで信用できる男です。地の国にいる間、このアシュタレルの屋敷に滞在してはどうでしょうか」

「はい!?」


 その言葉を聞いて驚いたのはアシュタレルだ。

 突然そんなことを言われても困る。両親はきっと何も言わないだろうが、突然空人の少女を連れて帰ったら、ネイリルが何か言うに決まっている。それは御免被りたい。


「いいじゃないか。僕からネイリルには言っておこう」

「で、ですが……!」

「あ、あの……! アシュタレル様、助けていただき、ありがとう、ございました。ですが……やはり、私は宿屋に泊ることにします」


 地の国で空人が宿を取れるのか疑問だったが、この二人の会話を聞いて迷惑をかけるわけにはいかないという気持ちが強くなった。

 先ほど歓楽街と聞いてしり込みしてしまったが、アシュタレルに迷惑をかけるよりはいいだろう。宿代は泊まりながらどこかで働くしかないと覚悟する。


 そのカナタを見て、アシュタレルはうっと詰まって、少しの間黙っていたが、やがて手を額に当てて深いため息を吐いた。絞り出すような声で言う。


「あー、カナタ、だったか?」

「あ、はい……」

「君は、家事は得意か?」

「一通りは、できますが……」


 アシュタレルはその答えを聞いて、視線をカナタに合わせた。


「じゃあ、うちの家事を手伝ってくれるか? 客人にこんなことを頼むのも申し訳ないんだが、うちにはメイドの類がいなくてな」

「え……それって……」

「何もないところだが、うちでよければ、ぜひ滞在していってくれ……」


 アシュタレルの言葉を聞いたのだが、カナタは本当にいいのだろうか、迷惑じゃないだろうかと迷う仕草を見せる。すると黙ってみていたラキリオスがカラッと言った。


「これ以上宿屋に泊まると言うのなら、無理にでも王城に滞在していただきますよ」

「!!」


 カラッとした口調なのに、脅すような内容でその差にカナタは肩をびくっとさせて、アシュタレルに向き直って頭を下げた。


「お、お願いします! 家事でもなんでもさせていただきます!!」


 その様子を見たラキリオスはひそかに、そんなに王城は嫌なのかと肩を落とすのだった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ