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2-2

 地の国では、この日の夜は豊作を願う祭りが開催される予定になっていた。

 空の国と同じく、地の国でもここ最近は天候が安定せず、嵐が頻繁にやってきていて育ち始めていた農作物を、凶悪な風雨が攫って行ってしまうということがよく起こっていた。


 そんな中で、現国王が国民の不安を和らげ、未来に希望を持てるようにと農業の神を祀る儀式を開くことにしたのだった。

 もう天候で悲しい想いをしたくないという国民全員の思いが、地の国のこの日の祭りをより大きなものにした。

 神に捧げる米俵もこの日の為に用意した最高級のものだ。そのあとには神秘の泉から子供たちが持ってきた清浄な水を、神と国民全員に配りまわる。王の挨拶の後には朝まで踊ったり酒を飲んだりするのだ。







 王国近衛兵であるアシュタレルは、今日の夜の祭りのために子供たちが泉から水を汲んでくるのに付き添う役割を担っていた。

 選ばれた子供たちは七歳から十三歳の少年少女たちで、彼らが直接水を汲まなければならないのだが、遠い神秘の泉へ行くには誰か付き添いが必要だった。

 そこで、地の国の王の息子と懇意であって信用できるということで、アシュタレルに白羽の矢が立ったのだった。

 アシュタレルとしては、生来の真面目な性格から子供を相手にするこの役目に対して若干苦手意識が働いたのだが、妹のネイリルが、選ばれたときに文字通り飛び上がって喜んだので、辞退することもできなくなった。


「お兄さま! もう時間ですわよ! マリネリアが来てますわよ」

「ああ、もうそんな時間か……」


 アシュタレルが昼食用の作りかけのパンをオーブンに入れようとしているところに、ネイリルがキッチンの扉を開けて声をかけた。

 祭り自体は夕方からなのだが、泉が遠いところにあるので子供たちの足を考えて昼から準備を始めるように上司から言われていた。


 マリネリアというのは、今回の泉に水を汲みに行く子供たちのリーダーの少女だ。

 リーダーと言っても、特別な役割があるわけではなく、子供たちとアシュタレルの間でやり取りをする子供だ。この辺りでは裕福な商人の養子で、キャラバンも持っている。少しつんつんしたところがあるので、子供が苦手なアシュタレルにとってより苦手な部類に入る少女だった。


 マリネリアと聞いて、少しげんなりとしてしまい、すぐに自分の役割を思い出し、アシュタレルは作りかけのパンをネイリルに任せて、エプロンを外し来訪者を迎えるべく応接室に向かった。







「すまない。待たせてしまったか?」

「いいえ、アシュタレル様を待つことは最初から分かっていましたから、大丈夫ですわ」

「……そ、そうか」


 応接室では革張りのソファにちょこんと姿勢よく腰かけているマリネリアが、品よく紅茶のカップを傾けていた。

 それを見て、ネイリルも少しは気が利くことがあるんだなと自分の妹に対して少々失礼な感想を抱く。


 この家では特別な時以外にメイドも従者も雇っていない。両親はいる事はいるのだが、部屋から出ることがほとんどないので、家のことは大抵のことはアシュタレルがこなしていた。

 なので、こうして時々、妹が家事めいたことをすると感動を覚えてしまうのだ。王国近衛兵の仕事もあるアシュタレルが家事をすることはとても大変なのだが、誰もしようとしないのだから仕方がない。


 それはそうと、いつもの通りマリネリアの言葉に内心のけぞってしまったアシュタレルは何とか気持ちを立て直すと、彼女に向かって笑いかけてみた。


「準備が整ったら出発しようか。みんなは何処にいるんだ?」

「そうですわね。皆さんをいつまでも待たせるわけにいきませんもの。中央広場にもう全員いると思いますわ」


 カチリとカップをソーサーに置く音がして、マリネリアがごちそうさまですと立ち上がった。

 ふと、卓上のシュガーポットの中の砂糖が何個も減っているのを見て、彼女にも子供らしいところがあるんだと、少し微笑ましく思ったアシュタレルだった。


 マリネリアの背丈はアシュタレルの胸ほどだ。

 普通に歩くとアシュタレルがマリネリアを置いて行ってしまうか、マリネリアが小走りについていくことになり、また何か言われることになってしまう。だから、アシュタレルは慎重に隣を歩くマリネリアの歩幅に合わせ、自分の歩くスピードを調節していた。


 それに気づかないマリネリアではない。彼はいつも自分と歩くときは自分のスピードに合わせてくれる。しかし、それは好意からの積極的理由ではなくてマリネリアから口撃されたくないからという消極的理由からだ。


 それが分かってしまうから、ため息を隠れて吐いてしまう。どうやらアシュタレルはマリネリアのことを苦手に思っているようなのだ。しかし、マリネリアはアシュタレルを嫌いではなかった。自分のことを苦手だという態度を見せつつも気を遣ってくれる、そんな生真面目な性格を小さいながら気に入っていたのだ。


 しかし、自分の性格は簡単には変えられない。無理に変えようとも思わなかった。この祭りの子供たちのリーダーになったことで、アシュタレルと接する機会も増えるから、その間に少しでも仲良くなれたらいいなと、淡い期待を抱きながら日々を過ごしていた。







 中央広場には十名ほどの子供たちがすでにいた。アシュタレルとマリネリアが到着すると、二人のもとに集まってくる。


 年齢は七歳から十三歳ほどだが、どの子も祭り用の正装ではなく略装に身を包んでいる。戻ってから正装に着替えるのだろう。手に持っている水瓶は磨き上げられて飾り立てられた立派なものだ。


「アシュタレルの兄ちゃん! 今度、剣を教えてよ!」

「え? ずるい!! お兄ちゃんは、先にリリと一緒にお花遊びするんだよ!!」

「ちょ、待ってくれ……!」


 どの子供もアシュタレルに体当たりする勢いで群がってくるので、アシュタレルも体勢を立て直すのに必死だ。こんなに口下手な自分になぜ子供たちが寄ってくるのか意味が分からない。

 子供たちの対応にあたふたとしていると、隣から落ち着いた声がその勢いをそいでくれた。


「皆さん、いくらアシュタレル様に会えたのが嬉しいからって、そんなにいっぺんに喋ったらアシュタレル様が困ってしまわれるでしょう?」

「!」


 マリネリアだ。

 その静かだけれどよく通る声に、子供たちも我に返った。アシュタレルもハッと隣を見た。彼女は十三歳とは思えないほど毅然として見えた。

 それを見たアシュタレルは、自分に内心ため息をつきつつ、唾を飲み込み目の前の少年少女たちに向き合った。自分が付き添いなのだ。マリネリアではない。しっかりしなくては。


「まずは祭りに必要な泉の水を汲みに行こう。剣も花遊びもそのあとにいくらでも付き合ってやるから」

「ほんと!?」

「やったー!!」


 子供たちは出発! と泉に向かって移動を開始した。それを確認してから、アシュタレルは子供たちについて行こうとしたマリネリアに小声で話しかけた。


「マリネリア、先ほどは助かった。それにしてももっと俺はしっかりしないとだめだな」

「本当ですわ。あれくらいご自分でどうにかしてくださいまし」

「……そうだな」


 いつも通りのマリネリアに安心とも傷心ともつかぬ複雑な心境を抱えつつ、アシュタレルも子供たちを追いかけていった。







 神秘の泉は昼間だというのに木々が生い茂っていて薄暗い。しかし、その泉の水は神通力が宿っていると言われていて、一口飲むとちょっとした怪我ならばあっという間に治ってしまうという言い伝えがあった。

 しかし試した者がいるとは聞いたことがない。特別な理由がない限りその泉の水を飲むことは禁じられているのだ。


 この日だって、この水を汲んで国民全員に配りはするが、飲むためではない。手を清めるために配るのだ。ならば特別な理由とはなんだとアシュタレルは思うのだが、そんなものはないのだろう。


 泉に到着したころには、休みなく歩いてきたせいで、子供たちは疲れているようだった。

 比較的涼しい泉のほとりでしゃがみ込む子供たちが何人かいて、それを見たアシュタレルも少しの休憩を伝えた。あとは水を汲んで戻るだけなので、余裕で祭りには間に合うだろう。


 アシュタレルも息を長く吐いて、泉の傍らの少し大きめの石に腰を下ろす。腰に差していた剣をいったん取り外す。

 その時、子供たちの一人のリリがアシュタレルのもとにパタパタとやってきて、木の茂みのほうを指さした。


「お兄ちゃん、あそこ、誰かいるよ」

「ん? 誰か……?」


 アシュタレルはよっと掛け声をかけて立ち上がると、リリが指し示したほうに向かって進んでいった。リリもアシュタレルの半歩後をついてくる。

 そこは木の茂みだけではなく、草も生い茂っていた。その伸びた草に埋もれるようにして、一人の少女が仰向けに倒れているのが確認できた。


「! おい! 大丈夫か!?」


 揺すろうとしたがとっさに思いとどまる。下手に動かさないほうがいいかもしれない。息を確認すると、規則正しい呼吸音が聞こえてほっと安堵する。簡単に傷を確認してみたが体に目立った外傷は見受けられなった。


 そこで、さてどうしようとアシュタレルは考え込む。いったん戻って医者を呼んでくるか。それとも自分が背負って病院に連れていこうか。戻ると時間がかなりかかるので、治療が遅くなってしまうが、アシュタレルが背負っていったら下手したらもっと悪くなるかもしれない。


 しかし、アシュタレルは視線の先で意識を失っている少女を数秒見て、すぐに決めた。


「……背負っていく方が早いか」


 見たところ目立った外傷はないようだし、早くもっと安全なベッドで寝かせたほうがいいだろう。

 そう思い、アシュタレルはひょいと少女を抱えて、木の茂みを抜けた。

 その時、少女の髪を木漏れ日で照らして見た衝撃といったら、生きてきた中で一番のものだったかもしれない。


「そ、空人か!?」

「わあ……。綺麗な髪……」


 その少女の腰までの絹糸のような髪は輝く白だったが、光の加減によって色が薄い桃色や水色など変わって見える、アシュタレルが見たこともない髪だった。こんな髪を持つ地人はいない。このような色素の薄い髪は昔話に聞いたことのある空人の特徴だった。


 リリは空人のことは聞いたことがないのか、目を輝かせながらまじまじと目を瞑ったままの少女を見つめている。


「なんだなんだ?」

「アシュタレルの兄ちゃんがなんか抱えてるぜ。行ってみようぜ」


 その少女をどうするか決めかねている間に、休憩中で各々散らばっていた子供たちが集まってきた。そして、どの子供もアシュタレルが抱えている少女を一目見ると目を大きく見開き、物珍しそうに観察し始める。


「うっわぁ。おれ、こんな色の髪見たことねえよ……!」

「あたし、知ってるわ! その人、空人っていうんでしょ。でも、空人って悪い人で地の国には入ってこないようになってるってお母さんが言ってたけど、なんでここにいるの?」


 子供たちのざわつきはだんだんと大きくなっていく。

 どうしようかとアシュタレルが首を振ったその時、少女の頭に地の国の王家しか使うことが許されていない石を使った飾り紐がつけられているのを見つけた。


 どうして、この少女の髪飾りにそんな石を使ってあるのか……。アシュタレルは空人を悪い人だと母親が言ったからそう信じているという少女の言葉を思い出して、この国の王子が長年空人との関係修復に向けて力を注いでいるのを思い出した。

 やはり、この少女は一度王城に連れて戻ろう。そのまま少女を放っておいて、後からこのようなことがあったと王子に知れて、彼に知らせなかったと分かったら、何を言われるか分からない。


「みんなもう休憩は取れたか? そろそろ戻ろう」

「はーい」

「ねえ、その姉ちゃんはどうするの?」

「連れて戻るよ」

「やった」

「よかったー」


 子供たちはアシュタレルが空人の少女を抱えなおすと、安心したように顔いっぱい笑顔を弾けさせた。

 なぜ空人の少女を連れて戻ると子供たちが喜ぶのかわからないアシュタレルは、頭の上にクエスチョンマークを飛ばしながら子供たちに問いかけた。


「なんでって、アシュタレル兄ちゃんが置いて行ったらその姉ちゃん死んじゃうでしょ? やっぱり兄ちゃんは優しいって分かっておれ嬉しい!」

「……そうか」


 子供たちが自分のことをそんな風に思ってくれていると知って、この少女を連れて戻る理由が王子に何か言われたくないからと言うものだったことにアシュタレルは素直に喜べないなと苦笑しながら子供たちを促した。


 歩き始めたアシュタレルの横にいつの間にかマリネリアがやってきていた。マリネリアは小声でアシュタレルに話しかける。


「この方のこと、助けてくださって、ありがとうございます」

「え?」


 なぜマリネリアが感謝するのだろう。アシュタレルは不思議に思いながら、マリネリアの巻き毛を見下ろした。

 マリネリアはそんなアシュタレルを見て、ふふっと笑うと、言った。


「わたくし、空人に助けてもらいましたのよ。養父から聞きましたの。だから、空人はわたくしにとって恩人なのですわ」


 マリネリアはそれ以降特に何か話すでもなく、黙ったまま歩き続けたのだった。


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