1-5
城には王族しか知らされていない隠し通路がたくさんある。カナタはそのうち二つしか知らなかったが、兄から教えてもらえていたことに心から感謝した。
城の裏手に回ると、物置になっている東の塔に近づく。
塔の外壁の周りとはワントーン色の暗い石を押し込むとすぐそばにギイッという重い音と共に降り階段が現れた。
カナタはそこを使うのは二回目だった。自分が場所を覚えていられたことに安堵して先にラキに入ってもらってカナタも続いて入る。
中は幅二メートルほどの通路になっていた。カナタは自分が階段を降りると通路の右端にある白いレンガを引っ張った。これで上からは階段は隠れ、元通りの東の塔の光景になる。
一つ一つの作業を昔の記憶を思い出しながら行っていく。カナタが間違うとラキを守れないので友達を守るためにかなり気合を入れていた。レンガが元に戻ったのを確認してから、カナタはラキを先導して歩き出した。
薄暗い通路はもう少し光源が欲しいところだが、そんなことは言ってられない。静かな通路に二人分の足音が響くのがびくびくする。しかし、カナタは頭の中に通路の地図を描きながらラキを導いていった。
ラキは城に着いてから通路を歩いている今もずっと無言だ。こんな隠し通路を知っているなんて、カナタの身分がただの平民ではないと察してしまうと思うが、それでも口を開くことはなかった。カナタも自分から自分は王女なんだと話すタイミングを逃して、無言でラキの前を歩いて行った。
「ここ、かな……」
何回か曲がり角を曲がった後、気を付けないと見逃しそうなカナタの身体がちょうど入るくらいの大きさの扉の前に立ってカナタは止まった。
力を込めて扉をぐっと押すと、簡単に開く。その先にまた階段が見えた。そこを恐る恐る上る。天板に突き当たったので、それを押し上げて通路から部屋に出た。
そこは何もない部屋だった。強いて言えば、扉が一つあるだけだ。ラキも部屋に出ると、板を閉じて今度はドアの鍵を開けて、ドアを開いた。
そこには、断崖絶壁ともいうべき光景が広がっていた。ドアの向こうには青空が広がっていて、一歩足を出せば落ちてしまうという構造だ。
まさかここから飛び降りるというのだろうかと、ラキはカナタをまじまじと見てしまう。
「こ、ここから……地の国へ、い、けるから」
ここは空の国の王族が、もしもの時に脱出するときの為の出口だった。転送ゲートがなくても地の国へ亡命することができるというわけだ。
カナタは一歩扉から後ずさると翼を出した。ラキは目の前で翼を具現化させるカナタを神秘的なものを見る感じで見ていた。
地人にとって空人の翼はまごうことなき神秘的なものだった。
そして淡い光を放つ翼に手を添えると、羽を一つ抜き取って翼をしまった。
「こ、れ。持ってると、少し飛べるようになれるから……」
「ありがとう、カナタ……」
ラキはどこかぼんやりとしながら、カナタの羽を受け取った。そして、じっと羽を見つめてぎゅっと握りしめる。
「じゃあ……い、行こうか……」
「うん……」
まずはラキから扉の前に立った。扉の下をのぞき込んでみたが、下も何もない青空が見えるだけだった。大抵の事は笑うことができるラキだが、これにはひやりと背筋が冷える。
しかし、ラキは一つ息を吐いてカナタを振り返って頷くと、躊躇などないかのように勢いよく青空へと飛び出した。
「……っ!!」
カナタの羽をぎゅっと握って最初は目を瞑っていたラキだが、確かに落ちるスピードがゆっくりな気がして恐る恐る目を開けてみる。
その感覚は間違っていなかったようで、ラキはゆっくりと、まるで綿毛が落ちているかのようなスピードで落ちているのだった。
「ラキ……!」
その時、すぐそばでカナタの声がして柔らかく片方の手が取られた。
目の前には再び翼を出したカナタが、心配そうな表情でラキを伺っているのが分かった。
ラキは大丈夫だということを知らせるために、カナタに向かって笑って見せた。それを見たカナタは驚いた様子だったが、すぐにほっとした顔をしたので、うまく笑えたのだろう。
「……カナタは王族だったんだね」
カナタの手の温かさを感じながら、ラキはぽつりと口に出した。空を飛んでいる中でもその声は不思議とカナタの耳にはっきりと届き、カナタは少々気まずさを感じながらも頷いた。
「……うん。隠してて、ごめん、なさい。私、空人の王女なの……」
「ううん、謝らないで。ごめん、そうじゃなくて、隠し通路を僕に教えちゃって大丈夫だったの?」
「……うん。だって、どうしても、ラキを無事に帰したかったから……」
「……ありがとう……」
それからは二人とも黙って手をつないで空を飛んでいた。
カナタは地の国に着いたらもうラキに会えないのだから、本当はもっと話したかったのだが、どうしたことか王女と分かってしまったことへの気まずさやこれっきりで会う事ができなくなるという寂しさ、本当にいつか再会できるようになるのかという不安で胸がいっぱいで、口は開いたり閉じたりを繰り返すばかりで結局満足に会話はできなかった。
二人は地の国の街から少し離れた泉の傍らに着地した。晴れていたのだが、その周辺は樹木が太陽の光を遮っていて、まるでいつもカナタとラキが会っていた場所の雰囲気にそっくりだった。
時折、太陽の光がこぼれてきて、泉に反射する様はとても幻想的で、カナタは地の国でこんなきれいなところがあるなんてと内心驚く。
「……き、綺麗、だね……」
「ありがとう。ここ、いつもカナタとお喋りしていた場所に似ていたから、見せたかったんだ」
「私も……! そう、思った。でも、あの場所より、とっても、綺麗……」
感動して辺りをきょろきょろと見まわすカナタにラキは満足そうに笑って、声に真剣みを込めた。
「ここは、冬になると夜に光る蝶々が花の蜜を吸いに集まるんだ。いつか、その光景も一緒に見ようね」
「……うん。見よう、ね……」
そんな未来がくればいいと、自然と二人の小指が絡まる。絡まった小指を見てラキが小さな声で「約束……」と呟いた。その声を聞いて、カナタも小さく頷いて名残惜しそうに手を離した。
カナタが空の国へ戻っていく姿を見えなくなるまでラキは見送ったのだった。
ベネットがカナタとラキがいないことに気付いたのは、二人が城に入ってからだった。
ベネットの中では地人は空人を害する存在だという固定観念が根付いていて、カナタがラキにもう会わないと言っても、心配で心配でたまらなかった。
カナタが地人に害されるのではないか、誘拐されてしまうのではないか、王族だと知られてしまって、それを悪用されてしまうのではないか、心配は尽きなかった。そういう面ではベネットはカナタの両親よりカナタ自身のことだけを思っていたのだろう。
だから、カナタがラキにお別れを言いに行っているときに偶然耳にした地人への憎しみの言葉で、ベネットは地人に少し痛い思いをさせればもうここに来ようとは思わないのではないかと思考が暴走してしまった。声をかけた空人の男たちが地人を殺したいほど憎んでいるなんて夢にも思わなかったのだ。
「くそっ! お前がぎゃあぎゃあうるせえから、地人が逃げちまったじゃねえか!!」
「な……! 地人の少年が少し痛い目に遭うようにと依頼したのは私ですがね、カナタ様を傷つけることは何があっても許容できるはずないでしょう!!」
「あーはいはい、でも依頼料はもらってくぜ。前払いって約束だったもんなぁ?」
平和を愛する空人らしからぬ邪悪な笑顔に、ベネットはひやりと背筋が凍る思いがする。もしかしたら、依頼が成功しなくて良かったのかもしれないと、そんなことを思って手持ちの金貨をグイっと乱暴に差し出し、強気に顎をあげて見せた。
「分かってます。これを受け取ったら、わたくしたちにはもう関わらないでください!」
「ふん」
男たちは乱暴に金貨をもぎ取ると、さっさとその場を離れていった。
それを見送ってベネットは一目散に王城へと急いだ。
ラキの編んでくれた飾り紐には桃色の綺麗な石が何連か編みこまれていた。
角度を変えると濃い赤色を含んだりクリーム色が強くなったりして、まるで色々な色に輝くカナタの髪の毛や瞳のようだった。それが深紅のビロードの紐と合っていて、見ているだけでため息が出るほど美しい。
それに加えて、瞳を隠していることに自信を無くしているカナタをなんだか応援してくれているようで、涙が出るほど嬉しかった。
いつまで見ていても飽きない飾り紐だったが、せっかくだし髪につけてみようと、以前ラキがやってくれたように頭の高いところで一つに髪を括って縛ってみる。前髪が瞳を隠していてそれが少し気になったが、何とか満足できる仕上がりになった。
これをつけているだけで、ラキの言葉、またいつか会えるという約束が現実のものになるような気がして、温かな小さな希望が胸に宿るのを感じる。王族として地人とのいさかいを何とかする。カナタにも力になれることがあるかもしれない。カナタは不安な気持ちを振り払うように胸に手をやった。
その時、部屋の扉をノックする音が聞こえ、カナタは鏡の前から立ち上がり来客を出迎えるべく扉のほうへ向かう。
「カナタ様」
そこに立っていたのは、この国の宰相だった。宰相がこうしてカナタの部屋に来るなんて初めてで、カナタは一瞬息をするのも忘れるくらい驚いた。
宰相は腰までのプラチナブロンドを、今は肩の前にゆるく三つ編みにしていて、すっかりくつろいだ様子だ。顔がカナタのずっと上にあるので始めは気付かなかったが、口元に笑みを浮かべている。
一瞬上機嫌なのかと思ったのだが、次の彼の一言でカナタは凍り付いてしまった。
「地人を城に入れたそうですね」
「!!」
口元は笑みの形をとっているのだが、目は鋭い光を宿していて、彼が決して上機嫌でないことは少し見ればわかることだった。
カナタは固まった首をギシギシ言わせながら宰相を伺う。先ほどの反応で図星だとばれているだろうから、今更ごまかそうとは思わない。
しかしどうしてバレてしまったのだろう。あの部屋には隠し通路を通って行ったし、隠し通路は王族しか知らないはずで、道中誰にも会わなかった。
宰相はやれやれとでもいうように、大きなため息をわざとらしくついて見せた。
「やはりそうですか。ベネットがカナタ様が消えてしまったと報告に来たあとは、カナタ様は一人お部屋にいらっしゃるのでもしやと思ったのですが」
「…………」
どうやらかまをかけられたらしい。自分の素直な反応に情けなさを覚えながら、ここまで来たら逃げられないと腹をくくった。
「彼を、送って、きました……」
「そうですか。しかし、彼の存在はあなたにとって悪影響を及ぼします。思い出ごと消えていただきましょう」
「え?」
宰相がいったい何を言っているのか理解できず、真正面から彼の顔を仰ぎ見た。
しかし、宰相は素早くカナタの前から体をずらし、代わりに黒いローブを羽織った、見るからに怪しそうな人物がカナタの目の前に滑り込んだ。そしてカナタが何か反応する前に、さっとカナタの額に手を伸ばしたのだった。
たったの一秒――。
カナタは、目の前が真っ暗になって体の力が抜ける前に、宰相がカナタを支えるために手を伸ばしたのが見えた気がした――。