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カナタがラキにハンカチを渡していたころ、ベネットは城下町におりて用事を済ませていた。
古本屋に赴き教材用に何冊か本を見繕い、購入した。その場にカナタがいると思っていたのだが、古本屋にはカナタの姿はなかった。
店主にそれとなく確認してみたら、カナタはここ数日古本屋には来ていないという。それならば、勉強の終了後に門限ぎりぎりまでどこに行っているのだろう。
ベネットは不思議に思いながら、王城への道をゆっくりと歩いていた。
王城へと続く薄暗い枝分かれした小径を通り過ぎようとしたときに、ベネットの耳に聞き覚えのある声が聞こえた気がした。
「……カナタ様?」
木々が生い茂る暗い小径の先に、カナタがいるのだろうか? そんな馬鹿な……。
ベネットは気のせいだと思ってその場をあとにしようと思ったのだが、再びカナタの声が耳に飛び込んできた。
「…………」
二度もこんなところでカナタの声を聞いてしまっては、確認せずにはいられない。
ベネットはいつもだったら絶対に通らない小径へ入っていったのだった。
ベネットが確認しようと思ったのは、カナタの声が二度聞こえたからだけではない。そのほかに少年の声も聞こえたからだ。カナタと誰かが一緒にいるらしい。
こんなところで遊んでいないでちゃんと明るい場所で遊んだらどうかと声をかけるつもりで、ベネットは歩を進める。
いよいよ声が近くなったと思った時、ベネットの目に飛び込んできたのは、カナタと少年が並んで座っておしゃべりをしている姿だった。
仲良さそうに笑いあっている様子は、今日出会ったばかりではないことがうかがい知れる。
カナタがここ数日勉強を早く終わらせていたのはこの少年と会うためだったのだと納得して、二人に声をかけようと一歩踏み出した時、ベネットは見目麗しい少年の髪の毛と瞳に木漏れ日が差し込んでその色を見てしまった。
黒曜石。
彼は、地人だ――。
一瞬で悟ったベネットは、くるりと踵を返すと一目散に王城への道を走ったのだった。
カナタは謁見の間に向かって歩いていた。
ラキと別れてから城に戻った直後、ベネットから空の王がカナタを呼んでいると声をかけられたのだ。
普段、あまり接する機会のない国王の呼び出しに何だろうと内心首をかしげながら、長い廊下を急ぐ。
一つ気がかりなのは、父王からの呼び出しを伝えたベネットの表情が何となく暗かったことだ。悪い話でなければいいのだが。
胸に不安を抱えながら謁見の間の両開きの重厚な扉を開いた。
「来たか……。カナタ、こちらに来なさい」
「はい……」
謁見の間には父王のほかに母の王妃もいた。王座を挟んで王妃の反対には宰相が難しい顔をして従っている。
カナタは従来通りの挨拶をして俯きながら父王の言葉を待つ。
「カナタ……お前が地人と会っているというのは本当なのか?」
「!!」
予想していなかった言葉に、カナタの肩がびくりと跳ね上がった。
なぜラキのことを父が知っているのだろう。人通りのない小径でしか会っていないはずなのに。できる限り周りを警戒しながら話していたつもりだったのだが。
誰かがカナタたちを見てしまったのか、そして、それを空の王に報告してしまったという事か。
「…………」
なんて言えばいいのか、頭が真っ白になってしまったカナタは俯いたまま黙り込んでしまった。
否定したほうがいいのはわかる。しかし、父王の言葉は確認の形を取っていたが、こうして呼び出されてしまったのは、きっと誰かに見つかってしまったのだ。
そうであれば、もうラキと会えなくなるのだろうか。カナタの胸に悲しみが押し寄せてくる。
国王はカナタの沈黙を肯定と受け取ったのだろう。ため息を一つつくと、カナタに向かってゆっくりと言い聞かせようとした。
「いいか、カナタ。お前も空人と地人が長い間いがみ合っていることは知っているだろう。そしてお前はこの空の国の王女だ。王女であるお前が、地人と個人的に交流を持つと、国民の反感を買いかねない。空人たちの中には、地人たちを憎んでいる者もいるのだ。今後、地人との交流は控えなさい」
「…………」
カナタは、周りに分からないようにぎゅっとドレスのスカートを掴んだ。
そう言われると思って、今まで周りにはラキのことを秘密にしてきたのだ。
カナタにとって初めての友達。それが地人であろうと、そんなのカナタには関係なかった。
ラキはカナタの瞳を綺麗だと言ってくれた、笑いながら友達だと言ってくれた。そんなラキとの関係を、地人と空人とのいがみ合いのせいで終わりにしたくない。
カナタが俯いたまま無言を貫いているので、国王はもう一つ大きなため息をついた。そんな様子を見て国王の隣にいた王妃が口を開く。
「せっかく仲良くなれたのに、こんなことの為に離れるなんて、そんなの納得できないのはわかるわ。でも、どうか分かって。今、あなたが地人と仲良くすることで、空人たちを刺激することはできないの」
王妃までもラキと仲良くすることはだめだと言う。王妃の言葉を受けてカナタの胸は締め付けられた。
何でもっと周りを注意していなかったのだろう、もっと小さな声で話せばよかったと後悔が押し寄せてくる。
両親の言葉にも何も言えないカナタに、続いて宰相が口を開く。
「カナタ様がこれまで通り、その地人との関係を続けたいとおっしゃるのならこちらにも考えがございます」
その温度の一切感じない声音にカナタの背筋は凍った。
「か、考えって……?」
「その地人がこれ以上空の国に来られないようにいたします」
宰相は静かにカナタを見据えながらゆるぎない口調で言った。
「や、やだ……! 彼には、何もしないで!! お願い……!」
宰相は具体的には何をするか言わなかったが、カナタにはラキを傷つけることもいとわないと宣言しているようにしか聞こえず、必死に宰相や父王、王妃に訴えた。
自分のせいでラキに危害が加えられるなんてそんなことは耐えられない。
父王は国民に優しい王だったが、決まりには厳しい一面もある。
そんな王を支える王妃もいつでも王の為に行動してきた。宰相は王が優しいからか、常に冷静で時には冷徹な助言もためらわずにする、そんな人だった。
カナタが地人と会う事は国の為にならないと言われた以上、これ以上会うとラキにも迷惑がかかるというのは泣きたくなるくらい納得できた。
「では、もうその地人とは会わないと誓ってくれますね」
宰相がカナタを追い詰めていく。
カナタは抵抗することができなかった。
ラキと過ごした数日間が、まるで走馬灯のようによみがえってくる。
また明日と別れるときに約束をして王城に戻るのがどんなに幸せだったか。もうその約束もできないと思うと、じわりとカナタの目に涙がこみ上げてきた。
「わ、わかりました……。で、でも、明日、お別れをしたいです……」
カナタが精一杯、声を振り絞ると父王と王妃は顔を見合わせた。そして、一つ頷いてくれた。
「そうだな。ではベネットを連れて行きなさい」
正直、一人でラキに会いたかったのだがお別れを言いに行くことを許してくれただけでも譲歩だろう。カナタは涙をこらえながら頷いたのだった。
カナタはベネットといつもの道へと向かいながら、どんどん気持ちが沈んでいくのを感じていた。
ラキになんて話せばいいのだろう。せっかく友達になってくれたのにもう会えないなんて、とても自分の口からは説明できそうにない。
本当は手紙を書こうと思っていたのだが、どうしても何を書いていいのかわからず、何度も何度も書き直しをしていたら朝になってしまったのだった。
今日ばかりはベネットも何も聞かずに勉強を早く終わりにしてくれた。まだ太陽の高いうちにいつもの小径に向かえることに、昨日までだったらとても喜んだだろうにと皮肉に思う。
いつもおしゃべりをしている場所までもう少しというところまで来たところで、ベネットは離れて待っているという旨を伝えて立ち止まった。なので、カナタ一人で到着したのだが、まだ時間がいつもより二時間ほど早いせいか、ラキは来ていなかった。
仕方なくカナタはいつもの石に座ってぼうっとしながらラキを待つ。
どのくらい経ったのか、すぐそばからトンという軽い音が聞こえたかと思うと、短く息をのむ音が耳に入ってきた。
「カナタ? 今日は早いね。どうしたの?」
いつもと同じラキにお別れなんてしたくないという本心が次から次へとあふれ出てくる。しかし、そうしないとラキの身が危険かもしれない。それは絶対に嫌だ。
今日はお別れのためだけにラキに会いに来ることを許されたのでそんなに時間はない。早くしないとベネットがやってくるだろう。
カナタは泣かないように気持ちを強く持ってラキの目を見つめた。こんな時なのにやっぱりラキの目はキラキラと黒くて吸い込まれそうなほどきれいだった。
「ラキ……今まで、ありがとう……」
急にお礼を口にしたカナタに、ラキは面食らった顔をする。
「え? 何急に……。なんでもう会えないみたいなこと言ってるの?」
「……もう、会えない、の……」
ラキは、カナタのただならぬ様子に居住まいを正してじっとカナタを見つめた。
「なんで……? 僕、何かした? 僕のこと、嫌いになった……?」
ここで嫌いになったと言えば、カナタのことを忘れてラキは幸せに暮らしてくれるだろうか。
先ほどお礼を言った時はそんな考えは浮かばなかった。カナタの不器用な思いやりは痛む胸を無視して、思いついたそのままに口から絞り出た。
「……き、嫌い……。嫌い、になった……」
「……そうなの? やっぱり僕何かしたんだね……」
ラキは悲しそうな顔でカナタを見つめる。そのラキの顔を見てさっとカナタは俯く。今、自分がラキを傷つけてしまったのだ。友達と言ってくれたラキを。
「……もし、よかったら何をしたか教えてくれるかな……。僕、カナタに嫌われたままなのは嫌なんだ……」
もう限界だった。カナタの決意はあっけなく崩壊した。
「……違う……」
「え?」
「違う、よお!! 私、本当は、ラキの事、す、好きだもん……! ご、ごめん、なさい……。ラキは友達だから……!! ご、ごめ、なさ……」
「……カナタ……」
ラキは目の前で泣き始めたカナタを前にして、初めは驚いたように目を丸くしたのだが、カナタをいつもの石に座らせて自分はその前にしゃがみ込み、目線を合わせて掌でカナタの頭を優しく撫でた。
「何かあったんだね。落ち着いて、ゆっくりでいいから話せる?」
カナタは溢れてくる涙を両手で乱暴に拭うと小さな声でぼそぼそとつぶやいた。
ラキと会っていることを父に知られたこと、もう会ってはだめだと言われたこと、会い続けたらラキが危険だという事。
つっかえながら懸命に説明した。その間、ラキは遮ることなくカナタがしゃくりあげると優しく頭をなでて元気づけながら静かに聞いていた。
カナタが話し終えると、ラキは滑るようにカナタの隣の石に座り、遠くを見つめながら口を開いた。
「ごめんね。僕と会っていることでカナタに沢山迷惑をかけてしまったんだね。確かに地人が空人と会う事が大変なのは本当だよね。今まで楽しかったから、君たちに迷惑をかける事なんて考えていなかったんだ……」
「ラキのせいじゃない……! 私も、た、楽しかった」
カナタは俯きながら首を勢いよく左右に振る。ラキはカナタの初めての友達だ。友達とおしゃべりすることがこんなに心地よいものだとは想像もしていなかった。それを教えてくれたのはラキだ。
「カナタは今日は僕にお別れを言いに来てくれたんだよね」
「…………」
カナタは黙っていたが、ラキは悟っていたようだった。
ラキはズボンのポケットから深紅の飾り紐を取り出して、カナタに向き直った。そしてカナタの強く握りしめている手を優しくとると、開くように促し、その上にはらりとそれを置いた。
「これ、僕が編んだものなんだ。カナタにもらってほしい」
「……これ……」
「本当はただのハンカチのお礼のつもりだったんだけど。約束。いつかまた会おう。地人と空人が交流できるようになったら」
「……そんなこと、できるのかな……?」
不安そうにカナタが聞くと、ラキはいつものようにカラッと太陽のように笑って見せた。
「大丈夫! 僕が何とかするから! ほら見て。これ、おそろい。これがいつか僕たちが会える力になるよ。僕の飾り紐もカナタのハンカチみたいにマホウの力があるんだ」
ラキはにこりと自信満々で笑いながら、左手首につけた青い飾り紐をカナタに見せてくれた。
その笑顔を見たら本当に何とかなるような気がしてきてしまう。カナタは不思議に思いながらも気持ちは大分晴れてくるのを感じていた。
「ラキ、すごい、ね。本当に、またいつか会えるような気がしてきた。ラキ、本当の魔法使い、みたい」
カナタの言葉にラキは再び笑ったのだった。
「私も、じゃあ一緒に頑張る……! 空人と地人が会っても大丈夫になるように、頑張るね……!」
「カナタ……」
カナタの言葉にラキは嬉しそうに笑って、頭を優しくなでてくれた。
「そうだ、約束の証ってことで、これもカナタに持っててほしいんだ」
何かを思いついたとラキがカナタに差し出したのは、ここ数日ラキが空の国と地の国を行き来するのに使っていたゲート石だった。その輝きを目の前にしたカナタは、焦る。
「だ、だめだよ……! そ、それじゃあ、ラキが、使えないよ」
「大丈夫だって。今日とまた空の国に来るときは転送ゲートを使うから」
何でもないことのように言うが、転送ゲートに行くまでに空人たちに会う危険が付きまとう。今日はこのゲート石で帰ったほうが安全であるのは目に見えている。
カナタは何とかラキに考え直してもらおうと、口を開いた、その時――。
ヒュンッ――!!
「きゃあ!」
「!!」
何かがラキとカナタの間を勢いよく通っていった。それがラキの差し出していたゲート石に当たって欠片が砕け飛ぶ。
ラキは思わずゲート石を取り落として顔を庇った。カナタも目を瞑って腕で顔を庇った。
その直後、一瞬シンと静けさが広がったが、すぐに遠くから女の叫ぶ声がカナタとラキの耳に届いた。
「何をするんですか!! カナタ様に当たったらどうするんですか!! あの状況で矢を放つなんて正気の沙汰じゃありません!!」
ヒステリックに叫ぶ女性の声はカナタにはおなじみの声だった。ベネットは傍らに立つ弓を持っている空人数人に向かって両手を振り回しながら訴えている。
「ベネット……?」
「狙うのは、地人だけにしてくださいとあれだけ言いましたのに! カナタ様に傷を負わせたら分かっていますね、国外追放じゃ済みませんからね!」
「そんなの知ったこっちゃねえ! 地人がいるんだ! どんな犠牲を払ってでも殺すしかないじゃないか」
「!!!」
カナタはベネットがまくしたてる声と空人の男が答える声で、今何が起こったのか一瞬で理解して背筋が凍った。
ベネットはカナタがラキと話している間に、どこかからか空人たちを連れてきて、ラキを狙うように依頼したらしい。
ラキとはもう会わないと言ったはずなのに、こんな暴挙に出るなんて信じられなかったが、事態は一刻を争うようだ。あの空人の男たちは、おそらく地人を殺したいほど憎んでいる空人たちだろう。
ちらりとカナタはラキのほうを見ると、ラキも状況を把握したようだ。先ほどとは打って変わった厳しい表情を浮かべて空人たちを凝視している。
カナタは砕けたゲート石を拾い上げた。それをラキに渡した。ラキは数回石を擦ってみたがそのあと首を横に振った。
「だめだよ。もうこの石はゲート石としての力を失っているみたいだ。悪いけどカナタ、転送ゲートまでの道を教えてくれる?」
カナタは首を横に振った。
転送ゲートは街を通らなければ着かない。それにはベネットとあの空人たちをどうにかしなければならないのだ。
それを必死で説明すると、ラキはますます厳しい顔で黙り込んだ。
それを見つめながら、カナタは一つ考えが浮かんでいることを話した。
「ラキ、き、聞いて。空人の翼の羽には、少し空を飛ぶ力があるの……。落ちるのが、遅くなる、っていう程度なんだけど……私も、一緒に降りるから、直接、地の国へ、降りない……?」
提案されて数秒後、ラキは力強く頷いて見せた。
「うん。よろしくカナタ」
カナタはラキを王城の方向へ導きだした。駆け出したときに後ろを振り向いたのだが、ベネットと空人の男はまだ言い争っていた。