003 変態と内なる悪魔
当てもなく森の中を歩いている。気分は平常。空は晴れ。空気は澄んでいるしハイキングのようなものだ。
くっそ、やばい。もうどれくらい歩いたか。ハイキングだろうとも食料がなければ死ぬだけだ。
もう異世界三日目だというのに街どころか村さえも見えない。こういうときに限って獣の気配がまったくない。せめて水だ水。
一応は遺跡を出るときに井戸で水をたらふく飲んだが、そんなものは排泄物として消費してしまっている。
そのあたりになっているベリーらしき果物を摘まみ、乾きは押さえているが量が少なすぎる。
生水飲むとやばいらしいが、それでもいい。水カモン!
太陽は中天。もう正午かな?
それでも川は見つかりません。川は高望みしすぎか。こうなったら水たまりでいい。
雨も降らないので、それも高望みだろうか……。
こんなとこで死にたくないなと考えながらも、太陽の位置を確認しながらまっすぐ歩いていく。
〈周りは木ばっかりでなんもないっすね~〉
まったくだ。
遺跡があったんだ。獣道の一つでもあるべきだろう。
こうなったら木でも切り刻んで胃袋に放り込んでみるか? だめだ、粉系を摂取するにはやはり水分が欲しい。
異世界舐めてたわ。
〈これだけ歩いたら何かしらイベントがありそうなもんすけど、クソゲーかもしんないすね〉
「……トシ、ここは現実だ」
目に入る質感、耳に届く周囲の鼓動、鼻孔に漂う湿り気、感じる全てが現実だと指し示している。夢の中やゲームとは明瞭感が違うのだ。
〈いや~、わかってはいるんすけどね、スキルとかあるとそう思っちゃうんすよ。そもそも剣に転生ってなんなんすか? たしかに『俺にもでっかいエクスカリバーが欲しい!』とか望んだのは俺なんすけど。生物じゃないとかなしっすよ。方向性が少し違うし、悪魔の取引じゃないんすから〉
「チートを望んでそれがもらえただけまだマシだろ。俺なんかなんもないぞ。あると言えば若返りくらいのもんだ。むしろリーチが減って、サバイバル状況じゃデメリットだっていう」
〈30歳で若返りを望んだんすか? ありっちゃありなのかもしれませんが、ミコトさんは無欲っすね〉
望んじゃいないし。願い事なんて『魔法使いになれますよーに』ぐらいしか思いつかない。
〈いやでも、あのでかいオークとやり合ってるときの無敵感からすれば、実は強力な肉体でももらってるんじゃないんすか? 子どもの動きじゃなかったっすもん。俺のスキルで身体能力向上があったとはいえ、躊躇なく自分よりでっかい剣を振り回してたっすもんね〉
途中で力が抜けて感じたのはそのせいか? あのオークにトドメ刺したのこいつのせいもあるわけじゃねーか。
「なにも望んじゃいないけどな。ただじいさんと会話して別れただけで」
〈そうなんすか? 願いとか聞かれなかったんすか?〉
「聞かれなかったな。お前は聞かれたのか?」
〈でなきゃ今頃パニックでしょうよ。あんな怪物のいる世界っすよ? チートの一つももらえてなければ絶望感必死っすよ〉
マジかよ。俺も欲しいなお手軽チート。剣にはなりたくないけど。
「もし望んで手に入るなら魔法の一つでも欲しいもんだ。結局30歳になっても魔法使いにはなれなかったようだしな」
異世界に転生して子どもになっただけじゃないか。まあ眉唾だから一縷の望みをかけての禁欲の断行だったが……親父にそそのかされなければ良かった。いや、うすうすは気づいてたよ? ただの眉唾の都市伝説系の話だって。少しだけだよ少しだけ、本気にしてたのは。
〈……え?〉
そこでトシから驚いたような声が上がった。
「なんだ?」
〈え、あ、いや……、30歳で魔法使いになるって、もしかして……〉
…………腹が減って判断力が欠如していたのだろうか。余計なことを言ってしまったようだ。
〈ミコトさんってもしかして、……童貞?〉
「やめろおおおおおおおおおおおおおお!!」
は、はずかしい! こんなバレ方をするなんて!
「……お前はどうなんだよ」
感情は一瞬でコントロール。無表情は得意です。恥ずかしくなんてないって感じで振る舞う。大丈夫だ、面の皮には自信がある。
しかし、なんか雰囲気からしてちゃらいんだよな、こいつ。余裕で卒業してそう。
〈俺っすか? ん~、一応、童貞ってことになるんすかね?〉
なん、だと……? 俺はまさかこんなところで生涯の友を発見してしまったとでもいうのか?!
「うそだろ? お前、たくさん女性経験ありそうじゃん。俺に気ぃ使ってんの?」
俺の中で考えがぐちゃぐちゃになる。童貞でいてくれと言う願いと、年下に無理して気を使われるとめちゃくちゃ惨めになるという思いだ。
〈まぁ女性経験は多い方っすよ〉
やっぱり嘘じゃねーか! なめんな! 潰すぞ!
〈でも子作りしたことないんで、童貞を卒業したって言っていいのかどうかは微妙なんすよね~〉
…………ん?
「どういうことだ」
〈ああ、いや、俺って女はたくさんいたんすけど、前の穴だけは使わないようにしてたっていうか。子どもとかいらないし。常に生がいいっすもん。つけるとかナンセンスっすよ〉
…………。
「どういうことだ詳しく言え」
ああなんだろう。この内に広がる渦巻く感情の嵐は。
〈たとえば後ろの穴とか? 口とか胸とか足とか素股とかっすね。もちろん手も使わせていましたけど。まあ童貞仲間なら隠す必要ないっすよね! よろしくっす!〉
な・に・が・よ・ろ・し・く・な・ん・で・す・か。
挑発してるとしか思えない。俺は剣帯さら外してトシを地面にたたきつけた。
〈痛っ! 何するんすか?!〉
一発踏みつける。
〈アヒンっ!〉
そうか、これが本物の嫉妬。こんなに強烈な嫉妬は初めてだ。
風にも負けず雨にも負けず、クラスメイトが女とイチャイチャしてても目を背け、合コン関係や出会い系サイトで盛りあがってても聞こえぬふり。友達が一人もいなかった俺は、それを誰に相談できることもなく。ただ友達を作るためだけにゲームの攻略本片手に会話を盛り上がらせるためのネタを仕入れ、はやりの小説を読破し、スポーツを一緒に遊びたいからとの理由から一人で野球の練習、一人でサッカー、バスケ、バレーのソロ打ち込みといろいろこなしてきた俺だが、嫉妬に駆られたことは一度も無かった。
「……お前それどうなの?」
もう一度踏みつける、さらにねじりを加えた。
〈……ミコトさん〉
「なんだ?」
〈俺、いままでいろんなプレイに手を出してきましたが、新たな感覚に目覚めたかもしれません。……責任、とれますか?〉
「きもい」
俺は飛び上がった後、着地ざまに両足で踏みつけた。ねじり付き。
「業がっ、深すぎるッ!」
柄を掴み、近くの木に剣の平を強めに叩きつけた。
〈ナイススイング!〉
やかましい! サムズアップしてそうな朗らかさがうざい。
深く深く深呼吸をして気持ちを落ち着けることができた。
〈俺が女に時間を取らせるのは望むところなんすけど、逆はちょっと。子どもなんてできた日には……。自慢じゃないっすけど、貢がせたことはあっても貢いだことは一度もないっすから〉
「クズじゃねーか!」
落ち着けたはずの心が再燃化した。
もう駄目だコイツ。少なくとも友人になれる気がしないわ。
〈クズじゃないっすよ! ちゃんと喜ばせていたっすもん! デートもしてあげてたし、プレゼントも渡してたっす〉
「……なんだよ、プレゼントって貢いだことあるんじゃねーか」
それならいいんだよ。女の子には優しくな?
〈えっと、プレゼントって言っても、他の女にプレゼント買わせてただけっすけどね。貢いだら負けだと思ってますから。自分で稼いだ金はちゃんと老後のために貯蓄してました〉
「ファイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
大剣を全力で投げ捨てた。
このまま歩き去ってやろうかとも思ったが、こうみえても同郷だ。胸中の思いをしまい込み、遠くで木に突き刺さっていた大剣のところまで歩み寄ることにした。
そしてその前まで近寄ると、大剣を見下ろしながら言い放つ。
「俺の中には悪魔が住み着いている。その昔、父親に埋め込まれたものだ」
〈はあ〉
要領を得ていない感じの返事である。まあ仕方ないことだとも思うが。っていうか字面だけみたら俺の親父って頭いっちゃってる感じの人だな。あながち間違いじゃないけど。
「それは傲慢、憤怒、嫉妬、怠惰、強欲、暴食、それに色欲だ」
〈知ってるっす知ってるっす! それって七大罪っすよね! ……ミコトさんって、もしかしていける口っすか?〉
なにが悔しいかって、こいつが言っている『いける口』が何をさしているかがわかってしまうことだ。
「……多少はな。まあ、それで内なる悪魔たちはいつも俺にささやいてくるんだ。たとえば傲慢さんだったら『世界の中心はお前だ』とかな」
〈huuuuuuuuuuuuu!!! 超リスペクトじゃないっすか! ちなみに色欲さんはなんて言ってるんす?〉
死ぬ前に一度でいいからおっぱいを揉みたい。
一度死んでるわけだから、ついぞ叶えることはできなかったと言ってもいい。
「……色欲はいいんだよ。問題は嫉妬だよ」
「嫉妬っすか? ちょっと待つっす……『お前の物は俺の物、俺の物は俺の物』っすね?」
残念。それは強欲さんの分野だ。傲慢さんも軽くカバーしてるけどな。
「俺も嫉妬は飼い慣らせていない。そして嫉妬さんはこう言っている」
俺は切れかけている身体能力向上を上書きするために一度、トシの柄を握ってから再び離した。
「羨まCぃいぃぃぃぃ!!」
右足蹴りぃぃぃぃぃ!
俺の靴族は柄の頂点を叩き、その切っ先をさらにめり込ませた。
〈アフンッ〉
深呼吸をもって嫉妬を抑える。俺はこれからこいつを押さえ込んでいかないといけないのか。……欲を満たすって気持ちいいよね。
「そういえばだが、何か聞こえないか?」
身体能力向上のおかげか遠くからなにやら聞こえる気がする。
〈そうっすか?〉
「ああ。甲高い音がわずかに」
これは金属かなにか、硬い物がぶつかり合うような音だ。
トシを大木から引き抜くと音のする方へと木々の隙間を抜けてゆっくりと近づいて行く。
そこにいたのは見覚えのある奴だった。
イノシシの顔が特徴のオークさんだ。体は俺よりも大きいが、ざっと170センチってところだろう。その後ろにちっこい人影もあった。……鼠っぽい? 俺の身長と一緒ぐらい。120センチってところか。
鼠ちゃんは布っぽい服だが、オークさんは鈍色の鎧を着ている。
まあそして注目するべきは相対している奴だな。
ヌメったような木肌に細長い鏃がいくつもついたようなフォルム、異形の怪物だ。
一瞬、追いつかれたのか緊張したが、先ほど見た固体よりも一回り小さい。どうやらアレとは別個体のようだ。
周囲の地形に注意しながら、そっとそこから離脱するように後ずさっていく。
〈あのオーク不利っぽいっすね。なんか怪我しながらメリオンって種族の奴を守ってるっす〉
おいしゃべるな、気づかれる。俺は人差し指を口の前に立てお静かにのジェスチャーをする。
メリオンってのはあの鼠っぽい人影のことだろう。
〈大丈夫っす。これは念話のスキルっすからミコトさんにしか聞こえてないはずっす。まあこっちから話しかけるしかできないみたいっすけど〉
それはなんという便利スキル。
まあだからと言ってオークを助ける義理はない。というかあれに割って入ったら集中攻撃の憂き目もあり得る。
〈さっきのでっかいオークがレベル67だったじゃないですか。それであのオークはレベル18。メリオンはレベル5。ここまではいいんすけど、さっきと同じで、あの怪物、レベルが見えないんすよね。ミコトさんは見えてます?〉
……いや、見えてますって……見えねーよ。俺はサイコパスじゃねーからな。
首を横に振った。
〈なんなんすかね。不気味すぎます〉
徐々に距離を取れば木々に阻まれ、だんだんと姿が見えなくなっていく。オークが持っていた剣はボロボロだった。怪物相手にはどうやら刃が立たなかったのだろう。
〈なんか無情っすよね〉
オークが斬りかかるものの、それは触手にはじかれ、逆に左腕をえぐられていた。触手でも捕食できるのは驚きだ。
オークが右腕一本で剣を構えいたのが印象的だった。
〈世の中、弱肉強食っすもんね。たぶんあのオークが食べられたら、震えてる方のメリオンも生きたまま食べられちゃうんでしょうね〉
弱肉強食か。たしかにそうだな。俺もいつあのオークの立場になるかわからない。この世界じゃ強そうな奴とは相対しない立ち回りも必要になってくるだろう。生きたまま食べられるなんてごめんだ。
少しだけ、過去が思い返される。
弱い物いじめの現場、じゃあない。
一方の男が強かっただけだ。そしてそいつは傲慢で。二人の若者はその男の逆鱗に触れただけ。男は悪い人間じゃなかったと思う。いや、そう思いたいだけかもしれないが。
ただ、若者の方は日頃の素行から悪かった。多人数を絶対の安全圏と勘違いして、男をからかい、そして返り討ちにあった。
そして周囲は若者をかばった。それでも男は謝りも後悔もしなかったが。
だが、それはやはり傲慢で、社会というものをわかっていない行為で、それが友達の一人もできないことに繋がっていることも理解していて、でも、それでも意見を変えないで……。
〈たしかにオークとうちらじゃ姿形が違いすぎますし、しょうがないっすよね〉
……後ずさりをやめる。
静かに静かに息をか細く長く吐き出した。常に握るようにしているトシの柄をさらに強く握り絞める。剣帯から外す前に小さい方の剣を地面に静かに置いた。少しでも体を軽くしようと考えてだ。先制で投げ飛ばしても良いが、ヘタをすればオークに当たる。
……まあ、なんとかなるだろう。死ぬ気が全くしないしな。
「やるぞ」
俺は一言、それだけトシに語りかけ走り出す。
〈はい?〉
どうやらオークは気づいていないが、怪物には気づかれた。が関係ない。
身体能力向上、これはすごい能力だ。持つ能力、走る能力だけじゃない。視力、嗅覚、触覚、すべての感覚が鋭くなっている気がする。
周囲の木々は生い茂っている。緑の息吹を鼻まで届け、湿った空気は肌に潤いを与える。
……一撃だ。相手が油断してくれている。ソレで決める。そうすれば最悪オークが敵対しても1対2だ。
三角飛びの要領で木の幹を蹴り飛ばし高く飛び上がった。怪物はこちらに注意を向けており、それにオークも不思議がってはいるものの、周囲を気にする余裕はないようだ。
さらに幹の中段を全力で蹴り上げ、一気に怪物へと肉薄。
そのまま大上段に構える。
俺の体重は子どもだけあって軽いだろうと思う。
だが身体能力が向上し、大剣を持てているだけであって、このサトウトシオと名乗る鉄塊は並の重さじゃない。スキルが無ければおそらく持てないほどに。100kgぐらいは余裕で上回っているんじゃないだろうか。
それが4mほどの高さから落ちてきたらどうなるか。
とくとご覧じろ。
俺は怪物の頭上へと勢いよく大剣を振り降ろす!
「――ハッ!」
だが、予想外のことが起こった。
「――ッ!?」
はじかれてしまった。かなりの硬度である。まさかの外骨格ヤロウなのか。いや、内骨格でも硬いヤロウはいるだろうけど。
切り捨てることが出来たのは一本の触手のみで、もう一本の触手に阻まれてしまった。切断された触手からは緑色の液体がこぼれている。葉緑素でも入ってんのか? クソが。
ってかてか、これ、まずいよね?
残った触手がこちらを襲おうと、その先端がこちらに向けられた。
俺に驚くオークは呆然♪ 怒った怪物うるさく憤然♪ 命の灯火一気に風前♪
表情は真面目だが、ノリノリに韻を踏む頭の中、両手に握る剣より声が響き渡った。
〈――前方に俺を構えて!〉
トシである。言うとおりに青眼の構えを取る。ちなみに剣道は嗜んでいない。
〈ふふっ、覚えてるっすか? 俺、言ったっすよね? 火の魔法が使えるって〉
言ってたか? よく覚えていない。自慢げである。
〈怪物め! 俺の怒りを受け止められるか! さあ地獄の業火にやかれるがいい!〉
っすっすっす~的な口調がなくなっている。その呪文なのか前口上なのかわからないが、その言葉の後にトシの刀身が淡く光った気がした。
〈火砕流!〉
猛っていた怪物の足下からマグマのような火が勢いよく湧き上がってきた!
すげーな魔法。
オークさんは慌ててメリオンをかばうように飛びしざった。