001 主人公 大地に降り立つ
令和に便乗させて頂きました。よろしくお願いします。
(注)この話はフィクションです。実在の人物や団体などとは一切関係ありません。
そこに意味があるように見えてもそれらは偶然の産物であり、現実を侵食することも意味も無い言葉の羅列です。
「……こえ……か?」
意識が朦朧としている。
「……こえ……るの……か?」
眠りから覚醒しようとしているのだろうか。
「……ぱい……か」
声がこの身に届いている。
目を開けようとして、己の目を開くためのまぶたが無いことに気づく。
まぶたが無いということは目を開けている? 何も見えていない。俺には目がついていないのだろうか?
とりあえず異常事態だとは感じたので注意深く起き上がろうとするも、手も足もないことに気づいた。
何が起こっている?
「……ん? なんだ聞こえているのか?」
朦朧とした意識が収まってくると、声がはっきりと聞こえてきた。
「ほれ、何か反応するんだ」
声のする方向を見た。……見た? 目が無いのに?
「言葉は理解出来ているようだな。何かしゃべってみろ」
言葉……しゃべろうにもこの身には口どころか空気を送り出す体さえないように感じる。
「しゃべり方がわからんのか? 理解しようとするな。欲望のままに感じるままに思いを吐露するのだ」
察しの良いじいさんだな。
しゃべりたくないわけではないので、とにかく普段からしゃべっていたように声を出そうとする。
「おっぱい揉みたい」
「…………」
沈黙が流れた。
じいさんは胸を隠すようにして一歩後ずさった。やめろ。きもい。
「しゃべろと言ったからしゃべっただけだ。意味があるわけじゃない」
じいさんは訝しむようにこちらを観察している。
「……まあ、よいわ。名前はあるか?」
名前? そうだな、俺には名前があったはずだ。うん、思い出せる。俺の名前は熊代尊。普段は優しいが怒ると怖い普通の母親と、何をやらせても出来の良いと言いたくなる普通の弟が家族にいる、ほぼ普通な三十路前のアルバイト戦士だ。
ん? 三十路? たしか明日が誕生日だったから……あれ? 俺ってついに30歳になったのか? ちなみに、どうでもいいことだが中二病を煩っている普通じゃない父親もいた。
「ミコトだ」
じいさんはゆっくりと一つ頷くと、体をふるふると震わせ始めた。……泣いている?
そのまま指で目元をなぞるとこちらに視線を向けてくる。
「ではミコトよ、私から頼みがあるのだが聞いてはくれないか?」
見ず知らずのじいさんに、いきなり頼まれ事というのも不思議な感じがする。でも断る気にもならない。
自身は頷くことなどできる状態ではないと思うのだが、なぜか頷けたので気にしない。
「俺にできることなら構わない。だが、その前にこの状況を説明できないか?」
頷きつつ答えてくれる。
「完璧にとはいかんだろうが、疑問に答えることぐらいはできるぞ」
「ならまずは……、なぜ俺がここにいるのかわかるか?」
なにかいろいろあった気もするのだが、うまいこと前後の記憶が思い起こせない。怠惰な気持ちと共に質問してしまう。
「原因というなら死んだからだな。……いや、正確に言い表すことは難しいが、まだ死んでいないかもしれぬし、これから死ぬのかもしれぬ」
……ふむ?
「それによって私が君をここに呼び寄せたからだ。君が必要であったからな。超常の力が使われることによってミコト、君はここにいる」
よくわからんが、あれだな、宇宙人にアブダクトされているわけではなさそうだ。そんな気がする。
そして話を信じるなら、俺は死ぬということからは逃げられないようだ。たぶん不老不死の薬を手に入れることは、父母が許しても天地が許してくれないのだろう。
「元いた場所には戻れないってことか?」
「それは不可能と言わざるをえない。少なくとも私の力ではな」
神のごとき力で戻れないなら不可能と思って差し支えないだろう。……いや、まて。その前にそもそも、このじいさんは、
「あんたは神なのか?」
じいさんは一度面食らったような表情を浮かべるものの、すぐに一つ鼻で笑った。
「……いいや。おそらく君の思うような神ではない。神というのは何もしてくれないからな。いや、全てを起こしているのが神であるとも言えるのだが」
さっきからこのじいさん反証しすぎで理解しにくい。まあでもなんとなくわかった。
「それじゃ、じいさんの頼みっていうのを聞かせてくれ」
「あまり過去に固執せんのだな。私など、それだけで見苦しくも生きながらえて来たというのに」
自虐ってるのがありありとわかる。
肩をすくめるのにとどめた。肩、無いけど。
「ありがとう」
そう言うとじいさんはとつとつと語り出した。
曰く、俺にとっての異世界が、悪の手で染まろうとしており、すでに影響を受けている部分も出てきているのが現状である。
曰く、その悪は『世界』にとっての悪である。
曰く、その者はドワーフという種族である。
曰く、すでに犠牲の数は人間という枠に収まらず、数え切れない状態である。
曰く、このままでは取り返しのつかない事態になり、およそ地獄が顕現するというのが予測である。
故に、その者を消滅、もしくは無力化して欲しいらしい。
異世界ねぇ……。親父に鍛えられてなかったら噴飯ものだな。
「……疑問ができたんだが、なんで俺が選ばれた?」
じいさんは首を横に振った。
「私が選んだわけではない。言うなれば運命だ」
「運命?」
じいさんは頷いた。だが質問には答えないらしい。疑問に答えてくれるって言ったのに!
まあ、いいけど。
「ちなみに消滅のさせ方とか、どこに行けば良いとかのガイドラインはないのか?」
「ドワーフと言えど生きている。首をはねれば殺せるだろうし、栄養を与えないような状況にできれば餓死させることもできるだろう。だが奴はおそらく不老の加護を持っているはずだ。油断はするな」
……カタコト英語も通じるんだな。まあアジア系の顔つきではあるし、こうして日本語を話しているわけだし。
「……が、すまぬが場所まではわからん。そう遠くないはずだ。でなければ失敗するだけであろう。全ては神のお導き。全てが神の思うがまま。私とミコトがこうしていることも神は見ているのかもしれない」
その顔に浮かぶのは諦観だ。その顔肌に浮かぶ年輪は深く、そして数多い。
「さて、他にも聞きたいことはあるか?」
考えるまでもなくたくさんある。だがまとめて簡略化して聞いてしまおう。
「見た感じ、俺に成功の芽はありそうか?」
「ある」
断言だ。そう言ってくれたなら頑張ってやろう。暇だしな。
他人に認めてもらうってのは思ったよりも心地いい。
……寄り道しすぎて世界の終わりに間に合わなかったらすまない。
「俺は俺なりにしか行動できない。これはあんたに聞いてるんじゃない、宣言だ」
驚いたような顔と共に好々爺然とした笑顔が少しまぶしかった。
「当然だな。佳き日、良き時、善き人にと願っている」
目の前が薄れていく。新たな場所に向かっているのが感覚でわかった。
「じいさん、あんたの名前を聞いていなかったな」
「アルルカンと名乗らせてもらっている」
最後にじいさんの顔を見ると、その口が新たな言葉を紡いでいたのを意識の端で捉えていた。
曰く、物事をなしえるのにもっとも大切なことは、やる気である。
うん、ごもっともである。
+ + + +
目が覚めたらそこは血の雨を降らせる戦場であった。……なんてことはない。
のどか、そう言えるぐらいには静かで日がらんらんと降り注いでいる。気温も過ごしやすい適温だ。
「遺跡か?」
石畳の上に二つの足で立っている。俺は目を開けて棒立ちになっていた。
遺跡の所々に緑が茂っており、手入れがされていないことがうかがえる。
そんな遺跡の中心部分とみえる場所に円形の台座があった。そこには鉄塊とも言いたくなる鈍色と黒色の剣のようなものが突き刺さっている。
「伝説の剣……」
これはあれだろうか、抜くと勇者とか英雄に選ばれるとか言ったそういうたぐいの……。
いやでも、俺が倒すのは魔王じゃなくてドワーフらしいしな。そういえばドワーフの造形について聞くの忘れてた。
まあでもドワーフっていえばあれだろ? 毛むくじゃらのちんまい……ん~、俺の常識が通じるかはわからないが、まあなんとかなるか。
異世界っていうわりには空気もおいしいし、体に感じる重力も多少の違和感があってもそれと言って不思議には感じない。地球とそう変わらなさそうだ。
おかしいところといえば、
「まるで子どものようだ」
手が小さく見える。脚が小さく見える。体をペタペタ触ってみてもよくわからない。肌はもちもちしてる。
拳を握りしめる。
「そうか、俺は子どもになったのか」
女湯に入り放題だね、ってことぐらいしか思い浮かばない。
台座の大剣に近づく。……でかい。
自分の身長が120センチというところなら、見えている部分だけで150センチぐらいある。……でかすぎじゃね?
大の大人でも振り回すことに苦労しそうだ。というかそもそも持てるのか……。
俺は思った。これ必要なのかな?
ゲームの最初に武器が用意されていたら使うのが常だろうとは思う。でもこれはゲームじゃないし、あのじいさんが用意したのではない限り、無作為に存在しているのだと思う。
というか子どもの腕力で抜けるのだろうか。
両刃の剣で柄の部分では身長的に引っ張りにくいことから、平の部分を両手で挟んで上方へ引っこ抜こうとする。
引っ張ったそれはもう引っ張った。血管浮き出て神経プッチンプッチンってぐらい引っ張った。無理だった。
これは俺にはまだ早いってことだな。だが、そう簡単にあきらめるような性格はしていない。とりあえずいつの間にか履いていた新品と思わしきスニーカーでコツコツと蹴って感触を確かめてみる。
そしてそこからの左足の屈伸も使った右足靴底蹴り!
「…………」
子どもが蹴り飛ばした割には威力のある衝撃と音だったが、びくともしない。
むしろ蹴りの衝撃でこっちが吹っ飛びそうだった。
せめて日本刀のように細かったら折れてたかもしれないがだめだった。
周りを見渡せば朽ちたせいだろう、石レンガが無造作に転がっている。その石レンガで床を軽く殴ってみれば、風化しきってる感じもなくまだ強度は保っているようだ。
それを構え、思い切り剣の柄のあたりを殴りつける。
石レンガが砕けた。
こうなったら柄の部分だけでもへし折ってやる。
柄の部分だけでもあれば汚物をよけられるかもしれないし、G的な生き物を叩きつぶすことができるかもしれない。そこらの木の枝で対応できるかもしれないが、耐久値が高いに越したことはないだろう。G的な生き物なんて1匹潰したら20匹を叩きつぶさないといけないからな。昔、そのノルマを達成するために近くの公園まで出向いたことがあるほどだ。
しっかりと柄を握り、両足を剣の平に押しつけ一息ついて構える。
そして全背筋力でもって強引に折りにかかった。
そして幾ばくかもしないうちに、
「……何か聞こえた?」
力を抜いて柄を握ったまま耳を澄ます。
「……やっぱり何か聞こえるような気がする」
だがそれは風に乗って耳に届いたといった感じではない、何か脳に直接響くような……。
剣から降りて耳を澄ませながら周囲に気を配るも何も感じない。俺に高機能なレーダーがあれば別なんだろうが無理だ。
冷静になって考えて見れば、剣と戯れている場合でもない。まずは水と食料、できれば寝床の確保もしてしまいたい。
周囲を探してみれば水は生きている井戸があった。
遺跡の外に出てみれば食料はそこらに生えている。緑色しかないが、軽くモグモグしてみたところ毒はなさそうだ。普通ならパッチテストの一つでもするのかもしれないが、大抵モグモグしてみれば問題あるかどうかはわかる。まずいのは調味料もないのであたりまえだろう。果物でもあればよかったが。
遺跡の外に出てみれば動物の気配もする。石も落ちているので確保。大リーガー張りに全力投球。投げ出された石に気づいた鳥は即座に飛びだち避けてしまう。
「くそ!」
だが投げ出された石は近くの枝にぶつかり跳弾。威力が減衰しているものの鳥にぶつかりその身体をよろめかせる。
次弾装填済み!
「ふっ!」
そして毛抜きまでされてしまった鳥は石ナイフによって調理され俺の胃袋へ。植物たちも胃袋へ。そしておねむの俺は寝袋へ……といけば完璧だったが、俺は屋根のある石畳の上で横になっている。
「真っ暗だ」
といっても星明かりはある。あちらに見える月は赤く、もう一つは青い。地球じゃないんだなぁと感慨深くなる。
ここからでは大剣の姿も見えない。意味があるわけではないが今夜は星明かりに照らされながら大剣を見ながら寝ることにする。
ちょっとだけ肌寒かった。
+ + + +
目が覚めたとき、目の前に小さい男児が一人こちらを見ていた。何を考えているかわからない目でずっとこちらを見ている。
とりあえず見つめ合っていても仕方がないと周囲を見回そうとするも、首が動かないことに気づく。それどころか腕も手も足も腰も口すらも動かないことに気づく。声が出ない。え? なに? 何が起こってるの? パニック。
ここはどこ? わたしはだあれ? 私はサトウトシオ。砂糖と塩なんて馬鹿にされて早20年。そんな声にも負けず青春を謳歌してきた日本人だ。
家にいればオタクの贅を百と尽くし、東に赴けば女を百人侍らせ、西に行けば百の財を成し、北からお呼びがかかれば百の知恵を与え、南にてぐーたらな日々を存分と過ごす。弱点と言える弱点と言えば孤独とひもじさを知らないことだろうか? あと親父にぶたれたことがない。
そんなことを考えていると、子供がいきなり近づいて来た。
相手は子どもだというのに、なぜか威圧されてついつい後ずさろうとしてしまった。だが体が……動かない?
もしかしてアカネか?! あいつが俺を拘束してこんなところに放置したのか?! いや、もしかしたらミキかもしれない。あいつもメンヘラ気質があったからな。
だがどうやら俺は拘束されているのではないようだ。だって緊縛されているみたいに締め付けられてる感じなんてないもの。数々のハードプレイをこなしてきた俺に死角はない。
ならどうして?
近づいて来た子どもは体を両手で挟み込んできた。
どうやら俺を持ち上げたいようだ。けどさすがにお前じゃ無理だろ。体格差がありすぎる。
顔を赤く染めて頑張っているようだが無理無理。
と思ったら、子どもは俺を離すとおもむろに右足で蹴り飛ばしてきやがった!
所詮は子どもの蹴り。硬いものでも蹴ったような音にはびびったが、大して痛くはない。そう、大して、だ。少し痛かった。
許さんぞクソガキが。おとなしくしてやっていれば調子に乗りやがって。全ての大人が子どもに優しいと思うなよ。
俺はガキの顔を死なない程度に蹴り上げてやろうとした。だが、できなかった。
もしかしてエミか? あいつに薬でも盛られただろうか? あいつ騙されやすいからな。狡猾でもあるアカネの口車にのった可能性もある。
次に子どもは辺りを見回すとおもむろに石レンガを拾い上げていた。
……おい、ちょっと待て、それは洒落にならん。子どもの腕力だろうと当たり所が悪ければ一撃で逝ける。ぐわぁあぁあぁあぁぁぁぁぁ、しかも頭狙いかよ!? だあ待て話せばわかるおいやめろ許してくださいっ!
……子どもに慈悲はなかった。そうだよな。こいつら平気で虫の手足とかもいだりするもん。
だが残念だったな! どうやら石は脆くなっており、我が鋼の肉体は大して傷つかなかったようだ!
だから無駄だと言ったのだこのクソガキめ! あとけっこう痛かったぞ。
いったい何をしたいのかわからないが、お次は体によじ登って頭を掴まれた。……あれ、俺の頭って子どもに掴まれるほど小さかったっけ?
無理だと思いつつも頭を見ようとすると、なぜか視界が動き、子どもの手に握られているのが見えた。子どもが掴んでいるのは剣の柄に見える。……うん、何だろうね。わけがわからない。首は相変わらず動かないし、体ももちろん動かない。そしてなぜか頭を握られているような感覚がある。
認めたくない事実だ。そう、これはたぶん夢。たぶんきっとそう。目を覚ませばマイハニー達が現実で待っているに違いない。早く目覚めないといけない。目をつむる。視界が閉ざされる。まぶたを閉じる感覚がなかったのは気のせいだ。
さあ目を開こう。そこには穏やかな日々が待って……って、ぐぉぉぉぉぉあがぁぁぁぁあああああああああ!! いたいいたいいたいっ!!
やばいって! これ今までで一番の痛み! これやばい!
おいガキ今すぐやぁめてえええええ、イダイイダイイダイ?!!
思いが通じたのかクソガキは力を入れるのをやめてくれたようだ。オーライ、マイフレンド、クソガキ、少しはお前のことも認めてやるよ。だからもうやめろください。
くっそ、親父にも打たれたことないのに、こんなガキに良いようにされてしまうとはな。……なんだろうこの新感覚。アカネにいろいろされてもあまり感じたことのない感じだ。
まったく、俺が受け付けているのは名誉と賞賛、それに女の子からの熱い愛だけだというのに。
最後のは特に痛かったぞ、めっっちゃ痛かったぞ。言うなれば剥き出しの傷口に塩を塗られてた感じだった。そんなことされたことないけど。
はぁぁぁぁ。もうやだ。おうち帰りたい。だれかたすけて。
何でこんなお毛々も生えてないガキに虐められなきゃいけないんだよ! お前絶対親友とかいないタイプだろ? 人生レベルもよくて10とかだろ!?
『対象の鑑定に失敗しました』
あ? なんか表示された。
「――――」
そうして唐突に思い出した。
何があったのかを。何が起こったのかを。
…………ああ、そうだ、思い出してしまった。
俺、神さまに転生させてもらったんだ。
……俺、死んだんだ。もうミキにも、エミにも、シェリーにも、ユイネにも、そしてアカネにも会えないんだ。……頑張ったつもりだったんだけどな。しまらない死に方だったなぁ。
+ + + +
朝、物音で意識が覚醒した。目だけ開き音に集中する。
気配はまだ遠い。が、確実に近くなっている。素早く物陰に隠れて様子を覗った。
まさか散歩中の象でもいるのだろうか。並の足音じゃない。だとしたら食料の心配がしばらくはなくなる。象の肉とか食べたことないけど。猿系はやめて欲しい。いやこんな足音響かせる猿なんてキングコングじゃないといなくないか? あれは架空のお話だったはずだが……。
しばらくして現れたのはイノシシだった。
だがキングイノシシとかただでかいだけの安っぽい感じではない。
俺の思考はソレを見て一瞬の活動停止に追い込まれた。思わず二度見してしまったほどだ。しかし身の危険を感じすぐに活動開始。
ソレを言葉にするなら二足歩行のイノシシである。あと巨大。頭部を見なければだがキングコングと言ってもいい体躯である。
そいつは俺がさきほど寝ていた場所に顔を近づけるとフンガフンガし始めた。ん~、まずい。もしかしたら体温が残っている可能性もある。まあ、ほぼ何かがいたってことはばれているだろう。見た目を観察するに鼻も効きそうである。フンガフンガしてるしな。
「ドワーフ、か」
じいさんの言葉を思い出し小さくつぶやく。
ドワーフがどんな輩かはわからない。でもこんな生物がいるなら前哨戦といきたいところだ。なんていったって死ぬ気がしない。
今のつぶやきに反応しなかったのだからフンガフンガはとびっきりの聴覚を持っているわけではないのだろう。これで身動きがとれる。
+ + + +
我はいらだっていた。
オークとは知能が高く、言語さえ有する魔族の一角である。
ただ通常のオークが2メートル前後であることを考えれば3メートルほどのこの身は破格と言えるだろう。
名をビルシェンテ。
我がいらだっているのは自らが率いていた群れを追い出されたためだ。
故郷から離れ、武を頼りに各地を渡り歩いた。殺した人間など枚挙にいとまが無い。
いつしかはぐれのオーク達が寄り添い、我を頼りにした。そうして集まったオークの群れだったが、ある時、一人のオークが群れに加わったとき不思議なこと起こった。
初めは小さな口答え。食料を取り合っていたため、力のあるものに食料を優先的に与えるようにと仲裁に入ったのだ。それはオークだけではない、数ある種族が同じ事をするし、今までもそうしてきたのだ。だが、その弱きオークは本来許されるはずのない口答えを強きオークである我に向けてきたのだ。
「オ前ハ真ノ力ヲ知ラナイ弱者ダ」
一撃で殴り殺した。
もちろんそれに文句を言う者などいない。それが普通なのだ。それが我らオークなのだ。
弱者は意見をいうことすら許されない。我を通したいのなら強くなるだけ。そして俺は強くなったはずだった。
次は何だったか……。そう、我に「世の中にはもっと強いものがいる」「頭が悪すぎる」そういった陰口を叩く若いオークたちがいた。腹は立つが殺すほどではない。我は若いオーク共に面と向かって言ってやった。文句があるなら拳で語ってみせろ。若いオーク達は何も言わずに立ち去った。
そして夜。我が囲っていた女がねぐらからいなくなった。理由がわからず問うてみれば「もうあなたに用はない」と言われた。用がないなら生きている理由もなかろうと一人を残して全て殺した。
その一人には目の前の残状を見せた後に問うてみた。
「我ニ用ハナイノカ?」
だが、全てを語り終わる前に殺すことになった。
いろんなことがあった。15人は殺しただろうか。
そして、その日がやってきた。
ねぐらからでるとそこには群れのオークが全員そろっているようだった。
「ナニカアッタノカ?」
強き魔獣がでてきたのならちょうどいい。近頃のうっぷんをそいつで晴らしてやろうと考えていた。だが、それは間違いだった。
「アナタハ群レノリーダーにフサワシクナイ。群レカラ出テ行ッテクレ」
即座に頭が沸騰して目の前の男を殺してやろうと思ったが、この男の勘違いを訂正する方が先だ。
「我ガ群レノリーダーニフサワシクナイノハワカッタ。ダガ群レカラ出テ行クノハオ前ダ。コノ群レノリーダーガ我ダカラダ。我ガ間違ッテイルノナラ受ケテ立ッテヤロウ」
そう言って背中に背負った剣を構える。
するとあろう事か、男は見下しきったような目でこちらを一瞥すると後ろに振り返り歩み去って行く。
所詮は弱きオークである。その程度の覚悟しか持てない。
だが、ことはそれで終わらなかった。
その男の後ろに集まっていたオークが付いて行ってしまったのだ。
群れにオークは残らなかった。
オーク達を殺す事も忘れ、我は呆然とした。
そうして次にやってきた感情は怒りだった。
森の木々を破壊し、獣達をむさぼり食った。刃向かうものは魔物であろうと、他種族の魔族であろうとも斬り殺した。
我に残っているのは武のみである。もともと武を高めるために旅に出たのだ。何も失ってなどいない。
今いる場所も把握せず、がむしゃらに進んでどれくらいの時間が経ったのか。
どうやら人間の遺跡にでもやってきたようだ。
ふん、やはり脆弱。規則正しいだけで何も見るべき価値など感じない。やはり強者たる生き物の住処であるなら雄々しさがなければ駄目だ。
門のようなところをくぐり抜けていけば広場である。
ソコには一つの剣が突き刺さっていた。
「ホウ。マルデ我ノタメニ用意シテアル風デハナイカ」
見たところ、我のような大柄な者でなければ扱えぬほどに大きい。
抜いてみなければ実際の全長はわからぬが……。
ああ、なんと美しい剣なのだろう。無骨でありながら洗練された黒色。所々に走っている赤は鮮血を欲しているかのようにも見え、鈍色は白銀よりも重々しさを醸し出しているように感じる。
自慢ではないが我のような体躯のオークはいない。もちろん人間などにいるべくもない。つまりこれは我のために用意された剣とも言える。
久しく感じていなかった昂揚である。コレを持って愚かなオークどもを皆殺しにするのもいいだろう。
強者にこそふさわしい剣が目の前にある。抜くしかなかろう。
一歩一歩石畳を踏みしめ、途中で異変に気づく。人間臭いな。
臭いが確かなのか足下を嗅いでみる。まだ若い人間の臭い。
……そういえば腹が減っている。あの剣を使って試し切りといこうではないか。
剣の元へ歩いて行く。そして剣を掴もうと手を伸ばした瞬間、異変に気づいた。
「ナンダト……?」
足下に人間の子どもがいた。豆粒のような人間だ。おそらく生まれて数年しか経っていないのだろう。我の半分にも満たない背丈だ。
まあ試し切りには問題はない。獲物を探す手間も省けた。構わず剣の柄を掴むと、子どもは笑いながら我の腰に下げている剣を鞘から抜き放った。
それは1.5メートルほどの剣だ。オークでも成人にならねば扱えぬほどの剣である。それをこのような矮小な人間が抜き放っただと?
だがやはり重いのか、抜き放つと同時に、その切っ先を地面にこすりつけてしまっている。
思わず嗤ってしまった。
「人ノ子ヨ。貴様ニハソノ剣ハフサワシクナイノダ。オトナシクソコデ待ッテオレ。スグニ殺シテヤル」
大剣の柄を握る手に力を込める。少しずつではあるが剣が抜き放たれていく。
「オオオぉ? オオオオオオオぉぉ!!?」
我が魔力が抜けていく。まさか魔力喰いか?! さもありなん。たしかにこれほどの剣がただの剣であろうはずがない!
抜き放つと同時に驚愕する。床に突き刺さっているため長いというのはわかっていたが、その長さは規格外。まるで古に聞く巨人族が扱っていた剣のようではないか。このような大きさの剣など見たことがない。その大きさは我と同じ程度。なにか運命のようなものを感じる。
と大剣に見惚れていると、右端の視界に何かがよぎったと思うと同時、右足に激痛が走った。
「――ウクっ?!」
見れば右の太ももから先が切断されていた。当然、この体は傾いでいってしまう。
切ったのは先ほどの子どもだ。新たな驚愕と共に激しい怒りに襲われる。
「何ヲシテイルカ!」
ありえぬ。子どもが剣を扱ったと言うこともだが、我の肉体を斬っただと? 認められるわけがなかろうが!
だが思いもむなしく、体はバランスを崩し倒れ伏す。右の手に巨大な大剣は握られているが両手を地面につき左膝も地についている。
人間の子どもの表情などあまりよくわからん。だが、子どもを憤怒の表情で見るも、そやつの顔はなんの感情も浮かべているように見えなかった。
「血の臭いが酷いなイノシシ人間」
この子どもは何を言っている? たしかにこやつは我の足を切り落とした。だが我が右手に握っている大剣をふるえば、右足どころではない。その体が真っ二つになるのは明白である。その重そうに地面にこすりつけている剣を放り捨て、鼠のごとく逃げ去るのが普通である。それに我はイノシシでもなければ弱き人間でもない。誇り高きオークの英雄である。魔族と人間との戦争で、人間という人間を血祭りに上げたのも我である。
だというのにこの子どもはッ!!
「死ネ!」
不利な体勢であろうとも関係ない。
強引に上段へと大剣を掲げ、その重ささえも利用し、子どもの頭上へと全力で振り降ろした。
子どもは逃げなかった。
そして、それは一瞬だった。
たかが人間の子どものどこにそんな力があるのだと、疑問が頭を埋め尽くした。
剣の切っ先をそのまま地に下ろしたまま、我の大剣の軌道に合わせ、そこへ柄を向け、剣を受け止めるための支えとしたのだ。
「――ッ!??」
大剣ははじかれた。大激音と火花と共に。
子どもは再び剣の柄を握る。剣平は右の水平、肥だめに構え、視線はこちらを見据えている。
「アリエヌ」
その剣は我の顔をめがけている。それが我が見たこの世の最後だった。