天豊足柄姫命と御衣織姫
はんなり「どういうこと?」
モドキ「雑誌『島根評論』の別の号に『石見に頒布せる石神について』という論文があったんだ」
はんなり「それがどうかしたの?」
モドキ「島根県浜田市に石神社という神社があるだろう?」
はんなり「正式には天豊足柄姫命神社というのよね」
モドキ「そう、その石神社の石碑に女神が石と化したという伝説があるが信じがたいとあるんだよ」
はんなり「ああ、そんなこともあったわね。で?」
モドキ「その伝説がどういう伝説なのか今まで分からなかったけど、手がかりが邑智郡邑南町の龍岩神社にあるというんだ」
はんなり「……で、邑南町までやって来た訳だけど。この辺り八色石っていうのね」
モドキ「神社の場所は直ぐ分かったね」
はんなり「ご由緒があったわ」
モドキ「なるほど。浜田故事抜粋に曰くで始まる」
はんなり「八束水臣津野命が――」
モドキ「出雲風土記で島根半島を引っ張ってきた神さまだね」
はんなり「その八束水臣津野命が天下ったとき、一人の姫神が現れて。括弧書きで天豊足柄姫命ってあるわね」
モドキ「この国には八色石という奇岩が大蛇と化して、山や川を枯らして民草を悩ましているので退治して欲しいと頼む訳だ」
はんなり「そこで八束水臣津野命は八色石を斬った。すると、その首は邑智郡の龍岩となって、その尾は飛んで美濃郡の角石となった」
モドキ「これで被害も収まったと喜んだ姫神は八束水臣津野をもてなした。ところが一晩明けて見ると、姫神は忽然として岩に変わっていた」
はんなり「八束水臣津野命は、これは不思議な岩を見たことだと言ったという」
モドキ「岩見つる……石見の語源かもね」
はんなり「はあ、こんな伝説があったのね」
モドキ「じゃあ、山の上の神社にお参りしようか」
はんなり「モドキさん、いつまで登るのかしら。いい加減脚が痛くなってきたんだけど……階段がまだずっと続いてる」
モドキ「四〇〇段以上あるらしいよ」
はんなり「そんなに」
モドキ「ま、適当に腰を下ろして、ゆっくり登ろうか」
はんなり「モドキさん、そういえば私、この伝説、神楽で見たことがあるんだけど」
モドキ「調べたら、創作神楽であるらしいね。神楽だと天豊足柄姫命が八束水臣津野命と一緒に戦うらしい」
はんなり「八色石の伝説だと、何しに出てきたか分からないものね」
モドキ「さあ、ついた」
はんなり「神社自体は小さいのね……あら、裏の巨岩、本当に蛇みたい」
モドキ「これは確かに龍岩と名づけたくなるね」
はんなり「浜田の神社と邑智郡の神社が伝説で結びついたのね」
モドキ「じゃあ、今度は浜田市立図書館に行ってみよう」
モドキ「『石見八重葎』に八色石の伝説が載っていたよ」
はんなり「『石見八重葎』だと大国主命が大蛇を退治するのね」
モドキ「そして姫は出てこない。浜田故事抜粋は江戸末期か明治時代の成立だと思われるから、江戸時代から伝説は存在して、後に姫神が登場する形に変わっていったんだね」
はんなり「他にはないの?」
モドキ「『那賀郡誌』という戦前の本にも載ってたよ。天豊足柄姫命とは豊かに満ち足らす女神という意味だそうだ」
はんなり「『那賀郡誌』のお話だと、大蛇を迎え撃った天豊足柄姫命は出雲の八束水臣津野命の援軍を受けて戦うんだけど、戦勝の宴の最中に身まかったとあるのね」
モドキ「創作神楽はこれを元にしてるんじゃないかな」
はんなり「時代が下るにつれて勇壮になっていくのね」
モドキ「『浜田鑑』という本に、神さまの名前は違うけど、祟りをなす岩を神が斬って祟りが止んだとある。伝説の原型はこういう形だったんじゃないかな」
はんなり「シンプルだったお話が次第に複雑化していくのね」
はんなり「ところでモドキさん」
モドキ「なんだい?」
はんなり「石見八重葎の伊甘神社の条に『御衣織姫は天豊足柄姫命の妹なり』って読むのかな、そうあるんだけど」
モドキ「それは面白いな」
はんなり「で、『那賀郡史』こちらは史実の史だけど、この本に御衣織姫のことが載ってるの」
モドキ「スサノオ命の子供に五十猛命、大屋姫命、抓之姫命という兄弟姉妹がいる。その抓之姫命が御衣織姫のことであるとしているね」
はんなり「本当は誰なのかしら」
モドキ「柳田国男の説を引くに、神の御衣を織っていた巫女が神格化されたものじゃないかな」
はんなり「なるほど」