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狭姫

はんなり「ちょっとちょっとモドキさん、面白い伝説見つけたんだけど」

モドキ「どこの伝説よ?」

はんなり「島根県益田市」

モドキ「ほう、島根か。で?」

はんなり「昔、新羅(しらぎ)のソシモリというところに住んでいたオオゲツヒメという女神がいて――」

モドキ「はんなりさんが言ってるのは古事記に登場する女神だな。スサノオ命に斬られて死んでしまうんだけど」

はんなり「そう、そのオオゲツヒメは身体のどこからでも食べ物を出せた。一体どういう仕組みになっているのかと心の悪い神がオオゲツヒメを斬ってしまうの」

モドキ「それで?」

はんなり「何も分からなかったの」

モドキ「無駄死にじゃないか」

はんなり「それで、オオゲツヒメは娘の狭姫(さひめ)を呼ぶの。私が死んだら、身体から五穀の種が生えてくるから、それを持って日本に行けと」

モドキ「それは死体化生型神話というんだ」

はんなり「へえ。で、狭姫は種を持って日本に飛ぶの。ちなみに、狭姫は末っ子のとても身体の小さな女神で、赤雁の背に乗って飛び立つの」

モドキ「日本海を渡る訳だね」

はんなり「狭姫を乗せて飛ぶから、赤雁は疲れるのね。一休みしようと、途中にある高島に降りようとするの」

モドキ「日本海沖にある無人島だね」

はんなり「すると、高島に住む鷹が現れて邪魔するの」

モドキ「タカだけに高島かな」

はんなり「狭姫は五穀の種を分けるから一休みさせて欲しいと頼むんだけど、鷹は我は肉を食うから五穀の種なんぞいらんと狭姫を追い払うの」

モドキ「つれないね」

はんなり「それで、今でも高島では五穀の種が実らないの」

モドキ「高島では今も作物が獲れないという由来譚だね」

はんなり「それで飛び続けた赤雁は次は大島という島に降りようとするの」

モドキ「今は岡見の火力発電所がある浦の沖にある島だね」

はんなり「すると、大島に住む鷲が出てきて、我は肉を食うから五穀の種なんぞいらんと狭姫を追い払うの」

モドキ「今度も追い払われた訳か。苦労続きだね」

はんなり「そうして、狭姫と赤雁は鎌手大浜の亀島で一休みするの」

モドキ「亀島には今では大日霊(おおひるめ)神社が建っているね。入江の中に島があって、ちょっとしたパノラマだ。本土までもうすぐだね」

はんなり「本土にやってきた狭姫と赤雁は天道山(てんとうさん)という小さな丘に降り立つの」

モドキ「天道山に降臨した訳だ。史実だと、天道山は昔その辺りに勢力を張っていた益田氏が砦にしていたんだ」

はんなり「益田氏って?」

モドキ「中世に島根県西部を拠点にしていた豪族で、後に毛利家の家老になるんだ。それで?」

はんなり「狭姫はそこから更に先に進んで乙子(おとご)比礼振(ひれふる)山に入って、そこで五穀の種を伝えた。人々は狭姫をちび姫さんと呼んで親しんだ。今、比礼振山には狭姫を祀る佐毘売(さひめ)山神社が鎮座しているというお話」

モドキ「そうやって日本に五穀の種が伝わった……という起源伝説か。よし、じゃ、その佐毘売山神社にお参りしてみようか」

はんなり「え? 行くの?」

モドキ「伝説の醍醐味は、その話の舞台を尋ねることにあるんだ。行こう」



はんなり「車を出したのはいいけれど、モドキさん、さっきから道間違えてばかりじゃない」

モドキ「ナビにも乗ってないんだよな」

はんなり「古い車だからね」

モドキ「確かこっちの道でいいはずだけど……あった。比礼振山に入る道っぽいぞ」

はんなり「道幅狭いわね」

モドキ「対向車が来たら、すれ違いできるかな? ま、そうそう出くわすものじゃないから大丈夫大丈夫」



はんなり「佐毘売山神社に着いたわね」

モドキ「赤瓦の神社だな」

はんなり「ご由緒があるわ……あら、主祭神は金山彦命と金山姫命。併せてコノハナサクヤヒメ命、埴山(はにやま)姫命を祀るとあるわ」

モドキ「狭姫を祀っているとは書いてないね」

はんなり「どうしてかしら?」

モドキ「それより、お参りしよう」

はんなり「あら、拝殿に置いてあるプラスチックケース、これは何かしら」

モドキ「中に薄い本が入ってる」

はんなり「薄い本って……同人誌じゃないんだから。正史狭姫伝説ってあるわね」

モドキ「一冊600円。買ってみようか」

はんなり「……ああ、これ、狭姫伝説を漫画化したものなんだ」

モドキ「今時の絵柄だね」

はんなり「へえ、これ地元の人が描いたんだ」

モドキ「絵の描ける人材が地元にいた訳だ」

はんなり「ねえ。どうしてご由緒には狭姫を祀ってるって書いてないのかしら。こんなに魅力的な伝説なのに」

モドキ「そもそも、サヒメって言葉の初出は出雲風土記で佐比売(さひめ)山、つまり、今の島根県大田市の三瓶山(さんべさん)のことなんだ」

はんなり「どうして大田の話が益田で言い伝えられているの?

モドキ「そうだな……。漫画では狭姫は最後に佐比売山まで進んだことになっている」

はんなり「ああ、そうだったわね」

モドキ「よし、じゃあ益田市立図書館に行ってみよう」

はんなり「図書館に行くの?」

モドキ「郷土資料コーナーに何かあるかもしれない」



はんなり「市立図書館に来たけれど、どこから手をつけたらいいのやら……」

モドキ「とりあえず、郷土資料コーナーで何か手がかりがないか探ってみるんだ」

はんなり「手がかりあるの?」

モドキ「角川地名大辞典を見てたら、石見八重葎(やえむぐら)って江戸時代の地誌があるみたいなんだ」

はんなり「民話集は幾つかあるけど……載ってるわね。あ、それから益田市誌に載ってる。弥富熊一郎って人が執筆してるんだけど――」

モドキ「益田の郷土史家だね。地元の碩学だよ」

はんなり「……亀島のあった鎌手大浜って、古代にクシロ族が上陸したって言い伝えがあるのね」

モドキ「島根県西部にはクシロ族を含む春日族系の氏族が移住したって言い伝えがあるんだ。地元の神社で祖神を祀っている」

はんなり「弥富先生はそういった伝承から狭姫伝説は中世に成立したと考えているみたいね」

モドキ「ちょっと待った。石見八重葎に乙子の伝説が載ってる」

はんなり「どれどれ? 乙子の地名、最後に分郷したから乙子。高角の長者が末子に土地を分け与えたから乙子。天下大神あめのしたつくらししおおかみ、大国主命のことね、より稲の実を賜ったから種村。神なのか年を経た古い雁がいたから赤雁……。狭姫の伝説は載ってないじゃない」

モドキ「さて、そこなんだよ。石見八重葎は十九世紀の成立だけど、比礼振山周辺、乙子の地名説話は載っている」

はんなり「うん」

モドキ「一方、狭姫の伝説には言及がない。つまりこれらの地名説話が狭姫伝説の元になったと考えられないか?」

はんなり「そう来るか」

モドキ「狭姫伝説が成立したのは石見八重葎が成立してより後だと考えれば矛盾が起きない。それにね――」

はんなり「それに?」

モドキ「今の益田を治めていたのは浜田藩と津和野藩だったけど、どちらも国学が盛んなところだったんだよ」

はんなり「国学と狭姫に何の考えがあるの?」

モドキ「オオゲツヒメだよ。狭姫伝説は古事記のオオゲツヒメの神話に影響を受けている。一方、新羅のソシモリにはスサノオ命が降臨したと日本書紀の一書にあるんだ。つまり狭姫伝説は記紀神話の影響を受けているんだよ」

はんなり「なるほど」

モドキ「古事記が見直されるのは、本居宣長以降の話なんだ。これだけ見ても、狭姫伝説が江戸時代以前に遡れないことが分かる」

はんなり「そういうことなの。あっ、益田市誌に書いてあったけど、狭姫伝説には続きがあるのね」

モドキ「それは載っているのかい?」

はんなり「ううん。狭姫と巨人っていうお話みたいだけど、あまり語りたくないみたい」

モドキ「じゃあ、次はそれを探してみよう」

はんなり「段々と要領がつかめて来たわ……。あった。山本熊太郎『江津市の歴史』という本に載っていたわ」

モドキ「どんな話?」



はんなり「ある日、狭姫は大山祇巨人(おおひと)と出くわした。山祇神は悪意はないものの、歩くたびに大騒ぎ。狭姫も逃げ惑ったけれど、小さき身体ゆえどうにもならず、命からがら逃げ帰ったの」

モドキ「赤雁が救ったのかな」

はんなり「また、あるとき、狭姫は大きな穴の中から、いびきが聞こえてくるのを耳にした。そこにいるのは誰かと問いかけると、いびきの主は怒って、人に名を尋ねるときは、先ず自分から名のるのが礼儀だといった。狭姫は無礼を謝った」

モドキ「その巨人の名は?」

はんなり「オカミというの」

モドキ「ああ、オカミって龍神だね。大島のあった岡見と引っかけてるのかな」

はんなり「オカミは自分が大山祇神の子で、いかに自分が凄いか滔々(とうとう)と並べたてるの。それでたじろいでしまった狭姫だけど、気を取り直して、それでは、直接お目にかかりたいと言ったの」

モドキ「すると?」

はんなり「オカミは急に態度を変えて、自分は頭だけが人で、身体は蛇であるから、自分の姿を見たものは神であれ人であれ気絶してしまう。人を驚かすのは悪いことだから、見ないのがお互いのためであると答えたの」

モドキ「殊勝な態度だね」

はんなり「オカミには足長土(あしながつち)という足の長い兄弟がいた。足長土も巨人でうっかりすると踏み殺されかねない。狭姫は考えた。あんな巨人がいたのでは、とても平和な国づくりはできないと」

モドキ「それで?」

はんなり「そんなあるとき狭姫は手長土(てながつち)という手の長い巨人と出会った。夫はいるかと狭姫が問うと、手長土は、かように手が長い故……と言葉を濁した」

モドキ「なるほど」

はんなり「狭姫は答えた。自分も人並み外れたちびだけど、種を広める務めがある。手長土にも手長土の務めがあると答えた」

モドキ「殺されかけたのに優しいんだね」

はんなり「狭姫は赤雁に乗って、巨人たちを遊ばせる土地はないかと探し回った。そうして佐比売山の麓を切り開いて、そこに足長土と手長土とを(めあわ)せて住まわせることにしたの。足長土と手長土は互いに助け合って仲良く暮らしたという」

モドキ「めでたしめでたしという訳か」



モドキ「それにしても変だな」

はんなり「何が?」

モドキ「最初の狭姫が益田までやって来た話を仮に『ちび姫さん』というタイトルをつける。そうして、狭姫が益田を出て東の佐比売山、三瓶山まで進むという話を『ちび姫と巨人』とタイトルをつけよう」

はんなり「確かにそう分けられるわね。それで?

モドキ「前段の『ちび姫さん』と後段の『ちび姫と巨人』とは、お互いのテイストが違っていやしないか? 民話集だと前段の『ちび姫さん』しか収録してないのが多いだろう?」

はんなり「ああ、『ちび姫さん』は母神の死から始まって、あちこち断られ続けてようやく日本に到達するという、どこか物悲しいお話よね」

モドキ「ところが『ちび姫と巨人』は違う。大山祇の放屁が佐比売山の噴火だと言ってる。三瓶山の噴火は縄文時代にあった史実だけど、子供を笑わせようとしたものに違いない」

はんなり「オカミとのやり取りもそうだけど、どこかユーモラスよね」

モドキ「つまりだ。この『ちび姫さん』と『ちび姫と巨人』は別々の時期に成立した。もっと言うと作者が違うんじゃないかって話」

はんなり「その可能性もあるわね」

モドキ「じゃあ、今度は松江の島根県立図書館に行ってみよう」

はんなり「そこで何するの?」

モドキ「益田市誌に書いてあるだろう。雑誌『島根評論』に収録された大賀周太郎『郷土の(ほま)れ』が狭姫伝説を採録した文章の中で古いものに属すると」

はんなり「今度は松江まで行くんですか」


はんなり「モドキさん、雑誌『島根評論』はあった?」

モドキ「あったあった。『郷土の誉れ』を収録している号があったよ」

はんなり「それで?」

モドキ「……おや?」

はんなり「どうしたの?」

モドキ「どうしたもこうしたも、『(ちび)姫と巨人』というタイトルなんだけど、『ちび姫さん』と『ちび姫と巨人』が一体化して収録されているんだよ」

はんなり「じゃあ、結局謎は謎のまま?」

モドキ「そういうことになるね。『ちび姫さん』と『ちび姫と巨人』はそのテイストの違いから別々の作者の手になると考えられるけど、文章として採録された段階では既に両者一体化しているって」

はんなり「あたし、思うんだけど、両者が一体だと微妙な感じがするのよね」

モドキ「『郷土の誉れ』では痛快なる神話と書いているけど、少なくとも『ちび姫さん』は痛快じゃないよね」

はんなり「結局、謎は謎のまま残るのか……」

モドキ「ところが別件で収穫があったんだ」


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