【 前編 】
母校の山神学園高校に、ミステリー同好会の後輩を訪ねて遊びに行った時のことだった。
卒業式以来だから半年ぶりだろうか。懐かしい校門を入ってすぐの緩い坂をゆっくりと上がっていく。
春なら実に見事な桜並木なのだか、9月の今は濃い緑陰をつくり、吹き渡る風が汗ばんだ肌に心地よかった。
坂を登りきり、約束の渡り廊下前に着いて時計を見ると、まだ待ち合わせの時間まで30分ほどある。
実は俺は高校時代とんでもない遅刻魔で、今日会う約束をしている一年後輩の山瀬 潤也には、かなりの迷惑をかけていた。
だから、今日は早めに家を出たのだが───。
(にしても早く着きすぎだよな……)
それならばと、懐かしく思いながらあちこち校内を散策しているうちに、気がつけば図書館の裏に来ていた。鬱蒼とした雑木や竹に囲まれた狭い空き地に、古びたベンチがポツンと置いてある。
ここは学校案内図には『竹林』と表記されているが、竹藪と言った方が正確だろう。ほとんど手入れされておらず色々な雑木も伸び放題。まるで獣道のような頼りない道が枝分かれしながら奥へと延びていて、その先は、隣接した農家の広い畑になっている。
在学中一人になりたいときは、よくここに来てこのベンチに座り、しばらくぼーっとしていたものだ。俺はベンチに座ると懐かしく辺りを見回した。
(変わらないなぁ……)
木々の間をゆるい風が渡る。
今朝の雨のせいか、微かに草の匂いがする。一つ深呼吸をすれば不思議と心も凪いだ。
(ん?あれ、まだ有るんだ……)
竹藪の少し奥に垣間見えるのは『立ち入り禁止』の立て札。そしてまるでしめ縄のように張られている太いロープ……。
どの学校にも、『七不思議』などというものがある。山神学園ではこの竹藪がその一つで、立ち入り禁止になってもう十年以上経つだろう。
何で立ち入り禁止なのか先生たちに聞いても曖昧な答えしか返ってこない。
いわく、でっかい蜂の巣があるとか、昔毒蛇が出たからだとか、なかには、一度入ると一時間出てこれないとか、包帯をぐるぐる巻いた男が追いかけてくるとか、白い着物を着た長い髪の女の口が耳まで裂けてて……とか、アホらしいうわさも色々ある。
オバケの類が大嫌いな俺は、真相を確かめる勇気も無いくせ妙に気になって仕方がなかった。
ただ、一つだけ無視できない事実がある。
それは十数年前、この竹藪に入り込む姿が目撃されたのを最後に、女子生徒が一人、行方不明になったということだ。
詳しいことはわからないのだが、何か竹藪の奥で事件事故に巻き込まれた可能性もあったので、当時は警察なども来て徹底的に捜索されたらしい。
だが結局見つからず、女子生徒は家出をしてそのまま行方不明になったと噂された。
今でこそ山神学園は、まあまあの偏差値の中高一貫校だが、その事件が起きた当時は偏差値がガクッとさがり、しばらく低迷したのち、ここ十年ほどかけてやっと以前の評判を取り戻すことが出来たらしい。だから先生達もこの竹藪についてあまり語りたくないのかもしれない。
もう一つ、俺が中等部だったとき、まことしやかに囁かれていたことがある。
それは───実は竹藪の奥は時空が歪みパラレルワールドの入り口があって例の行方不明の学生もタイムスリップしてパラレルワールドに迷い込んで出てこられなくなって……。
ばかばかしい話だが、当時救い難いくらいの中二病だった俺は、そんな噂を聞いて不謹慎にもワクワクしたものだ。確かめに行く勇気もないくせに、是非ともそうであって欲しいと心密かに夢想していた。
ちらっと腕時計を見ると、待ち合わせの時間まであと二十分ほどある。
(昔はちょっとだけ怖かったけど、今なら──まだ時間もあるし、行ってみようか……)
俺はゆっくりと竹藪に足を踏み入れ、『立ち入り禁止』の文字を横目で見ながらロープを潜った。
(……以外と奥が深いな……)
外から見るよりずっと中は広いようだ。細い道がくねりながら奥へ続いている。
何カ所か意味不明なベニヤ板が立て掛けられているせいで、視界が開けない。枝別れした道もあったが、道なりに広いほうを選んで奥へ進んでいった。
だが取り立てて何かがあると言うわけでも無さそうだ。
何だか暗いなと思ったら、さっきまで明るかった空がいつのまにか分厚い雲におおわれている。ゲリラ豪雨が近いかもしれない。
(そろそろ戻ろうか……)
自他ともに認める筋金入りの方向音痴の俺は、これ以上奥まで行かない方が良さそうだ、と思ったとき、少し開けたところに出た。
そこには小さな東屋が有って、ペンキやトンカチ、刷毛、ベニヤ板、木箱などが置いてあった。
ベニヤ板には、濁った紫色で読みにくい文字が書いてある。
(ん?『いき、はよ……いよ、いかえ、りはこわい』ああ、『行きはよいよい帰りは怖い』か。
これは確か『通りゃんせ』という歌だよな……何だろう)
少しだけ不気味に思いながら引き返そうと振り返ったら──今自分のいる場所から似たような小道が二つ延びている────。
(え、──っと。どっちの道から来たっけ?)
辺りはますます暗くなってきた。
(迷ってる暇はない、早く戻ろう)
適当に右の道を選んだが、少し進んでから、来た道ではないことに気がついた。
自分の方向音痴っぷりにあきれかえったが、たかが学校敷地内の竹藪だ、迷ったところで大したことはないだろう───いや引き返した方が良いだろうか、などと考えていると…………。
目の前の木の枝に、何か妙な物がぶるさがって揺れている。
(……え、なんだこれ、包帯?ところどころ赤いのは、まさか、血……?その上にあるのは……か、か、髪の毛?)
在学中のアホみたいな噂を思い出した。
……包帯男がおいかけて………………白い着物の髪の長い女が───
───いや、いやいや、ないないない。
まったく何をビビってるんだと自分で自分を戒めていたら、後ろから僕の肩に、ふと、何かが乗った。
目玉だけずらして確認する───
まっしろな美しい女の手────
揺れた着物の、白い袖が視野をかすめる───
「ぎやぁっ!」
一度恐いと思ったらもうダメだった。
「ア…ク…マ───」
女が何か言った気もしたがそれどころではない。
がむしゃらに走って逃げた。
右に左に迷路のような竹藪の小径を全速力で走って───
「わっ!!」
何かにつまづいてたたらを踏む────ズザザザザ……。
…………………………
…………………
………
(ん?……あれ?……)
気がつけば、俺は道端に倒れこんでいた。ゆっくりと肘をついて、頭だけを持ち上げて左右に振る。頬から、食い込んでいた小石がポロッと落ちた。
痛む後頭部に手をやると、でっかいコブができている。
「いってー……」
何をどうしたらこんなひどい転び方をするんだか分からないが、右側に畑が広がっているところをみると、隣地との境目に倒れ込んだのだろう。
あたりはすっかり明るい。どうやらゲリラ豪雨は免れたようだ。
周囲にはもう誰もいない。さっきの包帯男は、いや、包帯と白い着物の女は、一体何だったんだ?
(あ、そうだ、潤也に連絡しなきゃ)
身体を起こそうとして地面についた右手がヌリッと滑る。ここのところ続いていた雨で畑の土が柔らかくなっていたらしい。
咄嗟に、ちょうど掌に当たった固い物をつかむと足を滑らせながらも立ち上がった。
(あーもーチックショー……)
身体はほこりだらけ、右腕は肘まで泥だらけで何かつかんでいて──
(……ん?なんだこれ?───こっ、これは─── )
「ぎやぁっ!」
握っていた物を地面に叩きつけると、また転げるようにして走った。
どこをどう走ったのか、全くわからない。
考えないで走ったのが良かったのか、突然目の前が開けて、さっきまで座っていたなじみのあるベンチが見えた。
「はぁはぁはぁ………………」
ベンチに倒れ込んで息を整える。
(ああ、とりあえず出て来られて良かった、でも……。あれは、俺がつかんだあれは、何だ……)
汗ばんだ額を擦った。よけいに顔が汚れたと気づいたがどうでもいい、そんなことより───。
(あ、あんなもの見たこと、ない──)
───いや、ある。
レプリカなら何度でも見た。小学校でも、中学校でも、高校でも──────理科室で。
あれは白骨化した[ 手 ]だった。
頭が痛くてふらふらする。重い身体を引きずるようにして図書館の横を抜け、やっと桜並木の坂に出て来られた。
さっきのは、いったい何だったのだろう……。
取りあえず、潤也と会わなければ。そしてジャージでも借りよう、服が泥だらけだ。
奇蹟的に汚れていない腕時計を見た。すでに約束の時間はとっくに過ぎている。
(あぁ、また遅刻だ。怒ってるだろうな……)
潤也は後輩のくせに僕の遅刻にはやたらうるさくて、いや遅刻するほうが悪いのはわかっているけど、綺麗な顔して怒るから余計に怖い。でも理由を話せばわかってくれるだろう。いや、バカにされるな……。
ズキズキする後頭部を擦りながら、携帯を出そうとしたら、坂の下から当の本人が歩いてくるではないか。
潤也は僕の姿をみでギョッとして立ちすくんだ。
(そりゃそうだよな、ドロドロだもん)
俺は照れ隠しの薄ら笑いを浮かべて片手をあげて近よった。
「よう、みんな変わりないか?」
「…………」
(ううっ、この無表情は怒ってる)
「あ、ごめん、また遅刻しちゃった、ホントにごめん。今連絡しようとしてたんだけど、いやさ、さっきころんで───」
「あのっ。───誰ですか」
「え?」
「ここは山神学園で部外者は立ち入り禁止です」
「お、おい……」
うわあ、マズいぞ、これはヤバイほど怒ってる…………のか?
「いや、悪かったって。それが道に迷っちゃって──あいや、道じゃなくて、ほら図書館裏の竹藪にちょっと入り込ん……だ、ら………」
その時、俺はやっと気づいた。
何だか、潤也が変だ、何というか、ほんの少し────。
「若がえって、る?」
「はあ?」
この前会ったときより、確実に若返っている、というか幼くなっている。
(どういうことだ?)
潤也は切れ長の目をすっと細めた。
「あの竹林に、入ったんですか、部外者なのに」
俺は潤也をみつめながらぐずぐずと首を横に振った。
(こいつは、潤也だよな──少し若い、幼い潤也。兄弟はいたっけ?……いや、あいつは一人っ子のはずだ)
「立ち入禁止の立て札があったのに。入ったんですか!」
鋭い眼光がグサリとささり、つい白状した。
「うん、入った……」
「チッ」
潤也は俺を睨みながらあからさまに舌打ちした。
「見られたくなかったんですけどねぇ……。で?何をみました?」
潤也が一歩詰め寄る。
「何って……と、通りゃんせ、の、ベニヤ板」
「それから?」
「ほう、たい」
「包帯ねえ。それから?」
「白い着物の、手」
「へえ、それから?」
「白骨の……手」
「……手?」
潤也はふと目をそらせた。
俺は、ハッと気を取り直した。なんでこんな質問攻めにあわなきゃならないんだ!それに潤也はこんな性格だっただろうか?
「おまえ、山瀬潤也、だよな?」
「……」
何気なく、彼のシャツの胸ポケットをみて、はっとした。
『Yamagami』と刺繍された文字の色……高校生は緑色なのに、彼のはエンジ色だ。
「おい、何で高校のお前が中学生用のシャツ着てんだよ!」
「…………あなた、ほんとに、誰ですか?」
なんで───ま、まさか───
俺の中学時代の噂を思いだす……あの竹藪の奥はパラレルワールドと繋がっていて───てことは……じゃ目の前の潤也はまだ中学生で……ここは三年前……。
(んなわけあるか!)
俺は痛む頭を振った。
「俺は、佐、久、間、だよ。去年卒業した、分かるだろ?!」
「さくま?……ふふっ、でっかい体で泥だらけで、なんだか熊っぽいなぁ」
ひとしきり笑うと言った。
「あなたがクマ先輩ですね、潤也の言う通りだ」
「はっ?」
俺が小首をかしげたとき、後ろでタタッと足音がして────
「先輩また遅刻!!」
という声と同時に、ぺちっと後頭部をぶたれる。
「ぎゃぁっ!」
あまりの痛みにクラクラする頭を抱えて振り返った。
「ったく、クマ先輩、また遅刻ですか!!もう大学生なんだから、いい加減にしてくださいよ……って、あれ、そんなに強くたたいてないですよ、大げさだなあ」
そう言いながらふらついた僕を支えてくれたのは────。
「潤……」
「うわっ、先輩、何でこんなにドロドロなの!」
「潤也ぁ~」
俺は潤也に抱きつくとぎゅっと締め付けた。
「ンガガ。先輩、離、苦し──」
「あー、潤也の匂いがする……」
そうだ、こいつこそ本物だ。
不思議な安心感に包まれながら、俺はカクリと膝をついた。




