1「ゲームスタート」
「ヤバいヤバいヤバいっっ――!」
廊下を急いで走る音が、遠くから聞こえた。
……何だ?
ああ、朝か……
僕はゆっくりと体を起こす。すぐ横にある窓を開けると、脚に掛かっているタオルケットに日が差した。気のせいか、身体が軽くなった気がする。
目覚めの良い朝だ。
と同時に、ある違和感に気付く。
「僕ってこんなに手、綺麗だったっけ……?」
窓に着いた左腕や指の一つ一つが細く、爪は女爪になっている。
自分の左腕を見つめていたら、今度は
……何か、ある。
こっちは、視覚も感覚も違和感がある。ていうか、重い。
それが何なのか分からず、太ももの間に手を突っ込んで考え込む。すると、また新しい違和感に気付いた。
今度は、太ももの間に。
……何も、ない。
目覚めたばかりの頭の思考が止まった。
……………………。
突然、部屋のドアが開けられた。莉久だ。
「兄さん大変だよ! TV観て――」
僕は、鏡を見つめていた。莉久も、僕を見つめている。
僕がゆっくりと莉久の方を向くと、
『…………えっ?』
……二人同時に、驚きと疑念の混ざった感情が声に現れた。
――――五分後――――
「……じゃあ、目が覚めたら女になってたってこと?」
「はい、そーです」
「ごめん兄さん、やっぱ何言ってるか分かんないわ」
「マジだって、」
「マジ?」
「マジマジ」
僕の彼女かと勘違いし、部屋を散らかされた。どれだけ物を投げられたことだろうか。説得するのに苦労した。
そもそも、僕に彼女なんてできる訳ないだろ……
そんなことを考えながら、自分についての状況説明をしている。だが、こっちも知りたいことがある。
「で、何?」
「何が?」
「だから、さっき言ってたタイヘンなこと」
「……そうだった! いいから来て!」
左腕を掴んで引かれた。
やっぱりこの腕の細さは、ヘンな感じがする。体が揺れる度に、膨らんだ胸が揺れた。このアンバランスな体つきは、元に戻せるのか?
リビングのテーブルには、莉久がまだ起きたばかりだったのか、いつもの朝食がない。だが、TVは点けられていた。
ロンドンを舞台にした映画の宣伝が流れている。
『……というのが現状です。引き続き、現在のロンドンの様子をお伝えしていきます』
否。
映画の宣伝などではない。
現実のロンドンの姿が映されていた。
「これ……本当に……?」
「そうみたい……」
それは、まさに異形。
ロンドン中の、ぐにゃぐにゃと捻じれ曲がった数々の建物だった。
――――同刻、東京スカイツリー第二展望台屋上地上460m付近――――
――東京で、朝日が最初に照らす場所。
「……あちゃー、やらかしましたね」
「……うるさい。この位の時間差なんて想定の範囲内だ」
男のPCに複数のケーブルが繋がれる。少女は、猛烈な速さでキーボードを叩く男の使うPCを一瞬だけ覗き見た。
まるで、それだけで内容の全てが分かるかのように。
「じゃあこっちも、仕掛けちゃいますか?」
「いいからさっさとやれ」
「わぁ、傲慢だこと」
少女は腰のベルトに括り付けていた小さな機械を、男のPCに接続する。するとそのPCは、世界一高い自立式電波塔のセキュリティをいとも簡単に破った。
「さぁ、始めましょう……」
「……俺の、ゲームを!」