06/自分で選ぶと言うこと
鶏もまだ起きていないくらいの、薄暗い朝。
大荷物を抱えた私は――グレゴリーに捕まっていた。
なんでだろう。
周りには秘密で準備したのに……。
「お嬢様」
厳しい顔をしたまま名前を呼ばれ、思わず背筋がしゃっとする。
……怖い。
昔イタズラした時に怒られて以来の怖い顔だわ……。
「な、なぁに? グレゴリー。
家令ってこんなに朝早くから起きてるの? 大変ね」
「昨晩遅くまでお嬢様が何やらごそごそとやっておりましたので。
なにかあると思い、念のため起きていただけですよ」
そう言ってニコリと笑う。
笑ってるのに不機嫌さが隠れてない。……本当に怖いんだけど。
「お嬢様こそ、なぜこんな早朝に起きておられるのでしょうか?
そしてその大荷物は一体……?
ご説明願えますかな?」
うぅ。
無言の圧力が……。
どうしよう……昨日の今日だから、また彼の心臓に負担をかけてしまう気が……。
ちらりと窺うと、彼の目はすごく真剣だった。
……これは誤魔化せないな。
私の事を本気で想ってくれているのに、嘘をつくのは今まで尽くしてくれた彼に対して不義理にもほどがある。
大きく息を吸って吐いて。
気合を入れて私はまっすぐに彼を見た。
「グレゴリー。私はこの家を出ていきます」
「なりませんお嬢様」
言うことが分かっていたのだろう。
少し食い気味に、私の言葉を否定する。
「ねぇ……少しだけ、私の言葉を聞いて?」
「……分かりました」
彼が頷いたのを確認して、私はゆっくりと昨日考えたことを伝えていく。
貴族としての私の立ち位置。
領主一家としての私の意味。
私自身の望みと継母様の事。
一つ一つ、説明するのが下手なりに丁寧に話していったつもりだ。
「――私が貴族であることは、誰の幸せにも繋がってないの」
「いえ、そんなことは……!!」
「私が一人減れば、領民の血税が少しだけ浮きます。
継母様は私という不安要素が消えて、心穏やかでいられる。
弟はまだ幼いけど、お父様の言葉を教えて、ちゃんと勉強すればいい領主にきっとなれる」
「ですが、お嬢様自身は……!!」
「それにね、私がやってみたいことなの。
きっと、今までみたいに美味しい物を食べることは減ると思う。
服だって肌触りの良い物じゃなくなるんでしょうね。
生活に苦しむこともあるだろうし、最悪何かが原因で死ぬかもしれない」
他にも私が考えつかないような違いが。
そして、困難や苦しさがあるだろう。
だけど選びたいのだ。
やってみたいのだ。
私は領主の娘ではなく、私個人、ただの人間として、何かを成してみたいのだ。
「貴族の私ってね、すごく窮屈なんだって継母様に気付かされたの」
「……それは、どういう……?」
「私の生活は使用人のみんなが見てくれるでしょう?
小さな選択肢はあるわ。けど、自分で全ては決められないの」
その日着る服は、色や指針くらいは聞いてくれる。
朝ごはんを含め、食べるものは複数の中からある程度選べる。
「――自分で全部決めてみたいの。
誰の迷惑にもかからない範囲で決めるんじゃなくて、自分の意思で全部を」
たまには朝からパンとおかずじゃなくて、甘いパンケーキ食べてみたい。
服だって、着る時に選ぶのではなく、自分で選んで買ってみたい。
勿論、貴族でなくなったとしても、お金という制限は入る。
それでも、自分の予算の中から選んでみたい。
そんな取るに足らないようなことだ。
だけど、それは貴族の私には出来ないこと。
いえ――してはいけない事。
全て領民のためにあれと、生かされてきたのだから。
この私の願いは領民を裏切る行為に等しい。
私はうつむいて静かにグレゴリーが言い出すのを待った。
ここで糾弾されても、罵られたとしても、彼にはその権利がある。
ずっと私を守ってくれた彼は、領民の代表と言っても良い。
領民の血税で育った私が、自分の我儘で貴族としての責務を逃げ出すことを見逃す必要なんてないから。
しかし、彼から出たのはため息だった。
「……グレゴリー?」
顔をあげると――そこには困ったような、呆れたような……けどどこか懐かしむような顔をしていた。
「えぇと……? どうしてそんな顔をしているの?」
「いえ、昔を思い出しまして。
……かつて、旦那様もお嬢様と同じような事を言って旅に出たことがあるのですよ」
そう言ってグレゴリーが語った昔話はこうです。
昔うちの屋敷から一番近いところへ、旅芸人たちがやってきた事があった。
その時に、幼かったお父様は旅への憧れを持ったと言う。
そして、弟がいるからというのも相まって、ある日「俺は旅に出る!!」と言い出したとか。
ちなみにその旅でお母様と出会い、二人は恋に落ちたらしい。
……我が父ながら、うん。えぇとその……。
今の状況を考えると大差がないなと思い、口に出すのは止めておく。
グレゴリーがあんな顔になるわけだ。
「お、父娘共々……ご、ご迷惑をおかけします……」
深々と頭を下げて言うのが精一杯。
お父様。せめて生前そんなこと一度も言ってなかったじゃない……。
お母様が冒険者なのにどうやって出会ったのだろうと思ってたら……。
「ですから、お嬢様」
「ひゃ、ひゃい」
何を言われるのかと思わず上ずった声が出た。
しかし、彼の顔はとても穏やか。
「そこまで思いつめる必要はないのですよ」
「え……?」
「確かに貴族子女が旅に出るというのは珍しいかもしれませんが、領主となる前に貴族が旅に出ることはそこまで珍しいことではありません。
見聞を広げ、たくさんの経験をして。
その結果、領地へと還元できれば良いのです。
それに貴方は両親を亡くしてからも、良き貴族となれるよう努力をなさっておいででした。
ですが――もう頑張らなくても良いのです。
未成年である貴方がこれ以上、身を削り頑張る必要はありません。
年相応の夢を見る事を誰も責めますまい」
「……」
そうなの、だろうか。
いえ、前例がすでに実の父親ではあるけど。
「それに――おそらく奥様は今後、どこかの領地か豪商か。
何れにせよ何処かの土地の方をお嬢様の嫁ぎ先として探し始めるでしょう」
それは嫌だ。
エリック様のお話を聞いて、私にだって少しだけ……ほんの少しだけ恋と言うものに期待をしてる。
もちろんお見合いから始まる恋もあるだろう。
だけど、きっと継母様は私の意思や希望など気にせず話をまとめる。
だから絶対に嫌だ。
もともと、知り合いでエリック様だったから婚約だって了承したのだから。
「その様子ですと、お嫌なのでしょう?
ですので、お嬢様。相続権の放棄の手紙を書きましょう。出る前に」
確かにそれをすれば、継母様は安心して弟を当主にできる。
私がいなくなれば勝手に勘当をしてくれると思っていたけれど、そちらの方が後々面倒はなさそう。
「では早速それを書いてから……」
ぐわし、と。グレゴリーの両手に肩を掴まれた。
そしてにこやかな笑顔を浮かべてずずいと寄って来る。
「まだ、お話は終わってませんよ?」
「え?」
「そもそもお嬢様、それだけ書けばもう出ていってもいいと思っていませんか?」
違うの?
内心で首をかしげたのに、何故かグレゴリーの笑顔の凄みが強くなった。
「お嬢様。
お嬢様はわかっておりますか? 旅の過酷さを。
痛い思いや怖い思い、そしてひもじい思いをするかもしれません。
その覚悟はお有りですか?」
頷く。
想像よりも、もっと過酷な事もあると思うが、一応その覚悟はあるつもりだ。
後悔を絶対にしないと言えないけど。
「わかりました。
では、お嬢様には世渡りの方法と旅についての知識を最低限教えて差し上げます。
出発は三日後になさいませ」
何故に?
着替えと少々の食料と路銀だけではだめなのだろうか……。
「いいですか?
お嬢様は世間知らずです」
うっ
否定はできない。
私が知ってる事なんて本による知識しかない。
先生が教えてくれたのも、生活に密接した知識ではなくて、歴史とかそういったものだ。
「また、危険に対する対処の方法を知りません」
ごもっともですね。
「その上、旅をしたいといいますが、その路銀を手に入れる方法を知りません」
はい。そうです。
「自分の身を守る方法もありません。
そもそもそのお姿のまま、旅に出るのは自ら自分は美味しい獲物ですよと言っているも同然です」
……え、そこまで?
一応一番質素で、お値段も安いやつを選んだんだけど……。
それにそもそも家を出ることを認めないって言ってたのに……。
その事を言うとにっこりとグレゴリーが言う。
「当然です。
なにせ今のお嬢様が家から出たとして、生きる術も、路銀も持っていません。
今の無知なまま見送ったとなれば、亡き旦那様になんとお詫びを申し上げるべきか……」
いちいちごもっとも過ぎて反論もできないね……。
「ですので」
言葉を区切り、より一層声に力を込めて。
それはもう、力強い眼差しでこちらを見る。
「お嬢様。
三日後です。
その期間で最低限を教えこんで差し上げますし、旅支度も整えて上げましょう」
有無を言わさぬ笑みに私はかくかくと頷く事しかできなかった。
グレゴリーこぁぃ……。
足元でラフィークが「そりゃそうだ」と言いたそうににゃぁんと鳴いた。
* * *
それから三日間。
いろいろな事をグレゴリーに教わった。
買い物の仕方や、物価について。
治安や地理に、目指した方が良い地域。
その結果、とりあえず私は目標として手に職をつけることを言い渡された。
どんな職業に就けるか分からないが、生きるためにはお金が必要で、そのお金を稼ぐ手段を持つことは確かに大事だ。
一方でマーサには野営で作れる料理や、いろんな食材の処理の仕方、秘伝のレシピを教えてもらった。
これで最低限、宿屋や食事処で手伝い位は出来るはずだと彼女は言う。
他にもいろいろな事を教えられて――頭がパンクしそうになったけど……。
私は頑張って覚えた。
多少零れそうな分は、虎の子の羊皮紙にメモをして忘れないようにする。
だって、これは彼らの優しさであり愛だ。
忘れるなんて罰当たりなことは絶対にしたくない。
そして――三日後の早朝。
私はこっそりと家を出ることにした。
冷たい空気が体をきゅっとさせる。
目頭が熱くなるのは、きっと涙目になりながら見送ってくれるみんながいるから。
みんなを代表するように、グレゴリーが一歩前に出て言う。
「……いいですかお嬢様。
必ず、最低でも年に一通だけは手紙をお出しください。
その時は……そうですね、本来の名前は伏せて、シアとでもお書きください」
「うん。わかったわ。ありがとう。グレゴリー」
「一年音信不通になりましたら、私はどこにお嬢様がいても見つけ出して、私の孫に嫁いでいただきますからね」
……と、唐突にも程がある。
多分心配しての言葉だろうし、どうせ強制的に嫁がされるなら自分の目の届く所へと思ったんだろうけど……。
でも年に一度か……。
頻度だけで見ると割りと長いけど、手紙を届けるまでかなりの時間がかかる。
何より信頼できる業者に預けないと届かない可能性もあるらしいし……そう考えると妥当……なのかな。
新生活でドタバタするかもしれないことを考えると……。
うん。……ちゃんと手紙だそう。
心に決めていると、今度は目を真っ赤にしたマーサが前に出た。
「お嬢様。
いいですか、ちゃんとご飯は取るんですよ?」
「えぇ。わかってるわ。ありがとう。マーサ。
貴方のご飯が食べれなくなるのはちょっと残念だけどね」
苦笑する私に、困ったように笑うマーサ。
カクルは泣いてうるさくなるだろうからと、マーサに私が出て行く日を内緒にされたらしい。
後で騒ぎにならないといいけど……。
本当は挨拶したかったけど、継母様に見つかっては元も子もないから仕方ない。
「辛い時こそ美味しいものを食べてください。
美味しいものはそれだけで、少しだけ心を慰めてくれます。
疲れた時には、活力を。
悲しい時には、暖かさを。
ですから……ちゃんと、食べてくださいね」
「えぇ……分かってる。ちゃんと、分かってるわ」
胸が熱い。
継母様にいらないと言われ。
お父様やお母様に置いて行かれて。
エリック様に選ばれなかったけれど。
こんなにも私を心配してくれる人たちがいる。
領主の子である以外に私の意味はなく、それすらやめてしまう私にそんな価値はないはずなのに。
涙が出そう。
ううん。すでに出てる。
じゃなきゃ、こんなに視界が歪むわけがないよね。
だけど。
だけど……せめて笑顔を。
私に価値なんてないし、笑顔でお別れを言う位しかできないけど。
それがこんなに愛してくれた人たちへせめて返せる、私ができることだから。
「ありがとう。……本当にありがとう。
みんな……行ってきます」
感謝の気持ちが少しでも届くように。
心を込めて私は言った。
お読み頂きありがとうございます。