36/祈り
息を呑む。
目の前に捕まえたい相手がいる。
ジャスさんのために。他の被害にあってる人のために。この人だけは捕まえなきゃいけない。
例え盗賊をほとんど捕まえたとしても、この人が無事であれば壊滅出来たとはいえないんだから。
私は浅くなりつつある呼吸を、出来るだけ整える。
すぐに動けるよう片膝をついて、周囲を伺いながら錬金瓶を取り出した。
――あと最低でも一人は仲間がいるはず。
網の投げ入れられた位置と、アロガンの現れた位置はちょうど真逆。
わざわざ移動して不意打ち……という可能性もあるにはあるけど、もう一人は最低でもいると考えた方が良いだろう。
気絶した負傷者がこちらにいるというのも痛い。
見捨てて逃げれば確実に殺されてしまうし、自分で逃げようともしてくれないのだから。
……それなら、まずはその心配を無くせばいいよね?
それだけでクロード様も動きやすさが違うはず。
アロガンと睨み合うのはクロード様に任せ、私は倒れた人達から網を剥ぎ取った。
遠隔操作で魔術道具が発動する可能性もあったけど、どうやら大丈夫らしい。
その上で、特殊な水薬を彼等を囲う様に少し大きめの円を描きながら撒いていく。
これで準備は良し。
今の所周囲からは人の気配はないけど……。
「あん? にげねーのか? 嬢ちゃん」
にやにやとした顔で、剣をとんとんと担ぎならアロガンが言う。
「逃げるわけないでしょう」
荷運び訓練はしてある。一人くらいなら担いで逃げれるかもしれない。
けど人数が四人もいるし、逃げ出そうとした途端、背後から攻撃を受けるだけだろう。
私がアロガンを睨んでいると、視線を遮るようにクロード様が立ちふさがる。
「人の連れを口説くのは止めてもらおうか。
どうしてもというなら、私を倒してからにしろ」
「はんっ。若造が生意気言いやがる」
睨み合う二人。
その間私は置いてけぼりだけど、クロード様がアロガンを引きつけてくれてる間に私は私の出来ることをしなきゃならない。
そのために色々準備してきたんだ……!
自分の右手中指についた指輪を見る。
ジャスさんの呪いを解いたあの解呪道具がそこにはあった。
オズちゃんに聞いた話によると、魔力を与えて名乗るのは精霊との契約になるらしい。
契約と言ってもお互い困った時に力を貸し与える仲……まぁ、友人関係みたいなものだと思う。
もちろんただで呼ぶ事はできないし、その力を貸してもらう対価は必要だけど……幸い私に求められる対価は大したものじゃない。
私は数本髪を抜いてから錬金瓶に入れる。そしてそっと縁を撫でてから蓋を閉めた。
すぐに軽く光った錬金瓶から、私の魔力だけを抽出した液体を、指輪の要になってる”浄化の雫”にぽたりと落とす。
すると指輪に落とした液体は淡く輝いた後、手のひらサイズほどの人型になった。
『あら。こんばんは……というのでしたかしら?』
「そうね。ウンディーネ。今晩は。それはそれとしてお願いがあるのだけど……」
この日のために、彼女に力を貸してくれと前もって約束を付けてある。
私の魔力を対価に、この”浄化の雫”を通じて彼女は姿を現してくれたのだ。
『えぇ。覚えていますよ。貴女は私の契約者。望みは何でしょう?』
「この人達の周囲に水薬で線を描いたから、それを起点にして彼等を守る水とか氷の壁を作って欲しいの」
『なるほど。えぇ。良いですよ』
ウンディーネは私の指輪からふわりと浮き上がると、倒れた兵士達の周囲に撒いた水薬に近づく。
すると、少量しか撒いていないというのに、パキパキと音を立てながら彼等を囲むように、氷の壁が出来ていく。
氷の壁といってもそのまま上方へ伸びてはいかず、最終的には彼等を包むように半球状になった。
これで炎の魔剣を向けられても多少は大丈夫だと思う。
『お役に立てました?』
「はい。とても。ありがとう、ウンディーネ。またオズちゃんとピクニックに行きますね」
『うふふ……それは楽しみですね。また何かあれば呼んで下さいね』
そう言ってウンディーネの姿は消えていく。
ふぅ。これでこっちは一安心。簡単には兵士たちを人質にも出来ないはず。
念のため触れてみると、かなり冷たくて頑丈そうだ。だけど指輪のついた右手で触れようとすると穴が空いた。
最悪この中に籠もれるようにという、ウンディーネの配慮だろうか。
――良し。こっちはこれで大丈夫。
私は視線をクロード様の方へと向けた。
戦いは拮抗しているように見える。素人目だからというのもあるけど……。
技術はそれほど差がないと思う。
けど、アロガンは土を蹴り上げたり、隠しナイフを投げて彼の頬に傷を入れたりと手段を選ばない。
卑怯と言えば、卑怯だろうけど……戦場ではそんな事言ってられないわよね。
そういう場数でクロード様は劣っているのかもしれない。
……とはいえ、そうだとしても私には目で追うのがやっとの戦いだ。
手助けをしたいけれど……どうすれば……。
ラフィークも接近戦を繰り返してる二人に手を出しかねてるみたい。
その時嫌な感覚がした。
ラフィークも気づいたのか唸りを上げる。
どこから?
多少開けた場所ではあるけど、ここは森の中。
周囲には木がたくさんあるから隠れるのは簡単だろう。
その狭さが槍使いのクロード様に不利に働いている。
嫌な予感の原因を探していると、誰かがいるのに気づいた。
「ラフィーク!!」
私が叫んだのとラフィークが走り出したの、どちらが早かっただろうか。
その人物は木の影から現れた。
多分盗賊団員で、男性だろう。
だけどそんなことはどうだって良い。問題なのは手に刃物を持っていることだ。
クロード様に攻撃するその直前に、ラフィークが襲いかかって押し倒し、足に噛み付いて行動不能にさせる。
けれど、襲撃者を倒して一安心と思っていたのに、膝を付くクロード様。
奇襲は防いだのに!?
「――ったく。ようやく効いてきたかよ」
にやにやと嫌らしい笑みを浮かべるアロガン。
その一言でさっきの攻防を思い出す。確かさっきクロード様は頬を傷つけられていた。
そしてお師匠様にもっとも気をつけろと注意された物――それは毒。
私は即座にかんしゃく玉をアロガンの頭の上狙って投げつける。
投げる瞬間に私の魔力を吸い取ったそれは、予想通りの爆発をした。
「なっ!?」
アロガンの驚いた声が聴こえるけど、大した威力はない。
だけど、気を逸らせられれば十分。
ラフィークは私の意図が分かっていたのか、すぐにクロード様を咥えて私の方へ引き寄せた。
アロガンをラフィークに任せ、私は彼を担いで先程の氷の盾へと向かう。
こんなに早くウンディーネの心遣いに頼ることになるとは……。
指輪をかざして穴を開け、クロード様と共に入る。
最初に縁を作る時、少し大きめに作っておいて正解だった。
クロード様を寝かせ、頬の傷を見る。
炎症しているけど……とりあえずは消毒!
蒸留水を取り出して傷口にかけてから、私はどの薬を使うべきか悩んでいた。
多分、呼吸が浅くて身体がほとんど動かない所を見ると、麻痺系の毒だと思う。
麻痺系の毒は多くが時間経過と共に抜けていくけど、凶悪な物だとその前に呼吸困難に陥って死ぬ。
――そんな事させない。
どんな毒にでも効く万能薬なんて私には作れない。
だけど、身体の異物を浄化する薬なら一応ある。問題はどれだけ効くかだけど……。
クロード様の頭を少し持ち上げ、小瓶に入った薬を飲ませていく。
お願い。ちゃんと飲んで……。
ラフィークの時間稼ぎも厳しいはず。
私の魔力の篭った薬で今は大きくなっているけど、そろそろその効き目も切れるだろう。
子猫サイズに戻る前に、もう一度あの子に薬を飲ませてあげないと……。
だけど、せめてクロード様が大丈夫と思える程度に回復してくれないと、この場を離れる訳にはいかない。
薬を飲ませた以上、私に出来るのは祈るだけだ。
指を組み祈る。
――どうか、毒が消えてくれますように。
すると、指輪の”浄化の雫”が淡く輝いて光がクロード様を包んだ。
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