35/囮
物見鏡で様子を伺う。
やっぱりに遠いとはっきりとした景色は映らない。
しかし――
「……また、燃えたな」
低く、堅い緊張した声。
クロード様が言った通り、最初の場所からは少し離れているが、森の中で火の手が上がっている。
今度は最初に見た時と違い、複数の箇所で燃えてるように見えた。
つまり、誰かが炎を使用して誰かと交戦したと見た方がいいだろう。
ぱぁんと、遠くでオレンジ色の照明弾が登る。
それが意味するのは標的発見かそれとも救難信号か。
「ちっ」
小さい舌打ちの後、クロード様は即座に部下に叫んだ。
「伝令、直ちに村へ行きアロガンが逃げた可能性がある事を伝えよ。
そして、村の掃討が終わり次第、照明弾の所へ!」
短い返事と敬礼の後、慌ただしく周囲が動き始めた。
……やっぱり、あの炎は魔剣が原因と見るよね。特に今の状況なら……。
アロガンが――あそこに居る……!!
「シア嬢。私達はアロガン討伐に向かうのでここで衛生兵と――」
「残りません。付いていきます」
「……危険だし、父上にも言われている。我儘を言わずに大人しく残れ」
「魔剣使いアロガンの事は知っております。
ここに居るのは支援部隊……彼を相手にするには戦力が足りないのでは?
それに戦闘能力があることは証明しました。私は怪我をした所で自業自得だと思いますし、誰も恨みません」
睨み合ったのはほんの数秒。
時間が惜しいと判断したのか、それとも説得は無駄と判断したのか。
「衛生兵も村へ行け」
「しかし、それではそちらに……」
「大丈夫だ。彼女がいる。――治療薬をたくさん用意したのだろう?」
「はい! たくさんあります!」
胸を張って頷き、いくつかの薬を先に手渡す。
それでもまだ薬には余裕がある。
私がクロード様を見上げると彼も頷き、馬は走り出した。
* * *
夜の闇の中、馬はぐんぐんと進む。
高い木々の隙間からほんのりとした月明かりだけが光源だ。
その速度は平地と比べれば遅いけど、人間が歩くよりも早い。
木の根に躓かないか心配だけど……馬の頭には魔術道具が付けられている。
多分それで暗闇でも見えるようになってるんだろう。
そしてある程度進み、鏡で見た炎が肉眼で見え始めた頃、馬を止めた。
「ここからは歩いて行く」
「はい」
馬から降ろされ、私も道具がすぐ取れるように準備を始める。
と、そこでクロード様が私を見ているのに気づいた。
「何か?」
「馬の面倒を見る人間が必要だな、と」
「往生際が悪いです。
それに私はアロガンの魔剣用に対抗策を準備しています。絶対に役に立ってみせます」
私がはっきりというと、ため息をついてから他の兵士に視線を向け、その人は頷いた。
今ここに居るのは、クロード様と部下の兵士三名。うち一名が馬の番をするようなので実際についていくのは私を含めての四人。
クロード様以外は剣と盾を装備しており、クロード様は槍を手にしている。
確かお父様のセドリック様が槍の名手だったはずだし、彼も槍の使い手なのだろう。
「先に言っておくが、悲鳴を上げたり、パニックにだけはなってくれるなよ」
「大丈夫です。その辺りはお師匠様にみっちりと仕込まれておりますので」
思い返せば懐かしい記憶。
そう……それは修行の最中、いざという時に怖がらないようにと、鼻先まで刃物がかすめる訓練だとかやりました……。稀に頬に当たるし……。
あれに耐え続けたから、大抵のことは驚いても冷静に対処出来ると思う。
腰のポーチから錬金瓶を取り出して、少量の水薬と自分の髪を一本抜いて中に入れておく。
……髪の毛を素材にするから、この錬金術はあんまりやりたくなかったんだけど……背に腹は変えられないもの。
ラフィークを肩に乗せ、瓶の縁をなぞってから蓋を締める。これで準備万端。
私がクロード様を見ると彼も頷いた。
金属の音がかちゃかちゃと響く。
全身鎧じゃない分、多少は音も少ないんだろうけど……。
出来る限り音を殺して進んでいくと、やがて燃えている木がはっきりと見えてきた。
暗い森の中だったけれど、火のおかげで周囲は明るい。
だからその根本付近に倒れている二人の兵士が私達には見えた。
「――っ!」
自分の口元を抑えて息を呑む。
周囲の兵士達にも緊張が走ったようで、お互いを見て頷き合っている。
ハンドサインを幾つか交わし、方針が決定したようだ。
クロード様を見上げると「ついてくるな」というハンドサインを私に向けた。
それだけは覚えろと、そしてそれだけは絶対に守れと厳命されている。
私は頷いた後、ラフィークを地面に降ろして水薬を二つクロード様に手渡した。
流石に私だって命令に従わないと戦場で邪魔になること位分かってる。
私が大人しく命令に従ったのを確認すると、クロード様達は周囲を伺いながら進んでいった。
――どうか、死んでいませんように。
そう祈りながらクロード様達の背を見守る。
特に罠もなく進んでいくと、無事に彼等は倒れた兵達のもとへと辿り着いた。
クロード様が見張りに立って、兵士が倒れてる二人の脈を伺っている。
どうやら幸いな事に死んではいないようで、私の手渡した水薬を飲ませているのが見えた。
良かった。生きてる。
そうほっとした時。
ラフィークが唸りを上げた。
私も嫌な予感がして周囲を見る。
がきぃぃんと、金属の打ち合う音が聞こえた。
音の方を見れば、クロード様が数人と交戦している姿が見える。
――兵士は囮……っ!?
多分、死んでなかったのもわざとだろう。
死んでいるなら庇う必要がなくなるが、生きていれば守るために行動も自然と制限される。
今まともに戦えるのはクロード様だけだった。
交戦してる相手は、盗賊団の一味だと思う。
誰も鎧を着てないし、状況的にそれしかないはず。
……それにしてもクロード様って強い。
三人を相手にしながら、槍を華麗に操り敵を捌いている。
その槍はどこか舞を思わせる程で綺麗だ。
こんな状況でなければ、ずっと見ていたいと思う。
でも、あれ?
少しづつ、倒れた兵士達との距離が広がってない?
クロード様もその事に気づいているのか、顔に焦りが浮かんでいる。
他の兵士達も倒れた仲間を背負って、剣を片手に離脱しようとしてるけど……。
と、そこでばさりと網が彼等に投げられた。
同時に何か光が走って、地面に崩れ倒れてしまう。
魔術道具?
いや、原因が何かなんてどうだっていい。
私は迷わず小瓶の蓋をあけてラフィークに飲ませた。
その瞬間、子猫だったラフィークの姿はファングウルフより一回りは大きくなる。
「ラフィーク!」
「しゃぁっ!」
声をかけ、先に行かせると彼はクロード様の方へと向かう。
クロード様が闘ってるうちの一人一人を、順に押し倒し、足に噛みつき行動不能とする。
多少乱暴かもしれないが、命のやり取りをしてる以上仕方ない。
……かなり痛そうだけど同情できる相手じゃないんだ。
ラフィークに走らせた後、私は網に捕まった兵士達の方へ駆け寄った。
周囲の気配を伺うけど、不意打ちされる時によく感じる嫌な感覚がないから、多分大丈夫。
それでも一応、すぐに攻撃用の道具が取り出せるようポーチに手を伸ばす。
しゃがみ込んで首筋に指を当て脈を測る。
多少焦げ跡が見えるから、これは電撃系の魔術道具の効果だろうか。
だとすると着付け薬で一応目が覚める……?
ただ、この状況で目覚めさせた方がいいのか、それとも先に敵を倒した方がいいのか……。
判断しかねて私はクロード様達の方を見る。
ラフィークという戦力が加わったお陰か圧倒したらしい。
最後の一人も倒れ、ラフィークが行動不能にすると、クロード様は周囲を伺いながらこちらへ近づいて来た。
「そちらは?」
「大丈夫です。ですが、電撃系の魔術道具か何かで気絶してるみたいで……起こした方がいいですか?」
「そうだな――どちらにせよ、あいつを倒してからになる」
槍を構えたまま、闇を見つめて言う。
私もつられて見れば、ゆらり、と光が見えた。
光というよりは、揺らぎといった方がいいかもしれない。
それは、炎を纏った剣。
「あーぁ……。
ったく。せっかく不意打ちしてやろうと思ったのになぁ」
あの日の記憶が蘇る。
寝たふりをしていたから、顔は見ていないけど声は思い出した。
理不尽な命令でジャスさんを傷つけ、私に触れた男。
――あいつがアロガン。
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