32/領主セドリック様
一人取り残された応接間のソファに座る。
応接間の調度品は、質実剛健な印象を与えるものばかり。
こうしてみると、その屋敷の主によって調度品の類は好みが変わるのがよく分かる。
我が家だと、気づいた時には継母様の趣味らしい、女性的で細かな細工が多い品ばかりになってたし。
さて。隣領の事だからという理由で、グレゴリーによる詰め込み授業には当然メレピアンティナの領主の情報もあった。
領主に会う予定だったので、出立前に皆の教えをメモした羊皮紙(一応紐で閉じて本状にはなってる)を持ってきてある。
ぺらり、ぺらりとめくりながら目的のページを探す。
セドリック・メレピアンティナ
今年四十三歳になる現メレピアンティナ領主であり、辺境伯の位を持つ貴族。
若い頃は領地の騎士団に在籍。
領主一族として、また一人の武人として騎士団では信頼も厚く、武勇を誇っていた。
得意武器は槍であり、槍を持っての読み合いは一対一での戦闘において一度も敗北がなかったほどだという。
この情報を見るに、どちらかというと騎士寄りの思考をした領主さんということになるのかな。
……あ、本当だ。家族構成の所に、息子がいてクロードって名前になってる。通りで聞き覚えがあるわけね。
さて。外からの情報としてはこれくらいだろう。
次は内側から見た領主像を考えてみる。
一言でいうなら、この街は活気があって治安も行き届いてると思う。
あまり夜遅くを出歩くのは怒られるけど、夕方は特に騎士の巡回が多く見回りをしてくれてるし。
凶悪事件も私が街にいる間では聞いたことが無い。
……まあ、魔術師ギルドとか冒険者ギルドでは、頻繁に揉め事は起きてるけど。
ともあれ為政者としても、恐らく有能なのだと思う。
そういう相手への交渉というのは難度が高い気がする……。
でも、ある程度は情に訴えれば……いや、でも有能な為政者がそんな事で絆されるわけないし……。
どういう指針で交渉に臨むべきか悩んでいると、ノックの音がなった。
「どうぞ」と声をかけるとメイドが入ってきてお茶の用意をする。
……私、ただの一般市民なんだけど……。
これはあれですかね。バレてるんでしょうか。
メイドの入れてくれたお茶をこくりと一口。
……うん。とても上等な紅茶だわ。
ますます私の正体がバレている線が濃厚です。
お茶を頂いてから少し後、再度ノックをされ、メイドが執務室へと案内してくれるという。
……覚悟を決めなきゃ。
* * *
メイドが扉を開け、私はゆっくりと執務室へ入っていく。
正面には領主のための執務机があり、領主と思わしき人物が座っていた。
深い青い目、薄めのブロンド。口元には整えられた髭が少々ある壮年の男性。
一見して温和な方に見えるけど、鎧も付けていないのに騎士のような印象を受ける人。
――この人がセドリック・メレピアンティナ。
緊張でごくりと息を飲む。
私は一般人らしく、スカートをつまみ上げ、深く腰を落とした後頭を下げようとした。
しかし――
「挨拶はいいから、こちらへ」
と、もう一人部屋にいた人物に手を引かれてしまった。
まだ年若い男性で、私よりは年上に見えるけどまだまだ若い。
きっちりとした貴族らしい衣装を身にまとっているし、セドリック様と同じ深い青い色の目をしている。……この方が息子のクロード様?
騎士のクロードさんとは違い、感情の見えない表情をしていて、髪も黒に近い緑。
似ても似つかない印象だけど――この人って……。
手を引かれたままそんな事を考えていると、気がついたら執務机の隣に立っていた。
セドリック様は私を上から下まで見てにっこりと優しく微笑む。
「やぁ。久しぶりだね。アリシア嬢。――と言っても、ちゃんと挨拶はした事はないが。あの頃はまだ赤子だったからね」
「――な、何か勘違いをなさっておいででは? 私はシアと申します」
心臓を鷲掴みされたような衝撃の中、かろうじで言えたのはそれだけだった。
必死に笑顔で知らんぷりをしてるけど、それすらも目の前のセドリック様は見抜いてるように感じる。
……というか、この存在感がなんだか怖い。怒られてもないのに、怖い。
「――ふむ。実はこのような手紙が来ていてね」
そう言って、セドリック様は私に一通の手紙を差し出した。
断りを入れて受け取ってから中を見て――私は絶句する。
グレゴリーからの依頼状!?
名目上は依頼状だけど、実質中身はちょっとした脅迫になっている。
内容としては、盗賊に誘拐されたアリシア(私)を一刻も早く見つけ出し、保護して欲しいという事。
それが叶わないならば、イングリッド領から出立した商隊が、メレピアンティナ領内で盗賊被害にあった事に対しての補償や、今後の取引について考えなければならない……という脅しだった。
ああああ!!!
冬の間に手紙を出さなかったばっかりに!?
こんな所にも被害が飛んでる!?
嫌な汗が背中を伝う。
春だと言うのに、寒いくらい。
「ちなみに、これを差出人の孫が持ってきてね。
今も捜索のために、何度も街の外へ出ているらしいよ。
件の盗賊を捕まえたのも彼という話だ」
ものすごく飛び火してる。
グレゴリーの孫がジャスさんを捕まえたんですか……。
ありがたいような、困るような……。でも街に連れてきてくれたから呪いも解けたのだし、そこは感謝しておきましょう。
「私はアリシアという方に覚えはありませんが、今頃その方は手紙を出しているので、領地間での問題は発生しないのではないでしょうか?」
――私に答えられるのはこれだけだ。
正直な所、使えるものならなんでも使ってでも、セドリック様との面会はしなければならなかった。
だけど、それでも責務を放棄した私が”貴族”だった事を利用するのは気が引ける。
そういう意味では騎士のクロードさんに感謝ですけど……。
「ふむ」
まるで試すように、私の目をじっと見てくるセドリック様。
気を抜けば逃げたくなるような衝動に耐えながら、私は困ったような笑みを浮かべ、ただ立っていた。
それがどれ位続いただろうか。
頬が引きつる直前だったと思う。突然、セドリック様は豪快に笑いだした。
「はっはっはっは。良く分かった。
ならば、この件については一先ず置いておこう。後で手紙を出さなければならないがね」
ほぼ確信されているみたいだけど、とりあえず私が「アリシア」であることは伏せてくれるらしい。
――良かった。
「あの……出来れば……その、お孫さんにも……」
「こちらからは何も言わないでおこう。彼が勝手に見つける可能性はあるがね」
……出来るだけ隠れていよう。
「父上。お話をするのであれば席に付かれては?」
低い声が背後からかかる。
そういえば息子さんのクロード様が居たんだった。
クロード様にエスコートされてソファに座らされる私。
……うーん。やっぱり……。
「あの、騎士のクロードさんですよね?」
「確かに我が領の騎士団にクロードという者はおりますが、私とは別人ですよ」
「でも、身長、歩き方、声は……どちらが地かは良く分かりませんけど、声質は同じに聞こえますし……騎士のクロードさんですよね?」
再度問いかけではなく、確認するように言う。
どうして一般の騎士のフリをしてたのだろう?
「はっはっは。よくぞ見抜きましたな。シア嬢」
まぁ、ついさっき会った方ですし。
髪の色とかは違うけど……比較的分かりやすいような……?
「あーぁ。もうバレた? おっかしーな……。
認識阻害の魔術道具使ってるんだぜ? その上で髪の色とかも変えてんのに……」
……そんな物を使ってたんですか。
「シア嬢の観察眼が確かだという事がはっきりしたな。クロード」
「ちぇー……。内緒な、これ」
「あ、はい」
と言うか、言ってもセドリック様の威厳が落ちるだけな気がします。
こんな軽いノリの息子さんじゃなぁ……。そして思った通りあちらが地みたいですし。
結局一般の騎士のフリをしている理由は教えてくれなかったけれど、修行の一環でしょうか。
「――さて。私も忙しいのでね。愉快な話はここまでとさせてもらおうか。
シア嬢。君は私に何か話があるそうだったな。
望みを言うと良い。それを受け入れるかは別だがね」
さぁ、正念場です。
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